エピローグ
それから、幾時代かが過ぎ、いくつもの戦争を経験しながら、町もその様相を変え、いまでは、このあたりでもっとも開けた都会として国内屈指の人口を誇るようになった。
しかしその外に広がる森だけは、往時のまま人の手が入ることない秘境の地である。
かつてこの森は、諸人不入の聖地だったらしいが、今では国定公園に指定され、手厚くその自然が保護されている。
この町で、もしあなたが名所について尋ねるとしたら、多くの人が一本の樹木の存在をあげることだろう。
そう、街の人々が「エリオの樹」と呼んで大切にしているあの樹木のことである。
伝説ではここに、一本の枝だか、剣だかを突きたてたところそれが根を生やし、やがてこの樹になったということである。
なんでも、この木の葉を煎じて飲むと、病気が治ると信じられていて、今でも落ち葉の季節には人が絶えない。
また毎年春から夏にかけて、その幹に蔦をからませながら白い花を咲かせる植物が寄り添うように生えているのだが、こちらもエリオの樹とともに町の名物のひとつである。
植物学者によれば、この樹も白い花もここにしか生えていない唯一無二の貴重な種であるそうだ。
そのため、何度か種を採取して別の土地で繁殖を試みたものの、どうしてみてもこの一株以外は生育しないらしい。
町の観光パンフレットに目を通すと、この白い花は、エリオを助けて大いに功績のあった姉のケイトの生まれ変わりだという言い伝えを紹介している。
この町の中興の祖であり、ファンライン公爵家の鼻祖となった、この二人の事跡は歴史家にまかせるとして……
この「エリオの樹伝承」、あまりに有名な話なのはいいが、地域によって、また時代によって微妙に話が違う。
もっとも大きな食い違いとしては、いったいいつエリオが剣を地に突き刺したのか、その時期が一致しないのである。
一つには、姉弟ふたりで貧しい行商人をしていたころ、だというものもあり、またもうひとつには、商人として大成功した後、ちょうど町の防衛ために私財をなげうって自衛軍を組織したころだというものもある。
別の人に言わせると、いや、そうではなく、皇太子率いる軍勢を野戦で破ったあの戦争の勝利を祝ってなのだと主張する。
町の図書館にある伝承に関する古い書籍に目を通すと、町の富を奪おうとした、諸侯連合――つまり、反皇太子派――の大軍に町が包囲された、あの篭城戦でエリオの留守を預かっていたケイトが、戦勝を祈ってそうしたのだとの記述も確認できた
因みに、その本のその部分には脚注があって、そこにも異説が紹介されている。
それによると、戦況打開のため、わずかな手勢とともに、決死の覚悟で敵軍の包囲を潜り抜けて援軍を呼びに出かけたエリオが、その出立の前に武運を祈って突き刺したともある。
・・・・・・もうこれぐらいでやめておくが、民俗学者などに言わせると、この有名な史実がどのように伝説と結びついたかを調べると、神話や伝承の発生と発展をたどる上の貴重な資料になるらしい。
しかし、最後にこれらの伝説とはまったく性格を異にする、「エリオの樹」伝説のバリエーションを紹介しておこう。
その話をしてくれたのは、この町でもっとも長生きの古老である。
彼によると、その白い花は「妖精の花」なのだという。
そして、エリオの樹の葉と、それに絡まって咲いている妖精の花の花びらを持っていると恋が叶うのだと言って、その老人は笑った。
── おわり ──