18:サナと水平線上の悪魔(上)
可愛らしいダメ人間を書いたつもりが、いつのまにか、ただのクズに。
眠気というのは容赦なしに人をがんじがらめにする。
繰り返す毎日に嫌気がさしたのは俺だけじゃない。疲れた顔したサラリーマンでごった返す車内、つり革に捕まりながらひたすら教科書に視線を這わせた。
期末まで一週間をきった学校の雰囲気はピリピリとしていて、中三の受験期を思い出して嫌気がさす。もっと自由に生きたいものだ。カーブで揺れる度に、俺はやる気をレールの下敷きにしていく。
学校の最寄り駅についたので、開いた教科書を閉じて、今日という日の始まりにため息をつく。
これ以上範囲を増やしてくれるなよ、くそ教師ども。
昼食用の菓子パンを駅のコンビニで購入し、エスカレーターからを降りたところで龍生と一緒になった。
さぁ暑くなるぞ! と気合いだめしているお日様の下、とぼとぼと学校に向かって歩みを進める。通学路に溢れる学生たちの表情は、みな一様に暗いもので、まるでお通夜みたいな感じだった。
もうすぐ始まるテストにそなえて、二宮金次郎がごとく教科書を開きながら歩いているやつもいる。
「今日数学あったっけ 」
「あるね。数学もだけど、現国もある」
「まじかぁ。だりぃな、おい」
ちなみに俺は数学が、龍生は国語が苦手らしい。
会話は箸にも棒にもかからない不毛なものばかりで、どんなにテンション上げても、 得意技は空元気くらいにしかならない。
ため息しか出てこない状況下、校舎に続く長い坂道に差し掛かった辺りで、俺たちの視界にヤバイものが飛び込んできた。
スタンドをたてたママチャリの横にフルフェイスのヘルメットを被った人物が立っていた。
女子の制服を着て、おまけに背中にはドデカいリュックサックを背負っているから、頭のおかしさに拍車がかかっている。
「おい見ろよ龍生。イカれてるぜ」
「うん、ヤバイ。でもなんでボウッと突っ立ってるんだろうね、あの人」
「さぁな。頭がおかしい奴の考えることはよくわからん。相手しないで通り抜けるが吉だぜ」
学校に向かうにはその不審人物の前を通らなくてはならない。距離がつまってきたので、俺は小声になって龍生の耳元で囁いた。
「目ぇ合わせるなよ。ああいうやつは目があった瞬間襲いかかってくるんだ」
ポケモントレーナーのように。
「でもママチャリなのにヘルメットって、随分変わった人だよね」
「ああ、まったくだ。たく、学校の制服着てるってことは羽路高校の生徒なんだろうけど、あんな変人、ぜったい友達いないよな。いたとしても、変人の友達は変人に違いないぜ」
一メートル前方にその人物が迫ってきたので、俺と龍生は口を閉じた。
籠に学生鞄がいれてあるから、リュックサックの意味がわからないし、チャリにもかかわらずフルフェイスって、なにを考えているんだろ。
と、思っていたところ、すれ違う寸前に、その人物に袖を掴まれた。
心臓が跳ね上がる。おいおいおいおい!
「郁次郎……」
えー、なんでこの人俺の名前しってんの!?
隣に立つ龍生は「変人の友達は変人だもんね」という生暖かい視線を俺に寄越している。ち、違う!
