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ノンゲーム!  作者: 上葵
33/54

32:瑠花による福音書(5)

これはそう、筆休めだから。

 花火大会の翌日。

 早起きした俺は用もないのに校門前に立っていた。

 いや、用ならある。はっきりさせなくちゃなんない。

 わけのわからない昼ドラみたいな展開で煙に巻こうって、そうはいかないのだ。

 俺は怒っている。怒っているのだ。

「お待たせしました」

 瑠花が立っていた。呼び出したのだから当然だ。

「おう。来てくれてよかったぜ」

 昨日は制服だった俺も私服だ。平日デートっぽくて、いい気分だが、いまはそれより大事な話が幾つかある。

「瑠花、早速本題だが昨日のアレはどういう意味だ」

「……」

 レンズの向こうの丸い瞳で俺をじっと見据える。

『姉を殺したのは私なんです』

 と彼女は言ったのだ。

 ピンク色の唇をキュッと結んで、蝉時雨に耳を傾けているようにも見えた。

「今日は暑いですね」

 やがて瑠花は口を開いた。

「郁次郎、涼しい場所を求めて、少し歩きませんか?」


 夏バテした雑種犬が舌を出しながら気だるそうに地面に伏せていた。夏の光に照らされた木々が葉をキラキラと輝やかせている。

 お昼をまだ食べていないとのことだったので、ファミレスにでも行くかと提案してみたが、なぜだかわからないが却下された。夏を感じたいのだそうだ、意味がわからない。

 棒アイスを購入し空腹を紛らすことにした。瑠花が小学生のころ通ったらしい駄菓子屋さんでスイカバーを買い、表のベンチに腰かける。

「この辺りは人形坂と言って、私の名字と同じ地名なんですよ」

 チューペットに口をつけながら、瑠花は雑談するかのように自然体で話を始めた。

「昔、市内を流れる花見川が増水し民家がことごとく流されたそうなんです。それで、よくある話なんですが、生け贄を捧げて川を鎮めることになったんです。その時たまたま旅の偉いお坊さんが通りがかって生け贄など不要、と人形に念を込めて川に沈めたら、荒れていた川がピタリと鎮まったんですって」

「日本昔話みたいだなァ」

 ところでお尻をだした子一等賞って、 意味わかんないよね。そもそも隠れんぼに順位とかあんのか?

「その偉いお坊さんは村に住み着き、生涯治水に尽力したそうなんです。お坊さんが建てたのが昨日行ったお寺です。お寺の前の急な登坂はいつしか人形坂と呼ばれるようになり、そこら辺に居を構えた住民の名字になったんだそうです」

「そこまで自分のルーツがはっきりしてるのってすごいな」

「まあいま適当に話を考えただけなんですけどね」

「……」

 無駄にした時間を返してほしい。

「それで郁次郎。昨日の話、でしたよね」

 けらけらとした笑顔を浮かべていた瑠花は一転声のトーンを低く訊ねてきた。

「言わなくても、わかってんだろ」

「えぇ」

 ベンチから立ち上がると瑠花はゴミ箱に空のアイスの容器を捨て俺に向けて言った。

「全部、お話しします。わたし、郁次郎にだけ、郁次郎にだけなら、話せる気がしたんです」

 お店の奥で店番していたおばちゃんにお礼を言って、またブラブラと歩き出す。目的地のない旅、暑いの二文字のなか、ただひたすら足を前に進める。


「私とお姉ちゃんはこの町で生まれ、この町で死んでいくんだと思っていました。町を歩けば知り合いに出会いますし、小学校にも友達は多くいました。生きていくうえでなんの不満もなかったんです。

 私はこの町を信頼してましたし、悪人なんて一人もいないと盲信してたんです。

 小学校二年生のときのことです。お姉ちゃんは六年生で私は姉のことが大好きでした。その日も放課後一緒に遊ぼうと思っていつもの公園で姉のこと待ってたんです。低学年のほうが時間割りが早く終わりますからね。

