38:嵐のなかの四人
うろおぼえだが日本の降水量が一番多い月は、梅雨の時期ではなく意外にも九月にあたるらしい。
なんでも台風が降水量を底上げしているのだそうだ。
世界の終わりみたいな暗い空に、ゴウゴウと音をたてて吹き抜ける風。流れる雲はいつもの二倍速でなんでもないのにメイドインヘブンって感じ。
台風が町に来ていた。
休校連絡が電話で回ってくるのを、いまかいまかと待っていたが、結局家を出る時間を迎え、憂鬱な気分を引きずったまま登校する。
三限目辺りから雨足が強くなり、このままでは電車が止まってしまうのではないかと心配しはじめたころ、待ちに待った放送が校内に響いた。
『午後の授業は台風の影響で取り止めといたします。全校生徒はけして残らず速やかに帰宅してください』
放送と同時に沸き起こる喝采。窓を叩きつける風より激しいテンション。
ワールドカップで日本が逆転勝利したみたいだ。みんな喜びすぎ。
外は大降りで、もっと早く休校を決めろよ、と文句をつけたくなるところだが、いまは素直に、いつもより早く授業が終わったことを喜ぼう。
ホームルーム終了とともに、勇み足で教室を飛び出す。
「あっ、まって郁次郎!」
俺を呼び止めたのは谷崎だった。
スクールバックを手にもって、少しだけ肩を上下させている。
「一緒に帰ろうよ」
「なに!?」
「どうせ今日は部活動禁止だろうし」
もし女性を放課後デートに誘って「一緒に帰って噂されるの嫌だし……」とか断られたら、トラウマになってしまうに違いないから、こちらから女子に声をかけたことはないけど、むこうから来てくれるとものっそい嬉しい。
「 よ、よかろうよ」
出来るだけ素っ気ない感じで答えるが、心中では、むしろこちらこそお願いします、頭を下げていた。
幼馴染みの女の子と台風のなか下校。雨で服が透けてくれるのを期待しつつ、エントランスに向かう。
下駄箱で外履きに穿きかえ、さぁ嵐の世界へ、と気合いを入れた時だった。
「遅いですよ、琴音、郁次郎」
「まったくもう」
スノコの上に愛流と瑠花が立っていた。
傘立てから自分の傘と俺の傘を引き抜いてきた谷崎がペタペタと小走りで戻りながら言った。
「ごめーん、ホームルームが長引いちゃってさ」
「ん、待ち合わせしてたんか?」
状況が把握できず訊ねる。
「あれ、郁次郎、メッセ見てないの?」
「メッセ?なにそれ?」
「ほら、娯楽ら部専用のSNS、……あ、郁次郎メンバーに加えてないんだった」
「……」
おそらく彼女は仲間内でチャットが出来る無料アプリのことをいっている。
なぜだ! おれもやってるのに、なんでメンバーに加えてくれない!?
「ごめんごめん忘れてたわ。あ、でも詳細をメールで送ったはずよ」
「……来てねぇよ」
「あれぇー、おかしいな」
そう言って彼女は鞄から携帯を取り出した。
「あ、英文メールが届いてる。郁次郎ったら知らない間にずいぶんとグローバル化したのね」
「そりゃ宛先不明のエラーメールじゃねぇか。なんで俺のメルアド登録してないんだよ!」
「え?アドレスって、このu,ikuji…ってやつじゃないの?」
「そりゃ二つ前のメルアドだ!こないだアド変メール送っただろ」
芸能マネージャーとかトップアイドルが友達になりたいとかってたくさんメールしてくるから、しょうがなしに変更したのだ。
「あー、めんどくさいからそのままにしてたわ。そもそも郁次郎メルアド変えすぎなのよ」
「す、すまねぇ」
そこに関しては謝ることしかできない。
「まあ、ともかく今日みんなでいっしょに帰ろうって話よ」
谷崎は爪先をとんとんとならしてローファーをしっかりはいてから鞄の紐を背負い直した。
「なるほどな。ん? 先輩は?」
部活のメンバーで唯一佐奈先輩の姿だけが見当たらなかった。
「なんか先帰っちゃったみたい。メールかしたら、『帰宅部エースは早めに終わったら直帰しないといけない』んだってさ」
「ばかか、あの人」
あ、ばかだった。
なんだかんだで女子三人といっしょに帰るというのは勝ち組なのかもしれない。まず雨で服が透けてくれる確率が三倍。風で俺のことを頼ってくれる可能性も無きにしもあらず。たのしいね、台風。
と、グダグダ考える俺の目の前で瑠花が鞄から三枚の袋を取り出し、そのうち
二つを愛流と谷崎に手渡した。
「ん、なにそれ、瑠花」
「なにって、雨合羽ですよ」
「はぁ?」
「いえ、台風が来るとのことだったんで念のため用意しといたんです。あ、すみません、三枚しかないんで、郁次郎は傘で帰ってください」
「あ、あぁ」
準備よすぎるよ! せっかくの透けブラチャンスが台無しだよ!
