26:サナと奏でるシンフォニー
寒い。とても寒い。春よはやくこい。
夏休みにはいって十日ほどたったある日。世の中の喧騒とは無縁な感じで、今日も今日とてクーラーがんがんの部屋にこもる。ゲームしていると、携帯が着信を知らせるバイブに震えた。
画面を確認すると差出人は佐奈先輩だった。
『コンチワッス---(人*`ω゜)*:・゜---☆ぃくじろぉー夏休みどぉーφ(゜゜)ノ゜?サナは暑さでへとへとぉ(´Д`*)
ところでε(*´・ω・)з♪カラオ ケ♪いかなぃ??p(*^-^*)q
ヒマなら4649(*≧∀≦)(≧∀≦*)ネー♪』
ちょっと意味がわからなかったので、携帯をベッドに放り投げて、ゲームプレイを続行することにした。
指輪を装備し忘れて死んでしまったところで、再び携帯が震えた。電話である。数回目のゲームオーバに苛立ちながら通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『……』
「もしもし?」
『……』
「いまホラーゲームはプレイしてません。切りますよ」
無言電話とか悪趣味にもほどがあるだろ。
『いっ、郁次郎。佐奈、です』
「あぁー、先輩? どうしたんですか?」
『メール』
「ん?」
『メール、見た?』
「あー、さっききたやつですか? あんまり目を通してないんで」
『行こう』
「え?」
『カラオケに行こう』
「はぁ」
『い、いってみよう。やってみよう!』
カラオケね。カラオケ……。
可愛い女子に誘われてゲームを優先するやつがあろうはずがない。
ささっと支度して駅にダッシュした俺を、麦わら帽子被った佐奈先輩が出迎えてくれた。
高校生にもなって麦わら帽子とか、って思ったのも一瞬、もしかしたらそれが流行のファッションなのではないかと錯覚してしまうほど似合っていた。
「ひ、ひさしぶり」
もじもじと佐奈先輩は身体をくねらせ、俺の肩を叩いた。
「へん、かな」
「あ、いえ、全然、ふつうに可愛いです。その麦わ……ストローハットとか」
と、呟いたところで気がついた。この帽子、田舎のおばちゃんが畑仕事するときに被るやつみたいに縁からタオルが垂れてるよ。
「……個性的で素敵です」
「ぁ、ぁりがと」
うん、可愛ければいいよね。
駅前のカラオケだから多少は待つことになるだろうと考えていたが、思ったよりすんなり案内された。
受付で手続きし、部屋へマイクと伝票をもって移動しようとしたとき、
「郁次郎、郁次郎!」
佐奈先輩がドリングバーの機械の前で存外大きな声をあげた。
「あ、そうだった。ドリングバーつきですよ」
「これが、うわさのっ」
「ん? ドリングバーですよ」
「の、飲み放題かな!?」
「そりゃまぁ」
「な、なに飲もうかな?」
なんでそんなテンション上がってんの? 散歩前の犬みたいになってるよ。
「好きなの入れたらいいんじゃないっすか?」
アクビをしながらコップにジュースを注ぐ。
観察するようにこちらを見つめる先輩。くりくりとした丸い瞳が好奇心で充たされている。
「……」
おい、尋常じゃないくらい見られてるんだけど。
「あの、先輩?」
「……」
「なんすか?」
「郁次郎、ミックス……」
「なに?」
すっごい寂しそうな声でこちらをじっと見つめている。
「ドリングバーはミックスジュース作らなきゃいけないんだよ」
それをね、勘違いっていうんだよ。
「作らないの?」
「もしかして混ぜろって言ってるんですか?」
「うん」
「いやですよ。こういうのはなんだかんだで単品が一番おいしいんです」
「佐奈はそうは思わない」
真っ向から否定された。
「佐奈ブレンドを見せてやるっ」
「はぁ……」
