その16
「もういいわ」マヤがエリオの背中から飛び降りた。
目前では、森の木立が大きくまっすぐに開けていた。
そこだけ切り取ったようになっているので、まるで都会の大路みたいである。
その先に見えたものは、最初おおきな木の壁かと思われた。
あるいは、木造の大きな屋敷と見えたかもしれない。
しかし少し視線をあげると、その上で簇生する葉の茂みが、
入道雲を頭にいただているのかと思われるほどに、大きく広がっていた。
それは大きな一本の樹木だった。
「エリオ、あの樹がオエセル様の住まわれる霊樹よ。
あの樹の幹に触れれば、オエセル様が現れてくれるはずだから。それと、もう一つ──」
霊樹を目の前にして、もう歩き出そうとしているエリオに向かってマヤが言った。
「──願いごとは、ひとつしか聞いてくれないから気をつけてね」
「ひとつ?」
「そう。たった一つだけ」
もともと願いごとなんて一つしかないエリオには、べつに驚くことではなかった。
感謝のこもった眼差しで、軽くマヤへ頷いてから霊樹に向かってエリオが歩き出した時──
「エリオ、待って」
マヤが叫んだ。
見ると、霊樹の前に一人の老人が立っていた。
「マヤ、なぜ、人間をここまで連れてきた。お前は自分の使命を忘れたか?」
白妙を襲ったその老翁が、マヤと同じ妖精だろうことはエリオにもわかった。
「お願いです。長老様。どうかこの人をオエセル様にお引き合わせください」
「だめだ。一人の人間の事情で、この世界の秩序へ徒に手を加えることは
許されぬ。たとえそれがどのような事情であってもだ。
お前もよく知っているはずだろう」
長老の声が、静かに森の中で響いた。
「どうか、お願いです。この人だけは……」
そう言いながらマヤは、かばうようにして、すっとエリオの前に進み出た。
「マヤ。無理なことを言うな。今のうちに引き下がれ。
そもそも生身のままこの地にいるということだけで、その人間の罪は深い。
しかし、このたびだけはその罪は問うまい。
マヤ、お前が元の場所へ返すのだ。
私は、最大の譲歩をしている。お前も分かるだろう?
早くその人間を返すのだ」
「いいえ。長老様。ここまで来た以上どうしてもオエセル様に……」
「お前の罪でもあるのだぞ。早く引き返せ」
「いいえ」
右手に握った霊樹の枝をしっかと握り締めると、彼女の華奢な両肩が、緊張にこわばった。
「これが、最後だ。マヤ、引き返せ」
「いいえ」
短いが、張り詰めた声で拒否の意思を口にしながら、
微妙な間合いを測るかのように、マヤの体がわずかに前方へにじり出た。
「ならば、仕方ない。最後に聞かせて欲しい。なぜ、お前はその人間の味方をする?」
「分かりません。ただ、どうしても、助けたいのです。それがなぜかは、よくわかりません……」
その言葉を聞いた長老の表情が、かなしげに曇った。