「ありがとー瑠花」
お礼を言いながら受けとる谷崎と愛流。早速制服の上からそれを羽織る。オーソドックスなビニールのカッパだった。色気もなにもない。
それって女子高生としてどうなの?
「さぁー!いくぞぉー!」
愛流はカッパを羽織るとすぐに楽しそうに右手をかかげた。
「行くってどこに?」
いまから帰るんじゃないの?
「用水路の様子を見に行くんだ!どれくらい増水してるか楽しみだね!」
「やめろ」
「あわよくば中州でバーベキューして、取り残されてレスキューされるんだー」
「人の迷惑考えろよ」
「じゃあ、体育館の雨漏り直してくる」
「洒落になってねぇっ!」
「なんだい郁次郎、文句ばっかり。僕がどこにいこうと勝手だろ」
「そりゃそうだけどこっちは心配していってんだよ」
「過保護だよー。子供は自由に育てないと」
「別にそういうわけじゃねぇけど」
「こうなったら嵐のなか駆け抜けて校庭の真ん中あたりで両手を広げて自由を噛み締めるしかないな」
「なにそれ」
「ショーシャンクごっこ」
そんなことしなくてもお前は自由だよ。
扉を開けると同時に横殴りの雨が襲いかかった。
風の抵抗を少なくするため、軽く閉じた傘を風向きに合わせて差し続ける。上半身のガードは出来ても、ノーガードの靴下はすでにびしょ濡れだった。
「うひゃひゃひゃ」
雨合羽姿ではしゃぐ愛流が気色悪い声を挙げていた。
「たのしぃー」
おかしいおかしい台風がたのしいとか狂ってる。透けブラチャンスがなくなったいまなんの楽しみも見いだせねぇ。
あんま調子こくとテレビ局に「女子高生も……」ってパンチラとられるぞ!
それはそうと台風中継って意味わかんないね。なんでわざわざ台風がすごい地域に行って台風が酷いですってアピールするんだろうね。
「台風って世界の終わりみたいでテンション上がるねぇ!」
そんな俺のどうでもいい思案を打ち破るように愛流が大きな声をあげた。
そんなのはお前だけだ。早く帰れるという歓び以外見いだせない。
「今すぐ切り取ってCDジャケットに使いたいくらい素晴らしい空だよ」
大荒れの天気だよ。
「私はジャケットよりゲームのパッケージ画像とかに使いたいわ」
風の音が強いので半ば叫ぶみたいに谷崎が言った。
「そしたら私は横顔で手を組んで祈ってるお姫さま役やるの」
あーあー風の音が強くてきこえなぁーい!
そんなバカな会話を続ける女子のあとをついていくこと数分、違和感を感じるのに、それほど時間はかからなかった。
いつもの帰り道とは違う通学路。
友達といっしょに帰ったときとか、その子に合わせてべつの道をいくように、大回りな道を行っているだけだと思っていたが、どうやら違ったらしい。この経路ではどう考えても駅にはたどり着かない。
「おい、どこにいくんだよ!」
ガタガタと車屋の看板が音をたてている。樹木の枝は風に揺すられ、大量の葉を切り離していた。ガラス扉を挟んで見た本屋の店内に客はおらずガラガラだった。
「え?なに、なんていってんの?」
風の音で聞こえなかったらしい、谷崎が振り返ってくれた。
「だから、いまどこに向かってるんだ!帰るんじゃないのか?」
「ん? 我々はどこから来たのか我々は何者なのか我々はどこにいくのか?」
「んなこといってねぇよ!!」
「うな重食べたい? なんでまた急に源太みたいなことを……」
「耳鼻科いけぇ!」
「あはは、郁次郎、痔にはボラギ○ールだよ」
話にならん。急に難聴になりやがって。
役たたずの谷崎をそのままに俺は後ろを歩く瑠花に同じ質問を投げ掛けた。
「いまどこに向かってんの?」
こんな道始めてだ。
大きくたゆむ電線に水溜まりを跳ね上げて走る自動車。スコールのように降り注ぐ雨が神様の攻撃のようにアスファルトにぶち当たっていた。
ん? いやまて、なんか見覚えがあるぞ。あのひしゃげたガードレールとか塗装のはげたカーブミラーとか……。
「あたしんちですよ」
「ん? はい?」
「あたしんちですって」
「情熱の赤いバラ?」
「はい?」
「ん?」
なんか噛み合わない。
「そ、それでどこに向かってるって?」
「うちです」
「うち?」
「えぇ、うち」
「は?」
「なんですか?」
「え、瑠花の家に向かってんの?いま?なう?」
「なう」
そう言って瑠花はこくりと頷いた。
「……まじかよ」
「はい。まじです」
「なんで?」
「明日土曜じゃないですか」
暦の上ではな。
「そうだな待ちに待った週末だ」
「だからパジャマパーティをするんですって」
へぇい知ってたかい!?週末になるとジャパニーズガールはパジャマパーティを開かないといけないんだってさ、驚きだよなHAHAHA!
