51:初冬の空と美しき影 (下)
眠気MAX。
むつまじく歓談を行う瑠花とウラさんの二人。オレはそれをボンヤリと見ていた。
目の前の女性が自分よりはるか歳上だということが未だに信じられない。直接年齢聞いたわけじゃないけど、衝撃的事実だ。
そんなオレの脳を冷やすように北風が部内に吹き込んだ。
「え?」
そんな馬鹿な。密閉された空間だぞ。慌てて背後を振り向くと、
さながら自動ドアのように窓が独り手に開いていた。
不可解。窓の向こうの暗闇が謎を深めていく。
「!」
サッシに女の手がかけられた。
「ひっ!」
横で瑠花がひきつった悲鳴を挙げる。
「……けて」
「え?」
「た、すけて」
「いやぁぁぁぁぁぁぁあ!」
沈痛なヘルプ要請が聞き取れると同時に瑠花は金切り声をあげた。
その叫びがオレを妙に冷静にする。
「先輩じゃね?」
ボソボソとした声、間違いなく佐奈先輩だった。
窓枠に必死にしがみつく先輩を、よくある崖のシーンみたいに引き上げる。
どうやら下の階の空き教室から部室に侵入しようとしたらしい。が、上手くいかなかった。あんた自分が非力って忘れたか?
「はぁ、はぁ」
引き上げた佐奈先輩は膝と両手を床について呼吸を整えている。色気もなにもない女豹のポーズだ。
「ファイト、危機一髪……」
なんにもおもしろくない。
「あ、ありがとう、郁次郎。死ぬかと思った」
「なんだって窓枠にへばりついてたんですか?」
「ほんとはかっこよく怪盗みたいに登場する予定だったけど、思った以上に高くて足がすくんでしまった」
定期的に窓枠に挟まる中国人の子供より愚かだ。救助するレスキュー隊の気持ちを考えたことあるのだろうか。
「この反省を生かして次は上の階からターザンのように登場することにする」
「やめてください」
佐奈先輩が死にかけたって夕方のニュースで特集されないだろうし。
「あ、あの」
部室の奥の方で固まっていたウラさんがおずおずと手を挙げた。
「人形坂さんが……」
「あ」
瑠花が青い顔で失神していた。よっぽど怖かったんだろう。
泡を吹いていないのが奇跡だろう。メガネを取ってそっと机の隅に置く。起こすのも悪いし少し脳を休めるといい。おやすみなさい、と瑠花のメガネに囁きかける。だってこっちが本体だから。
「む。ゼロ年代の同人誌みたいな不自然な巨乳……」
ボソボソとオレにしか聞こえない小声で先輩が呟いている。耳障り。
「ま、まさか」
先輩はスッく立ち上がると突如として大声を挙げた。
「美影パイセン!」
どうでもいいけど先輩をパイセンと呼ぶやつに嫌悪感がわく。
「え、ああ! 佐奈ちゃん!」
「ほんとにほんとにほんとにほんとに、パイセンだ! 懐かしすぎてどうしよう!」
かわいくってどーおしよう。
「なぜ、ここに!?」
「社会学部の教養科目で実習があったんです。その中に母校があったから選びました」
「そ、そうだったのか。佐奈は、美影パイセンに再会できてとても嬉しい」
「私もです。佐奈ちゃん」
笑顔の二人。
「え、二人は顔見知りなの?」
「はい。小学生の時、私が登校班のリーダーだったんです」
「あの時代が懐かしい。路傍の石を蹴ってるだけで毎日がワンダフォーだった」
現在進行形で毎日がワンダフォーの先輩が言うなら、小学生時代はよっぽどすさまじかったのだろう。
「パイセンは覚えているだろうか。山岸くんが野沢さんのスカートをめくって殴られた拍子に肥溜めに落ちたこと」
そんな戦後間もない広島みたいなことリアルであるはずがない。
「えぇ。あのあと大変でしたね。先生を呼んできたけど誰も助けようとしなくて山岸くんも意固地になって「いい湯だぜ」って、出ようとしないし」
「佐奈も汚いなって思って動けなかった。でもパイセンだけは平然な顔で山岸くんに駆け寄ってカッコよかった」
「だって、山岸くん困ってましたし……」
一瞬いい話かと思ったが、たぶんバカ話の間違いだろう。
「懐かしい。佐奈の人生で輝いていた小学生時代」
「これからじゃないですか。佐奈ちゃんは」
