27:こんな河原でなにをする
自堕落っていまのわたしのことをいうのですよ
夏休みも半ばほど過ぎたある日のこと。谷崎に近所の河原に呼び出された。
中学のころ通学路として利用していた河川敷だが、いまさら彼女と共有する思い出もないよなぁ、と思いながら行ってみると、
「いっくじろー、ここー」
娯楽ら部のメンバーが全員いた。
頼むから下らない用事で俺の時間を奪うのはやめてくれ。燦々と降り注ぐ太陽光にセミ時雨、いくら午前中といえど、気温は中天にむけみるみる上昇している。
「さぁ全員集まったわね」
瑠花は若干眠そうに目を擦り、佐奈先輩はもっと眠そうに目を擦り、愛流に至っては立ちながら寝ていた。お前ら不健康な生活リズムしてるから午前中に活動できなくなってんだよ!
「今日呼び出したのは他でもないわ」
意気揚々と拳を夏の澄んだ青空に掲げる谷崎。どうせまた下らない用事なんだろ。
「娯楽ら部のオープニングを作ろうと思って」
ほら、やっぱり。
無言で立ち尽くす俺に谷崎が注釈を加えてくれる。
「こないだみんなでカラオケ行ったのよ」
注:俺はハブられました。
「佐奈ちゃんと瑠花がアニソンを唄うでしょ?」
「それで?」
「アニメのオープニングが流れます」
「ほう」
「なんか、いいなぁ、って」
「……」
だれか翻訳こんにゃく持ってきてー!
「私が説明しましょう」
頼りない部長に変わって書記の瑠花が手を挙げ口を開いた。
「文化祭に文化部は何かしらの活動を行わないといけない決まりになっているんです」
ご存知でしたか、と上目遣いで見られても、入学時にこんなアホな部活に入ることになるなんて想定してなかったんだから知るわけがない。
「最初は軽く映画でも撮ればって話だったんですけど、あまり時間が残されていないということで、ショートストーリーものを撮ろうという話になったんです」
注:俺抜きで。
「だけどわたしたちは素人、音楽で誤魔化せると意味で、オープニングっぽいものを撮るという案に落ち着いたのです」
「そんな明らかに黒歴史になるようなもん産み出せるかよ……」
背の高い夏草の隙間を縫った爽やかな風が頬を撫でる。川を流れる水音が優しく鼓膜を刺激する。
「郁次郎」
半分以上眠っていた佐奈先輩は、完全に覚醒したらしくきらきら輝く瞳で続けた。
「黒歴史を作れるのは、今だけなんだよ」
「いや俺は現実的な話、技術と機材とか、そこら辺はどう穴埋めするんだって」
「佐奈に任せてほしい」
「え。なんか動画編集とかやったことあるんですか?」
「ないけど、ママは私のことパソコンの大先生と言ってくれてるから大丈夫」
根拠不明な自信やめてくれ。
とまれかくまれ、クランクイン。
監督が谷崎で、助監督が佐奈先輩という時点でなにも期待できない。
「じゃ、まず郁次郎。あそこから」
一級河川の看板を指差し、
「あそこまで」
それをすっーと真横にスライドさせ、
「全速力で走って」
橋梁の付け根を指差した。ざっとお散歩コース百メートル分。
「……いやです」
今日超暑い。突っ立って息してるだけでもう辛い。汗が濁流のように流れてくる。
「なんでよ」
「そりゃこっちの台詞だよ。なんで俺が全速力で走る映像が必要なんだよ!」
「だってオープニングよ? とりあえず走らなきゃ」
なにその理論。
「つぅかさっきから気になってるけど撮影機材は……」
「携帯電話よ」
「やっぱりな! さっきから握りしめてるからまさかとは思ったんだ!」
せめてハンディカムでおねがいします。
「はいはい。とにかく撮影しなきゃ始まらないんだから、走ってよ郁次郎」
「じゃあ、俺から最低条件出させてくれ」
「なによ」
「今後一切俺の出番をなくせ」
「えー……」
「これが、呑めないのなら俺は絶対に走らん」
「助監督、どう思う?」
横で佇む佐奈先輩に尋ねる谷崎。
「難しい選択。郁次郎が使えなくなるのは厳しいけど、走ってる画は絶対ほしい」
「だよねぇ」
「やっぱり男の子の全力疾走のほうが画になるし、条件を飲もう」
「オーケー」
ぐだぐだとした相談は終わり告げ、谷崎は了承の旨を俺に告げた。
看板の側で立って、走る準備をする。
突き刺すような日差しが肌に痛い。まあこれで終わりだと思えば。
「おーし、走って郁次郎!」
「シャァッ!」
クランチングスタート!
