その5
夜が明けきるまでには、水汲みもすっかり終わっているはずが、あの老婆とのことがあったせいで、もう陽もすっかり昇ってしまっていた。
町の家々の白い漆喰壁を、朝の陽射しが今や眩しいくらいに照り返している。
朝餉をすませた人々が、今日一日の生業のために戸外へ出てくるような頃。
庭やバルコニーでは、せっかくの晴天をムダにしまいと、あわただしく洗濯物を干す主婦のすがた。
雑貨屋のおやじは、最近でっぱりだしたお腹の上でチョッチのボタンを窮屈そうに締めながら、開店の準備をノロノロとやっている。
町の居酒屋「黒猫亭」の扉だけは、夕暮れ時までかたく閉まったままであるが、その斜向かいにある旅籠からは、数頭のラバとともにあわただしく行商人の一行が出立していった。
この町に長く逗留する旅人は少ないのだ。
路地では重たげな牛の歩みとともに、荷車の木製の車輪が、石畳の上へ乾いた音を響かせてゆく。
その横に並んで、いつになく真剣な表情のエリオは、知り合いから朝の挨拶をされても、
上の空で帰りを急いだ。
例のジプシーの話によると、あと一月ほどしか時間は残されていないらしい。
神の住む森の霊樹まで、どれだけかかるか分からないが、この町の者に聞いたところで、森のことを正しく知るものは無いだろう。
急ぐに越したことはない。
エリオは、今日にも森に入ろうとすっかり決心してしまっていた。
水汲みから帰ると、いつもより遅れたことを冷たく詰責する雇い主のおじさんへ丁寧に詫びをして、病気で寝ているケイトのもとへ向かった。
森へ入ってしまう前にどうしてもケイトの顔を見ておきたかった。
一度ここを飛び出してしまえば、もう二度と逢えなくなるかもしれないのだから。
二人は、雇い主の邸宅の敷地内にある、小さな小屋でそろって寝起きしている。
それは、二人がやって来るまでは物置がわりに使われていた小屋で、粗雑に組んだ丸木の壁は、少し気候の荒れた夜などはすきま風がひどかった。
中に入ると、ケイトは静かに天井を見つめながらベッドに横たわっていた。
せめて、十分に眠ることができたらと思うが、病苦は彼女に睡眠というささやかな安楽すら奪ってしまっているらしい。
小屋の中に弟が入ってきたのをチラと横目で確認すると、ケイトはか細い声で問い掛けた。
「どうしたの?」
姉弟のベッドが一つずつと、テーブル、それにスツールが二脚ある他には調度らしいものもない小屋の中は、小さな枝折戸から入る陽の光だけが唯一の明かりだった。
エリオはその薄暗い小屋の中を、ケイトの枕もとまでゆっくり歩みよった。
「姉さん。具合はどう?」
「ごめんね、私の分まで仕事をやらせてしまって」