いつになくやる気の佐奈先輩。あれはわざわざ持ってきたノーパソにゲームをインストールしてるとき以来の真剣な目だ。
「まずベースを決める」
並んでいるボタンをじっと見つめる。
「………」
穴が空かんばかりにじっと見つめている。
「…………………」
なげぇよ。
「決めた」
ドリングバーのコップを美味しいお水の注ぎ口につける先輩。
「水かよ」
「うぉーたー」
「だから水だろ」
「水は命の源。HPも回復する」
「水になんか注いでも味が薄くなるだけでしょ」
「一理ある」
一理どころか真理だよ。
「だけどわたしは常識という枠組みに可能性を潰されたくない」
「まあ、飲むのは先輩だからなんでもいいですけど」
先輩は半ばふて腐れた表情でコップに水を入れ終わった。それを可愛らしく両手で持つ。
それからまた並んでいるボタンをじっと見つめている。
「……」
穴が空かんばかりにじっと見つめる。
「…………」
さっきと同じことの繰り返しだ。
「…………………」
なげぇよ。
「早くしてくださいよ」
「いますごい悩んでいる」
「そうですか。何を悩む必要があるんですか」
「水にあうのがなにか」
「全部合うよ」
ジュースは液体で水分だよ。
「決めた」
先輩はアイスティーのガムシロップを掴むと、三つほど水に溶かした。
「な、なにしてはるんですか?」
標準語を忘れるレベルの暴挙だ。
「佐奈は色のついた液体が好きじゃない」
「ならスプラ○トにすりゃあ」
「炭酸も嫌い。甘いものは好き」
やっばこの人変な人や。それただの砂糖水だかんな。
二人でコップもって指定された部屋に移動する。佐奈先輩だから忘れてたけど冷静に考えてみると、相手はうら若き乙女。しかも美人。そんな人と個室で二人っきりって間違いがあってしかるべきなんじゃあないですかっ!?
そんな俺の邪な思いを部屋について早々先輩は打ち崩した。
「こ、これ」
「え?」
先輩が持っていたのはマラカスとタンバリンだった。片手にコップ、片手にマラカス、肩にタンバリン。あんたはマサルさんか。
「これで盛り上がる」
それら道具をテーブルの上に置いて鼻息を荒く宣言する。
うんそう間違ってないよ。ただね
「俺たちそういうタイプじゃないでしょ……」
間違ってたのは、俺たちだ。
「え?」
「いや、だからそういう道具って、クラスのおちゃらけたやつが使うやつだから、こう、俺と先輩みたいなタイプだと宝の持ち腐れというか」
「……」
先輩はマラカスを二三回振った。
「……ぃぇーぃ」
無茶だ!全部小文字のあんたには無理すぎる!
「で、先輩なに唄うんですか?」
肩にかけた鞄をおろしながら尋ねてみる。
「んん。ドスプリの新オープニングを歌おう」
「は?」
ドスプリこと魔法少女どす恋プリンとはーー、夕方放映されている萌え、いや燃えアニメの決定版である。主人公どす子と仲間たちの土俵際の駆け引きに手に汗にぎるのだ。拳で殴るのは反則!
ちなみに先輩と俺はこのアニメの熱狂的なファンである。
「あ、アニソン?」
「うん。ずっとドスプリを歌いたかった」
「いや、ほら、他にもあるじゃないですか。たとえば流行りの女性シンガーのラブソングとか、あとでゅ、デュエットとか」
「うん?」
なにそれって顔やめて。
「佐奈はアニソンとゲーム音楽しかしらないし、歌えない」
「そんな馬鹿な」
「今日は、はじめてカラオケに来たのでキンチョーしてうまく歌えるかわからないけど」
「え、カラオケ始めてきたんですか!?」
この歳でそれは珍しい。先輩は無言で頷いた。
「そ、そうなんですか」
「こんど瑠花と愛流と琴音とカラオケ行くから今日はその練習」
「……」
うわぁ、一番むなしいやつだ。
もういい先輩がその気なら、俺も一切気にせず自分の好きな曲入れまくってやる!