「今は毎日ゲームできて幸せだけと、充実してるかと問われれば、虚無感しかない」
自覚があるなら少しは変えようとする努力をしろよ。
「でも驚きました。佐奈ちゃんが娯楽ら部に入ってるなんて」
「これこそが星の導き」
あんた最初俺らのこと悪魔の使いとか言ってたじゃあねぇか。
「ん?」
先輩はスッと顔をあげて童顔な大学生をジッと見つめた。
「もしかして、美影パイセンは娯楽ら部のOG?」
「はい」
まじで? うそ。こんな常識人っぽい人が非常識人の集まりの一員だったなんて。
「でも三年生の時、パイセンは帰宅部に所属してた」
そうか。佐奈先輩が高1のとき美影さんは高3だったのか。あと帰宅部は部活動じゃないからな。
「三年のときに部員の関係で廃部になったんですよ、娯楽ら部」
「そうだったの」
「続けようと思えば続けられたんですが、部員全員三年生でしたし、キレイに終わらせようってみんなで話し合って……楽しかったですね。あのときは」
「自分の好きなときにキレイに終わらせるってのはとても素敵なこと」
ダブリの言葉だと一層清々しく聞こえる。
「それこそが青春だね」
先輩が滅多に見せない笑顔を振り撒いた時だった。
「動くな!」
部室のドアが大っぴらに開け放たれて、谷崎琴音が叫びながら入ってきた。
本日四回目の空気の読めない登場シーンだ。普段温厚な俺でさえイライラしてきた。
「この中に連続殺人犯が紛れ込んでいるという情報がある筋から伝えられた!」
のっけからお元気で。
「全員両手を頭につけ、机に伏せろ!」
どうやら『インパクトのある登場』を行っているらしい、ご多分にも漏れず下らない上にめんどくさいの上乗せだ。
先輩と美影さんは無言で机に伏せた。
俺は不動だ。そんな茶番に付き合うのは断固として拒否する。
瑠花も不動だ。寝てるから。
「あなたたちには黙秘権があります! これにより全ての会話が裁判で不利に……
」
ツカツカと足音をたてながら移動する谷崎。
「犯人はぁー」
お前探偵役好きだな。
「おまえだぁ!」
美影さんの肩に手を乗せた。
「さぁ、勘弁なさい、愛流。全ての証拠があなたが犯人だと語ってるわ!」
おバカなスピーチを続ける谷崎を黙らせるのに言葉はいらない。
机に伏せていた顔を美影さんはあげ、澄んだ瞳で谷崎を見つめた。
「え、あい、る?」
どうやら勘違いしていたらしい。美影さん、愛流の席に座ってたから、いつもの調子でバカをやってしまったのだ。
愛流と美影さんは奇しくも黒髪ストレートで体型もそっくりだ。後ろ姿だけじゃ、気づかなかったのだろう。
「あれ、あいる?」
「あ、いえ、私は」
「そ、そんな声まで違う!」
「あの……」
どう考えてもOTHER、他人だよ。
「いやぁー、水汲みにいったら山本先生がいてさぁー、昨日のどすプリの作画について盛り上がっちゃったよー」
開けっぱなしの扉の先の薄暗い廊下から愛流がペットボトルを持って戻ってきた。
「ん? 琴音、なに部室の真ん中でボーと突っ立ってるんだい?」
「あ……あ……」
「ん?」
「愛流が二人!?」
いいかげん自分のミスを認めろよ!
「君は何をいってるんだ?」
「え、だって、……え?」
「ウラさんじゃないか。まったく」
「ウラ、さん?」
谷崎はたどたどしく呟き、キョトンとする美影さんを見下ろした。
「あの……」
美影さんが戸惑いつつも声をかけようとした。
「え、そんな」
谷崎はその言葉をうけ、一瞬大きく目を見開くと、直ぐに酸性のリトマス紙のように、耳まで真っ赤に染まり、
「やぁぁぁぁぁあ!」
奇声をあげて、廊下に駆けていった。
よっぽどはずかしかったのだろう。バタバタとした足音が遠く小さくなっていく。
一陣の風に前髪を浮かせた美影さんは、暗闇に紛れた背中を見送ってから、静かに立ち上がり、微笑んだ。
「また、来ますね」
今日の惨状を見てそう言っていただけるなんて、なんて優しい人だろうか。流石は娯楽ら部のOG、普通の人より神経が図太い。
だからオレは敬意を表して「お待ちしております」と微笑んだ。