6:捲りめくルカの時間
テンションあがってきた!
頑張るぞ!
瑠花が部員として迎えられた翌日。
生徒会の勧告に従い、部屋の片付けをやらなくちゃ、とは思うのだが、谷崎は件の階段掃除で遅れるし、愛流は前述の塾で欠席と人手が足りないので、また来週にしましょう、と話がまとまっていたある日のこと。
取りあえず小物だけでも片付けようと部室に足を踏み入れる。
ぽかぽかと気持ちのいい五月晴れだ。出来ることなら外に出て、木陰で爽やかな風に吹かれながら昼寝をしたい。
先に来ていたらしい瑠花が本を読みながら椅子に腰かけていた。
「早いんだな」
「……」
「谷崎は掃除でちょっと遅れるってよ。愛流は塾だから欠席」
「……」
「たぶん今日は今後の方針について話し合うんじゃないのかな。設立は谷崎の悲願だから悪いが付き合ってやってくれ」
「……」
シカトされる。豆腐メンタルの俺にはいささかきついものがある。放課後の静かな空気にその読書風景は一種の絵画のように溶け込んでいたが、俺は無視されて気持ちよくなる人じゃない。
今日の彼女はメガネをかけていた。そう言えば目が悪いといってたもんな。薄いフレームで、小顔を強調するようなお洒落メガネだ。とてもよく似合っている。レンズの先の視線は、手元の文庫本一点に落とされていて、声が聞こえないくらい集中して読んでいるようだ。
「おーい、なに読んでんの?」
「うひっ!?」
「あっ、わり、男子苦手って、ぐはぁ!」
横から覗き混んだら変な悲鳴と共に横っ面を思いっきり殴打された。情けない声をあげながら尻餅をついてしまう。
弾みで彼女の持っていた本は空中を舞い、地面にパタンと転がった。
「っう……」
「ああ!すみませんすみません郁次郎!驚いてしまって、思わず!」
「いや、悪いのは全面的に俺だから気にしないでくれ……」
ズキズキと痛む頬と骨まで響く痛みを慰めながら、体を起こし床に転がる一冊を彼女に渡そうと手を伸ばしたところで、
「あ」
「見ないでぇ……っ!」
思考停止に陥る。
そこにあるのはピンクの表紙。どうやら書店で貰える紙製のカバーがかけられていたようなのだが、残念なことに床との衝突ではずれてしまったらしい。
両手で顔を包み込み、耳まで真っ赤にしている瑠花に視線をやる。
そこに転がっているのは官能小説だった。
「……」
時間はどれ程経ったのだろう。時計の針だけが静まり返った室内に一定のリズムを刻んでいた。
人形坂瑠花、高校一年生なので15、6歳だろう。身長は愛流より少し高い位だが、それでもチビだ。髪形はおかっぱ、今風の言葉で言うとボブカットというやつなのだろうか、ファションにはとんと疎いのでよくわからない。引き締まった表情と丁寧な物腰は端正な容姿と相成って素晴らしい調和を生み出している。昨日と違い今日かけているメガネはさらに知的なイメージをプラスさせ、彼女の幼さを僅少にしていた。
性格はまだよく知らないが、男嫌いで、パニックを起こしやすいらしく、少しだけ変わったキャラクターをしている。
と、思っていたけど、まさか、エロいこと考えてるような人だったとは。清純そうな顔して、汚れを知らない少女みたいな顔して、男嫌いだから全く興味ありませんよー、みたいな顔して!
