22:愛流ビー(1)
シリアスな空気を極力ぶち壊すようにギャグを入れます。流れぶったぎってごめんなさい。
三つの赤点の埋め合わせがようやく終わり、みんなより少し遅めのテスト休みを謳歌しようとロッカーで靴を履き替える。
埃臭さに咳き込みながら歩き出そうとしたところ、後ろから声をかけられた。
「郁次郎、一緒に帰ろう」
天王州愛流だった。
エントランスのガラス扉を押し開けるとムアッとした夏の空気が俺たち二人を取り囲んだ。
空には飛行機雲がまっすぐ延びて、広い世界に線を引いている。
「郁次郎、お願いがあるんだ」
カゲロウたゆたう通学路。くすんだブロック塀を背景に彼女はどことなしに緊張した面持ちで続けた。
「僕と付き合ってくれ」
「ん?」
アブラゼミうるさい。
「付き合うって、なに」
天王州愛流と?
おれが?
ふわふわとした長髪に利発そうな顔立ち、小柄だが巨乳。
本来なら逆立ちしたって付き合えないレベルの美人だ、が? え?
汗をだらだら流し無言のまま彼女を見つめる。俺の視線に気づいたのか、愛流はハッとしたように口を開けた。
「あ、違うぞ。郁次郎、付き合うってのはカップルになろうってことじゃなくてぇ」
「あ、あぁ、だよな。さすがにビックリしたよ。告白ってのはもっと雰囲気をみてやるもんだと思ってたからよ。いくらなんでも赤点補習の帰り道でするもんじゃないも」
「僕のカレシになってくれ」
「……!?」
アブラゼミうるさい。
「あ、違う違う」
「え、あ。そ、そうだよな。びっくりさせんなよ」
「カレシ役になってくれ」
「ん?」
カレシ役?
「どゆこと?」
「話せば長くなるんだが」
別に長くはならなかったが、立ち話もなんなので、近くの喫茶店で腰を落ち着けることにした。
彼女の話はこうだった。
一、親にテストの成績が悪かったことを咎められる。
二、名家の子息とのお見合いを持ちかけられる。
三、それは嫌なので付き合っている人がいることにする。
「わけが、わからない」
そのうえ話が見えない。
首を傾げる俺に愛流はやれやれといった風に肩を竦めた。
「だから、今回赤点とったことが親にばれるだろ」
「うん」
「怒られて、学校なんかやめてしまえ、って言われるだろ」
「うん」
「そしたらお見合い話を持ちかけられたんだ」
「いやその理屈はおかしい」
どこの世界にテストがダメだったら、結婚するバカがいるんだよ。
「学校やめて結婚しろって、えーと、親に言われたんだよね」
「そうだよ。こないだ16歳になったからね」
「大正とか明治の話か?」
「ところがどっこい平成です。これが現実」
店内の小粋なジャズに混じって彼女は小さなため息をついた。コーヒーの豊かな香りが俺に落ち着けと語りかけてくる。
「親も冗談で言ってるだけだろ」
「そうだったらどれだけよかったことか。このままじゃとんとん拍子に話が進んじゃうんだ」
「断ればいいだろぉ。意味わかんねぇ」
「相手の立場が上だからそううまくいかないんだよ」
「え、政略結婚的な?」
愛流は小さく頷いてから、テーブルに出されたルーズリーフにさらさらと何かを書き始めた。
「郁次郎は『水際の六名家』というものを知ってるか?」
「いや、なにそれ。みずぎ、わ?」
んー。ちょっとまって、名家なのに水際なの? ん?
