40:初恋トランプ
晩夏の風がやさしくカーテンを揺する。どこからかキンモクセイの匂いがした。
夕暮れ時の学校は秋の気配に夜が混じり、異世界に紛れ込んだような感覚に捕らわれている。
淹れられたお茶から柔らかな湯気があがっていた。めちゃくちゃいい茶葉、茶葉からいれちゃってるのか知らないが、芳醇な香りだ。
谷崎が携帯で流す洋楽が一体感を持って、部室は一種のリラクゼーション施設のようだった。
「恋バナしたいな」
そんな穏やかな空気を打ち破るように愛流が世迷い言を呟いた。まあ日本は広いし一人くらいこんなやつがいても可笑しくはないだろ。
冷たい視線を送ってあげると、
「恋バナしようよ!」
壊れた人形のように同じ言葉を繰り返した。
急げばまだ病院やってるよ?
「突然どうしたんですか?」
瑠花が手にもった文庫本に栞を挟みながら、眉間にしわよせて訊ねた。
「僕らのいままでの活動を振り返ってみたとき大富豪しかしていないことに気がついたんだ」
え?まじで?
瞳を閉じる。
瞼の裏でいままでの娯楽ら部の軌跡、
炎が燃えて風が舞い、鳴き声とどろく、
あの名バトルの数々が、よみがえる!
『いまだ!必殺イレブンバック激縛!』
『輝け!階・段・革・命!!』
『まだまだ甘いですね!スペードの3!ジョーカーが切れます!』
『砂嵐』ドン☆
あ、まじだ。
ま、そうだと思ってたけど。生欠伸を噛み殺しながら、お茶に口をつける。
瑠花は髪を撫でながら言った。
「いえいえ、七並べにスピード、ポーカー、神経衰弱、ババ抜きジジヌキ、ブラックジャック。ほかにもイロイロやったじゃないですか」
「ただトランプしてるだけじゃないか!」
唇を尖らせた愛流は大声をあげた。
「もっと女子力あげようよ!」
「じょしりょく?」
「ほら、娯楽ら部は女子会みたいなもんなんだからさ」
あれれー、おかしいぞぉ、愛流には男子である俺の姿が見えてないらしいやぁー。
「僕はもっと女の子女の子してる話がみんなとしたいんだよ!」
「うーん、女子っぽい話ですか? そうですねぇ……今日ちょっと重い日です」
「ち、違う!コイバナだって言ってるだろ!」
その話題で気まずいの男子の俺だけだからね。
「恋ばな……あまり気乗りしませんね」
瑠花は鞄に本をしまいながら、ため息をついた。
「私も、そういう話はあんましたくないかな」
いつもならほいほい波に乗る谷崎は珍しく気乗りしない感じだ。
「もぉう、どうしたんだい!いつもの君ならすぐに『じゃあ、やりましょ!』ってテンション高く乗ってくれるはずなのに!」
「今日ほんとに重いのよ……」
だからまじでやめろ。
「それに、恋の話、って興味がないっていうか、うーん、難しいよね」
谷崎はお茶菓子をくわえて口を閉ざした。
「な、なんだって。こ、これは娯楽ら部の危機だよ。あっ、佐奈ちゃん!?」
「ん?」
「佐奈ちゃんならきっとわかってくれるよね!」
ビコピコと手元の携帯ゲーム機に夢中になっていた先輩は愛流に尋ねられて顔をあげた。
「なんの話?」
「高校生にもなれば、持ってるだろ?」
「持つ?なにを?」
手に持ったゲーム機に視線を一回落とす。
「PSP? PSPはこれ一台だけど、3DSなら三台持ってるよ」
「ちがくて。恋ばなだよ恋ばな」
「?」
子首をかしげる先輩。話をまったく聞いてなかったらしい。
「簡単に言ってしまえば恋愛エピソードをわいわいと語り合うんだ。そうすると女子力上がるって雑誌に書いてあったんだよ」
月刊ムーかな。
「恋愛エピソードを語ればいいの?」
「え!話してくれるの」
「別にいいけど」
まじかよ。やっぱり、先輩くらい美少女だとモテモテだったんだろうしな。
興味がないと言っていた二人も静かに耳をそばだてている。先輩はコクりと一回頷いてから小さな口を開いた。
「妹が病気で死にかけるんだけど、奇跡が起こって助かるんだ。で、そのあと実の兄妹じゃないことがわかって結ばれる」
