46:かすかに霞む栄光を
年取ったなぁ、って思うわけです。
金木犀の花は寒波に落ちてオレンジ色のカーペットを地面に咲かせていた。
木枯らしに侘しさを感じるのは、なにも歌人だけではない。一介の高校生でさえ、辿ってきた人生を回顧して無償に悲しくなったりする。
思えばろくな人生じゃなかった。未来に期待して、流れ流れてこんな始末だ。不完全燃焼。結局オレはどこへ向かえばいいのか。
「うーん」
目下の悩みの種の一つが喘ぎながら項垂れた。
「どうしました、琴音」
はたきで本棚のホコリを地面に落としていた瑠花が心配そうな瞳を谷崎に向けた。めんどくさいと携帯を弄るオレとは違って友情に篤いやつだ。
「私はなにになりたいのかなって」
「え、突然なんです?」
「ほらこれ」
「あー、進路志望調査票ですか」
「そ。さっき配られてさ。てかさー、いまから三年になったときのことなんてわかんないよ」
モラトリアム。
「瑠花のクラスでも配られたでしょ? 何て書いたの?」
「え、いや、私はその」
しどろもどろになる瑠花。興味本意とはいえ他人の思想を知りたがるのはナンセンスだ。オレも気になるから口出しはしないが。
「分かった! 瑠花だから、お医者さんとかでしょ!」
「違いますよ」
豊かな微笑みで煙に巻く瑠花。
「ヒントヒントちょうだい!」
「大学進学です」
「うーん、そうだな。瑠花はいっぱい本を読んでるから小説家とかかな」
「いえ、ですから進学希望としか書いてないです」
「あ、若しくは雑誌記者とか?」
人の話聞けよ。
「いちおう文学部志望ですが、就職を考えるともっと潰しがきくほうがいいかもしれませんね」
「もうそんな先の未来まで見据えてんの!? こわっ!」
なにそのリアクション。
「うーん、私はどうしようかなぁ」
谷崎は再び机にうなだれてペンをクルクル回し始めた。
「話は聞かせてもらった」
ばぁん、強く扉を開け放して愛流が現れた。面食らうオレらを置き去りにそのまま勢いで部室の中央まで小走りで来ると、机に両手をついて身をのりだした。まっすぐな瞳で谷崎を見つめる。
「我々はまだ子供でありながら、大人への仲間入りを果たす前段階なのだ。しかしながら無限の可能性が詰まっていると言って相違ない」
「え、な、なによ突然」
「貸したまえ琴音。自分でわからない未来というものは案外他人が知っているものだ。客観的に見てみたときに光ある道が見えることがある」
「え、そうかな。……じゃあ、はい」
半ば強引に進路調査表を奪うと鼻を一度ならして、筆箱から取り出したシャーペンですらすらと空欄を埋め始めた。
「ほら出来たよ」
「どれどれ」
しばらくそれを見ていた谷崎はすぐに不機嫌そうに「やだよこんなの」っと机に放り投げた。
「え、なんで」
「第一志望お金持ちのお嫁さん。第二志望の資産家のお嫁さん、第三志望にいたっては誰かのお嫁さん」
「琴音はお嫁さんがあってるなぁって思ったんだよ」
そいつぁひでぇ。
「段々妥協してるじゃないの!」
そっち?
