43:佐奈トロジー(2)
人付き合いってめんどくさいですね。
一体なんでこんなことになったんだ。
俺がなんかやったか?
様々な疑問が頭を流れては、留まることなくどこかへ流れていく。
『渚さんには気を付けた方がいい』
そんなメールが届いたのはお昼休みのことだった。
『御茶ノ水家は水際六名家の序列一位。下手打つと郁次郎の居場所はなくなるからね』
愛流からのメールだった。
どうやら委員長が感づいて妹に知らせてくれたらしい。
愛流も心配してくれるなら、代わってくれればいいのに。
『御茶ノ水家は他の六家と違ってあまり連携をとらないんだ。ただ、もし困ったことがあったらいつでもいってくれ。和水さんがなんとかしてくれるから』
お前はなんにもしないのかよ。
「郁次郎、先輩が呼んでるよ」
「お、なんだ、だれだ? 告白か?」
「さぁ、知らないけど女の子だったよ」
龍生にそう言われたので、意気揚々と廊下に出ると、俺がいま一番会いたくない御茶ノ水会長が立っていた。
「誤解があるみたいだから、話がしたくてね」
廊下じゃ目立つということで、談話室に移動することになった。
「言っておくが、私たちは友達だ」
開口一番無表情のまま告げられた。
昼休みの喧騒に包まれているのにもかかわらず、彼女の声は鼓膜をダイレクトに震わせる。
「諌山佐奈とはおんなじクラスだったのだ。やつが留年しなければ、三年時もクラスメートになるはずだった」
「そ、そうなんですか」
「ああ」
満足そうに頷く彼女に、ふと浮かんだ質問をしてみることにした。
「あの、会長」
「なんだ」
「佐奈先輩って、なんで留年したんですか?」
静寂が耳を打った、気がした。
会長は一瞬だけ目を見開いたが、首を左右にゆっくりふって、
「君にそれを知る権利はない」
と静かに言い放った。
鼻で息をする度に、ヒノキの香りが鼻孔をくすぐる。木製のタイルに木製のテーブル、談話室といっても、教室前の小スペースだ。
そこで会長と相対するとは、入学当初はまったく予期していなかった。
「権利はなくても義理はあると思います」
彼女は目を細めて、いぶかしむような目線をよこしたが、
「義理か、ふん、いいだろう」
足を組み直し、優雅な動作で髪をかきあげた。
「中学三年生の諌山佐奈は天才だった」
「は?」
まって、中三?
なんでそんな昔から話が始まるの、と首を捻りかけた俺を、
「順序だてて説明しなければなるまい」と会長はたしなめた。
「中学生の諌山佐奈はダメなことはダメと丁寧な口調で注意する、精神年齢の高い女子だった。必然、生徒会の役員に落ち着き、伝説の初代、柿沢秤の再来と謳われたほどだ」
誰だよ。
「当時は会長だった佐奈を私が補佐し、二人なら柿沢さんに並べる、二人なら柿沢さんを越せると私は思った」
だから、誰だよ。
「そんなこんなで同じ高校に通うことになった私たちだったが、クラスは別々になってしまった。
だけど彼女なら高校生活もうまくいくだろうと私は考えていた。しかし、性格にネックがあったのだ」
ネックしかねぇよ。
いや、いまの先輩しかしらないけど。
「元来の生真面目さが仇となった。高校生になって、友達にとやかく言われるのを好む女子はいない。それはやめた方がいい、よしなよ、等々。モラルを重んじる彼女は、遊びたい盛りの女子高生のコミュニティから孤立していった」
真面目な佐奈先輩がイメージできない俺の思考は別のところに逃げようとしていた。
「佐奈が口を開く度に場がしらける、そういう態度を取られた。話しかけても無視される、孤独というのは山のなかにあるのではない、人のなかにあるのだ。
佐奈は休みがちになった。私はそんな佐奈の現状を知らなかった」
自信に溢れていた会長の声が若干上擦った。驚いて視線をあげる。
特に変化はない。無表情のままだ。
「二年生になって、私と佐奈は同じクラスになった。そこで初めて彼女が孤立していたことを知った。二年生になった佐奈に輝きはなく、常に人の機嫌を伺いみる卑屈な少女になっていた。
他人に嫌われたくないと可もなく不可もない発言をする佐奈には、確固たる意思が存在しなかった。彼女の輝きは集団によって押し潰されたのだ。だけど、それでも、……弱った佐奈は可愛かった」
ん?