「じゃ、はい」
先輩は俺にマイクを一本手渡した。
おっ、まさか一緒に歌おうというのか!
「郁次郎、ドスプリの新オープニングおねがい」
「あっ、はい!」
うぉー、テンション上がったきたぁ!
「……」
「……」
不動。
「……先輩、曲いれないんですか?」
「うん、だから郁次郎、新オープニング歌ってよ」
「あ、じゃあ入力おねがいします」
入力機はまだ出していないので、俺の位置からでは手が届かない。
「……はやくイントロ」
「はい?」
「イントロやってよ」
「やる?」
ん? 意味がわかんないぞ。
「どゆこと?」
「だから、トゥトゥルトゥトゥはっけよーい! って」
「え?ま、まさか口で演れ、ってことですか?」
「うん」
えー、まさかだろぉ?
「いやいやいやなんでアカペラやんなきゃいけないんですか!?」
「マイクが二本ある」
「はい」
「一人が唄う」
「はい」
「一人がリズムを刻む」
「……はい」
「これがカラオケ」
「ちがぁう!」
なんでそんかわけわかんない勘違いしてんのこの人!?
「だってマイク二本あるんだよ」
「だからそれは二人で唄うとき用なんですよ」
「え、じゃあどうやって歌唄うの? リズムなし?」
俺は先輩に懇切丁寧にカラオケがなんたるかを教えてあげた。
「え、でも佐奈が観た歌ってみたの動画はアカペラだったよ」
「そりゃそういうやつだったんですよ」
「へぇ。紛らわしいものウプしないでほしい」
そりゃ御本人様にいえよ。
個室内は湿っぽくどことなくタバコの臭いが染み付いていて、独特の不快感に充ちていた。それでも一緒にいるのが女の子というだけで、一気に景色が華やいで見える。店員も「カップルかよ、うぜぇ。うわっ、カノジョさん美人!」という瞳だったのでちょっとした優越感だ。
皮のソファーに腰かけた先輩は、そんな俺の目を気にせず室内ををきょろきょろしている。
「なにしてるんですか?」
「あれがない」
「あれってなんですか?」
「曲がいっぱい載ってる本」
「あー、それならテレビの下にありますよ。まあ別になくても大丈夫ですけど」
「意味がわからない。佐奈は今日に備えてお祖父ちゃんにカラオケの極意を教えてもらった」
「なんで教わっといてアカペラとか言ってたんですか」
「……これ前に教えたよね、って言葉は子供の学ぶ意欲を削ぐと思うの」
忘れてたんだな。
「……いまは電子端末で曲をインプットするんです」
情報が一昔前の先輩のためにテレビの横に設置された端末を渡してあげる。
「こ、これ知ってる」
「はぁ」
「アイポッド」
せめてアイパッドって言ってほしかったなぁ。
先輩はモタモタと端末を操作していたが、さすがにそこは現代人、すぐに操作になれたらしく、ぱっぱっぱっと曲を入力した。
流れるイントロ。
って、これ
「国歌?」
「胸に手をあてて一緒に歌おう」
「な、なに歌おうと自由だけど、あのちょっと、それはご年配むけというか」
「……サッカーでも歌ってるよ? 体育祭でも」
「あ、そうですね」
まぁ、いいや。
そのあとは何だかんだで楽しかった。いやがらせに「月月火水木金金」と唄ったら「佐奈は毎日が日曜日」と無表情で返してきたり、コップの水を飲んであまりの甘さに顔をしかめてたり、一緒にアニソン唄ったり、
曲を通じて二人の距離がぐんと縮まった気がした。
個室から出て精算しに行くとき、先輩に本日の感想を訊いてみた。
「今日どうでした?」
きっとおれと同じように楽しかったと、言ってくれるに違いな、
「んー、そうだね」
「……」
「ドリングバーが楽しかった」
「あ、そうですか」
やっぱりこの人とは通じ合えない、と俺は静かに思った。