 一人でもなんの退屈もありませんでした。一人でブランコをこぎ、どこにでも行ける気になってたんです。

 ふと公園の入り口に面した道路に一台の車が止まっていることに気がつきました。白いワンボックスカーでした。

 嫌な予感がしたんです。だっておかしいじゃないですか。大人は公園に用なんかない、ってその時の私は思ってたんです。

『お嬢ちゃん、お名前は?』

 ブランコに腰かけた私に男の人が声をかけてきました。

 眼鏡をかけて、優しげな男の人でした。たぶん三十歳くらいだとおもいます。

 小さく自分の名前を告げたことを覚えています。

『ルカちゃんって言うんだ。かわいい名前だね。ルカちゃんは今ひとり?』

 学校で知らない人についていっちゃ行けないって散々言われてますから、幼心に私はその人のことを警戒して、首を横に振りました。

 その人はニコニコ笑いながら、

『お母さんかお父さんが近くにいるのかな?』

 と私に聞いてきました。

 私は返事に困ってしまい、なにも答えず俯きました。両親は近くにいませんでしたが、それを悟られたくない、って思ったんです。そもそも私は人見知りでしたし。

 無言のまま会話することを拒んだ私に男の人は、頭を掻きながら、

『弱ったなぁ』

 と掠れるような声で呟きました。

『ルカちゃん、僕はね、保健所の人間で、この辺りの子どもの検査を担当してるんだ』

 ほんとに不思議なんですけど、男の人の言葉に私は一切の疑問を持ちませんでした。思い返してみても、子供の警戒心を奪うのが、上手い人だったんだと思います。

『検査自体はそれほど時間かからないんだけど、うーん、親に許可とってからじゃなきゃ、まずいよなぁ。簡単な予防接種なんだけど』

 私の目の前でその人はオーバーリアクションに首を捻ってみせました。

 ヨボウセッシュ、と聞いてその時の私は診療所でやった注射を思い出しました。

『まあ、仕方ないか。お嬢ちゃんありがとう。ところで小学校はどこにある?』

 私はビクビクしながら小学校への道を教えてあげました。男の人はまた私にお礼を言うと続けて『この病気はね、子どもの間で爆発的に流行るから、予防接種を受けるまでは他の子供にあっちゃだめだよ』と私に優しく言いました。

 私はその時、これから姉と会うことを思い出して、予防接種を受けていない私の病気が姉に移ることを恐れたんです。

 いま思えば穴だらけの酷い嘘の塊ですが、その時の私にとって大人の言葉をすべて信実だったんです。

 私はあわてて、公園を去ろうとする男の人を呼び止めて、予防接種を受けたいと告げました。だって受けとかないと姉に迷惑かかってしまうと思ったから。

『ほんとは保護者の許可がなきゃしちゃいけないんだけど、ルカちゃんは特別だよ』

 って言って男の人は私の手を取りました。今日みたいに暑い日でその人の手がひどく汗ばんでいたことを覚えています。

 注射は痛いですか? っと私は訪ねました。

 予防接種も聞いてイメージした私の問いかけに、男の人は半笑いで、

『大丈夫、痛くないよ。ただ日陰じゃないと予防接種できないんだ。ちょっとあそこのトイレまで来てくれるかな』

 といささか強めに私の手をひきました。


 公園のトイレは薄暗くて、臭くて最悪でした。

 トイレの個室に入ったとたん、男の人は私の口を押さえて、今までの明るい調子とは打って変わった低い声で私に命令しました。『声を出すな。服を脱げ』と。

 私は、こわくて、こわくて、こわくて、……男の人に口を押さえられたままズボンを脱ぎました。

 震えながら、涙をながし、しゃっくりあげて、どうしたらいいんだろ、どうしたらいいんだろ、とずっとそればかり考えていました……その時です。

『ルカーどこにいるのー?』

 と姉の声が聞こえてきました。やさしいお姉ちゃん! 助けて、おねぇちゃん!

 声を大にして叫びたかったのですが、男に口を押さえられていたので、小さな呻き声が上がるだけでした。耳元で『静かにしろ』と囁かれましたが、ともかく私は助かりたい一心で声にならない声をあげ続けました。『黙れっていってんだろ。あの子も酷い目にあわせるぞ』男は下卑た笑い声を私に聞かせ、私はまた恐ろしくなって喉を震わせるのをやめました。

『ルカ……いないのかな』

 姉が独り言を言うのが、聞こえ、トイレの窓から外を確認していた男が『ふん』と鼻を鳴らしました。

 どうやら姉は待ち合わせ場所に姿を現さない私に愛想がつきて、家に帰ることにしたんだと思います。

『いますぐ服を着直せ。移動するぞ』

 たぶんこのまま公園で事に移るのはリスキーだと判断したのでしょう。男は私に強い口調で命令すると、小さなため息をつきました。

 言われたとおりにズボンをはき直し、男は『絶対に叫ぶな』と私に命令してから個室のドアを慎重にあけました。

 汗でどろどろして全身が気持ち悪かったことを覚えています。

 ヌメヌメした手に繋がれ、見慣れた公園を通過している最中私は泣きじゃくりながら、男のあとに続きました。そうするしかなかったんです。個室で男に抱き締められた時のいいしえない気持ち悪さが全身を包んでいました。

