33:瑠花による福音書(6)
座敷わらしでやるべきだったかもしれないけど、、、まぁいいや
瑠花の語り口は終始淡々としていて、まるで事実だけを述べる人形のようだった。
「だけど、もうすぐ刑期を終えて出てくるんです」
彼女は横を歩く俺をじっとみた。
「空しいじゃないですか」
何て言ったらいいかわからなかった。また彼女が語尾に嘘です、ってつけてくれることをただ静かに祈った。
「姉の命はたかだか七年で消費されるものだったんですよ」
「……」
言葉に詰まったのは俺のほうだった。
起きてしまったことは変えられないし、これから起きようとする事実も変えられない。ただの高校一年生にはどうしようもない現実というものが転がっていて、あがけばあがくほどドツボにはまる。
瑠花は俺になら話せる気がしたと言い、実際にトラウマを語ってくれた。
なんで、俺?
俺はただのバカな子供だ。
ずっとずっと成長できずにくすぶってるだけ。
「瑠花、お前の姉は、たぶんだけど……」
「よしてください」
澄んだ瞳に見透かされ、俺の言葉は遮られた。
「慰めなんていりません。責めてほしいとも思っていません。ただ誰かに知っていてほしいと思ったんです。私の姉は強くて頭よくて、凄かったってことだけを……。だから、それ以外、私になにも言わないでください。私の罪だけを、あなたの心のなかにしまっていてくれれば、……それで」
「じゃあお前はなんで」
滑り続けた彼女の言葉は辿々しいものに変わっていた。
「お前はなんで泣いてるんだよ」
柔らかそうな頬に涙の滴が滑っていた。
「あれ、あれ?」
一生懸命に目元を拭うが、ボロボロと溢れ出す涙は止められない。
「なんで、でしょう。私にもわかないんです」
「……少しやすもう」
俺たちは昨日来た公園の前にいた。
林に囲まれた園内には、耳をつんざく蝉時雨だけが落ちている。
「やだ、わたし、最近泣いてばかり……」
俺と瑠花は日陰にあるベンチに腰掛け、ぼんやりと青い空を見上げた。ゆっくり消えていく飛行機雲を見送る。
「覚えとくよ」
「え?」
「お前の罪とやら」
「……はい」
「だから、お前も俺のこと忘れんなよ」
少し汗ばんだ手のひらで自分の頬を叱咤して、目を丸くする瑠花を正面から見つめる。
「いいか、お前の罪とやらは俺が小五のころ出来の悪い小テストを毎日ゴミ箱に捨ててたのとおんなじだ」
「そんなのと一緒にしないでください」
真顔で否定されるが退くわけにはいかない。
「俺のは百パーセント自分のせいだけど、お前は自分に責任なんかないじゃねぇか」
「そういうことをいってるんじゃないんです。私がいなきゃ姉は死ななかった。姉は私のために死んだんです」
「んなわけあるか」
存外冷たい声が出た。
「死んだ人がなに考えてたわかんないけど、死のうと思って死んだわけじゃないだろ。ただこらしめてやろうとして打ち所が悪かった、悪いのは運転手だけだ」
「そんな、そんなありきたりな言葉なんかいりません!」
彼女は立ち上がって俺を睨み付けた。
「お姉ちゃんの人生を奪ったのは他でもない、私なんですから!」
「その考え方が間違ってるって言ってんだよ」
めーんどーくせぇー。
「道端の空き缶を蹴飛ばしたら中身が入っててズボンがべちゃべちゃになったけど、ズボンがジュース飲んだだけだ、って斜に構えた中一のころの俺と今のお前はなんら変わらん」
「ど、どういうことですか?」
「やせ我慢はやめろっていってんだよ!」
瑠花は心底驚いたような顔で俺をじっと見ている。
「自分がまだ反省したりないっていうなら、俺が一生付き合ってやる。だけど素直に自分を肯定しろよ。ぐだぐだぐだぐだ考えてたってなんも始まらないんだから、前を向けって」