「助けて……」
蚊の鳴くような声、
「え、佐奈先輩?」
無言で頷くフルフェイス。
諫山佐奈先輩は、二年三組所属の引きこもり少女で一年ダブっているので、年齢的には俺の二歳上ということになる。引きこもりにはもったいないほどの容姿端麗な残念美人だ。
「た、助けて、ってどうしたんですか」
「今日こそ、学校に行こうと思って、家を出た」
「あ、はい」
「でも坂道辛くて」
「はい?」
「登りきれないの」
「……」
何て声かけたらいいんだろう。
「すごい楽しい」
佐奈先輩を乗せたまま、左右に立つ俺と龍生がハンドルを握り、自転車を押してあげる。道幅一杯に広がって坂道を進んでいく自転車は迷惑千万に違いなかった。ここで俺が「佐奈を乗せたままこの坂を登りきるのが夢だッたんだ!」とか臭い台詞吐いたら、先輩は「足手まといはやだっ!」って応えて自転車を降りてくれるだろうか。たぶん無理だな。
巻き込まれた龍生は「FBIに捕まった宇宙人みたいだねぇ」と意味のわからない笑顔を浮かべている。大概こいつも変人だ。
坂を登りきり、学校についたので、ようやく先輩と別れられると安心していたところ、サドルから降りた先輩は歩調を俺たちに合わせはじめた。まじかよ、この人俺たちと一緒に登校する気まんまんだよ。車輪のからからと響く音が耳障りである。でも、フルフェイスだけは被ったままだ。
「先輩、ヘルメット脱いだらどうですか?」
「やだ」
「なんで? 蒸れるでしょ?」
「ぜったい脱がない」
会話が噛み合っていない。だからこの人苦手なんだ。
校門前には熱血生徒指導としてしられる永松先生が立っていた。俺たち三人の姿を見つけた瞬間ギョッとした表情で固まったのが、けっこう離れているのにわかった。
「絶対注意されるぜ、それ」
「き、強行突破」
「だからさぁー、脱げばいいじゃん。別に悪いことしてるわけじゃないんだから」
「自転車乗るときはヘルメットしろ、って、習ったもん」
不毛な会話を打ち切って、少しだけ距離をとって歩き始める。仲間と思われたくないからだ。
校門に仁王立ちしていた先生は、首を一度コキリとならすと、ゆっくりとこちらに向かってきた。
あー、ふつふつと怒りゲージが溜まっていってるのが目に見えてわかるよ。永松ティーチャー苦手だからあんまり絡まれたくないのになぁ。
「止まれ」
ほら呼び止められた。
「?」
無視して駐輪場に行こうとする彼女の肩をがっしりつかんで永松先生は続けた。
「お前なんだその格好は」
「……」
「おい、ふざけてんのか?」
「……」
「聞こえんのか!?」
シカト決め込む佐奈先輩に、朝の空気が凍りつくような怒号を響かせる先生。野次馬根性まるだしの学生たちが、遠巻きにこちらをうかがいながら、校門へと吸い込まれていく。
「クラスと名前いえ!」
「……じ、自転車の、のるときは、」
「あぁ!? もっとはっきりしゃべらんか!!」
「ひ」
「クラスと名前ぇ!」
「あ」
ひきつけを起こしたように佐奈先輩はぼそりと続けた。
「う、海野……い、郁子です」
く、くそあま!!海野は俺の名字じゃねぇか! なにさらりと偽名使ってんだ!?
「クラスは!?」
「い、一年、」
すっ、とこっちを向くヘルメット。さっ、と目をそらす。俺のクラス番号が分かんなくて困ってんだな。
やめてほしい。仲間と思われる。大体永松先生に偽名を申請するなんて馬鹿すぎるお前が悪いんだ。
「一年のなん組だ!?」
「い、一年」
「はやく言わんか!」
「い、いいいい一年は組です!」
「あぁ!?」
うちの学校クラス番号『いろはに』じゃねぇよ。
「ふざけてんのか?あぁ!?」
教壇に立つものとは思えないあらぶった口調で、顔を真っ赤に、怒鳴り付ける永松先生。一般生徒に柔道部顧問特有の怒気を押し付けないでほしい。
まあ、思っても口には出さないけどね。佐奈先輩の自業自得。
完璧傍観者を決め込もうとしていた俺の横で、ぼんやり突っ立ていた龍生が一歩先生の方へ進んだ。
「先生」
「あ?なんだ。いまこいつと話をしてんだ。あとにせい」
至ってクールな顔つきで龍生は続ける。
「あの、そう思って待ってたんですけど、話が長くなりそうだったので」
「あぁ?どうした」
ガタガタ震える佐奈先輩から、視線を外した先生に龍生は淡々と言葉を紡いだ。
「通学路の坂を下った先の交差点でうちの生徒が交通事故に巻き込まれたみたいでして」
「なに!?」
「それで運転手の人とその生徒が揉めてて、一応先生を呼んでこようかと」
「ほんとうか!?」
「はい。接触事故のようです」
「んー」
気難しい唸り声を上げて、佐奈先輩の方を向いた先生は、
「お前はヘルメットをとって昼休み先生のところへ来い!」
と、注意をしてから「こっちです」と小走りで、もと来た道を戻り始めた龍生に続いて去っていった。
ほぅ。
龍生クールだなぁ。もちろん事故なんて起こってない。佐奈先輩を助けるためにしれっと嘘をはくなんて、やるなぁあいつ。なにがすごいって、佐奈先輩の素顔を知らないのにもに関わらず、得たいの知れない女の子を助けるために咄嗟に嘘をついた、ってところだ。いやぁ、ああいうやつが主人公とかになるんだろうなぁ、と彼と先生の背中を見送ってから、俺は未だに小刻みに震える佐奈先輩の肩を叩いた。
「ほら、先輩。龍生のおかげで助かりましたよ。教室いきましょう」
「う、う。よ、呼び出しを食らってしまった。せ、先生のところってどこにいけばいいんだろう。体育館裏とかかな」
「職員室に決まってんでしょ」
「憂鬱過ぎる。佐奈はもうすでに帰りたい……」
「シカトすりゃいいじゃないですか、向こうはこっちの顔しらないんだし」
「……なるほど。郁次郎、頭いい」
「いや、まあ」
いそいそと駐輪場に自転車を止めにいこうとする先輩と別れて校舎に向かう。やれやれようやく人心地つくな、って思ったら、即刻肩を叩かれた。佐奈先輩だった。超スピードでチャリを止めてきたらしい。肩が上下し、息が切れている。なんなの?なんでそんなに俺に付きまとうの?
