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その19


気が付くと、シューラの姿が消えてしまっていた。

その代わり、霊樹のほうから長い裳裾をひきずるように、しずしずと歩み寄ってくる者があった。


背後から差す大きなニンブスの光に目がくらんで、表情がわからないが、それはさきほどの声の主であるらしい。


しかしそれよりもまずエリオは、長老の腕の中でぐったりとしているマヤのもとへ向かった。


長老は、エリオの腕にマヤを渡しながら静かに言った。

「大地の上に寝かせてやりなさい──少年よ、お前の願いは叶えられた。あの方がオエセル様だ」


言われたとおり、エリオは傷ついたマヤの体を大地の上に横たえた。

熱にうかされているように力なく開いた瞳の奥に、かすかな喜びの色を浮かべてマヤはエリオを見つめていた。




マヤの傍らにひざまづいたエリオの耳に、神の声が届いた。

「この地まで来たる、汝がいさおしをよみして願いを叶えん。

 ただし、そは、ひとたび」


エリオは、その声の主のほうへ向かうと、拝跪の姿勢のまま言った──


「では、この傷ついた妖精を助けてください」


「ダメよ……」

マヤが、かすかに首を振った。


エリオは神の前でひざ間づいたまま、小声でマヤに応えた。


「いいんだよ。僕のために君が傷つくことはない。

 君には本当に感謝している。そして、こんな目にあわせてしまったことを僕は悪いと思う。

 例え姉さんが助かったとしても、君の命と引き換えなんて、僕にはできない。

 もともと、姉さんは助からない運命だったんだ。これでいいんだよ」


マヤの瞳からは涙の筋が、頬を伝わっていた。

しかし、その表情はあきらかに困惑のために曇っている。

「いけない、そんなことしたら……」




蘇芳色に染まった衣服の下から、何かを訴えようとして差し出されたマヤの手をエリオは横目でチラと見ながら、エリオが言った。

この妖精の真心はわかるが、それを敢えて今は無視をした。彼女を助けるために。


「マヤ、何も言わないで。」


神と、そのそばに侍る妖精の長老は、その姿をだまって見守っていた。


そこへ──


「エリオ!あなたどうしてこんなところに?」


その声に顔を上げると姉のケイトが立っていた。


「姉さん!」

別れのときベッドの上で着ていた質素な寝巻き姿ではあったが、きれいに梳きあげた髪や、ほんのり赤みの差したつややかな頬などは、かつて元気だったころの姿そのものだった。


「どうして、こんなところにいるの?」

エリオは咄嗟のことに、神前であることも忘れて、思わず叫んでしまった。


「エリオ、あなたこそどうして、ここに?まさか、あなたも死んでしまったの?」

姉の口にした『死』という不吉な言葉の響きに、エリオの胸が締め付けられた。

突然おそわれた衝撃のせいで、ひどく取り乱しながら、ケイトに向かって、「なぜ?」という問いを発しつづけるエリオに向かって、姉は諦めをうちに含んだ笑みを見せながら口を開いた。




「あなたが出て行ってから七日たった頃かしら、私はあの小屋の中で死んだのよ。

 不思議でしょ、あんなところでろくな食べ物もなく、弱った体のまま私が七日間も生きていられたなんて。

 きっと、心のどこかでお前にもう一度あえるかもって思ってたからなのね。

 最期、お前の姿が見えた気がして、そうしたら、すぅーっと意識がなくなっていったわ。

 ああ、私は死んでしまったんだなって、あの小屋の中に一人ぼっちで横たわった自分の姿を見下ろしながらそう思ったの。

 そのときお前の姿がやっぱりないのがわかって少し悲しかったわ」


「何を言ってるの姉さん。七日間だって?僕が出て行ってから一晩しかたってないんじゃ……」

「違うわ、数えてたのよ、それぐらいしか私にできることなんてなかったから。

 でも、あなたはどうなの?本当に死んでしまったの?」


「違う。ぼくは、死んではいない」

「じゃあ、どうして、ここにあなたがいるの?」

「ぼくは……、ぼくは……」

エリオの言葉が詰まってしまったのは、この出来事のからくりが分からないからではない。




思いがけない邂逅に驚きかつ悲しむ二人の姉弟の様子を、横たわったままじっと見つめるマヤは、その足元に一本の剣──戦いのあとエリオが無造作に地面に置いた霊樹の剣──が落ちているのに気づいた。


傷ついた妖精は、最期の力をふりしぼってその剣を手に取った。

刀身をしっかりと握った掌から、血を滴らせながら、刃先をしっかりと喉元へ据え付けるたその姿は、まるで、祈りを捧げているようにも見えた。


あっと思うまもなく、エリオの目の前で剣が妖精ののどを差し貫いた瞬間、彼女の姿が消えた。


「エリオ、お姉さんならまだ間に合うから安心して。

 私のことは悲しまないで、朝露が昼には消えてしまうようなものだから。

 さようならエリオ、あなたには幸せになって欲しい。

 いつか、また会えたら嬉しいわ」


一陣の風がエリオの体を通り過ぎて、そのときたしかにマヤの声が耳元でそう囁いていた。


あとには、白い衣装だけが取り残されていた。

そこに何かを見つけ出そうと、急いで手に取ると、布地は風に散る花びらのように

はらはらと解け消えていった。




呆然とするエリオの耳に、神の声が響いた。

「エリオ、こは、かの妖精の贈り物ぞ、受けよ」

一瞬あたりが光につつまれたかと思うと、そのあと姉の姿も、神の姿も消えてしまっていた。


霊樹の前では、真空のような静寂に包まれている。

木の葉一枚もそよぐことなく、木立には生き物の姿ひとつなく、森全体が一枚の絵に固着してしまったかのようである。

そこには、エリオと妖精の長老の姿だけがあった。

やがて、地面に死んだようにうずくまっているエリオのそばへ、長老は歩み寄った。


「エリオ」長老の声がこだまのように響いた。

「私からも言っておこう。マヤの死を悲しんではいけないと。

 いずれ分かるときがくる。死というのは悲しむものではないのだということが。

 なによりも、エリオ、お前はオエセル様のご加護を得たのだ。

 これからもお前が正しくあるなら、幸運の女神はお前を守り給うだろう。

 お前はこんな言葉を聞いたことがないか?

 『霊樹に坐す女神は勇気ある者をもっとも愛し給う』

 という言葉を。

 ──では、ごきげんよう」


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