「この水際六家には明確な序列が決められていて、今度のお見合い相手は天王州より立場が上なんだ」
背筋に鳥肌がたち始めた。冷房を効かせ過ぎではないだろうか。
「おかしいな。現代日本の女子高生と話してるはずだったのに」
「僕だってこんな古い体制には飽き飽きしてるんだ。ほら、これ」
一位 御茶ノ水。
二位 水道橋。
三位 矢口渡。
四位 沼袋。
五位 天王州。
六位 鳥山。
彼女から差し出された紙には序列が綴られていた。
「どう思う?」
「頭おかしいと思う」
「だろぉー? いくら親でも子どもの人権くらい守ってほしいよなぁ」
俺が頭おかしい言ったのはその水際六家の方についてだ。ラノベかなんかの設定案かよ。
「そんでお見合い相手はどれなんだ?」
「序列四位の沼袋だよ」
なるほど。俺には駅名一覧にしか見えないけどね。
「相手がまた最低なやつなんだ」
「ほう」
「沼袋尾泥って名前なんだけどさ」
「……」
「親の力を自分の力と勘違いしている豚やろうなんだ」
「酷いな」
「だろー?」
俺が酷いっといったのは汚泥という名前に対してだ。
「だからどうにかしてこのお見合いをオジャンにしたいわけ。協力してほしいんだ」
「カレシのふりってやつ?」
「そうそう」
ストローをくわえオレンジジュースを美味しそうにすすってから彼女は続けた。
「親に会って、『愛流とお付き合いさせてもらってます』って言うだけの簡単なお仕事」
「いやだよ。なんで俺がそんなことしなきゃなんないの」
「頼むよ郁次郎。仲間だろ」
「お前そんな友情にあついキャラじゃなかっただろ」
「うるせェ!!!いこう!!!」
「黙れよ」
「……ごめん」
「いや……」
アイスコーヒーで喉を潤す。苦い。見栄張らずにカフェラテとかにしとけばよかった。
「ともかくさ、俺にそんな大役無理だって」
手垢がついて見向きもしないレベルの設定だ。リアルで起こりうるとは思わなかったけど。
「そう言わないでくれよー。君だけが頼りなんだ」
「他のやつに頼めばいいだろ」
「友達がいないんだ」
「……」
「男友達なんて、もってのほか」
「……なんか、ごめん」
「いや……」
俺たち二人は同じタイミングでコップを傾け喉を潤した。
「ともかくお願いだよ!ほんとに困ってるんだ」
「そうはいっても俺にメリットないし」
「一瞬でもこんな美少女のカレシになれるんだ。こんな名誉なことはないだろ」
「自分でいうなよ」
たしかにそうだけどさ。
「それに」
「うん?」
「協力してくれたら郁次郎の好感度が若干あがる」
「ほう」
人にもの頼む態度じゃないな。
「マイナスがプラスになるかもしれない」
「お前のなかで俺の評価はそこまで低いのか!」
「郁次郎はいまマイナスなんだ!ゼロに向かって歩いていきたい!」
「わかったわかったよ。手伝えばいいんだろ」
結局流されるんなら早い方がいい。
「本当かい!ありがとう!」
「いいってことよ」
けして好感度あげたいと思ったわけじゃない。断じて。
そんなこんなで次の日。
俺たちは学校の最寄り駅で待ち合わせし、愛流の住む町へと電車で揺られていた。赤いシートに腰掛け冷房にうとうとしかける俺に、隣に座る愛流は可愛らしくセットされた髪を右手で弄りながらぼそりと呟いた。
「郁次郎、その格好はなんだい?」
「なにって制服だが」
「きみねぇー」
長いため息をつかれる。
ふわふわした水色のワンピースに手すりにかけられた白い日傘、そりゃその格好に比べたら貧相かもしれないけどさ。
「彼女の両親に挨拶にいくんだよ。普通はスーツでしょ」
「うるせぇな。高校生の正装は制服だ。これでもけっこう考えてそういう結論に至ったんだぞ」
「乳首透けてる」
「なっ」
「嘘だけど」
「び、びびらせんなよ」
愛流の嘆息はどこか悩ましげでいつもにまして艶っぽかった。
学校から十駅ほど離れた場所に愛流の住む町がある。いつもは車で送迎されているらしいのだが、運転手は少し早めの夏休みを取得し、海外旅行に行っているので、しかたなしに今日は電車移動なのだそうだ。
駅前ロータリーを二人で歩いていると、高そうな車のウィンドウが開き、運転席の女性が愛流に手を挙げた。
「え、そんな、まさか」
愛流は目を見開きその女性をジッと見ている。ハンドルを握る女性は愛流を成長させたようなすっきりとした美人だった。姉だろうか?
