31:瑠花による福音書(4)
うんー。
医務テントで消毒と湿布だけもらい祭りに戻る。
まぁ、全然痛くなかったしー、それほど大ケガじゃなかったけどー、痛くなかったしー。
「花火は七時半からよ」
谷崎はこっちを向いてにこりと笑った。メインイベントまであと一時間近くある。
提灯がいくつも列び、うす暗い夜道はぼんやりと赤く照らされていた。子供たちの手には水ヨーヨーがぶら下がっており、なかの水がばしゃばしゃと跳ねる音が微かに耳に残った。
花火大会という名目のはずなのに、まんま縁日だ。
「琴音、このまま四人で回ってても不便だし、グループ分けしないかい」
愛流が突如として声をあげた。
俺たちは今、もともとの集合場所である看板前に集まっている。お祭りの出店が集まった河川敷の広場からは遠い位置だが、それでもたくさんの人が歩き回っていた。
「うーん、たしかに四人だと移動に不便かもね」
このまま四人で移動してもいつか人混みに流されてしまうのがオチだろう。
「よーし、グッパしよう!」
愛流がにっこり笑いながら拳を夜空に突き上げた。
「グッパってなによ?」
それを小首を傾げて眺める谷崎。
「グッパじゃすだよ」
愛流は右手をニギニギした。グーとパーということらしい。
「もしかしてグーとパーでわかれましょ、のこと?」
「いやグッパじゃすだって。二組に分かれるときにやるじゃんけん」
「だからグーとパーでわかれましょ、のことじゃない」
不服面の谷崎、どっちでもよくない?
要は二組にわかれれば良いだけ。かけ声にこだわる意味はないし、時間の無駄だ。
「まったく琴音、君もわからず屋だね、グッパじゃすの掛け声でグーとパーで分かれるんだろ?」
「ちょっと待ってください!」
瑠花がびしっと手を挙げた。さすが瑠花。こういうグダグダしたときに便りにな、
「掛け声は、グーとパーで合った人、ですよ」
お前もか。めんどくせ。
世界一不毛な三つ巴じゃねぇか。
「なんだいそれ、聞いたことないよ!グッパじゃすが主流だって!」
「違うわ。グーとパーでわかれましょ、で拳を付けだすのよ!」
「グーとパーで合った人、が絶対正しいです」
別になんでもいいけどさ、話が前に進まないんで、ズバッと俺は言ってやった。
「グーとパーのすけながし、だろ」
「「「それはない!」」」
あれー?
結局グーとパーでわかれましょ、のかけ声で二組に分かれる。三人に同時否定されて傷心の俺は流されるだけだ。
俺と瑠花、愛流と谷崎というグループ分けだった。
互いのグループになにかプレゼントを用意するというゲーム方式で出店回りを開始する。
あとでグダグダ考えるのも面倒なので、愛流には的屋のヒモみくじで手入れた光るガイコツのキーホルダー、谷崎には射的で手にいれたパタパタスプリングをプレゼントすることにした。
祭り巡りも一段落して、金魚すくいの水槽前でポイを持ちながら人心地つく。
「郁次郎、さっきは助かりました」
男性が苦手の瑠花とは通常一定の距離を保ちながら会話するのだが、見知らぬ他人と肩をぶつけるよりはマシと判断したのか、今はけっこう近くで話をしていた。
「なにが?」
「あの人が私に手を伸ばす前に声をかけてくれたじゃないですか」
「……そういう、わけじゃないよ」
ナンパされかけた時の話をしているらしい。
べつに、助けようとおもったわけじゃない、現に返り討ちにあって迷惑をかけたのは俺の方になってしまった。
「でも、わたし、郁次郎が来てくれたとき、ほっとしたんです」
「俺が救えるのは金魚だけだよ」
水面に近くで酸素を求めてパクパク口を開閉している一匹に狙いを定め、ポイを振るう。破けた。
「……この両手は、だれも救えないんだ……」
「やめてくださいよ」
笑いながらも瑠花は上手く角を使い一匹の金魚を器に移した。
発泡スチロールの器のなかで世界から隔絶された孤独の一匹は、パニックに陥ることなく優雅に尾びれを波立たせていた。
「郁次郎、たぶん、私、……郁次郎のこと……」
瑠花はそこで言葉を打ち切った。
なんだろう、と思い顔をあげて彼女を見てみる。
瑠花の顔はさっき食べてたリンゴ飴みたいに赤くなっていた。
「郁次郎のこと、男の人で一番好きです」
「それって、……まさか」
「告白ではないです」
うわぁお、まさかこんな真っ向から否定されるなんて!
顔が赤いと思ったら、提灯の灯りに照されてただけだし!
