42:佐奈トロジー(1)
なにか言いたいことがあった気がするが、忘れてしまったので、それはおそらくきのせいだったのだろう。
もうすぐ体育祭ということで、日に日に練習が激しくなってきたある秋の朝。
憂鬱な気持ちと眠気を引きずったまま校門をくぐったところ、
「海野くん」
凛と澄んだ声に名前を呼ばれた。
振り向くと早朝の登校当番(朝の生徒の登校を見守る謎の当番。おもに生徒会が行う)の腕章をつけた切れ長の目を待つ美人がこちらを見ていた。
腰まで垂らした艶のある髪にキリっとした目鼻立ち、凛々しさが眉目秀麗という言葉に上乗せされ、全身から気高いオーラ溢れている。
「海野郁次郎くんだよね」
「あ、は、はあ」
やべぇ、服装検査にひっかかったか?
シャツは白だし、ネクタイはちゃんとしてるし、靴下は、……やべ柄つきだ!
「用があるんだ。休み時間に時間を作れないかな」
「時間、ですか? ……だ、大丈夫です、けど」
「それでは、二限後の中休みに若葉の像の前に来てくれ」
「は、はい」
彼女のネクタイを見てみると赤。つまり三年生。
先輩からの呼び出しなんてはじめての経験だ、不安極まりない。
そんな出来事から数秒後。
嫌な汗をかきながらエントランスのガラス扉を開けると、委員長がぼんやりと立っているのを見つけた。お互いに軽く手を挙げ朝の挨拶を交わし合う。
委員長は娯楽ら部のメンバーの一人、天王州愛流の双子の兄で、メガネが似合う長身イケメン野郎だ。
ちなみに生徒会の監査を担当しているらしい。生徒会ということは、おそらくさっきの女生徒とも知り合いだろう。挨拶ついでにあの人が何者なのか聞いてみることにした。
「あそこに立ってる人って誰ですか?」
先程声をかけてきた女生徒を扉をはさんで指差す。
「おいおい冗談だろ? 御茶ノ水渚会長じゃないか」
どうやら俺はとんでもないことをやらかしてしまったらしい。
御茶ノ水渚。
現在の羽路高校の第51代生徒会長で先生からの信頼も篤い頼れるリーダーだ。三年一組に在籍し、その美貌から男子からの人気も高い。中朝礼は妄想の時間と決めているから正体に気づくのが遅れたが、みつあみメガネじゃない彼女も悪いと思う。
悩んでいたら、あっという間に中休みを迎えていた。
嫌な未来だけ超高速でやってくる、この間違った相対性理論をだれか解決してほしい。
中庭にある若葉の像で待機していると、彼女は無表情でやって来た。
「待たせたね」
ううん、いま来たところー。っていってもこの人には冗談は通じなさそうだ。
「あ、あの」
「なんだね」
先手必勝!
「申し訳ございませんでした!」
「ん?」
「靴下が柄つきなのは今日穿けるのがそれしかなかったからです! 図書室で借りた本を延滞しまくっててすみません! B棟の二階のトイレをつまらせたのも俺でした! もぉおーーーーーしわけございません!」
「……その事に関してはまたあとできっちり話を通そう」
あれ? なんか思ってた反応と違う。もしかして余計な事いってしまったか?
「君を呼び出したのは他でもない」
御茶ノ水会長は目を細めてから呟いた。
「諌山佐奈の欠席率についてだ」
「佐奈、先輩?」
先輩の能天気な顔が脳裏に浮かぶ。
「そう。彼女の出席率が芳しくなくてな。一昨日からずっと休んでいる。今日もいつもの時間に登校しなかったから、君を呼び出したが、案の定欠席だった」
んんんん?
話が繋がらないぞ。なんで佐奈先輩がでてくるの。
諌山佐奈先輩は一留した二年生の娯楽ら部員で、ひきこもりの残念美人だ。目の前の順風満帆ライフといった生徒会長との繋がりは全く見えない。
「いまここで諌山佐奈に電話しろ」
「は?」
「なんで休んでいるのか聞き出すのだ」
「いやいやいや、なんで俺がそんなこと!」
佐奈先輩が休んでようがそれはぜんぶ先輩の責任で心配するなら個人で勝手にどうぞ!
