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ノンゲーム!  作者: 上葵
30/54

29:瑠花による福音書(2)

春はいい気持ちですね。

 しばらく歩くと市民公園に出た。あまり広くはないが、遊具がたくさんあり、年齢があと十歳若ければエンジョイできそうなラインナップだった。

 しかしながら、殺人的直射日光の下、元気に走り回る子供の姿なぞ皆無で、寂しさだけが蝉時雨とともに落ちていた。

「あ!!」

 公園の入り口を通過しようとしたとき彼女はいきなり大きな声をあげた。

「グローブジャングルにスプリング遊具! ターザンロープまで!」

「は?」

「わぁー、すごい! ブランコに登り棒! ローラー滑り台までありますよ!」

「あ、遊具の名前ね」

 一瞬なに言ってんのかわからなくなったよ。

「郁次郎、ちょっと寄ってきません?」

「いやだよ。この歳になってそれは恥ずかしいだろ」

「そこをなんとかお願いします。久しぶりにターザンやりたいんですよ」

「一人でやりゃいいじゃん」

「一人でやってたら、頭がおかしい人でしょ!」

 自覚はあるんだな。

「せめてもう一人近くにいてくれたら恥ずかしさが紛れます。お願いですよ」

 可愛らしく頭を下げられ、蔑ろにできるはずがない。

「しゃあないな」

 別に立ってるだけならなんの問題もないしな。


 何だかんだで公園に足をふみいれる。

 なんでもない景色がこの歳になると妙に胸を打つ。ノスタルジーに浸るほど年老いたわけじゃないはずなのに、ある意味不思議だ。

 瑠花は木製遊具が集まったアスレチックを軽やかな足取りで楽しむと、目的のターザンロープにたどり着いた。簡単に言ってしまえばロープを滑車で滑るだけの遊具だ。

 たしかにあれは面白い。小学生の頃は狂った猿のように乗り回していた。たかだか数十メートルの滑走だが、世界の果てまで行けると信じていたのだ。

「郁次郎も上がってくださいよ」

「ほいほい。よっ、と」

 彼女にせかされて、俺は仕方なしに木製アスレチックに手をかけ、上に上がった。

「あー、チートですよ! ちゃんと向こうから順に来てください」

 彼女はアスレチックの入り口を指差した。

「大人になって能力値が増えたんだ。よって問題はない」

「意味わかりません」

 単純にアスレチックを渡るのがめんどくさいだけだ。

「いいですか、郁次郎」

 彼女は嬉々として言葉を続けた。

「地面はマグマです」

「地面は地面だ。突然とっち狂ったこと言うなや」

「マ、マグマという設定なんです。落ちたら死にます」

「あー」

 小さい頃そういう自分ルールよくやったわ。

「我々探検隊は遂に秘宝を手にいれ、ダンジョンから脱出しないとならないんです」

「白線から出たら死ぬ的なやつね」

「しかしこのアスレチックはあと数秒で爆発する!」

「ふぅん」

「郁次郎ッッッ!」

「わっ、びっくりしたな」

 急に大声出さないでほしい。

「隊長判断を許してください!私はこれで脱出します」

 言って滑車のついたロープを手に持つ。

「はぁ。じゃあ俺はどうやって脱出したらいいんスか?」

「拳銃を滑車がわりにするか、手でわたるしかないですね」

「ハードボイルドだな」

「それでは郁次郎、グッドラック!あーああーー」

 言うやいなやロープに手をかけ、滑走を始める瑠花。シャァーという小気味良い音をたてて、滑車は滑っていく。

 もの凄く良い笑顔だ。肩口で切り揃えられた髪が靡いて、シャンプーの残り香がやさしく俺の鼻孔をくすぐる。

 やがて、がったん、という音をたてて、滑車は動きを止めた。

「……」

 それだけ。

 あとにも先にもあれが終点。

「う、うわぁー」

 瑠花は叫んで体をジタバタ動かしているが滑車は動かない。一方通行。

「こ、このままでは獰猛な人喰い鮫に食べられてしまうー!!」

 マグマどこいった?


 そのあとも彼女は「一回だけ!」という魔法や言葉を用いて公園内の遊具を制覇していった。

 滑り台ではバレないようパンチラを堪能し、ブランコではバレないようパンチラを堪能し、回転するジャングルジムでは、バレないようにブラチラを堪能させていただいた。羽路市議会のみんな、ここに公園を作ってくれてありがとう!


 まぁ、なんだかんだで楽しかった。やってることはバカップルだけど、それゆえに俺の気分は最高だった。

 瑠花は男性が苦手で、少しでも触れようものなら悲鳴が上がる。

 だけど俺とでは、出会い頭に悲鳴を上がるくらいで、けっこう良好な関係が築けている方なのだ。

 やっぱり同じ部活で三ヶ月も過ごしていれば、おのずと慣れてくるものなのだろう。その時のおれは、そう思って油断していたのだ。


 きっかけは夕立だった。

 ミスチルを口ずさみながらシーソーを楽しんでいると、辺りが一気に暗くなり、そのうちポツリポツリと雨が降りだした。セミは一斉に鳴くのを止め、灰色の空からは雨が降り注いだ。俺と瑠花は慌ててアスレチックの下に避難した。木製のアスレチックは雨宿りには最適だ。二人でぼんやり地面を抉るように降り注ぐ雨を眺めながら、ため息をつく。