「同好の士として、信頼してるだけです。恋愛感情は一切ないです」
「え、なに、なんの同好?」
「だからBLの」
「誤解だって!」
「えっ、あっ!」
俺の大きな声に驚いて瑠花は焦ってしまったらしく、持っていたポイに穴が空いてしまっていた。
「もう、驚かせないでください。あーぁ、二匹しか掬えなかった……」
「ドンマイドンマイ。まぁ一匹も掬ってない俺よりマシじゃんか」
お店の人に飼い方をレクチャーしてもらい、ビニール袋に金魚が入れられる。
小さな世界を二匹の金魚は元気一杯に泳ぎ回っていた。ちなみに二匹の名前はベンジャミンとアルフレドになった。由来なんかない、てきとーだ。
一通り見て回ったので、俺たちは先に待ち合わせ場所である高架下の石段に移動することにした。そこは小学生のころ谷崎と見つけた絶好のビュースポットでメイン会場から少しだけ歩くが花火を綺麗に見ることができる。
河川敷の広場から、土手道へ上がる階段の中腹あたりのことだった。
「瑠花?」
俺の前を歩いていた瑠花は急に立ち止まり、胸の前で手を組んだ。
なんだろう?
追い付き顔を見てみると信じられないといった風に目を見開いている。
彼女の視線の先にはなにもなく、ただの人混みと暗闇が広がるだけである。
「おい、どうしたよ」
声をかけたその時だった。
「お姉ちゃん!!!」
突如として叫ぶと、脇目もふらず駆け出しだ。
会場に向かう人の流れに逆らって、やにわに走り出したのだ。普段温厚な彼女からは考えられないほど切羽詰まった表情で人混みをかけ分け、何人かにぶつかっても足を止めることはない。
「待って、待ってください!!」
「お、おい!瑠花!」
呆気にとられてしまったが、いまの彼女は尋常でなく、慌ててあとを追いかけた。
追い付くのはそれほど難しいことじゃなかった。
しばらく行った先で瑠花は一人で足を止めたから。
だけど、俺は声をかけることも、彼女の手を握ることもできなかった。
泣いていたからだ。
ボロボロと、人目をはばからず、瑠花はアスファルトに涙をこぼした。通り過ぎる人が怪訝そうに瑠花を見て、花火会場にむかって歩いていく。
「急に、走るなよ……危ないし、金魚が可哀想だろ」
気のきいた台詞なんて思い浮かばなくった。俺はただ純粋に彼女の手にぶら下がったベンジャミンとアルフレドが心配だったのだ。
「……ごめんなさい。ごめんなさい、わかってます」
遠くの祭り囃子が似つかわしくないBGMを奏でていた。
「わかって、ます」
乱れた呼吸の隙間で彼女は呟いた。
「わかってる。お姉ちゃんはいないって」
「瑠花」
ハンカチはないが、新装開店したパチンコ屋のポケットティッシュなら持っていた。駅前で配られていたヤツで、女の子の涙を拭うには余りに無粋なものだったが、こういうときは雰囲気をぶち壊すようなのが良いのだ。
「ありがとう、ございます」
差し出されたポケットティッシュから一枚を取りだし、瑠花は眼鏡を外してから顔を拭った。
「今日は郁次郎にお礼言ってばかりですね」
「そういう日もあるだろ」
お昼頃会ったとき彼女は亡くなった姉のヌイグルミを探していると言っていた。たしか七回忌だと。
「もう少し行った先が高架下で、たぶんそこならゆっくりできると思うんだ。歩けるか?」
「大丈夫です。痛いのは私じゃない、ですし」
瑠花はふっ、と顔を上げて俺を見た。
日が落ち夕闇に包まれた河川敷に街灯はなく、表情はうかがい知れない。
「今、お姉ちゃんが居た気がしたんです」
「……」
「わかってます。姉は七年前に車に轢かれて死んでしまって、この世にいるはずがないんだす。だけどっ、だけど頭で理解してても、心がわかってくれないんです。なんで、ですかね……」
髪をなびかせて彼女は河川敷に沿って歩き出した。
途中、楽しそうな声をあげながら、花火会場に向かって歩いていく親子とすれ違った。それを見送るように首を動かし、静かにうつ向いてから彼女は呟いた。
「姉の幻影を見て、思い出したんです。クマのヌイグルミの場所」
風に乗った屋台料理の匂いが俺の胃袋を刺激した。
「よ、よかったじゃん! それで、どこにあるんだよ」
「姉の、手元」
ん?
あれ、瑠花のお姉さんは七年前に無くなって今はもういないんだろ。
「どういうこと」
「姉の棺桶に入れたんです。なんで忘れてたんでしょう」
ひいじいちゃんの葬式を思い出した。あの時たしか個人にゆかりのある品を棺桶にいれたはずだ。
「まあ思い出して良かったじゃん」
「あのヌイグルミ、お姉ちゃんは亡くなる前に私にくれたんです。だけど、後ろめたさから私はそれを棺桶に返した」
「後ろめたさ?」
「姉を殺したのは私なんです」
黒いキャンパスに咲いた花火は夜風に吹かれてパラパラと消えて無くなった。同じ色に照らされた少女がなにを考えていたのかわからない。四人で見上げた花火は切なさとともに夏の終わりを予感させた。