「ん?」
「その他だと、疎遠になった幼馴染みと大きくなってから再会して、思い出を共有しながら、お互いに惹かれ」
「ちょっ、ちょっとまってよ!」
「ん?」
「なんの話!?」
「だから恋愛ゲームの」
「違うよ!違う!僕が聞きたいのはリアルなやつだよ!」
「リアルなやつ? 18禁でいいなら今度貸してあげるけど」
「ちがぁぁぁう!」
瑠花はガタンと音をたてて、椅子から立ち上がった。
「佐奈ちゃんが男子とふれあった思い出が聞きたいんだよ!」
「男子と触れあった?触れる前に佐奈ははくよ?」
「え、な、なんで?」
「それに聞いても面白くないと思う」
突如として真顔になった先輩はズバリ核心をついた。
「……別に話してもいいけど、それ相応の対価がほしい」
「対価?」
「なにかを得るためにはなにかを失わなければならない。対価に愛流の恋のエピソードをかけてゲームをしよう」
「ゲームって、いうと」
「うん。佐奈はいま退屈で死にそう。さすがに同じストーリーを四週してると飽きてくる」
テーブルの上におかれたゲーム機をこつこつ指でつついた。むしろ四週まで飽きなかったことが奇跡だよ。
「みんなで」
は?
「大富豪で決着をつけよう」
また、それかよ!
こうして恋バナをかけて大富豪が行われる運びとなった。それなら二人で勝手に争ってろよ、って感じだが、佐奈先輩はどうしてもみんなでやりたいらしく、結局いつも通り五人でテーブルを囲むことになった。
いままでのくだぐだは「じゃあいつも通り大富豪やりましょ!罰ゲームは恋愛エピソードね!」ですんだのである。なんという時間の無駄。
まあ、仕方がない、いっちょやってみっか。と配られたカードをめくった瞬間、絶望が走った。
弱い。
弱すぎる。
遊戯王なら一発でサレンダーするレベルだし、デュエマなら全部をマナ送りするレベルの手札だ。神は俺を試しているのか。
「おし、じゃあババ抜き始めっか!」
「あれ、大富豪じゃなかったっけ?」
おしっ、いける!谷崎はなんとか誤魔化せそうだぞ。
「やるのは大富豪」
問題は佐奈先輩だ。提案者だからこそ、このゲームの主導権を握ってやがる。なんとかこいつを誤魔化して、ゲームをババ抜きに変更しなくては。
「でも先輩、おかしくないっすか?」
「なにが?」
「俺たちは別に恋バナをかけてゲームしなくてもいいんですよ。愛流と先輩が二人でバトればいいんです」
「そういうのは寂しい」
「それに先輩がゲーム内容を決めて愛流と賭けを始めたら、愛流が不公平じゃないですか。ここは公平さを保つために別の第三者がゲーム内容を決めるべきだと思うんです」
「むっ、たしかに。仕方がない。ではゲーム内容をババ抜きに変更しよう!」
あれ、なんか先輩ものわかりがいいな。
「ず、ずるいぞ佐奈ちゃん!大富豪じゃ勝てないと踏んでババ抜きにゲームを変更しようだなんて!」
「別にそういう訳じゃない。そもそも佐奈は二枚だしの貴公師の異名をものにするゲームマスター。大富豪でも負けないわけがない」
あ、この人も配られたカードが弱いから大富豪はやりたくないんだな。
「さ、正々堂々恋バナをかけてババ抜きで勝負」
「ず、ずるいぞ」
もとの手札が強かったであろう愛流は不機嫌そうに唇を尖らせている間に、
「ではジョーカーは一枚要りませんね!」
瑠花が素早い動きで手札にあったジョーカーをカードケースにしまった。大概こいつも卑怯である。
こうしてゲームはババ抜きへと変更された。
「僕は、こいつらを墓地に送るなんて、できない……っ!!」
「はやく二枚揃いを捨ててよ。ゲームが始まらないじゃない」
「ううっ」
捨てられていくエースや2。大富豪なら最強だったね。
こうして特に面白味もないまま(みんな無言)ゲームは進行していき、なんか知らんうちに谷崎と瑠花があがり、最終的に俺と愛流と佐奈先輩が残された。
せっかくゲーム内容をババ抜きに変更したのに意味ないね!