「はぁはぁ」
やっぱり真夏の全力疾走は辛すぎる。前屈みで息を整える俺の横で女子三人は撮れたばかりの映像に目をやっている。一人その輪に加わらない愛流は「もう無理超眠い。寝る」といって草っパラで仰向けになって寝ている。
「どうこの映像?」
「うーん、微妙です」
「だよね。わたしもそうおもった」
「なんか被写体が小さすぎる気がします」
「もうちょっとちゃんと頑張ってる感がでる映像じゃないと」
「うん。仕方ないね。リトライ!」
「ハァ……ハァ……」
二回目の全力疾走を終え、俺は河川敷の柔らかい草の上で寝転んだ。風が気持ち良いが、心臓が高鳴って鎮まらない。
「どう?」
「さっきよりは、よくなりましたが、なんか手振れが酷いです」
「やっぱり?わたしもそう思った。でもどうしようもないよね」
「あ、誰かの頭の上を固定して、それを軸にすればどうでしょう?」
「その案採用、ということでリトライ!」
「ちょっ……」
暑い、汗が止まらない。
ゾンビのようにふらふらな俺。労ることのない監督は、あろうことか若干引きぎみに俺を見つめている。
「ちょっ、はぁ、待てや」
「うわっ、郁次郎! 汗すごっ!」
「お前ら、勝手に話すすめんな。はぁ、もう、限界」
「まぁまぁ、次でラストだからさ」
「ほんとだな? 絶対だぞ」
重たい足を引き摺ってスタート位置まで戻る。
「よーい」
谷崎が遠くで手をあげ、
「どん!」
降り下ろすと同時に地面を蹴って駆け出す。三回目のダッシュ。さすがにへとへとだ。
「郁次郎!もっとちゃんと腕ふって!そう!走って郁次郎!もっと走って」
なんかフォレストガンプみたいになってきた。
「っ……ハァ……ハァ…ハァ」
限界。もう動けない。肺が痛い。
「あー」
「あー」
「あー」
動画チェックしていた谷崎佐奈先輩瑠花の三人が同時に声をあげた。
「……え? っ、なに、ど、どうしたの?」
「アウトー!」
「は?」
少なくとも心臓は爆発寸前だ。
「風に靡いた私の髪が映っちゃってます」
「し、知らねー、はぁ、っよ!」
「人の頭を土台にするってアイディアはよかったんですけどね」
「え、どうにかできないの?」
「んー、撮り直しですかね」
「……」
このあと三回、走らされた。
シャツが汗で濡れて気持ち悪い。大体俺は根っからの文系で体育会系とは相容れないのだ。全力疾走だって、体育祭くらいでしかやったことない。
へとへとになりながらも、 見上げた空は嘘のように青く済んでいた。ああ、鳥になりたい。
「んじゃあ、次はねぇ、触れそうで触れない微妙な距離感のやつ撮ろうか」
爆睡する愛流の横に倒れる俺、それに視線をちらりともやらず谷崎は続けた。
「はい、佐奈ちゃん、瑠花、ちょっと向かい合うように立って」
「こうですか?」
「そうそう」
指示されたように動く二人。さっきの監督の言葉を理解できていない俺はこれから何が起こるのか興味津々に観察してみることにした。
「はい、二人とも手を伸ばす!」
「?」
ティロリン、とムービー始動音が谷崎の握りしめた携帯から響く。言われたとおりに手を伸ばす二人。
「カッートっ!」
「え、なんでですか」
言われたとおりやったのにね。
「いまいちわかってないみたいだから説明するけど、こうよ、こう!」
谷崎は胸ポケットに素早く携帯をしまうと、自分の両手を使って謎の儀式を始めた。
「こーーーう、近づくでしょ」
ちょん、と指先をつけ、
「すると、びゅん、と離れるの」
ポテチの袋を破こうとして失敗したみたいに両手を真横にビュンと広げた。意味がわからなかった。
「え、どういうことですか?」
「だからー、こう、ヒロインを救おうとしたヒーローが手を伸ばすけど届かない的な」
「あー、少しだけわかった気がします」
まじで? 俺全然理解できないよ。
「はい、じゃあもう一回始めるわよー」
ティロリンと音がなって撮影開始。
手をそっと伸ばす先輩と瑠花の二人。
指先がちょっと触れた刹那、すぐに引っ込める。暑い鍋を間違って触ってしまったみたいだ。もうわけわからん、なに撮りたいのかミジンコも伝わってこない。
「オーケーオーケ」
それでも監督は色々と納得しているらしい。溢れる汗が止まらない俺は横で直射日光に寝苦しそうに唸る愛流の観察をするほうが有意義だと悟り実行することにした。
はだけた洋服がまたグッド。小一時間見ていられる。
「次、床がガラスみたいにパァンと割れるやつやろうか」
「えー、無理ですよ。非現実的です」
「あとでCGでどうにかするから」
「え、そんな技術あるんですか?」
「あるよー。ねぇ、助監督」
「頑張れば、きっと、出来る。気がする」
