序章
★序章
正史にて本山、大平、山田、吉良などの諸豪連合によって長曾我部兼序はその生涯を閉じたとされるが、聊か大袈裟な話である。長曾我部氏の所領は長岡郡の南に位置し、その目の前には守護・細川家庶流天竺氏の大津城が聳える。長曾我部を滅ぼしたとされる盟主・本山氏はそれより遥かに北に位置する長岡の嶺北地域にて勢力を伸ばし、盟主と兼序の間には香美郡と重なる香宗我部氏と山田氏があった。
その西に土佐郡、更に吾川郡・吉良氏があり、更に西に高岡郡・大平氏、津野氏と続く。
兼序は自身においても質素倹約に努め、文武を奨励して民を正しき道へ導こうとした品行方正な人物だったが、何かと間違われやすい節もあった。
虎の威を借りる狐――守護・細川政元の名代となって代官職を忠実にこなし、厳格に物事を捌くきらいがあって、衆人において人気はあったが統治者には必ずしも人気があったとは言えない。その態度は見る者に横柄に映り、信用の失墜に繋がった。
こと、天竺は面白きことのない日々を送る。
細川家の庶流として自らの領地だけでなく、他家領地でも虚勢を張りたいが兼序がそれをさせない。
政元公の可愛がりさが尋常ではないからだ。
永正五年。
政元の暗殺、所謂、永正の錯乱が起こる。
それまでの兼序に付き従ってきた日和見な家臣が彼の下を去る動きを見せると事態も一変する。
それは天竺氏が捨身で仕掛けた策に他ならない。
先ずは動機。
吸江庵の寺領問題という難問を兼序に迫り、その裁きを不公平と称して声高に吹聴した。
かねてより綿密な根回しを行ってきた吾川郡の雄・吉良家を巻き込むことで兼序糾弾への足固めを整えた。これが一世一代の大勝負という一場面という訳だが、自身も守護・細川の権勢に陰りが見えつつある中で合戦をするものだろうか。
また、郡を飛び越えて長曾我部を叩き潰そうというメリットが乏しい。
しかし、山田氏や香宗我部氏にはひと通りの大義は存在する。
それは、かねてより長曾我部との小競り合いである。
盟主とされる嶺北の本山氏は近隣の小豪族と密に交わる事で勢力伸ばし、南進の機会を伺っていたが積極的ではなかった。永正の錯乱による国境の阿波が気がかりで兵を出すことに躊躇したからだ。
更には高岡郡の大平氏は一条家とも通じており文化人として才を持つ。
戦国武将としては余りに華奢であるが故にまま正史を信用はできない。
兼序は不幸の連続によって僅か、五百数十騎で山田、香宗我部、天竺の三家、盟主・吉良と対峙した。
籠城? 彼には勝利を収め得る算段があった。
「是非もない......」
脇を固めた家臣団の綻びが予想をはるかに上回る。
これでは貯蓄した金も無意味だった。
<一戦交えるか? だが......>
残される家臣の一族は路頭に迷う。
岡豊城の奥にある千雄丸とて無事ではないだろう。
彼の決断は降伏――実に即断であった。
隠居して家督を僅か八歳になったばかりの千雄丸に譲ると宣言した。
最後まで戦う、城を枕に討死覚悟という家臣は実はわりと少数だ。
こうして岡豊城の戦いは火ぶたを切ることなく終わる訳だが、パワーバランスはこの時より変わったと言える。知勇兼備の武将として知られた兼序の隠居は香美郡や長岡郡、安芸郡に土佐郡を震撼させたのだ。そして誰もが軽快したのが嶺北の本山氏の存在である。
この時、当主は本山茂光。
茂宗の祖父である。その嫡男には清茂、その後養明と名を改める。
正に怒涛の進撃で一気に土佐平野へ侵攻する。
その話はまた後ほど。
これは南海の武人の物語――。