「娯楽ら部はそういう集まりなんだろ?」
学校コミュニティから爪弾きにされた生徒たちの駆け込み寺、と、てきとーなことを委員長にのたまったら受理されてしまったことは記憶に新しい。
「いや、あの、あ、そうだ。おれ携帯もってきてないです。そもそもうちの高校、携帯の持ち込み禁止じゃ」
とナイスな言い訳を思い付き舌を滑らせる俺を手のひらで遮って、彼女は一枚の写真を俺につきだした。
あまりにも暇だったので、将棋アプリで谷崎と対局する俺の姿がそこにはあった。刻印された時間は今日の朝。
「私は新聞部と仲がいいんだ」
恐るべき現像速度。俺はこのスピード社会を憎む。
「あ、もしもし、先輩?」
短いコールの後、ごそごそと携帯を耳にあてる音がした。
『ん? 郁次郎? なに?』
「いまなにしてます?」
先輩の声が響く。御茶ノ水会長にも聞こえるようにスピーカーモードを強制させられた。
『ゲーム』
うん。BGMが微かに聞こえてくるよ。
「今日先輩休みじゃないですか。なにかあったんですか?」
『なにも。めんどくさいから出てないだけ』
さすが引きこもりの鑑。
「いやいやほんとはそれだけじゃないでしょ? 体調が優れないとか、風邪引いちゃったとかさ」
横からの視線が厳しくなっているのを感じたので、フォローする意味を込めて言葉を選ぶ。
『ううん。体調はすこぶるいいよ。佐奈が弱いのはメンタルだけだよ』
先輩が淡々としたトーンで告げると同時に、不遜な笑顔を浮かべる会長に持っていた携帯を奪われた。
「ずいぶん元気そうじゃないか」
『……!』
しばしの静寂。
『郁次郎、ずいぶんと声が可愛くなったね』
「私の声を忘れるなんて寂しいな」
cv会長ね。
『……!?』
「サボりというのは関心しないね」
『あ、えっと、な、渚?』
「いかにも」
ブツ、ツーツー……。
息を飲んだかと思ったら、通話を切られた。
ひでぇな先輩、容赦がない。なにも切らなくても。
「ふん」
会長は鼻で一回笑うとリダイヤルボタンを押した。数回のコールの後、電話がとられた。
「もしもし」
『……な、なぎさ?』
「いかにも」
『……さ、佐奈は!』
「ん?」
『佐奈は今現在忙しくて手が放せません。ご用があるかたは発信音の後にご用件をどうぞ』
なんて下手くそな誤魔化しだ。
ピーという音を口で言っている先輩に会長はせせら笑いを浮かべた。
「お荷物の配達ですが、何時ごろが都合よろしいでしょうか?」
『あっ、宅急便さん?』
「元気そうで安心したよ」
『な、ななななな渚!?』
「私相手に居留守は使えないとあれほど言っただろ」
『ううっ。なに。なんなの』
「なぜ学校を休んでいるのだ?」
『……どうしても、はずせない用事があって』
「ほう。それはどんな?」
『リブガロの角を集めなくっちゃいけないんだ』
「ゲームの話じゃあないか」
『た、たとえそうだとしても、佐奈には譲れないものがある。ここで諦めたら佐奈はなにもなせないダメな大人になってしまう気がする』
「いいから早く学校に来なさい。また授業料を無駄にする気か?」
ああ、やめて! うちの子をそんなに責めないで、と会長に握られた携帯電話を見ながら思う。
『う、ううっ……』
先輩はまた無言になった。そのまま数秒経過した後、
ブツ、ツーツー。
通話が切られた。
どうやら二人はもともと知り合いだったらしい、いまの短い時間で分かったのはそれくらいだった。
「チッ」
眉間に皺寄せた会長は再びリダイヤルボタンに手をかけたが、
『お客様のご都合により通話をお繋ぎすることができません』
という女性のアナウンスが響くだけだった。
ん? って、あれは俺の携帯だから着信拒否されたのは俺ェ?
「ふっ」
「か、会長」
「ふ、ははは」
会長は俺に携帯を渡すと、なにやら一人で笑い始めた。
「ふはははははは」
「会長、落ち着いて!落ち着いてください!」
「はははははははははは!!!」
ご乱心!
会長がご乱心や!
「はははは! くっくっく」
「あ、あの」
「くっ、ふふふっふ」
会長の笑い声は段々と押し殺したものに変わっていく。
「ふ、ふふふ、ふ郁次郎、くん」
「は、はい」
「メールしてくれ」
「メールですか? え、佐奈先輩に?」
有無を言わせぬ強い瞳で頷かれる。憎しみに似た怒気がこもっていた。
「文面は、そうだな。『先輩、先ほどは失礼しました。生徒会長とはたまたまお会いして、大変ご心配なされていたので、お電話させていただきました。お身体に大事はありませんか? お見舞いに行きたいので家の住所を教えてください』これでいこう」
すらすらと告げた会長は背筋を伸ばして、真っ直ぐに俺を見た。
「さぁ、はやくメールを作成してくれ」
「あの、なんでそこまで先輩のことを気にかけるんですか?」
会長は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべたが、すぐにキリッとした表情に戻った。
「友達だからだ」
友達なら着信拒否されないだろ。
「君は黙ってメールを打てば……」
「お断りします」
「……なに?」
「先輩嫌がってるじゃないですか。そんな先輩を騙すようなメールを送る気はいっさいありません」
ほんとはめんどくさいだけだけど。
「別に騙す訳じゃない。私は単純にやつの不登校を直したいだけだ」
「そんなの、俺らが気にするもんじゃないと思います。先輩のペースでいいじゃないですか。無理しないでも」
俺は知っている。
先輩の隠し撮り写真が二年の間で出回っているということを。
別に着替えシーンとか下着姿とか、そういうのではなく、悪ふざけの延長で先輩の写真を撮ってメールで送りあっているのだそうだ。
まあ、クラスにモデルみたいにかわいい子がいれば、写真をとりたくなる気持ちはわかるが、本人の了承なしではさすがにやりすぎだろう。結果メンタル弱い先輩は不登校。当然の帰結なのである。
「ふん。言ってくれるじゃないか。海野郁次郎くん」
「あ、べつにあせる必要はないってことを言ったまでで、せ、先輩にはまた僕らからしっかり伝えておきますんで、そんな会長の手を煩わせるまでも」
「放課後だ」
「はい?」
「放課後、校門前でまっててくれ」
「な、なんでですか」
「佐奈に会いに行くぞ」
「っ」
俺は、
「あ、こらまて!」
逃げた。
これ以上、この人の相手をするのは得策ではない。そもそもこの人はただの生徒会長であって、俺をどうこうする権力なんてもっていないはず。生徒会長が権力をもってるのは漫画やアニメのなかだけ!
無事逃げおおせた俺はとりあえず先輩に先程のことについて謝罪メールを送ることにした。着信拒否も解いてもらわないと。とりあえず文面は、
『先輩、先ほどは失礼しました。生徒会長とはたまたまお会いして、大変ご心配なされていたので、お電話させていただきました。お身体に大事はありませんか?』
でいいかな。我ながらスムーズに文章が浮かんだぜ。