 男は公園の入り口に停められていた車の後部座席のドアを開けると、押し込むように私をそこに入れました。

 拙い創造力ですが、これから自分が恐ろしい目にあうと、漠然とした予感を感じました。

 男がシートに倒れ伏せる私に一瞥くれ、ドアを閉めようと手をかけた時でした。

『ルカ!!!』

 お姉ちゃんの声がしました。私は嬉しくて跳ね起きて、慌ててドアを閉めようとする男を押し退け、表に飛び出しました。

『ルカ!大丈夫!?』

 姉の心配する言葉と、力強く抱き締められたときの嬉しさは今も忘れることはありません。

『誰かぁ!警察呼んでください!』

 姉の叫び声に男はばつの悪そうな顔をすると、慌てて車に乗り込んで逃げていきました。

 遠く小さくなっていくワンボックスカーを睨み付けながら、姉は泣きじゃくる私の頭を撫でて『大丈夫』と言ってくれたことを鮮明に覚えています。

 九死に一生を得た、といえばいいのでしょうか?

 直接的な被害はないにしろ、私はそれから大人の男の人が苦手になったんです。父親の手さえ、私は逃げるようになりました。

 姉はこのときのことを親にも、誰にも言うことはありませんでした。たぶん私が、言わない限りは誰にも喋らないと決めていたんだと思います。

 姉は聡明な子供でした。少なからず、被害者の周りから扱われ方を悟っていたのかもしれません。

 姉は私に『二人の秘密だね』と微笑んでくれました。それから眠れなくて、静かに泣く私の手に、お気に入りのヌイグルミを持たせたんです。

 母はあんなり大事にしてたクマをルカに渡すなんてねぇ、と笑っていました。


 あれは、嫌な思い出ですが、姉のお陰でどす黒い景色だけではないんです。


 それから二週間ほどたって、姉と一緒に横断歩道で信号待ちしていた時でした。

 いままで楽しく笑っていた姉の顔がふと鬼のような形相に変わり、道向こうをじっと見つめていました。

 見通しのいい直線道路です。その数十メートル先にあの車があることに姉は気づいたんです。走行中の車はみるみる大きくなってきます。

 私もそれに気づいてガタガタと震えていました。

 その時姉は私の頭にぽんと優しく手を添えたのです。それから、

『絶対に許せないよね』

 と私にニコリと微笑みました。

『ルカ、いい? 何があっても私たちの信号は青だった、って言うんだよ』

 意味がわからず、ポカンとしていたのも一瞬、姉が信じられない行動をとったんです。

 姉は迫り来るワンボックスカーに飛び込んだんです。

 いえ、言葉が正確ではありません、正しくは少しだけ接触できるように道路に一歩踏み出しました。歩行者用信号は赤で、姉は意図的に信号無視したんです。

 突然の飛び出しに車を運転していた男も驚いたのでしょう。

 ブレーキーとハンドルを切る音が今も鼓膜を震わせます。

 姉は車に跳ねられて、道路に倒れ伏せました。姉の信号無視の目撃者はいません。私だけです。私と轢いた当人しかその事実は知り得ません。

 ワンボックスは逃げていきました。轢き逃げです。

 だけど私はそんなこと一切気にならずに道路でうつ伏せに倒れる姉に駆け寄りました。

 ピクリとも動きません。私は喉が張り裂けんばかりに『リコお姉ちゃん!』と姉の名前を叫びました。やがて通行人がその惨状をみて、携帯で救急車を手配してくれました。

 その人は優しく私に何があったのか聞いてきました。だから私は嘘を答えたんです。青信号を渡ってたら、信号無視の車に突っ込まれた、って。

 おそらく姉は死のうと思って車に飛び込んだんじゃないと思います。当たり屋みたいに少し接触事故を起こして、男を訴えようと考えていたんだと、思います。

 だけど、それなら、轢かれる前に私にあんなこと言う必要ないとおもうんですよ?

 でも、もうわかりません。なんにせや、死んだ人は生き返らないし、姉の思惑はわからないのですから。

 姉は病院で亡くなりました。両親はわんわん泣いて、私も大声で泣きました。姉を殺したのは、わたしです。私と言う存在が姉に理不尽な死をもたらしたのです。

 警察は私に何があったか聞いてきましたが、そこでも私は嘘を突き通しました。

 二日後男が逮捕されて、また同じことを聞かれても、私は延々嘘を突き通したのです。


 私は嘘をついて、復讐したんです。彼はまだ服役しています。児童に対する性的暴行という罪でないにしろ、姉と私は復讐に成功したんです。

 ……虚無的な、勝利です。

 わたしは、そんなことより、隣に姉がいてほしかったのに……。もう、叶わない。夢になってしまいました」



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