「あ、あの」
「ん?」
静しずと震える指先で床に転がったままの如何わしい書籍を指差した。
「本を、とって、ください」
「ああ、はい」
出来るだけクールに応対する。俺の向こう側に転がる小説、取りに行くには苦手としている男子にギリギリまで近づかなければならない。恥とはいえ人に頼むしかないだろう。本を持ってカバーを軽くかけなおしてから、それを手渡した。
「……」
彼女は小さく会釈してそれを受け取った。俺の方を一切目をやることなく顔を赤くしている。
人の趣味にとやかく言う気はない、ので、俺は『気にしてませんよー』をアピールするようポケットから携帯をとりだし、パチリと開いた。
「い、郁次郎」
覚悟を固めたらしいしっかりとした表情で彼女はまっすぐに俺を見つめながら名前を読んできた。自分を勇気づけるよう胸に本を抱いて微かに潤んだ瞳をしている。お前それ官能小説だろ。
「ん?」
「み、見ました?」
「ばっちり」
見落とすわけないだろ。
それにしても、照れてる女の子ってのはかわいいね!と別のこと考えて思考を誤魔化しといてあげよう。
「ばれちゃい、ましたか……。よりにも、よって男子に」
真っ赤な林檎のように染まっていた頬が一気に洋梨のように真っ青になった。
「いや、まぁ、気にすんな。俺だって誰だって、そういうことに興味津々な年頃だからよ」
「いえ、ですが。はぁ」
溜め息をついて彼女は机に突っ伏した。
「お嫁にいけません……」
おーし、んじゃ俺がもらってやるぜぇ!とは言えなかった。言えるわけがない。
「気にすんなって。俺はお前のお母さんってわけじゃないし、誰にも言う気はねぇよ」
「うぅ、優しくしないでください。所詮私は変態ないくじのない不埒な芋虫なんですから」
「そこまで思い詰めるなよー」
こういうときどう対応するのが正しいのかよくわからないが、俺はなるたけ明るくへらへらと彼女を慰めることにした。
「俺なんてもっと酷いぞ。パソコンでそういうの見てるときイヤホンのコード抜けてて全部親に聞かれてたんだ」
男子の間では絶対受ける鉄板ネタなのに彼女からは「悲惨ですね」とコメントを宣っただけだった。死んだように顔を伏せている。
「だから気にしすぎだってさっきから言ってるだろー!いいか瑠花、俺たちの年頃だったらそれが当たり前なんだって!」
「当たり前……」
ボソリと呟くように死体に反応があった。
「そうそう!俺たち男子だって集まりゃそういう話しかしないもん」
と、呟いた時だった。
「本当ですか!?」
興奮したような声音の瑠花が、がばり顔をあげた。お、やっぱ、自分だけじゃないっていう感情は結構助けになるのだろうか。
「おう!マジさマジ!俺の友達の山倉なんてそっちの道じゃエキスパート名乗ってて、称号エロ伯爵だもん!」
「すっ、すごい!えっ、い、郁次郎も、ですか!?」
一瞬嘘言おうかとも思ったが、人より破廉恥なほんとの自分をさらけ出してあげることにした。たまにはいいよね!
「まぁその、恥ずかしながら俺も、やっぱり、ね」
もうね、イタセクスアリス大好き!つい先日は谷崎に隠語言わせて喜んでました!
「わぁ!そうだったんですか!」
「まぁ、男なんてそんなもんだよ」
「世界が広がった気がします。でも驚きです。まさか郁次郎がBL好きなんて」
「はぃ?」
変な汗とともに言葉が喉の奥でつまった。五臓六腑に嫌な予感が染み渡る。なんだって?
「男子って案外多いんですね……意外です」
「ん、なにが?」
「え?えっと、だからその」
噛み合っていない、全体的に会話が噛み合っていないぞ!
小さく「ほも」とか言われてもなんの話かわからないぞ!
BLっ!?ベーコンレタス!?なんか前にもこのネタやった気がする!
「瑠花、さっきの本、もう一回みせて」
「えー、恥ずかしいなぁ。でもやっぱり気になっちゃいますよねぇ!何て言ったって渋川団十郎先生の最新作ですもんね」
名前だけなら時代小説家みたいなのに!
照れ笑いを浮かべながら、彼女はしずかに本を渡してくれた。
「んぐっ」
さっきは目に鮮やかな桃色と帯の耽美なメッセージに騙されてしまったが、よくよく見てみれば表紙のイラストは男二人だ。吐き気を催すくらい筋骨隆々な男になよなよ強い華奢な男がお姫様抱っこされ、おげぇーーーーー!
「郁次郎どうしました?」
「あ、いや」
同士(誤解だが)を見つけられたことが嬉しいのだろう、彼女は嬉々としている。
俺には無理だ、うん、無理。胸がないとだめ。誰でもいい、誰か、俺をそのたおやかな胸で慰めてくれ。
本を返しながらくらくらと目眩を覚える。
「る、瑠花、男苦手なのにこういうのは平気なんだなぁー、って思って」
「なにいってるです郁次郎。私は愛でるのが好きなんです、男子の本体は汚らわしいものだと思っています。男ってどうせ性欲の固まりなんです。汚らわしいから、苦手です」
「んぐっ!」
言葉が詰まる。何度目だろうか。
全くもってその通り(少なくとも俺は)、言葉が出せません。ごめんなさい。
「でも、同性愛はプラトニックです。私にはそういった性癖はありませんけど、見ているのは好きなんです。究極の愛のカタチだとおもいませんか?」
「あーうん、そうねー」
マズイ。絶対さっきの慰めの真実に気づかれたら俺は思いっきり嫌われる。
かといってこのままじゃ、ホモにされちゃう!
