まえおき
「親愛なる黒川 真君。僕は愛すべき友人として君に質問をしたいと思うんだけどいいかな?」
そう言って白烏 要は目の前の光景から目を離し、こちらを向いてにこやかに聞いてきた。
「君の目にはこの光景がどう映っているのかな?」
「どうって……」
僕はその言葉に少しだけ戸惑った。
目の前に広がる光景、それはまさに見るも無残なものと表現する以外にはなんともいえないものだった。
敢えて言うなら、凄惨であると言い換えることは出来たかも知れない。
首にはまっすぐに斬り傷。
的確ではなくとも乱暴に血管が斬られていてそこから赤い液体が溢れていた。
体のあちこちにも傷があり、何度も何度も突かれた痕があった。
「人が、死んでるようにしか見えないけど……」
「死んでいる……そうだね。人が一人死んでいるね」
寝ているのかとも思ったよ--
要の口からその言葉が漏れたのを僕は聞き流さなかった。
この状態でただのドッキリなわけが無い。
あの時は分からなかったが、彼女は本気でその時目の前に横たわる物体が死体なのか寝ているのか区別ができていなかった。
死と睡眠の区別はついていても、そうなのかそうでないのかの区別が曖昧だったのだ。
この確かめるような口調も、自らの視覚情報に間違いが無いかの確認作業。
「いや、この状態だともう死んでるよ。血が乾いて黒くなってるし、もう顔色も白い」
「そうなのか、これは勉強になったよ。真君といると本当にためになるなぁ」
要はそう言いながら顎に手を当てて言う。
「なら死因は首と胴体からの出血死。と見ていいのかな?」
「多分ね。普通に見たらそうだけど、もしかしたら斬られたときのショック死って可能性もあるんじゃないかな。僕は専門家じゃないから分からないけど」
「専門家じゃなくてもそこまで分かれば十分すごいと私は思うよ。中学2年にしてもう人間が完成しているじゃないか」
「そんなんじゃないよ。ただ普通に考えれば思いつくだけの可能性の話をしただけだよ。誰にでも出来る」
僕が人間として完成している?
とんでもない。
僕は人間として終わってるんだよ。
最初からこんなんさ。
何も変わってない。
成長してない。
「ただ、当たり前のことをしてるだけ」
「ふふふ。やっぱり君もそうなんだね」
ちょっとだけ暗い顔をしていた僕に要はうれしそうに目を細める。
「やっぱり君は素敵な異形だよ」
「え?」
僕は聞き返したが要は答えずに話を戻した。
「ふむ、まぁ僕の目の前の光景が正しく起こっていることなら多分君の言うとおりの結果に落ち着くんだろうね。普通なら……普通ならね」
要はそう言いながら目を閉じて何かを考えているようだった。
「うん、今の僕の発想ではこの問題は解けないな」
すぐに諦めていた。
僕としてはまだいくつか可能性がある気がしていたが言わなかった。
「じゃあこれが最後の質問だ。真君、君はこの事態をどう見ている?」
「事件だと思う」
「事故ではなく?」
「うん、事件。”事故”は思いがけず起こった悪い出来事のことだけど、これは明らかに人の意思に基づいた殺人事件だと思う」
「そう言いきる証拠は?」
「あのカッターナイフ」
僕は死体の足元に転がる血まみれのカッターナイフを指差した。
この刃物を得物にして犯人はこの人を殺したのだろう。
カッターの刃が血で赤黒く滲んでいた。
「うん。やっぱり自然に考えたらそうなんだろうね」
僕もそう思うよ。
要はそう言い放ち体育倉庫の入り口からきびすを返して歩き出した。
「どこ行くんだ?」
「ん、もう帰ろう真君、ぐずぐずしていると夜になってしまうしね」
要はいつもの笑顔でこちらを向いた。
こいつの笑顔はにこにこと表現するよりもニヤニヤと表現した方が分かりやすい笑顔をよくするのだがもう見慣れたものである。
「警察とか救急車呼ばないの?」
「何もしない」
「なんで?」
「それが最善だからだよ。君なら分かるだろう?」
「でも…」
「いいから帰るよ」
要はそう言い僕の手を引っ張り歩き出した。
当然僕も歩かなくてはならなくなる。
「でも要、中学2年にもなって跳び箱が出来ないからって放課後に練習に付き合う約束はよかったのか?」
そうなのだ。
僕達がこの光景を見てしまう羽目になったのはこういった理由があったわけなのだが、要はその言葉を聞き
「ああ、アレは嘘だよ」
と言った。
「は?」
一瞬ポカーんとしてしまった。
「でも実際に授業では飛べてなかったろ?」
「だからあれこそが演技だったんだよ」
今日の授業で盛大にこけている姿を目撃した覚えがあるが演技だったらしい。
こいつ、演技派なのか!?
「なんでそんなことを」
「今日この日この時のためさ。ここに君を連れ込み、君のはじめてをもらう計画だったのさ」
「…………」
「まぁそんなにがっかりしなくてもいいではないか真君」
絶賛絶句中が違う意味で捕らわれてしまった
「まぁ実際残念ではあるけれど、まぁいい。これはこれで面白い」
そう言う要の目は心底楽しそうに輝いていた。
「本当に面白い異形だ」
「異形……」
「普通ならこんなのありえない。普通ならね」
言葉をつむぐ中で要の目の輝きは増す一方であった。
その日から一日後、学校側は急遽一週間の休校という措置をとった。