16:サナに理由も言うべきか(3)
「だ、だまされた。まさに孔明のワナ!」
開口一番口をワナワナさせて、叫ぶ。谷崎はにっこり笑いながら、敷居と扉との間に足をいれ、再びドアが閉じられないようにしている。違法セールスマンか、おのれは。
「さあ、落ち着いて話をしようじゃない!」
「あ……」
「佐奈ちゃん?」
「い、一ヶ月ぶりに人と会話するからうまく、こ、言葉が思い出せない」
なんかもういろいろと末期だよ。
諫山先輩は何度か深呼吸し、ようやく落ち着きを取り戻した。
「わかった。話は聞く。入って」
小動物を思わせるたどたどしい口調で諫山先輩は俺たちを自分の部屋に案内した。
「あの、話なら下の階でも」
「汚いけど、リビングよりはまし。今日は調子が悪いから、ホーム以外だと喋れなくなる」
「えー、なにそれ」
部屋は散乱としていた。スナック菓子の袋や、空のペットボトル容器に、漫画本が至るところに散らばっている。そのくせパソコン回りだけが異様に片付いていた。
女子の部屋とは思えないくらい殺伐としている。
「さ、座って」
「……どこに」
「そこらへん」
彼女は戸惑う俺たちをおいてけぼりにし、机の前の椅子に腰掛けた。
「そ、それであなたたちは何しに来たの? いちゃつくなら駅前のラブホテル街でして」
「えー、違うよ、佐奈ちゃんー、私と郁次郎はそういう関係じゃないってー」
「んじゃ、お金だけの関係?」
「ただの部活仲間だってぇ」
女同士のなんとも言えぬ会話に付け入る隙などない。
やることないので、耳だけ二人に向けたまま、俺は静かに室内を見渡した。
ムッツリスケベらしい密やかなる好奇心だったが、積み上げられた漫画の塔の向こう側に、どこからどうみても18歳未満はプレイしちゃいけないゲームのパッケージが山になって置いてあった。えー、なんか幻滅。
女の人でもあんなのに興味持つんだなぁ、とぼんやり考える俺の横で谷崎がワンオクターブ声を高くして続けた。
「それじゃあ、本題に入るわね。ずばり私たちはあなたをこの生活から脱却させるべく使わされたの」
「学校からの刺客?」
「いいえ、天使よ」
「……悪魔」
「む?」
「佐奈の幸福な生活を脅かすのは、名伏し難し悪魔の所業」
「え、だって、このままじゃ佐奈ちゃんまた一年留年して、果てには退学よ。最終学歴中卒になっちゃうのに、いいの?」
「別に構わない」
「えー、なんでよ」
「だって床ドンすればご飯が出てくるんだ。とても充ち足りた生活。不満などない」
こ、この人、クズだ! 俺がいままで会ってきた人の中でナンバーワンのクズだ!
なまじ顔がいいだけに、もったいなさすぎる!
「それに、留年はまだしも退学する気はない」
「え?」
「佐奈はただ高校生をやっていたいだけ。ずっと。平穏に生きて、いつかニート界の神になる」
だ、だめだこいつ早くなんとかしないと。
「で、でもそれってお先真っ暗だよ」
珍しくまともな谷崎。
いろんな変人を前にしてきたけど、ここまでの人と相対したのは初めてかもしれない。なんともいえないがラスボスの風格が備わっている。
「この諫山佐奈には夢がある。その夢のためなら佐奈は努力を惜しまない」
「夢! いいじゃん、どんな夢なの?」
「エリートニートになるの」
「え?」
「適当に結婚して旦那さんに養ってもらう」
うわぁ。
「そ、それって主婦ってことだよね。確かニートの定義に主婦とか学生ってはいらないんだよ」
「……目から鱗」
そういう問題じゃないだろ。
「それに主婦って大変だよ。お母さんいつも愚痴ってるもん」
「そんなことない」
力強い瞳で彼女は続けた。
「昭和初期ならいざ知れず、現代の炊事洗濯はすべて機械がやってくれる。まさに主婦とはニートの免罪符」
「で、でもその機械を操作しなくちゃいけないし」