「もっとまじめに考えてよ。ほら、やり直しッて、あれ、紙がない」
辺りを見渡す谷崎と愛流はすぐにニマニマしながら谷崎の進路票をいじる瑠花を見つけたのであった。
「なにしてんのさ」
「できました」
「え」
「はい」
「どれどれ。ん? なによこれ、空欄じゃない」
そこには消ゴムかけられてまっさらの欄があった。愛流の世迷い言はケシカスになって消滅してしまったらしい。
若干ショックな表情を浮かべる愛流を尻目に瑠花はどや顔で続けた。
「琴音の未来はその紙のようにまだ真っ白ってこと。誰の未来もね。未来は琴音自身で作るんだよ。素晴らしいものにしなくちゃ」
「抽象的過ぎて意味わかんない」
「んもう、つまりぃ」
軽く名言が流された瑠花は少しも怯むことなく進路票を奪うとカチカチシャーペンをノックしてサラサラとなにか書き付けた。
「こーゆーことです!」
第一志望『広大無辺な未来を』
第二志望『ごく小さな言葉で』
第三志望『記すことは出来ない』
「ただのポエムじゃない!」
「し、失礼な!違いますよ、これは琴音の無限の可能性を表す言葉です!」
「もっとこう具体的なやつがほしいの! 私は!」
「えー、しょうがないですねぇ」
再び消ゴムを書けて、サラサラとなにかを書き付ける瑠花。
「どうでしょう!」
第一志望『生きろ』
「初っぱなから意味わかんないわ」
第二志望『そなたは美しい』
「え?」
第三志望『黙れ!小僧!』
「もう、わけわかんない!!」
「これはですねぇ、まず生物の目的の一つが生きることなんでそれを表す力強い一言を加えたあと、なんかないかなって第二志望を埋めたんです。そしたら第三志望の欄が余ったんでとりあえず名言いれときました」
第三志望で全否定されちゃってるよ。
「これなら愛流のお嫁さんのほうがマシじゃない」
「そんなぁ」
「だろ、琴音。やっぱり僕のほうが具体例をだすのが得意なんだよ。右脳派だからね」
意味不明な呟きをした愛流は軽やかな足取りで部室正面にあるホワイトボードまで行くと、ペンを持ってでっかく「進路指導相談室」と書き付けた。
「さぁ、どんな悩みも僕に打ち明けるといいよ!」
静まり返る部室。
まずてめぇの未来からじっくり落ち着いて考えてみやがれ。
「あれ、なんで静かになるんだい? ほらほら遠慮しないで、エディバディせい!」
「……」
晩秋がいっそう冷え込んだ。
「じゃ、まず琴音から!」
「え? わたし? いや、それがわかんないから悩んでるじゃない」
「ノンノン、ダメダメだよ。これが無気力な若者ってやつかな」
「むっ。そういう愛流はなんかあんの?」
「ノン!」
「はい?」
「僕のことは神父様と呼びたまえよ」
うぜぇ。
「愛流は女の子じゃない」
「そうか。それじゃあシスターアイルかな。……でもシスターより神父のほうがいいなぁ、懺悔室みたいな感じで。……あっ、決めた。ザ・ニュー神父アイルでいこう!」
こいつは相談役には向かないな。
「それでザ・ニュー神父アイルはなにになりたいの?」
「僕もよくわかんないけど、いまはとりあえず神父かな」
よかったな、夢がかなって。
「はいはい、琴音の進路の相談だよ!」
パンパンと両手を打ち付けると朗らかな笑顔で続けた。
「まず自分がやりたいことをリストアップしていくんだ。……いいものがある」
愛流は肩にかけたままだった鞄から、一冊の本を取り出して、掲げて見せた。
「青春期のバイブル!」
13歳のハローワークだった。
「よしっ、じゃあはい琴音、なんでもいいからなってみたいものをいってごらんよ」
「だからその将来の夢ってのがわからないから悩んでるじゃない!」
「とりあえずなんでもいいから興味あるやつをあげてみればいいんだよ」
「うーん、わかんないけど大学進学かな……」
「オーケー! 大学生ね!」
キュキュと小気味よい音をたててホワイトボードに「大学生」と書き付ける愛流。
「はい、他に?」
「特に思い浮かばない」
「うん、わかった」
「え」
パンと大きな音をたてて本を閉じた愛流は真剣な面持ちで谷崎に告げた。
「琴音、大学生になりなさい」
なんとも言えぬ、無駄な時間だった。
「そりゃ、なれたらそれでいいけど」
「いいものがある」
愛流は再び鞄をゴソゴソいじくり回すと机の上にバンと妙な紙を広げて見せた。
「輝かしい進路への切符!」
