49:虚無的ナーサリー
冬がすぐそこまで来ていた。
曇った窓ガラスに透過した街灯りは、ぼんやり滲んでいて美しかった。
清澄な空気はなんでもないのにセンチメンタルな気持ちにさせる。
ああ、こんな侘しい日は古いアルバムでもめくりながら、涙ぐむのもいいかもしれない。
「桃太郎ってどんな話だっけ」
突拍子もなく谷崎が呟いた。
そこまで童心に還りたくない。
「突然どうしたんですか?」
愛流の髪を三つ編みにしながら瑠花が首を捻った。
「生徒会からボランティア活動を命じられたのよ」
「ボランティア? なんでですか?」
「さあ、わかないけど今度幼稚園との交流会でなんか出し物やらなきゃいけないんだって」
「えー、いやですよー。出し物って生徒会でやればいいじゃないですか」
「私だって嫌だけど、しょうがないじゃない。で、桃太郎の演劇をやることになったの。生徒会からの命令でね」
「子供と動物は台本通りに動かないから苦手なんですよ……」
なんでリアクション芸人みたいなこと考えてんの?
って、
いろいろと意味がわかんないぞ。
クエスチョンマークがほとばしるオレの横で、携帯ゲーム片手の佐奈先輩がぼそりと呟いた。
「渚の嫌がらせ……」
生徒会長のくせに小さいなあの人。
「でもさー、きみぃ」
瑠花により可愛らしい三つ編み姿になった愛流が機嫌良さそうに声をあげ
た。
「IQが20以上違うと会話が噛み合わなくなるんだよ、子供の相手なんて無理だよ」
向こうの方が上ってことかな。
「私もそう思って御茶ノ水会長に無理です、ってきっぱり言ったのよ。そしたら『女は度胸、なんでもためしてみるもんさ』だって」
「そうは言っても……」
「あと『女の子はとりあえず保育士に憧れるもんだろ?』ってさ、意味わかんない」
「そんなのクラスの一番チャラけた女子だけだって伝えてくれよ……」
別にそんなことないと思うけどなぁ。
「とーもーかーく!」
谷崎はバンと机に手をついて立ち上がった。机の端に置かれていた消しゴムがどこかに飛んでいった。
「此度の交流会で娯楽ら部は桃太郎の演劇を行います!」
「えー!」
一斉に声が上がる。
「壇上に上がるなんて生き恥、佐奈は断固として拒否する」
「私もイヤです。そもそも私たちは娯楽ら部であってボランティア同好会ではありません」
「僕も反対だ! なんだってゆとり世代の子供達の相手をしないといけないんだ!」
「おい谷崎。生徒会からの命令だろうと逆らわなきゃならない時があるもんだぜ」
「うぅ、上からも下からも叩かれる、……これが部長という中間管理職なのね」
谷崎はガタンと大きな音をたてて椅子から立ち上がった。
「そこまで言うなら仕方ないわね。みんな、よく聞いて」
覚悟を決めたらしい彼女の瞳には光が宿っているようだった。部員一同谷崎を期待の眼差しで見つめる。
「長いものに巻かれましょう!」
なんの決意表明だよ。
「そうと決まれば台本を作り! 書記、瑠花頼んだわよ」
「はぁーい」
部長の決定には逆らえない。渋々といった感じで鞄からノートを取りだし、表紙に『ももたろう』と流麗に綴る。
「ん、待って」
「はい? 台本を今から作るんですよね、桃太郎の」
「そうだけど、その、なんかこれ」
半目でノートを睨み付ける谷崎。
「ださくない?」
「え!?」
「いや、ほら桃太郎ってなんかタイトルがダサいよね。古風っていうか時代錯誤的っていうか」
昔話だからな。
「今風の名前にしてさ、娯楽ら部色だしていこうよ」
「今風の名前、ですか?」
「たとえば、そう、英語! 桃太郎を英語にするの! だから、ピーチ、太郎?」
だせぇ!
「太郎……英語圏ならジョンとかになるんじゃないですか?」
「ピーチジョン!」
女性向け下着メーカーじゃねぇか!