「愛流が発案して、琴音が乗って、私が場所の提供をしました。うちが一番近いんで」
「え? おれも行かなきゃだめなの?」
心のなかでむしろこちらこそお願いしますと頭を下げる俺、本日二度目。
上がりたてのシャンプーの匂い、パジャマの下の素肌、女子の部屋、想像するだけで幸せになれる。そういうことをイマジンするだけで戦争はなくなると思う。
「うちの父はけっこう厳しいので、男の子が泊まるのはたぶん無理ですね、ただ台風が過ぎるまででしたら是非休んでいってください」
「あ、あぁそうさせてもらうよ」
くそ!ちきしょう!
なんでだよ!なんでパジャマパーティ俺は参加できないんだよ!なんでだぁーーー!
ううっ、ふざけんなよ……。
「わぁ!」
前を歩いていた愛流が叫び声をあげた。
どうやら道路を置かれた放置自転車が目の前で倒れたらしい。
直接当たっていないが、驚いて声を上げてしまった、というところか。
「な、なんて大嵐だ!車を呼べばよかった!」
バサバサと雨合羽が風に靡いている。
「いくら天空の鎧でも防ぎきれるかわからん暴風雨だ!」
あっれー、おかしいな俺には雨合羽にしか、見えないんだけど、愛流には別の世界が見えてるのかなぁ、スゴーイ。
「任せて愛流!」
突如として声を荒らげる谷崎。
「なにを隠そう私にはウェザーリポートのディスクがインしてるの。天候を操れるのよ!」
「なにぃ!? 本気を出せばカエルを降らせられるあのウェザーリポートのことかぁ」
「それどころかアメリカにはいないはずのマイマイカブリだって、飛べないのに羽根を広げちゃうんだから」
おっきい声で変なことを宣ってるよこの人たち。
「その代わりこの能力をつかうと半端ないサブリミナル効果でカタツムリになっちゃうけどね!」
あ、また能力と書いて「ちから」って読ませてるよ!恥ずかしいからやめろっていってんのに!
「ははは、そこは仕方ないだろ。あちらをたてればこちらをたてず、なにかを得るためにはなにか失わなければならないもんだってアルも言ってたし、いっちょ琴音頼むよ」
「まっかされよー」
言うや否や谷崎は道の真ん中で立ち止まり右手で握り拳をつくり、大きく天に突き上げた。
「我が人生に一片の悔いなし!!」
いやそれ覇王だから。
馬に乗ったこともない小娘がなにほざいてんだ、そんなんで晴れたら気象予報しなんか、いら、ね……?
「ん?」
あれ
「え?」
「あ、れ、なんか雨足が弱くなってます、よね?」
「風も弱く……」
ものの一分ほどで先程までの暴風雨は一変、辺りは驚くほどの無風状態に。
俺たち三人の視線は硬直状態の谷崎に注がれる。
「う」
「うわぁぁぁぁーー!」
突然叫び声をあげる愛流と谷崎。
すさまじい能力の片鱗を谷崎がみせたのだ。
「うわぁーー!ほ、本物だぁっ!」
「こ、これが、わ、私の秘めたる力……?」
谷崎は胸の前で作った握り拳を見つめ意味深に呟いた。
そんな彼女のまえで手をバタバタさせる愛流。
「うわぁぁぁ!琴音、すごぉいっいい!」
「だよね、だよね、だよね!すごいよね!」
「すごいよ、まるでマジックだぁーよ!」
「だよねぇー!最強だよね!純粋酸素パンーチー!あはははは……ん?ちょっとまって、あ! か、カタツムリなんかになりたくないぃぃぃ!!!」
「っ!な、なんて能力を発動してくれたんだ!琴音!!」
「ご、ごめんなさい!!」
台風の目に入っただけだとおもうよ。
案の定、すぐにまた元のような大嵐に見舞われた。