50:初冬の空と美しき影 (上)
長くなって参りました。
こう寒いと部室で暖を取るのも悪くないじゃないかと思ってしまう。
底冷えする季節。吐き出した息は廊下でさえ白く染まる。上空に滞留する寒気の影響で今日はひどく冷え込んだ。
静けさに足音の4分音符を刻み、一刻も早くエアコンをオンにしようとドアを開けたオレに衝撃が走る。
女生徒が立っていた。
どこまでも灰色の空を臼ボンヤリとした視線で眺めていて、オレが来たことに気づいていないようだ。
長い髪をバレッタで留めていた。後ろ姿は美人だ。
「あの……」
声をかける。
「!」
華奢な身体がビクリと震え、慌てたように振り向いた。丸くて大きな瞳と目が合う。
正面も美人だった。あなたが神か。
電灯のスイッチを入れる。数回瞬いてから一瞬にして部室は明るくなった。
「寒くないですか?」
なにしに来たのだろう。そんな疑問が真っ先に浮かんだが、ロングコートで全身を包み込む彼女に対しての気遣いのが重要だ。そういうところからオレのモテキは始まるのだ。
「いま暖房いれるんでちょっと待ってください」
呆然としていた少女は薄く口を開けた。
「いえ、すみません。長居はしませんので」
ペコリとお辞儀をして出ていこうとする純和風な少女。逃してなるものか。
「まぁ、そう言わず。お茶でも飲んでってください」
「あ、えっと」
「ルマ○ドもホワイ○ロリータもネルネ○ネルネもあります。さぁ!」
「は、はぁ」
ちょっと強引すぎたかな。
普段愛流が座っている席に半ば無理矢理案内し、暖房のスイッチを入れながら密かに少女の観察を行う。
緊張しているのか紅潮した頬に小さな鼻、目はボタンのように丸くて、佐奈先輩に負けず劣らずの美人だ。来たな、オレの時代。ウェルカムトゥマイピリオド。
「入部希望者?」
「え?」
話しかけられて彼女は小さく声をあげた。
「わ、私がですか? ま、まさか」
「だって用もないのに普通こないでしょ」
「用、といいますか……、あの、ここは娯楽ら部の部室で合ってますか?」
「間違いないよ。それで入部希望者なんだよね」
「ち、違います! そんなまさか」
え、じゃあなんだ?
首をひねるより先に、ハッと答えが浮かぶ。
まさか、生徒の駆け込み寺的な活動を鵜呑みにした人!?
ちょっと待って、そういうのガチで困る。子供電話相談室のTEL番で勘弁してくれ。たしか鞄のポケットに名刺サイズの案内カードが入ってるはずだから!
あ、しまった。龍生とふざけあってカード飛ばしやってたらどっかいっちゃったんだった。
「……ただちょっと寄ってみたくて」
どうでもいいことに思考を埋没させる俺を彼女の呟きが掬い上げた。
「へ、なんで?」
「思い出なんです。色々と」
谷崎が迷惑かけたのかな。
萎縮した雰囲気から打って変わって、はっきりとした眼差しで彼女は続けた。
「ところで、お名前は何ておっしゃるんですか?」
「オレ? 海野郁次郎ですけど」
「海野さんが部長なんですか? 娯楽ら部の」
「いや、谷崎っていうやつ」
「谷崎さん、ですか。お礼を言っておいてください。ありがとう、って」
不可思議な感謝に抱いた疑問を口にしようとしたときだった。
「天王州愛流、推参!!!」
ドアがガラガラとすさまじい音をたてて開かれ、愛流が颯爽と部室に現れた。元気一杯だ。
「さて諸君、僕の蹂躙を止めら……ッッ!?」
アホなことを宣いながらの登場は、見知らぬ人物を視界に捉えることで終わりを告げた。
愛流はピタリと動きを制止し、
みるみるうちに耳まで真っ赤になると、恥ずかしそうに顔を両手で隠して呟いた。
「さ、さぁ、言われた通りにしたぞ郁次郎。娘を返してくれ」
「お前なに言ってんの?」
黒幕をオレに仕立てあげようと、お前の恥辱は変わらないからな。
事の起こりは二日前の部活動中、最近なんかダレて来たという谷崎の発言でどうすればマンネリ化の脱却がはかれるを討論した結果、部室に入るときインパクトのある登場をしましょう、というしょうもない結論に至ったのだ。
それを律儀に行った愛流に冷ややかな視線をプレゼントしてあげる。
「お前、空気読めよ」
「う、うるさい! なんなんですか、この女子は! なんだって僕の席に座っているんだ!? 」
「わりぃ今日塾って言ってたから、いいかなって思って案内しちゃった」
「明日休むって言ったのは一昨日の話だ!」
そりゃうっかりしてた。
「あ、すみません」
焦ったように席を立つ少女を手でいさめ、
「いやいいんだ気にしないでくれ。僕はこっちの……」
愛流はその場で中腰になった。
「空気に座っとくから」
「え?」
愛流の冗談に一瞬空気が凍る。
「お前今日大丈夫か? 病院行けよ。頭のな」
「痛ましい僕に椅子など不要なのだよ」
見知らぬ他人にアホなとこが見られてそうとう恥ずかしかったのだろう。
「せめて三角コーンにでも座っとけ」
「そうそう先っちょの部分が丁度いい刺激になって、三角に30のダメージ!ってバカ!」
こんなアホみたいな冗談に乗ってくるなんて普段の愛流からは考えられない。
「お前ほんと大丈夫か? 救急車呼ぶか? 黄色の」
