その9
少女は、何時の間にか、エリオをかばうかのようにして、バケモノとの間に割って入ってきた。
その少女が、片手に持った棒切れを突きつけると、殺気だったケモノの様子が変わった。
明らかに怯えた様子をしている。
「さあ、どこかへ消えてしまいなさい」
少女は見上げるほどの異形を、召使かなにかのようにあしらう。
それでもケモノは、少女の背中に佇立するエリオをあきらめたわけでもない様子で怒気を含んだうなり声を立ててエリオを睨みつけていた。
どうみてもただの木の枝にしか見えない棒切れを片手に持った少女の姿は、遠い昔の羊飼いのようにも見える。
その華奢な体をつつむ純白の衣装が、木もれ日を受けて、エリオの目のまえで光っていた。
「パーシャ、あなた痛い目にあいたいの?」
そう言って少女が手にした木の枝で地面を打ち付けると
“ピシッ”
という、さきほど聞いたあの音が起こり、ケモノは苦しそうに身をよじりながら去っていった。
ケモノが去るのを見届けると、少女は蜂蜜色の髪をたゆたわせて、エリオのほうへ頭をめぐらした。
「ケガはない?危なかったわ。あいつは本当に乱暴者だからもうちょっと私が遅かったら
あなたたぶん食べられてたわ。頭からバリバリッって」
そう言って笑顔を弾けさせた。
それは、町で言えば花摘みにでも打ち興じていそうなぐらいの、あどけない少女だった。
額にかるく垂れかかった前髪のしたに、長くととのった睫毛をしばたかせながら、莞爾と口元をほころばせている。
丸みを帯びた頬から頤のあたりは、ようやく甘く色づきだした果実を思わせた。
まだ、先ほどの恐怖が抜けきらないエリオにとって、『頭からバリバリッ』などと言われたら、決して笑い事ではなかったけど、不思議な気分に浸りながら
「ありがとう」
と、応えた。
そのときエリオの頬がほんの少し赤らんでいたのは、さっきまで自分の身に迫っていた危機のせいだけではなさそうだ。
「ところで、あなたは誰?」
「僕?僕はエリオ。この森を出たところにある町に住んでいる」
「町?そう……やっぱりあなた人間なのね。私は、マヤよ。この森を守る妖精」
「妖精?」
マヤの言葉は、エリオをひどく驚かせた。
妖精がいたということではなく、自分がそれに本当に出会ったことについてである。
「そう。あなた妖精を見るのは初めて?」
言われて見ればマヤは、いかにも妖精にふさわしいたたずまいに思えた。
彼女の纏う、光沢のある雪白の布地は、縫製されているようにも見えない。
それは、見ているだけではよくわからないような結び方で体に巻きつかせているが決して無造作にはされていないらしく、布地がつくる襞の一筋一筋はいずれもきれいに揃いながら、
彼女の体のまわりで波打っている。
「もちろんだよ。僕の知り合いで妖精を見た人なんてきっと一人もいないからね」
「そんなに、じろじろ見ないで。恥ずかしいから……それより、あなたどうしてこんなところに一人でやって来たの?ここは人にはとっても危険な場所よ」
エリオは、自分を助けてくれたマヤという名前の妖精に、この森へ入ったわけを
話して聞かせた。
玻璃玉のような瞳をクルクルさせながら、エリオの話に聞き入るマヤは、話が少し進むたびに
「ねえ、そのジプシーってどんな人なの?」
とか
「あなたの住んでいる町では、誰が一番偉いひとなの?」
とすぐに話を横道に逸らしてしまう。
森の外の事々すべてがマヤの好奇心を刺激しているからなのだが、話しているエリオのほうは、だんだんと自分の喋っていることが分からなくなってしまうのが困りものだった。