と文句はついてもつききれないけど、しかたなしに一緒にエントランスのガラス扉を開けた。
途端に行き交う生徒たちの視線を一身に浴びる佐奈先輩。これだけ目立つ格好してたら当たり前である。いい加減メットとれよ。
「う、うっ」
自分で蒔いた種にも関わらず、先輩は肩を抱いてガクガクと震えだした。
「どうしたんですか」
「み、見られてる」
「いや、そりゃそうでしょう」
「な、なんで」
「学校にヘルメット被った女生徒が現れりゃ注目浴びるでしょ」
「で、でもこの距離から見られてることがわかるってことは、その程度の奴等って、こと」
「意味わかんねぇよ」
「……」
数秒の沈黙が落ちる。
ひょっとして今のゲーム始めたばかりの殺し屋少年のオマージュだったん? わかりづらいわ!
俺からの突っ込みをいただけなかった佐奈先輩は、寂しそうな瞳(だと思う。なにぶんヘルメット被ってるもんで)を向け、呟くみたいに言った。
「激しい喜びはいらない、その代わり深い絶望もいらない。植物のように生きることが私の目的だったのに」
「連続爆殺者みたいな思考を実行したいなら、もっと目立たない格好すべきですよ」
「目立たない格好?」
そう言ってうつむき、自分の姿を確認する。
「目立たない格好」
どうよ? みたいに言うのやめてよ!
「どう考えてもそれは目立つ格好だよ。まずヘルメット、それからリュックサック。合同会社説明会にパジャマで行くようなもんだよ。他の生徒に紛れるように普通の格好しろって」
「わ、私が引きこもったら半年間で、世間との常識はずれていってしまったらしい」
「半年じゃそんな変わんねぇし、第一制服は時流とは無関係だろう」
「つ、つまり郁次郎は、リュックサックとヘルメットをとれば、この視線の嵐から逃げ出せると」
「イグザクリー(その通りでございます)」
「わかった。従おう。他人の視線を防ぐために被ったヘルメットが、まさか原因だったなんて」
そういう用途でつけてたんなら大分普通の認識とズレてるよ。コノハムシやナナフシがコンクリートジャングルに擬態できると思ってんの? アスファルト跳び跳ねる飛び魚以前の問題だよ! 擬態ならもっとうまくやれよ!