「ナゴミさん!」
愛流はクリスマスプレゼントに駆け寄る子どものように無邪気な笑顔を浮かべて赤い車に駆け寄った。
「久しぶりじゃない。何年ぶりかしらね」
「こっち帰ってきてたんですか?」
「んふふー、親戚回りついでに高校の時の友達に会いにね 」
おいてけぼりにされた俺は手持ちぶさたな気分を誤魔化すように頭をかいた。
「乗りなさい。送ってくわよ」
「免許とったんですか?」
「最近ね。合宿免許だったんだけど、私の担当教官がほんと最悪なやつだったのよ。よかったことといえばイニ○ャルDが読破できたことくらいね」
愛流は俺には向けたことのないような笑顔を振り撒きながら、後部座席のドアを開けて車に乗り込んだ。
「そこの子も。ほら、遠慮しないで。なかなかイケメンじゃない。愛流やるわね」
俺のなかでナゴミさんの好感度が天を突き抜けた。
車内はアロマの匂いが満ちていたが、決して臭くはなく、むしろ気分が落ち着く類いのものだった。手慣れた手つきで端末を操作し、スピーカーからひと昔前の洋楽が流れ始める。なかなか良いセンスしているな。
「和水さん水際の六名家、序列二位の水道橋家の跡取りなんだ」
「あ、そうなんですか」
あんたもラノベ世界の住人か。
ふかふかシートから軽く腰を浮かせて小さく挨拶する。
愛流からの紹介を受け、至って平然とした顔つきのまま和水さんは続けた。
「よしてよ。水道橋家は関係ないわ。私は私、ただの和水」
なんか自分に酔った発言きたな。
「最近まで勘当されてたしね」
赤信号で停止する。
なんかちょっと空気が重い。
「そんなこと言わないでください。和水さんは私の憧れなんです」
恭しい愛流は一人称が「僕」から「私」になるくらい水道橋和水さんを敬っているだろう。
「家名の重責をはね除けて自由に飛び回る姿に私は衝撃を受けたんです。それでも見捨てられないのは一重に和水さんの人柄が」
「はいはいうるさい。もうすぐ天王州本家よ」
話を打ち切られた愛流はぶぅ垂れるように唇を尖らせた。
「それより聞いたわよ。えーと、雲野ジュウザくん、だっけ?」
「海野郁次郎です」
酷い間違え方だ。
「そうそう風野ヒューイくん」
「いえ海野ジュウザ、じゃない郁次郎です」
わざとだろ。
「海野郁次郎くん」
突然名前を呼ばれてギョッとしてしまう。
「愛流と付き合ってるんでしょ?」
あ、そうか。そういうことにしないといけないんだよな。
「はい。お付き合いさせてもらって」
「付き合ってない!」
「はぁ!?」
暴露したのは隣に座る愛流だった。俺に付き合ってることにしようと持ちかけたのは彼女のほうだ。
「え、どゆこと?」
眉間に皺寄せた和水さんがバックミラー越しに尋ねてきた。
「私、このままじゃ沼袋家の尾泥と結婚することになっちゃうんです!」
「あのブーちゃんと?」
美人二人からそんな呼ばれ方されるなんて、汚泥さんに同情だ。
「だから、お父様にいま付き合ってる人がいるから、お見合いを無しにしてもらおうと、隣の郁次郎に協力してもらってるんです」
「なるほどね」
和水さんはクスリと笑った。
「でもめんどくさいわね」
「え?」
「もう付き合っちゃえばいいのに」
「え、え? ありえないよ! 僕と郁次郎が付き合うなんか!」
愛流、地が出てるぞ。
「でもお似合いの二人よ」
そう言われて悪い気はしない。
「そっすかー」
「えぇ。どう、郁次郎くん? 逆玉なんて」
悪くないね。
「な、和水さん、ふざけないでください! 僕と郁次郎はそういう関係じゃなくて、純粋に部活仲間なんです!」
「めんどくさいわー。付き合っちゃいなよ」