「よーし、ピーチジョンの冒険活劇の始まりよ!」
握りこぶしをグッとつき出す谷崎の横で愛流が静かに手をあげた。
「その前に配役を決めないか」
「配役?」
「それぞれ何を演じるのか始めに決めておかないと」
「そうよね! えーと、桃太郎の登場人物って、何がいたっけ」
「桃太郎と……」
谷崎に無言で見つめられた愛流は記憶を必死にたどるように上目遣いになって答えた。
「……猿鳥犬猪?」
そりゃ干支だよ。
「桃太郎のお伴は犬と猿と雉ですよ」
瑠花が苦笑いを浮かべながら無知蒙昧の二人に正しき解答を与える。
「え。そんなシンプルだっけ。そんなんで鬼に勝てる? やっぱり猪いたほうがいいんじゃない?」
愛流は首を捻りながら唇を尖らせた。
「3匹のお伴はそれぞれの特徴をいかして戦うんです。犬なら噛みつくとか猿なら引っ掻くとか」
「ペット同伴とか舐めすぎだよ。相手は一個人でアメリカと和平協定結んだり、素手で地震止めたりする鬼なんだよ?」
「そ、そんなに強いんですか!?」
「鬼だよ? 当たり前じゃん」
愛流は昔話をいろいろと勘違いしてる気がする。
「はいはい。グダグダしてても話が進まないから、部長の独断で配役決めちゃうわよ。主役の桃太郎は当然私、谷崎琴音」
好きにしろよ、と思う横で悔しそうに膨れる先輩と愛流、お前ら主役の座狙ってたのか。
「犬は愛流ね。なんか犬っぽいから」
「美しく気高い犬の誕生だね」
「猿は瑠花ね。なんか猿っぽいから」
「怒りますよ?」
「雉は佐奈ちゃん。なんか雉っぽいから」
「飛べる気がする」
「郁次郎は鬼。なんか鬼っぽいから」
「おい、ちょっとまて」
「え、なに、不満?」
「おじいさんとおばあさんは誰がやるんだ?」
「!?」
ぎょっとした顔で固まった谷崎は、
「盲点!」
カッと目を見開いて叫んだ。
「どうしよう。人数が足りないわ」
「そういう時は一人二役やればいい」
佐奈先輩がボソリと呟いた。
「ゲームでもよくある。色だけ変えてキャラ数を稼ぐように」
「な、なるほど。じゃあお婆さん役を佐奈ちゃん、お願いね」
「断る」
「え!」
「紅天女を目指す佐奈はそんな端役やりたくない 」
「じゃあ一体どうすればいいのよ!」
「お婆さんは鬼に殺されたことにすればいい」
「そ、その手があったか!」
物語がバードボイルドになってきたぞ。
「でもおじいさんはどうすればいいの?」
「郁次郎に一人二役させればいい。おじいさんと鬼」
「え、でもそしたら育ての親が敵みたいにならない?」
「すごい燃える展開」
「た、たしかに!?」
破綻が発生してるわね。
「ついでに登場人物二三人殺そう。そっちの方が盛り上がるし、展開がシビアになっていい」
「そうなると台本にだいぶアレンジを加えないとね。瑠花、これからの発言全部まとめてといてね!
「は、はい!」
オレ書記じゃなくてよかったわ。
「お供の三匹との出会いもよりドラマチックにしない? そもそも吉備団子一つで命がけの闘いに身を投じるなんておかしいと思うのよ」
「じゃあ、犬は近所の幼なじみに、猿は殺し屋、雉は……」
先輩は遠くを見るような儚げな瞳をした。
「佐奈がやりたくないから、初っぱなから殺しちゃおう」
「えー! そんなの酷いよ! 雉だって生きてるんだよ!」
「鬼の登場にインパクトを与えるには死体が必要。佐奈は代わりにナレーションやるから」
「うーん、じゃあそれでいいよ」
園児に見せるってこと忘れんな!