「私は、別に……」
「助けてほしいときは声を大にしなきゃ誰にもわかんねぇんだ」
「だってっ……誰も助けてなんてくれなかった」
瑠花の涙が焼けた砂の上に落ちた。
彼女の幼い頃のトラウマはもう救えることができない段階にある。
「誰も救ってなんか、くれない」
だったら、なんで、そんな辛い顔するんだよ。
「お前の姉貴はもういないけど、お前には俺がいるだろ」
「……」
「俺じゃだめなら谷崎あたりに聞きゃ方策だしてくれるんだよ。知ってるか? あいつ案外頭いいんだぜ」
瑠花は鼻をすんと鳴らして微笑んだ。
ベンチに瑠花を残して俺はアスレチック遊具に向かった。クエスチョンマークを浮かべている彼女を残し、目的のブツを回収した俺は再びベンチに戻り、傘を差し出すカンタのようにそれを手渡した。
「これ……」
クマのぬいぐるみだ。
「昨日たまたま見つけた。きっと子供のころだから勘違いしてたんだろ。棺桶なんかにいれてなんかなかったんだ」
「……」
瑠花はじっと俺を見つめてから、ぬいぐるみを受けとると、それを抱きしめた。
「高かったでしょ?」
「なんの話かわかんねぇな。落ちてたの拾ったんだ」
「ありがとう、ございます」
ぬいぐるみをギュッと強く抱き締め、瑠花はボロボロと滝の水が落ちるように泣いていた。
「お前、案外泣き虫だよなぁ」
「涙は嬉しい時にも流れるんだって、忘れてました」
極力似たデザインを選んだつもりだが、喜んでくれたなら早起きしたかいがあったと言うものだ。
「姉貴からもらったやつだからな、今度は無くすなよ」
「はい」
しゃっくり混じりの首肯は力強かった。
「そろそろ行くか」
立ち上がり、二人で公園の出口を目指して歩き出そうと一歩を踏み出した時だった。
瑠花はまた昨日と同じように立ち止まった。ぬいぐるみが入った袋が彼女の手にぶら下がっている。
「どうした。行こうぜ」
「郁次郎、最初で最後のお願いです」
「なにさ」
「目をつむってください」
「はあ」
「不躾なお願いだと存じ上げています、だけど明日を向くためにけじめをつけたいのです」
いってる意味はさっぱりだったが、目をつむるくらいおちゃのこさいさいだ。言われた通りに瞳を閉じると、ぼんやりと暗闇に赤色が残った。
「ありがとうございます」
言葉は俺の顎の下から聞こえた。何が起こったのかわからなかった。
ただ胸に感じる女性特有の柔らかさとシャンプーのいい香りだけが、俺に現実を教えてくれた。
「る、ルか?」
「抱き、しめて、おねが、い」
震えていた。真夏なのにがたがたと。
一瞬迷ったが、宙ぶらりんの手を彼女の腰に回す。同時にビクリと彼女は体をはねらせた。
「だ、大丈夫か?」
「平気です平気ですから、まだ目をあけないでください。いまだけは、いまだけら、誰にもにも譲りません。この一瞬だけ、私にください」
俺の腰にある瑠花の手に力がこもった。
瑠花が呟く意味はわからなかったが、切羽詰まった雰囲気はいつの間にか和らいでいた。
「私、いま顔が真っ赤です」
「お、おう」
俺だって真っ赤だ。それにすごい暑い。
「だから、誰にも見られたくないから、しばらく、このまま」
瑠花の震えはいつの間にか収まっていた。なんでかはわからない。そもそもかんなに暑い日に震えてるほうが間違いなのだ。
「合宿楽しみだな……」
話すこともないし、気恥ずかしいので、青い空を見上げながら、俺はなんでもないことをさも重要なように呟いた。
「はい」
瑠花は小さく頷き、
「みんなで行く初めての旅行です」
泣き声で応えてくれた。