「さ、愛流。カードを引くといいよ」
先輩が手札を愛流に差し出す。
「ふん。いまに見てるといいよ。すぐにあがって見せるから」
「……」
「!?」
先輩は二枚のうちの一枚だけを取りやすいように浮き上がらせた。
「なっ!?」
「くくく、取ってみるといい」
「くっ、卑怯だぞ!心理戦に持ち込むだなんて!」
「出てるやつか、沈んでるやつか、……どっちを取るかは、まかせるよ」
「む、むぅ。佐奈ちゃんの性格上、沈んでるほうが。いや、まてよ、逆にそうみせかけて、ジョーカー、むむむ」
ジョーカーなら今は俺の手の中だから、その行為に意味はないよ。
「早くしてくれないと、日が沈んでしまう」
「む、むむむむむ」
「好きな方を選べばいい……人生は選択の連続。後悔するかしないかは未来の話」
「おしっ!こっちだ!」
愛流は目をつぶって浮き上がったトランプを手に取った、その刹那!!
「……っ!」
先輩は巧みな指さばきで飛び出たカードと沈んだカードを入れ換えた。つまり、愛流が取ろうとしたカードが変わった、ということだ!
「すげーな!」
「すごいです!」
俺と瑠花が同時に歓声をあげた、が、冷静になって考えてみると、ジョーカーは俺が持ってるのでその行為に意味はない。
「いよぉっしゃあぁぁぁぁーー!!」
目を開け引いたカードを確認した愛流は雄叫びをあげた。
「しゃぁぁーー!!……はい、つぎ郁次郎が引く番だよ」
「いまの雄叫びなんだよ」
「ん?ジョーカーじゃなかったから喜んだんだよ?」
お前の喜びゲージひっく!しかもカード捨てられてないし!
こうして場は流れ、あっという間に先輩があがり、残りは俺と愛流だけになった。
とはいえ、今までのパターン的に愛流が罰ゲームになる流れなんだろ、とたかをくくっていたら、よくわからんうちに俺の手札にジョーカーが残されていた。
「しゃあ!」
「あれ?」
ん?
ジョーカーが残されていた。
「あれ?」
ジョーカーが、
「はぁぁあ??」
敗けたぁ?
俺がぁ?
誰が得すんのこの展開????
「じゃ、はい」
さっきまで気分悪そうに眉ねを寄せていた谷崎がいつになく楽しそうに笑いかけた。
「負けは郁次郎ということで、お話いただこうかしらね」
なんだその腹立つ敬語。
「ちょっと待ってくれよ。今回は女子が恋バナをするって企画だろ? なんでよりにもよって男子の俺が恋バナしなくちゃいけないんだよ。誰も聞きたくないだろ。そんなの」
「ううん。すくなくとも私は聞きたいわ」
「お前だけだよ」
ちらりと横を見ると他の三人も首を横に振っていた。どゆこと。
「私も聞きたいです。郁次郎の恋バナ」
「甘酸っぱいのを求む」
「切ないとよりいいなぁ」
なにお前らここに来てめんどくさい連帯感発揮してんの?