 ふと彼女の肩に羽虫が止まっているのを見つけた。いつの間についたのだろう。こいつも雨宿りしたいのだろうか。

 俺はつい、幼馴染みにするみたいに、何も言わずに彼女の肩から虫を払い落としてしまったのだ。

「きゃあぁぁぁぁ!!!!」

 同時だった。

 俺が触れると同時に瑠花は金切り声をあげ、しゃがみこんだ。

 もし大降りで雨音が激しくなかったら通報されてしまうレベルの大声だ。

「あ、ご、ごめん! 虫がいたんだ!」

「ひっ………っ……」

 瑠花は俺の言葉が聞こえていないのか、しゃがんだままブルブルと震えている。

 嘘だろ。なんでここまで。

 てっきり俺は、俺に対する一種の嫌がらせ的に男性嫌いというステータスを装っているのだと思っていたけど、この反応は、誰がどうみても……ガチだった。

 慌てて後ろに下がり一定の距離をとってから瑠花に声をかける。

「悪い! 大丈夫だ、瑠花、落ち着け」

「はぁっ、……ひゅー、ひっ」

 軽い引き付けを起こしたみたいに荒れた呼吸で涙目のまま俺をじっと見つめる。肉食獣に見初められた草食動物みたいな瞳だった。瞳孔が開ききっている。

「お、落ち着け。俺はお前に近づかない」

「……っ、はぁ、ひっトは、れっ」

 それでも荒れた呼吸はだんだんと落ち着きを取り戻し、雨が上がる頃には、いつも通りの瑠花に戻っていた。


「大丈夫か?」

 ぬかるんだ世界に一歩足を踏み出し、アスファルトを目指して歩き出す。水溜まりが至るところにできていた。

「恥ずかしい、ところを見せてしまいました」

 目尻にたまった涙を拭いながら瑠花は続けた。差し込む太陽と一緒にセミの鳴き声が響き始めていた。

「すみません、ご迷惑をお掛けしてしまって。……あの、けして郁次郎が嫌いというわけではなく、……そういう体質なんです」

「あぁ、わかってるよ。気にしてない」

 夕立のお陰で冷えた風が優しく俺たちの頬を撫でた。今夜はぐっすり眠れそうだ。

 公園の境界線を踏み越え、雨で濡れたアスファルトの上で、瑠花は思い詰めたように立ち止まった。

「どうした?」

 振り向いて調子を訊ねる俺を見つめる。

「あの、わたしっ、」

 先ほどまでの気まずい雰囲気を引きずったまま瑠花は立ち尽くしていた。

「わたし、……」

 言葉は夕暮れとともにどこかへ流れていってしまったみたいだ。

「言わなくていいよ」

「え?」

「どうせお前のことだからまた律儀に謝ろうってんだろ? そういうのいいから」

「でも」

「一回謝ってもらった。これでこの話は終り。それでいいだろ」

「そう、ですね……」

 ゆっくりと俺たちは歩き出す。雨上がりの良い匂いがした。

「あの、こ、ここからはただの雑談で、……自分語りなんですけど」

「んー」

 とはいえ微妙なぎこちなさは拭えない。沈黙を苦にしたのか瑠花は吃りながら口を開いた。

「わたし、小さい頃、……男の人にイタズラされたんです」


 アスファルトが乾く匂い。原付のエンジン音。射し込む日射し。はしゃぐ子供の声。辺りは詩的な雰囲気に包まれていた。

「最初は、公園のトイレで、それから車に……無理矢理押し込められそうに、なって……」

「……」

 重い。非常に重くシリアスな空気だ。俺は瑠花にそういうのは求めていない。

「それが、その、若干、と、トラウマになってるらしくて……男の人が苦手になったんです」

「あー、えーと、なんて言葉をかけたら良いのか、わからないけど……」

 ドンマイ! は違うよな……。気にすんなよ! も場違いだし。

 わかんない!わかんないよ!だれか答え教えてよ!高校一年生にはヘヴィすぎる内容だよ!

「べ、別に大丈夫ですよ!」

 一転明るい声をあげ、瑠花は続けた。

「イタズラと言っても、その、と、途中で助けられたので、そこまでの、ものではないですし」

 それでも随分辛そうだ。

「瑠花」

「はい?」

「お前のトラウマが拭えるとは思えないけど、ただひとつはっきりしていることを言わせて貰えるなら、さ。俺は、俺はそんなことしないよ」

「……はい」

 なんて言えば正解なのかわからないけど、少なくとも事実だけを述べることにした。

 これでわかってもらえたのだろうか。少なからず彼女の抱える荷物が軽くなったら良いのだけど。

 その時、子供の声がした。夕立の終りにテンションを高くはしゃいでいた子供たちの声だ。

「お、瑠花」

「はい?」

 俺は隣を歩く彼女の名前をよんで、子供たちに教えてもらった情報を伝えた。

「空見てみ」

「え?」

 言われた通りに彼女は俺が指差す方向を見上げた。

「わー」

 嬉しそうな声。

小学生くらいだろうか。子供たちの声がいくつも折り重なって聞こえる。「虹だー!!!」「見ろよ!あそこ!」「でけぇ!」。ああ、たしかに東の空に浮かぶ虹は、俺が今まで見てきたもののなかで、一番大きくそして美しいものだった。

「綺麗ですね……」

「あぁ」

 何も言わずに空を見上げる。虹はそのうち風にとけるように姿を消した。

 瑠花とは駅前で別れた。どうせ数時間後には花見川の花火大会で会うのだ。簡素な挨拶だけで、その場を後にした。


 瑠花は花火大会に来なかった。



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