どっちも嫌だ。
「だってですよ。子孫を残すのが生物の目的なのに同性愛はその枠組みから外れるんです!究極です!」
「……」
すっげー、熱弁してるよ。うわぁ。単なる遺伝子異常じゃないかな。
「でも郁次郎さん、見直しました。初対面の時からずっと考えていたんです」
「え、なにが」
「この人絶対ムッツリスケベだなぁ、って」
失敬な!
とは言えなかった、だってたぶん正解だから。
「それを確かめる意味でも勇気をもって名前で呼び合うことを提案したんですが、うん、思った以上に紳士的な方だったんですね!誤解してました!」
「いや、ははは」
「郁次郎相手だったら、私、男嫌い治せそうな気がするんですよ」
「……」
一瞬キュンときた。高まるな心臓!それは勘違いだ!
くそっ、男ってのは特別扱いに弱いんだよ。
「私、頑張ります!郁次郎、どうぞ見守っててください!」
なんか勝手に決意表明された。適当に頑張れ、と朝日の御旗を心なかでふってやる。
それにしても、こいつここまでぶっ飛んだ人物だとはおもわなんだ。
幼さ残る可愛らしい顔立ちに、冷静沈着を象徴するかのようなメガネ、どれをとっても真実の姿には見あわない。面白いやつだ。愛流に負けず劣らずの強烈な個性をもってんな。
「でも、郁次郎は苦しくないんですか?」
「え?なにが?」
もう疲れたよと思考放棄しかける俺にクリクリとした瞳で彼女は尋ねてきた。
「女子しかいない娯楽ら部です。早く男子メンバーを加えたいところですね」
「あ、と、そうね!そのとおりね!」
吃りながらなんとか応える。ここで女子ばっかのほうがいい、ハーレムさいこー、と叫べば嫌われ、肯定は状況を悪化させるだけ。針のむしろ。
「でも琴音ったら酷いんですよ。男子メンバーはいないって言うから入部決めたのに、郁次郎がいるんですもん」
「ああ、たまにあいつ強引なところがあるから」
あいつにとって俺は、都合のいい駒なのだろうか、泣きたくなってくる。
「でも、いまは感謝です。郁次郎なら克服できそうですし、そうですよ!自分から一歩踏み出さなければ、未來はきっと拓けません!」
なんかいい話っぽく、まとめられたー!
「私は郁次郎で男嫌いを治し、郁次郎は男子新入部員とイチャイチャする!目標です!」
勘弁してください!
「あ、あのさっ!」
辛坊たまらなくなって、俺は声をあらげた。いくらなんでも酷すぎる。俺にそっちのけはないのだ。
最近はわりかしそういうのに寛大な世の中になってきたけど、やっぱりおかしいよ。
「俺、実際は、」
「いょっしゃーーー!今日もやるわよー!」
俺のカミングアウトはバカデカイ谷崎の入室の挨拶に遮られてしまった。
くっ、間の悪い女、谷崎琴音!
「今日はね、今後の方針について相談しましょう!」
口をぱくぱく、続きを吐けなくなった俺の無色透明な声は、五月の空気にじんわり溶けていった。
「掃除はとりあえず明日ね!それじゃ、みんなで意見出しあいましょ!」
無言のままの俺と瑠花を不審に思ったのか、谷崎は少しだけ小首を傾げた。
「どうしたのよ。黙りこくっちゃって。ひとまず議題は新入部員の確保ね。なんとしてもあと一人!どうにかしないといけないわ!」
谷崎は注意を引くように手を叩きながら歩く。彼女が着席すると同時に瑠花が「はい」と手をあげ、意見を述べた。
「新入部員は男子がいいと思います」
「ぶっ!」
吹き出してしまう、あからさますぎるやろ!
瑠花が『私、わかってますから』というように憐れんだ視線を送ってくるたびに殺意がわく!
「うーん、確かに3:1って男女比が悪いわよねぇ」
くそ、娯楽ら部ハーレム作戦が、こんなところで崩れるとは!
「よーし、次は男子狙いにしましょう!そうと決まれば男心をピンポイントに押さえるポスターの作成よ!」
「えぇ、頑張りましょう!私たちの野望の為にも!」
ぽろりと口を滑らせる瑠花に当然ながら、
「野望ってなによ?」
谷崎からの突っ込みがはいる。
「あ、いえ、娯楽設立という意味ですよー!」
「ええ、そうね!頑張りましょう!……ところで瑠花メガネ可愛いわね」
くそ、ただでさえ居づらい娯楽ら部がさらに居づらくなったぞ。