その17
そして霊樹と二人の間に立ちはだかっていた長老の姿が消えると、その代わりに一人の戦士の姿が表れた。
「シューラ……」マヤの声がもれた。
鍛えぬかれた、というよりそれ自身が鋼鉄の鎧のように見える隆々とした筋肉の偉丈夫が傲然と二人を見下ろしていた。
青銅色の肌をして、人面の口元から牙を二本覗かせているその戦士は、鬼というより木偶のように無表情である
弓手には漆黒の丸盾、馬手には鈍色の剣を携えて、死刑執行人が刑場を行くように、ゆっくりと二人へ向かって歩き出した。
「マヤ、引き返そう」
迫りくる凶者を見て、エリオが言った。
それがあまりにも圧倒的な存在であることは容易に感じられた。
しかし、マヤは引き下がるつもりは毫もないらしい。
「隙が出来たら、一気に霊樹まで走ってね」
「君はどうするの?」
マヤは答えなかった。
戦士との距離は徐々に狭まってきていた。
そのときを待っていたかのように、すっと音もなく、マヤが駆け出したかと思うと、次の瞬間には、もう得物の間合いに入っていた。
そこから間断のない流れるような体さばきで、霊樹の枝をするどく打ち下ろす。
が、戦士が持つ盾が、マヤの攻撃を完全に受け止めていた。
その動作は、見上げるほどの巨漢には不自然なほど敏捷である。
エリオには言葉を発する余裕もなかったが、その瞬間マヤが危険であることがわかった。
戦士の持つ剣が突き出されるのと、咄嗟にマヤが後ろに身をかわすのがほぼ同時のようだった。
身をかわしざまに、体を地面に叩きつけるように倒れこんだマヤ。
まるでさきほどのことなど、なんでもなかったのだと言う様に、じっと巨躯の戦士を睨みつけたまま立ち上がろうとしたそのとき――
しかし、小さなうめき声とともに、彼女の白い服が見る間に鮮血に赤く染まっていくが見えた。
手負いとなったマヤが地面に膝をついて、かろうじて身を支えているが、冷酷な戦士は飽くまで止めを刺すまで戦闘をやめないつもりらしい。
深手のせいで、簡単にはうごくことができない妖精にスッと近寄ると、切っ先に血を滴らせた剣が振り上げられた。
「あぶない!」
それを見て、あとさきも考えずにエリオが走り出した。
しかし、いくら急いでみたところで振り上げた剣を止められる力も時間も彼にはないことは明らかである。
エリオの目の前で刃が振り下ろされようとしたそのとき、マヤを救い上げるものがあった。
「もうよさないか」
さきほどの長老が再び現れると、傷ついたマヤを抱きかかえた。
「霊樹の枝程度で、冥界の衛士を傷つけることなどできない。
お前に敵う相手ではないというのはわかってたはずだ、マヤよ……なぜそうまでして」
憐れむような、いとおしむような声で、長老は腕に抱いたマヤへ呼びかけた。
冥府の戦士は、その間だけ、動きを止めた。
「エリオを……」
長老へ哀訴するマヤの声が、苦しげに途切れた。
白い衣装を赤く染め上げる血の斑点が、その間も不吉に大きく広がっている。
と同時にマヤの表情はどんどんと生気が失われてゆく。
「ならぬ。これは掟だ。あの冥界の屠殺者、シューラを呼び出した以上、
行くところまで行かねば止まぬ」
"シューラ"の名を持つ戦士が、今度はエリオのほうへ刃を向けて歩き出した。
それは「死」がそのまま巨人の形となって、非力な人間を圧倒しようとする姿だった。
エリオに出来ることなど、あるとすれば神に祈ることぐらいだが、恐怖がすべての神経作用を切断してしまったかのように、呆然となっている。