「女子力を高めるって当初の目的を忘れてないか」
「他人の恋バナでも女子力は高まるもんだよ」
お昼の健康番組より信憑性薄いよ。青汁でも飲んでろよ。
「ほら、ぐだぐたやってないで早く話して」
「……」
逃れられそうにない空気だった。仕方ない。
「あれはそうだな。俺が小学三年生のころだったかな」
「いい導入の仕方ですね」
「うむ。小さな恋のメロディーな匂いがするね」
「切ない」
「お前ら少し黙ろうか」
人の話は黙って聞こうよ。
喉の渇きをお茶で潤し、改めて始める。
「親友と喧嘩してさ」
なんで俺こんな話してるんだろ。あぁ、あそこで左のカードを選んでおけばこんなことには。
「そんで放課後、なんか突拍子もなく涙が出てさ、近所の神社で一人隠れて泣いてたんだ」
「名神神社?」
俺と同じ地元民の谷崎が口を開いた。
「どうだったろう。あんま覚えてないな。たぶんそうだと思う」
「ふぅん。それで」
「そんでさ。ひとしきり泣いたあとで、ふと顔をあげると一人の女の子がいたんだ。すごいかわいい子だったな。たぶん俺より年上で、野球帽を被っててな。その子は俺に静かに微笑むと、こう言ったんだ。「飴食べる?」って」
あ、なんか語ってたら思い出してきた。
冬の寒い日だったな。オレンジ色に染まった境内で、一人きりだと思ったらその子がいたんだ。
「断る理由もないから、手にとって食べてみた。ハッカ味だった。食べ終わると彼女が「君ならやれるよ。がんばって」って言ってくれたんだ。なんか根拠がないけど励まされてさ。次の日喧嘩した友達に謝りにいったよ。もともと悪いのは俺だったし」
「な、なんだか良い話じゃない」
谷崎が呆気にとられた様子で頷いている。忘れたのかしらないが、その時の喧嘩の相手はお前だ。
「ま、恋バナとは少し違うかもしれんが、ほんとに感謝してるんだ。もう一度会えたらお礼が言いたいな。励ましてくれてありがとう、って。でも、どこを探してもそんな子いないんだよ。幻みたいだったな。一体あの子はどこの子だったんだろうなぁ」
「あ、それ佐奈だ」
「は?」
先輩があっけらかんと言ってのけた。
「六年前でしょ?」
「え、えぇ。は、はい」
「名神神社でしょ?」
「そ、そうですけど」
「やっぱり佐奈だ」
「はぁー?」
なに言ってんのこの人。
冗談言うのは自由だけど、ちょっとやめてほしいかな。
「佐奈はその日従兄弟のうちに遊びに行って、帰り道にアリジゴグを探すことにしたんだ」
「ちょ、ちょっと人の思い出に土足に踏みいるのやめてくださいよ!」
優雅にお茶菓子を食べ、口をティッシュで拭う。
「そしたら裏の日当たり悪いところで男の子が泣いてた」
続けんなよ!
「アリジゴグ見つかんないし、やることなくなって暇だったから男の子観察してたら、急にこっちを向いて、びっくりしたから、とりあえず佐奈が食べられないハッカのドロップあげたんだよ。なぜなら彼もまた特別な存在だからね」
「おいこら。調子のってんじゃあないぞ!」
「で、男の子が泣きながらなんか言ってるからテキトーに相槌うったんだよ。なんて言ったのか忘れたけどあの時の子が郁次郎だったんだね」
「う、嘘だ!」
「嘘じゃない。郁次郎のランドセル、緑色でしょ?」
「な、なんでそれを……」
「普通黒なのに変わってるな、って思ったから覚えてたんだ」
「う、うお……」
や、やめてくれ、俺の美しいメモリーが、佐奈先輩に汚染されていく。
秋の夕暮れ、静かな境内、落ち葉が風に舞う音、遠く街の賑わい、野球帽の少女、口に広がるさっぱりとした味、それらが全て佐奈先輩になるというのか!?
「良かったねぇ、郁次郎!初恋の人と再会できて」
谷崎はパチパチと拍手しながら、ニコニコ笑っている。
「あー、どうせなら、あの扉の前にあなたの初恋の人が来ています!ってやつをやりたかった。で、開けたら誰もいなくて手紙だけ置いてあるの」
誰か愛流を黙らせろ。こいつが変なこといい始めなかったら思い出は思い出のまま美しいものだったんだ!
「あ、郁次郎、とりあえずお礼をいっておけば……」
瑠花がボソリとわけのわからないことを呟いた。
「そうよね。さっきお礼が言いたいって言ってたし」
「お礼なら年中無休で受付中」
なんかしらんうちに先輩と向き合う形でセッティングしなおされた。めんどくさいよ!
「あ、あの」
「うん」
「そ、その節は、どうも」
「うん」
「……」
「……」
「なんなんだよこれ!なんなんだよ!」
「わからないけど良い話だね」
「絶対違うわ!」
二度とこいつらと恋バナしない、そう誓った秋の日暮れ。