効果音をつけるならファサァがしっくり来るだろう。そんなオノマトベを発動しながら佐奈先輩はヘルメットをとった。
澄んだ眼差しにきめ細かい白い肌、眉目秀麗を体現するかのように整った目鼻立ち。これで性格があれじゃなきゃ完璧なのに。
「……」
周りから感嘆の息がもれた。朝の喧騒に混じって、彼女に対してのざわめきが起こる。
当たり前だ。フルフェイスで顔隠した頭おかしいやつがいるって思って見てたら、素顔がとんでもない美人だったんだから。
「……」
でも佐奈先輩は俺のことをジッと見つめたまま口を開かない。
「……先輩? 教室行きましょうよ」
「い、郁次郎さんは告罪されました」
「はあ?」
「う、嘘つき。評価2!」
不機嫌そうに頬を膨らませる先輩。可愛らしい所作だが、そんなこと言われても困る。
「ヘルメットを脱いだのに視線を依然感じる」
「……とりあえず、教室いきましょうか」
なんかもうこの人根本的にダメだな。自分が目立つ容姿だって理解できてないのかもしれない。
「んじゃあ、一年こっちなんで」
一年と二年では棟が違うので、渡り廊下で別れようとしたら、潤んだ瞳でギュッと袖を掴まれた。
「きて」
「は?」
なにそのちょっと男心を擽る発言。
「ついてきて」
「え、先輩の教室にですか?」
首肯する。顔をあげ、またジッと媚びるように俺を見つめる。心が揺らがなかったといえば嘘になる。
「いやですよ。なんな用もないのになんで先輩の教室にいかないといけないんですか」
「よ、用ならあるし」
拗ねた子どものように唇を尖らせて先輩は背負ったリュックサックを床に下ろし、ごそごそと中をいじり始めた。ちなみにヘルメットはロッカーに置いてきました。
「なんなんすか。もう早く自分の教室に行きたいんですけ、」
「はい。これ」
「どぅわぁぁーー!?」
差し出されたのは18禁ゲームのパッケージ。しかも鬼畜系で、パッケージには二次元の女の子たちの霰もない姿が印刷されている。縄で縛られてるよっ!
「な、な、な、なんなんすか、突然!?早くしまってくださいよ!」
慌てて鞄にそれをリリース。
「これは私のオススメ。是非郁次郎にプレイしてほしくて持ってきた」
「時と場所を選んでくださいよ!大体俺、そういうのプレイする気ありませんから! 」
「なぜ? 佐奈は郁次郎と感動を共有したいだけなのに」
「いやいやいやなんで先輩とそんな鬼畜系ものの感想を言い合わないといけないんですか」
「鬼畜?」
首を捻りながら再びリュックをほじくりまわし、
「間違えた。こっちだった。そっちは抜きゲーで私にはよくわからないけど、男の子はこういうのが好きなんでしょ?」
きらいではないけどね。
「って違いますよ先輩! 俺はゲームにエッチなのは求めてません!」
「そのパターンも考えて持ってきといた。これ。シナリオが神。正直エロは不要。ラスト五分に全米が泣く。郁次郎なら楽しめると思う」
別の一本を差し出された。それも慌ててリリースする俺。先輩と手が触れあうがなんのロマンスもない。
「何本入ってるんだよ!?」
お前の鞄はパズーの鞄か!
「とりあえず、四本、メンバー分持ってきた。みんな気に入ってくれると嬉しいな」
頬を赤くし、もじもじと手を絡ませる佐奈先輩。いろいろと認識がズレてる。大体鬼畜系は誰に渡そうとして……瑠花だな。
「あ、ダメですよ先輩。肝心なこと忘れてたけど、俺らまだ18歳未満だからそういうのプレイできないんですよ」
「? 年齢なんて飾りだよ?」
「いやいや、一応健全な青少年代表としてね、よくないと」
あんたはいいよ。一年ダブった二年生だから、18歳以上で。
「き、気にしない。作中の登場人物だって何人か年齢誤魔化してそうな人いっぱいいるから問題ないって」
あー、なんか確固たる意思を感じる。絶対プレイしてほしいのだろう。好きなものを好きというのは勝手だけど、人に押し付けないでほしいなぁ。
なんか適当に言い訳しないとな。
「あ、そうだ。ウチのパソコン家族共用なんで、ちょっと無理かなぁ」
なんてベストな言い訳だろう。嘘だけど、これで引き下がらないやつはいない、はず。
とほくそえむ俺よりもにやけた佐奈先輩は、
「これは家族愛が根幹のテーマで、是非ともご両親と一緒に遊んでほしい」
「できるかぁ! 家族の前でそんなん」
ふふん、と鼻で笑い、
「まぁ、佐奈に抜かりはない。安心して」
リュックの口を大きく開け、
「ノーパソも持ってきた」
あんた娯楽ら部をなんだと思ってるんだ!?
冷静に考えれば渡り廊下でソフトを受け取ってそこで別れればよかったのだけど、なんだかんだで流されるうちに先輩の教室まで付き添うことになっていた。
すれ違う生徒や廊下で談笑する生徒たちは、先輩を視界におさめる度に、おしゃべりをピタッとやめ、彼女の美貌に目を奪われている。
「う、うぅ」
いくらうつむいても溢れでるオーラは押さえきれないらしい。彼女は降り注ぐ視線の矢に辟易しているけど、俺はそんな美人の隣に立てて優越感だ。変人相手だから、たまにはこんな役得ありかもしれない。