「絶対無理ですよぉ」
眉間に皺寄せ、暑さに唸りながらも睡眠をとる少女、流れる汗と捲れ上がったシャツから覗くおへそとか最高だ。
「はい、じゃあ、地面割れたと思ってアタフタしてみて」
ティロリーン。
「え、わ、やぁ」
しっかりとした大地の上ででき損ないのコサックダンスを踊る瑠花。うん、はだけたシャツを観察するほうが喜びを見いだせるね!鎖骨がグッド。
「おーし、次は鳥が大空に向かって飛ぶやつ撮ろーう」
「じゃあ、私がカメラやりますね。ちょうどあそこに鳩が集まってますし、少し驚かせて羽ばたかせましょう」
「了解ー。やぁー」
鳩の群れに小学生みたいに飛び込む谷崎を見るより、熱い吐息を漏らしながらも夢の世界にしがみつく愛流のほうがソーグッド。
「じゃあ次は剣劇ね。ほらちょうどテンション上がるような流木が二本も落ちてる!」
谷崎は河原に流れ着いた竹刀のような棒を拾い上げた。一本を佐奈先輩に手渡し、向かい合う。
「これはオープニングの一番の盛り上がりに持ってくる重要なシーンよ! 気合い入れてやりましょう!」
「佐奈、がんばる」
太陽をきらきらと反射する川面は宝石のようで美しかった。それでも漂うのは生ゴミくささ。俺がいま声を大にして伝えたいのは見た目が綺麗でも中身が残念だと、台無しだよねってこと。
「瑠花、撮影よろしくね」
「任せてください!」
携帯を手渡し、剣(落ちてた棒)を構える谷崎と先輩。
「軽く設定案を述べるとね。私が勇者で佐奈ちゃんがライバル兼魔王なの。オープニングで切り合ってその存在をアピールするのよ」
「わかった」
お前ほんとにそういうの好きだなぁ。
ティロリーン、という音がすると同時に谷崎は一気に先輩に詰め寄り、殺陣もどきを行い始めた。
繰り出される一撃をぽんぽん弾き合い、二人は楽しそうに棒を振るう。
「くくく成長したな」
オープニングとか言ってたのに台詞を入れるノリノリの佐奈先輩。
「うぉー、私はお前を倒し、自由を取り戻す!」
谷崎、そんなことしなくてもお前は充分自由だよ。
「佐奈はこんなところで負けるわけにはいかない。父のかたき」
あれぇ、先輩悪役じゃないの?
「あ、ずるい。わたしだって支えてくれた仲間のためにも負けるわけにはいかないんだから!」
「平和な時代を築く。そうアイツと約束した」
「師匠から受け継いだ技をいま見せてあげるわ!」
「殺られていったみんなの魂を佐奈は受け継いでいる」
「お前を倒しこの地上を去る!」
どっちも自分が正しいと思ってるんだよ。戦争なんてそんなもんだ。
俺は茶番を繰り広げる二人より愛流の観察で忙しかった。
「よーし、最後は全員集合のカットね」
谷崎は額の汗を手の甲で拭いながら、携帯を近くにあったゴミ箱の上に設置した。
「タイマーで写真とるから思い思いのポーズをとってね」
「あ、オープニングの一番最後でかっこつけて全員集合してるやつですね」
「そうそうそれそれ。それ撮りたいから、カッコいいポーズよろしくね。これに[ご覧のスポンサー]載せるから大事な一枚よ。失敗した人には[提供]の文字を被せるから」
いそいそと携帯のカメラ設定を弄る谷崎。
俺たちはいまだに仰向けで眠っている愛流を前に集まった。カジキマグロが釣れたみたいになってる。
「じゃあ、佐奈はこうするから瑠花はこうで」
「わかりました」
ただ棒立ちの俺の横で相談を重ねる先輩と瑠花。仲良いね。
「おーし、30秒後にシャッターよー」
言うと同時に谷崎は駆け出し、俺たちに加わった。
「ところで佐奈ちゃんと瑠花はなにやってるの?」
「アナスイ立ち」
祝福しろってか。
「私はダイバーダウンです」
「……瑠花はそれでいいの?」
「わたし、ダイバーダウン好きですし……。それより琴音はなんで背中向けてるんですか?」
谷崎はカメラに対して背中をむけ、腰に手をあてていた。
「男なら背中で語れぇ」
お前女だろ。
「郁次郎はどんなポーズとるのよ?」
後ろを向きながら尋ねられた。
俺はいまだに棒立ちである。
「あ、いや」
ジョギングしているおっさんは、不審者でも見るように俺たちを観察している。犬の散歩している老人が妖怪でも見たように目を丸くしていた。子供連れのお母さんは子供の目を必死にそらしている。
30秒は長い。長すぎるよ。永遠に感じられるほどだよ。
カメラの前でポーズをとる俺たちはひどく滑稽な存在だった。
変な立ち方してる人にそのスタンド、反対方向を向く人に、寝そべってイビキかいてる女の子……客観視してみるとカオスとしか良いようのない状況だった。
シャッターが降りる前のカウントダウンが始まった。
俺は慌ててピースサインをつくり、カメラに向けた。