和水さんはどんだけめんどくさいのだろう。
「もぉう、違うってばぁ」
顔を真っ赤に反論を行う愛流はなんだか楽しそうだった。
愛流の家はともかくでかかった。どのくらいでかいかというと東京ドーム五六個ぶんくらい。東京ドーム行ったことないし、適当に言ってみただけだからよくわからないけど、まあ、ともかく広大な面積を持っているわけだ。
主要言語が「でけぇ」になった俺に愛流は慣れた口調で「家が古いだけだ」と返すだけだった。
白い玉砂利が敷き詰められた和風庭園に、にょきり生える松の木から響くアブラゼミの鳴き声でさえ、都会で聞いたものと同じに思えないくらい風流に感じられる。靴下で歩く木目調の廊下でさえ、だんだんと高そうに見えてきた。あんまり長いこと、ここの空気を吸っていると庶民の世界が崩れてしまいそうだ。
和水さんとは門でお別れした。
「困ったことがあったら何でも言ってちょうだい」とトップガンのように親指をたてて去っていく様はとてもカッコよかったが、車内BGMはボディーガードでいろいろ惜しかった。
「郁次郎、ここがお父様の部屋だ」
どれくらい歩いただろうか。
俺たちは一つの襖の前にたどり着いていた。
「お父様、連れて参りました」
江戸時代にタイムスリップした気分だ。
俺はこれから七つの大罪を切り離したような人と対面しなくちゃいけないのだ、とてもじゃないが、愛流の好感度アップだけじゃわりにあわない。
襖をそっと開け、「失礼します」と言ってからなかに入る。顔をあげて驚いた。
部屋にいたのは委員長だった。
「……」
「リン!?」
三組の委員長こと愛流の双子の兄貴、天王州臨海がそこにいた。
「愛流。作戦は失敗だよ」
「どういうことだ、リン?」
委員長、家ではリンって、呼ばれてるんだねぇー、やーいやーい。とからかう気にもならない。
「すべてお見通しというわけさ。お父様は仕事で北海道に向かわれたよ」
「そんなどうして!?」
「手紙を預かっている。愛流と、……郁次郎くんの分だ」
そう言って彼は二枚の封筒を俺たちに差し出してきた。
「ちょっとまってくれよ委員長。話が見えないんだけど」
「郁次郎くん。悪かった」
微かに差し込む夏の日差しに照らされて、委員長の眼鏡の縁が白い光を反射する。
「愛流に今回の作戦を持ちかけたのは俺なんだ」
「えーと、どゆこと?」
「作戦名バッファロー99。恋人がいるフリしてお見合い台無し大作戦」
「んー??」
「君には迷惑をかけた。こんど飯をおごるよ」
「べつにいいけど焼き肉でお願いします」
委員長の手から手紙を受けとり、『愛流のカレシ役へ』と裏面に記載された方を残し、余りを愛流に渡す。
封を開け、なかの手紙をとりだし、内容に目を通す。
内容は娘が迷惑かけた謝罪と、
「っ!?」
「郁次郎!?」
谷崎のこと。
「大丈夫か? 郁次郎?」
「あぁ、平気平気」
グシャと握りつぶされた手紙と恐らく青くなっているだろう顔を見て愛流は心配そうに俺の肩を抱いた。
「うちの父は人を煽るのが好きなんだ。気分を害したのなら、私が謝る」
「いやぁ、どうってことねぇよ。立ちくらみしただけだって」
「……手紙にはなんて書いてあったんだい?」
「ん? まず、全部見抜かれてて、その事に関する謝罪と、もし仮に付き合ってる話が本当だとしても、娘はお前にやらん、的な」
「そうか」
彼女に説明した内容に間違いはない。つうか、よく調べ挙げたもんだ。俺の身辺なんて退屈極まりないだろうに。
「そっちは?」
「僕の方は」
彼女は手紙を広げてこちらに見えるようにした。
「お見合いの日時だよ」
テレビコマーシャル風に言うと、明日のこの時間だった。