「あるとき佐奈は私に相談を持ちかけてきた。他人の気持ちがわからないと。私は私なりのアドバイスをし、慰めた。その時の彼女は涙目で、頬はほのかの紅潮し、とても可愛かったので、思わずキスをしてしまった」
「!?」
「次の日から佐奈は不登校になった」
「え?」
ちょっとまって。
いまなんか変なの混じんなかったか?
「そうして佐奈は二年生になったが、休みがちが影響し……」
「あ、あの、会長」
何事もなく続く話のレールの上で、ブレーキをかけるよう慌てて呼び掛ける。
「ん? なんだ?」
「佐奈先輩はなんで引きこもりになったんですか?」
「君はなにを聞いてたんだ。もう一度説明するぞ。佐奈は簡単に言うと人付き合いに疲れて引きこもりに」
「あ、あの、キスって……」
言い間違いか聞き間違いだよな。
「はぁ、君もわかるだろ」
「な、なにがですか」
「佐奈は可愛い」
「え」
「美少女だ」
「……」
いや、俺もたしかに思うけどさ。
まさかだろ?
「犬や猫などの愛玩動物にキスをするのと同じように、かわいいものが目の前にいたらキスするだろ」
いやその理屈はおかしい。
「か、会長って、同姓愛者というわけではないんですよね? その、衝動的に佐奈先輩にキスしたってだけで」
「うむ」
な、なんだよ、びびらせんな。てっきり流行りの百合ってやつかと思ったじゃないか。
「私は同姓愛者ではなくバイセクシャルだ」
「ぶっ」
吹き出してしまった。
「と言っても異性の方が好きになりやすいがね」
「れ、恋愛対象に同姓も含まれるってことですよね」
「うむ。恋したいな」
だれかBL(男色)に詳しい瑠花よんできて! あいつならそういうの(同姓愛) 少しは詳しいと思うし!
俺の脳が混乱を極めると同時に、昼休み終了のチャイムがこだました。やっとだ。やっと終わってくれた。いつもなら憂鬱の再開と気分が落ち込むところだが、いまの俺には天上に響く天使のラッパのように聞こえた。これでしばらく授業という名の昼寝を満喫することができる。
と、考えていた俺を見透かすように、会長はやにわに立ち上がった。
「それでは、また放課後」
「え?」
なして。
「放課後、佐奈の家にいくぞ」
勝手に話進めんな。
「な、なんでですか。俺はいやですよ。一人で行けばいいじゃないですか!」
「佐奈の家がどこかわからないのだ。君は前に彼女の家に行ったことがあるそうだな。案内してくれ」
「断ります! 生徒会なら生徒の個人情報くらいちょちょいのジョイやでなんじゃないんすか?」
「そんなわけあるか。そもそも娯楽ら部が佐奈の家に行くように私が手を回したんだぞ。佐奈の住所を知るために先生を動かしてな。君と佐奈が初めてあった日、本来なら私が後をつけて行く予定だったのだが、予定が立て込んでしまってできなくなってしまったのだ」
「どうりでとんとん拍子に進んだと思いました……」
「それでは、また放課後。校門前で」
呆気に取られる。すれ違い様、彼女はボソリと呟いた。
「それはそうと、君の幼馴染み……谷崎琴音だっけ。なかなか可愛いじゃないか」
「!?」
颯爽と去っていく彼女の髪から女子特有の良い香りが漂ってきた。なにその映画によくある人質を暗に意味した発言。
まさか、だろ。
選択肢を奪われた俺は、谷崎に『本日部活休みます』とメールをいれて、くすんだクリーム色の校門の前で待機することにした。
ため息はついてもつききれない。
秋晴れの空は高く澄んでいて、柔らかな西日が優しく校舎をオレンジ色に染めている。
校門から放課後をエンジョイしようとするたくさんの生徒たちとすれ違う度、悲しみとやるせなさが俺の胸をうった。
校門で異性を待つという憧れのシチュエーションがまさかここままで憂鬱的なものになるなんて。
「おまたせ。それでは行こうか」
会長は秋風に髪を靡かせて颯爽と現れた。
閑静な住宅街を会長と連れだって歩く。
できる人というのは他人からの信頼を勝ち得る者だと俺は考えている。不思議と彼女との会話が途絶えることはなかった。
これがカリスマか。
不信感を募らせていたはずの俺すら、彼女の身振り、話し方、容姿にとてつもなくひかれていたのだ。
御茶ノ水渚。
恐ろしい娘。
迷いながらもなんとか先輩の家にたどり着いた。