進研ゼミのダイレクトメールだった。
「あ、これうちにも来てた」
「僕はこれをみて感動したんだ。恋も勉強も部活もうまくいくなんてチャレンジってすごいなって!」
「そんなにうまくいくかなぁ……」
「うふふふ! 僕も小学生のころ入ってたけど、その時はやめちゃったんだ。だけど今度はちがう! 一日たったの十五分、苦手科目を復習するだけで定期テストも大学受験もうまくいくんだ!」
「え、それはすごいね! よし愛流やってみなさい!」
「やった! ありがとうお母さん! 私頑張る!ってちがう!」
一連の茶番が終わりを告げ、そのままに愛流は口角泡を飛ばす勢いで両手をぶんぶん振り回した。
「頑張るのは僕じゃなくて琴音でしょ!」
「えー、頑張りたくないー。勉強だるいしぃ」
「まったく努力を怠る学生はこれだから……」
すくなくとも谷崎はオレやお前よりよっぽど頭いいぞ。
「琴音の第一志望が大学生ってのはわかったけど、どこ大にすんの?」
「そう簡単に決められることじゃないし親とか先生に相談してじっくり考えようかな」
「大学生になったあとはどうすんの?」
「え?」
「院に進むなり、就活したりするんでしょ。そのときなにになりたいとか考えるんだったら今のうちから将来見据えた大学を選んだ方がよくない?」
「それはそうだけど、でも、それがわかんないんだし……」
「やっぱ将来は結婚したいでしょ?」
「それは、うん。そうだけどさ……」
頬を仄かに赤らめてうつむく谷崎。
かわいいと少し思ってしまった自分にムカつく。
「つまりだよ、琴音!」
愛流はホワイトボードに『大学生→結婚』と書き、矢印の下に『?』とクエスチョンマークを加えた。
「こっこ! ここ! ここでなにをするかなんだよ!」
「なにかなぁ……」
しばらく首を捻ったままその動きを静止する。
「わっかんない!」
花咲く笑顔でさっきとおんなじことをのたまった。
「やっぱりまだ進路のこといわれてもなんにも思い浮かびませんよね」
無言でやりとりを見ていた瑠花がぼそりと呟いた。まったくもってごもっとも。
「うむ。そういう瑠花は進路票になんて書いたんだい?」
「私は大学進学とだけ」
「む。そのあとは?」
「まだなにも」
「じゃあー、つまりぃ」
サラサラっと、再び黒板に『大学進学→結婚』と書いた。
「琴音とおんなじってことだね!」
「そ、そうですね」
「いやはやこれはゆゆしき問題だよ。娯楽ら部のメンバー二人の進路があやふやなままなんてね。ここはしっかりとした未来の道しるべを与えてやらねば」
誰だよお前。
「ここで注目すべきは二人の志望進路……」
大学進学ね。
「結婚……」
そっち?
「うむ、婚活について考えるとしよう」
さては愛流、この話題に飽きたな。
「ちょっとー、なによそれ。すこしは真面目に考えてよ」
さすがの谷崎もぶぅたれる。
「僕は真面目だよ。でもさ、二人の進路が重なったんなら二人で仲良くすればいいじゃないか」
「あー、なるほど、つまり」
同じ大学を目指すというわけか。
「私が結婚できなかったら瑠花が貰ってくれるのね!」
そっち?
「え、いやいや私たち同姓じゃないですか!」
これにはさすがの瑠花も苦笑い。
「別にいいんじゃない? 性別の垣根なんて」
「うん。瑠花なら私もいいよ」
いろいろとよくないよ。
「そそそんな、困ります! 私は男性が苦手ですけど、結婚相手には異性がいいです「」
「わ、私のお腹の中にはあなたの子供がいるのよ」
もじもじしながら照れ照れとバカな冗談を飛ばす谷崎。
「ほ、ほんとにやめてください!」
「まったく君たちは……」
ホワイトボードのまえで手を腰にあてて仁王立ちしたままの愛流が怒鳴り付けた。
「できちゃったものは仕方ありません! 認知なさい!!!」
「えー!!!???」
これにはさすがの瑠花も吹き出した。
「む」
なんか廊下で物音がしたぞ。
ガヤガヤと騒がしい部室の日常を背後に立ち上がり、入り口のドアを開ける。ひんやりとした空気がながれこむと同時に廊下にへたりこむ佐奈先輩の姿があった。
「先輩、なにしてんすか?」
「あ」
虚ろげな顔をあげる先輩。
「や、やばいよ、郁次郎、琴音と瑠花がそんな関係だったなんて佐奈知らなかったよ」
「あ、いや、あれ冗談ですよ」
「やばい、やばいってこれ」
会長という実例が近くいる先輩にとっては冗談が通じないのだった。