その後なんやかんやあって新しい台本が出来上がった。
三日後。
生徒会の前で劇を披露することになった。わざわざ談話室に集合だ。
愛流の兄である委員長と生徒会長である御茶ノ水渚会長、それに見知らぬ男子生徒と女生徒がそれぞれ一人づついる。
不思議と緊張しなかった。どのみち失敗するのが目に見えてるからだ。
「えー、ごほん」
佐奈先輩が喉をわざとらしくならす。
「総員、配置につけ!」
愛流だけがテンション高く舞台準備を進めていた。
「なんでもいいから早く始めてくれないか?」
それを会長が冷たい瞳で見ていた。
「まったく渚はわかっていない」
不満げに先輩が台本を開く。
「演劇についてとやかく言うつもりはないが、これは本番前のチェックだからな。流れだけ見せてくれればそれでいいのだよ」
会長は右手をフイフイっと振った。
「まあ題材が桃太郎だから大丈夫だと思うが念のためチェックはしておこうと。はいはいちゃっちゃっとやる」
「わかった。それでは始める」
ブゥーーーーーーーー。
先輩がスイッチを押すと同時に室内にブザーが鳴り響いた。生徒会メンバーたちが目を丸くしている。愛流がわざわざ持ってきた小道具だった。
今回の演劇で一番金がかかった部材だった。
「娯楽ら部がおくる超大作、ピーチジョン」
「!?」
「long long time ago……」
「はっ!?」
会長は目を丸くし、慌てて立ち上がった。
「ちょっちょっとまって!」
「おばあさんが鬼に殺されて三年の月日が経とうとしていた……」
「と、止まれ!」
「……?」
先輩はなんで劇を止められたのかわからないといった様子で会長を見た。
「なに?」
「ストーリーはともかく理由を言えッー!」
「なにが?」
「えっ、えっ?」
会長は慌てて助けを求めるよう周りにキョロキョロと見渡した。
「私がおかしいのか?」
正常です。
「ともかく最後まで見てほしい」
「そ、そうだな。物事の一部分だけをみて批判するのはよくないな。つ、続けてくれ……」
「世は戦国乱世……田畑は荒れ人々の心に荒廃が広がっていた……」
「……」
突っ込まないと決めたらしい会長は力なく椅子に腰かけた。いま止めなかったことを彼女は後悔するだろう。
「川を流れてきた桃をおじいさんが叩き割ると、中から可愛らしい男の子がうまれました」
「チャイッッッ!」
オレ(おじいさん)は段ボールで出来た張りぼての桃に雄叫びをあげながら水平チョップを食らわせた。恥ずかしいが台本通りだ。舞台袖に吹っ飛んでいく桃の影でターミネーターみたいに踞る谷崎が現れた。
スッくと立ち上がり、右手を天に突き上げる。
「にっくき鬼どもめ! 根絶やしにしてくれる!」
生まれたときからわけもなく怒りに震える桃太郎。
「たくましく成長した桃太郎は鬼ヶ島に鬼退治に出掛けることにしました」
おばあさんは鬼に殺された設定なので当然物語のキーアイテムである吉備団子は出てこない。もはやそれは桃太郎ではない。
「悪鬼羅刹を成敗してくれる!」
谷崎演じる桃太郎は腰から新聞紙の剣をかかげ叫んだ。
「まって!」
「君は……」
「あなたに助けていただいた犬です」
もちろんそんな前日譚など存在しないが、犬耳をつけた愛流はさも当然といったように話を進める。
「鬼は強く狡猾です。お一人では敵わないでしょう」
「それでもやれねばならぬ。桃太郎には死という文字はあっても敗北という文字はない!」
「あぁっ、なんという覚悟! 桃太郎さま! どうぞ私をシモベにしてください。少しはお力になれるはずです」
妙にあざとくエロティクだ。ここの部分の脚本は瑠花だから仕方ないのかもしれない。
「こうして幼馴染みである美しき犬を仲間にしました」
視聴者はすでにおいてけぼりだ。
「桃太郎の旅は続きます。仲間を増やして次の町へ」
「待ちな。桃太郎」
「そんな彼らの前に一人の男が現れました」
誰よりも役に入り込んでいる瑠花である。いつぞやオレが愛流から貰ったスーツ着用だ。
「その程度の装備で鬼に挑むなんてチャンチャラおかしいぜ」
「誰だ貴様は!」
「ただのしがない殺し屋、闇の世界ではサルという2つ名で通ってますわ」
「殺し屋だとっ! おもしろい! お前仲間になれ!」どん!
この作品唯一の効果音、和太鼓の音がラジカセより響く。
「いいぜ、お代はいかほどいただけるんで?」
オレはラジカセから指を放し、生徒会の冷たい目線からも目をそらした。
ほんとはこんな茶番に付き合いたくないがそろそろオレの出番だ。
黒いビニール袋を片手にもち、桃太郎役である谷崎の前にほおり投げる。
「なんだ!?」
オーバーリアクションで目一杯驚きを表現する谷崎にオレはお腹から返事をする。
「雉だ!」
「雉だと?? ……誰だ貴様!」
「貴様もその雉のようにしてやる」
ただの黒いビニール袋だ。
「なんだと! 雉のようにだと、雉のように……雉のことかァー!!」
もうわけわからん。
「きさまは一体誰なんだ!」
サルこと瑠花が声をあげる。それを合図にオレは舞台に躍り出る。
「鬼さ」
「な、お、おじいさん!」
「ふっふっふ、桃太郎、実は私が鬼だったのだよ」
「う、嘘だぁーーーー!」
バァン!
というでかい音がした。会長が机に打ち付けて立ち上がったのだ。
「君たち……」
娯楽ら部の全員の視線を浴びて会長は口を開いた。
「君たち全員反省文な」
当然この劇が披露されることはなかった。
幼稚園との交流会は紙芝居をやった。概ね好評だった。