三ヶ月ぶりだ。谷崎から先輩の家の住所を教えてもらってなかったら、たどり着けなかっただろう。
なぜ部長の谷崎ではなく俺に声をかけてきたのか聞いたところ、「かわいい娘が目の前にいるとキスしたくなってしまうだろ?」と真顔で応えられた。油断ならない。
チャイムを押して数秒後、先輩の母親らしき人が出た。会長は「同じ部活のものです。お見舞いに来ました」とごまかすことなく、玄関に上がった。俺もそれに続く。
先輩をそのまま成長させたような美しいマダムに迎えられ、再び先輩の部屋の扉と面対する。
会長は澄まし顔で扉をノックした。
「佐川○便でーす」
「だ、騙されない。渚でしょ」
「ちっ」
さすがの先輩、何度も同じ手には引っ掛からない。いや、また引っ掛かったらドン引きだけど。
「いかにも。御茶ノ水渚だ。グダグダいっても時間の無駄なので単刀直入に言う。佐奈、いい加減学校に来い」
「い、行きたくなったら行く。私は私のペースで生きていく。心配しないでほしい」
「そうもいってられないのだよ。君」
会長は胸ポケットから生徒手帳を取り出すとパラパラめくり、特定のページでピタリと止め、書かれたメモを読み上げた。
「君の遅刻早退欠席率は二年生で一番。もうあと数回で留年が決まる。一年ぶり二回目の留年だ」
甲子園出場校みたいな言い方をやめろ。
「この意味がわかるだろ。高校生なのにタバコ吸えるしお酒も飲めるようになってしまうのだよ」
「い、いいじゃん。ツイッターで飲酒報告しても問題なくなるなんて最高」
扉をはさんでくぐもった先輩の声は、吃りながらもはっきりとした口調で続いた。
「それに娯楽ら部のみんなと同じ学年になれるし、いっしょに卒業できるんだ」
そういやいつぞや瑠花といっしょに卒業の練習だってはしゃいでたなぁ。
「私が良くない」
きっぱりと会長は言いきった。
「君が私の二学年下になってしまうと、楽しいキャンパスライフが短くなってしまうではないか」
「べ、べつにいい。渚とは大学が別でも友達だもん。時間は関係ない」
「友達か」
会長の目が鋭く尖った。
「私は君のことを友達の枠を通り越して愛している」
「ぶっ」
吹き出してしまった。
やっぱりそうなんだ、と覚悟していてもそういうのに、慣れることはできない。
いや、まあ、お似合いの二人だとは思うけとさ、……すげぇ世界だな。もし二人が付き合うようになったら、圧迫祭りとかすんのかな。
「さ、佐奈は渚のこと、友達としか、見られない」
会長の表情は崩れない。いたってクールだ。
「それでもいい。君を好きだから学校に来てほしいんだ。諌山佐奈」
「好きって言われても困る。だって、さ、佐奈」
「ん?」
「好きな人がいるから」
「なん、だと」
まじかよ。
先輩、好きな人いんのかよ。だれだよ。
俺がそう疑問に思うと同時に横の会長が、「誰だ?」とワンオクターブ低い声で訪ねていた。
「い、言えない」
「言え」
「言わない」
「いいから言え」
「言いたくない」
「言わないのなら、言わせるまでだ」
先輩は扉の前で構えた。空手かなにかの型だろうか。その気配を先輩は感じたらしい。
「やめてぇー!」
「なら君の好きな人を言うのだ」
「や、やだもん!」
「わかった。ならば、ヒントをくれ。さもなくば羽路高校の君に関連する男子を皆殺しにするぞ」
「……」
暫しの沈黙の後、先輩は続けた。
「同じ、クラブの、……男子」
え?
「な」
「……はっ!」
先輩は娯楽ら部の男子は俺しかいないことに気づいたらしい。って、それって、つまり……。
「嘘だ!」
会長が怒気を込めて怒鳴り付けた。
「う、嘘じゃないもん!」
「私を誤魔化すために下手な言い訳をしたにすぎない!」
「うそじゃないもん! 佐奈は、佐奈は……」
先輩は小さな声だがしっかりとした語調で呟いた。
「……郁次郎が好き」
「は?」
会長と俺が同時に口を開けっぱなしにすると同時に、
「も、もう出ていって!」
と扉に物がぶつかる音がした。枕かな。
って、え、
ちょっとまって……、
先輩は、俺が好き?
佐奈先輩の笑顔が脳裏によみがえる。あの、先輩が?
「お前を、殺すよ? いまここで」
冗談だろォ。
横で凄まじい殺気を放つ会長が気にならないほど、俺の脳は混乱を極めていた。