ちなみに三角コーンは部室が備品置き場だった時の名残である。
「場を和ませようと努力するこの気持ちが理解できないなんてなんとも無粋だな。まぁ、僕ことはどうでもいい! そんでもって、この女の子は誰なんだい!?」
「オレもよく知らない」
「はぁー?」
愛流の間延びする疑問の声とともに俺達二人は首ごと謎の少女に向ける。
「あ、あの、私」
ホラー映画さながらの光景にどぎまぎしながら彼女は自己紹介を行った。
「裏です。裏美影と申します」
ウラミカゲ。
変わった名字に美しい名前だ。どこか陰りのある雰囲気がミステリアスな相貌を魅力的に引き出している。
「ウラさんは何しに来たんだい?」
愛流は余ったパイプ椅子にどかりと座り込んでウラさんの方を向いた。
「えーと、恥ずかしながら、感傷に、感傷に浸りに来たんです」
「感傷?」
「はい」
可愛らしくと頷くウラさんに、愛流はにこりと微笑んだ。
「かんしょうってなに?」
古代中国の宝剣かな。
「中国の武将?」
思考レベルがこいつと同等なことがショックだ。
「えと、思い出です」
「よくわかんないから、ネルネ○ネルネでも食べながら詳しく話聞かせてよ」
娯楽ら部茶菓子ボックスと書かれたアルミ缶から駄菓子をいくつか取りだしウラさんに手渡す。机の上は一瞬にして乱雑とかした。
「あ、お茶を淹れるから少し待ってて」
愛流は1回手を叩いて立ち上がると水汲み用のペットボトルを持って鼻唄混じりに駆けていった。水のみ場に向かったのだろう。
取り残されたウラさんとオレの間に沈黙が落ちる。
暖房の稼働音が響いていた。なんか嵐のあとの静けさ的で微妙に気まずい。
ウラさんはというと「えーと」と言葉を濁しながら、暑くなったからだろうか、羽織っていたコートを丁寧に折り畳み背もたれにかけた。コートの下はスーツだった。
「え?」
パリッとした黒いスーツ。
「はい?」
「ちょっと待って」
「なにがです?」
「えーと……」
額に手をあてて考える。
ちょっとまとめよう。
「制服は?」
「え、羽路高校の制服ですか? 家にあることにはありますが」
んんんん?
「あー、なるほどね。それは私服ね!」
「……もしかしたら勘違いしてるかもしれないので、説明しますが、」
「分かった!」
「はい?」
「転校生だ!」
「ち、違います……!」
ウラさんが声を荒らげるより先に、
「くそぅ!!!」
言葉を遮ったのは、髪を振り乱してドアを開けた瑠花だった。
体を引きずりながら白い壁にもたれかかっている。まさかこいつもインパクトのある登場を演じているというのか。
「このUSBさえあれば祖国のクーデターは成功するのに、体が言うことをきかねぇ」
彼女が手に持っていたのはキッ○カットだった。
「まだ、死ぬわけには……」
あ、目があった。
「そ、そこのあんた。これを、祖国の恋人に届け……はっ!」
「……」
沈黙。
「あ、っと」
ウラさんの澄んだ瞳と目があった瑠花はぎこちない動作でオレを指差した。
「さ、さぁ、郁次郎。これで満足ですか!?」
なんでオレを黒幕にしようとするの?
「は、初めまして。人形坂瑠花です。よろしくお願いします」
パニックの表情を見せたのは一瞬だった。瑠花はすぐに平静を取り戻すと、いつもの落ちていた声音で自己紹介を行った。
「こちらこそよろしくお願いいたします。裏美影と申します」
ウラさんもそれに応じてペコリと頭を下げる。先程の茶番は見なかったことにしたらしい。息子のホニャララを見て見ぬふりした母親みたいだ。
そこから先は社交辞令的な挨拶の応酬でここは丸の内のオフィスかと疑わんばかりの非日常ぷりだった。どちらもビジネス敬語での会話だから紛らわしいことこの上ない、描写が。
「あのウラさんは、転校生なんですか?」
偶然にも瑠花はオレの切り出そうとしていた質問を微笑みを称えながら行った。
「昔は転校生でしたが……」
「昔? どういう意味です?」
「羽路高校には一年生の時に転校してきたんです。いまはレポート課題に母校を選んだ、しがない大学生ですよ」
ん。
大学?
カレッジ?
ユニバーシティ?
え? なんやと。
「大学生!?」
横で話を聞いていたオレの予想外の反応にウラさんは視線をあげた。
「はい。姉嵩大学の国際社会学部総合グローバルシヴィライテーション研究学科 二年です。レポートのフィールドワークに友達の弟さんのつてで母校訪問を選択した次第です」
無駄に長い学部学科名だか、姉嵩大学といえば市内トップクラスの高偏差値大学だ。
「え、でも、そんな、は?」
同い年くらいかと思った。下手すりゃ中学生くらいの童顔だ。
「すごーい!」
混乱するオレを押し退け瑠花が体を前に乗り出した。
「羽路高唯一の姉嵩ってウラさんだったんですね!」
「は、はぁ」
「私、高校選ぶ時、それで決めたんですよ! まだ進路決めてないんですけど、姉嵩を視野に頑張ろうって! 今度勉強教えてください!」
にこやかに頷くウラさん。部室は一気に和やかな空気に包まれる。
先程までの混沌が嘘のようだが、瑠花が持ったキット○ットはもう既にドロドロにちがいない。そんなんできっと勝つことはできるのだろうか。