「食べ物はコンビニ、掃除はルンバに任せればいい。あとは洗濯だけ。なんて楽な人生」
あまりにも偏った物言いすぎる。
そもそも主婦には主婦のコミュニティがあり、町内会活動やルーチンワークの辛さは半端ないはずだ。それに子育てやらなにやらが加わるとしたら、考えるだに恐ろしい。
「そ、そんなうまくいくわけないじゃん」
「その通り。だから学校に行ってる暇なんてない」
「ど、どういうこと」
「より良い白馬の王子様に出会うため、佐奈は人間心理を学ぶ必要がある」
学校にいって不特定多数の人と話しするのが、一番いい方法だと思うんだけどな。
「そう、」
言葉を区切って溜め込むようにしてから彼女は続けた。
「エロゲーで」
「……」
簡単に言えば、学校も行かず家に引き込もってアダルトゲームしてるだけだった。
最低だ、こいつ。
「あのさ、」
交渉は谷崎に任せて横で黙ってようと思っていたけど、流石に我慢できなくなって口を開いた。
「いくらなんでも酷くないか?」
「しゃ、しゃべった!?」
「言葉くらい話せるよ! あんたは俺をなんだと思ってたんだ!」
「いや、谷崎のペルソナかなんかだと」
ああ、俺は何しにここに来たんだろうな。
一時は感情を揺り動かされた年上の女性にボロクソ言われて、心が麻痺してしまったようだ。
あーぁ、もうめんどくせぇ。
ごちゃごちゃといろんなものがつまったオモチャ箱に閉じ込められてしまったみたいだ。
「ともかく話を進めるぜ? あんたが家にこもってアダルトゲームに精を出すのは勝手だ」
「下ネタはやめて」
「言葉のアヤだ。黙って聞いてろ」
目を閉じて、息を大きく吸い込む。部屋全体から閉塞感を感じた。
「たしかに一時は楽しいだろうさ。部屋にこもって、傷つけるものもなにもない自分だけの世界ってのはさ。だけど、それから先はどうすんだよ? いつかその暮らしにも限界がくるぜ? 親が死んだら? 病気になったら? ほんとうに易々と恋愛相手を見つけられると思ってるのか?」
「むぅ。わ、私のATフィールドはその程度の言葉の暴力には屈しない」
先輩の視線が俺に刺さる。喧嘩腰の少女に負けるわけにはいかない。
「親に学費払ってもらってるくせに、エロゲーしたいからって理由だけでサボるのは人間としてどうなんだよ? 意味あんのか、そんな生活」
「や、やめて」
「夢も希望もない自堕落な生活で、回りの人にめいっぱい迷惑かけて、自分だけはのこのこと救われた気でいる」
「やめてくれ。卑怯だ。家族の話をだすのは」
ちょっと言い過ぎてしまったらしい。諫山先輩はふるふると震えて涙目になっている。でも俺の舌は止まらない。
「ゲームにネット、寝て起きて飯食って寝て。お前がそうやって無為な時間過ごしているうちに世間は激しく流れていってんだぞ。若いときはいいさ、未来があるもの。だけど年食ったときに、より一層惨めな気分を味わう羽目になるんだぜ?んじゃ、いつ行動するか!?」
いまでしょ!
俺の前の女の子は一切俺に目をやらないで下をうつむいてフルフル震えている。
あっれー。なんかまずったなぁ。
最後ギャグで閉めて終わろうと思ったのに、気まずい雰囲気。
「い、郁次郎。言い過ぎだってばよ……」
谷崎すら普段のキャラ付けを忘れた口調で俺を諫めた。
「でも、すごいわね。郁次郎。急に饒舌になるんだもの」
「あ、あぁ。まぁな」
な、なにこの空気。たしかに諫山先輩に頭に来たのは本当だけど、目の前で小さく震える女の子を見ていたら、そんな怒りもすぐに冷めて…、
「な、にさ」
「ん?」
「き、急に佐奈の部屋に来てお説教しにくるなんて、意味わかんない!」
「えー」
諫山先輩は立ち上がって、地団駄を踏んだ。ダンと音をたつ。さすが床ドンの達人、良いメロディである。
「なんでほっといてくれない? 佐奈はただ静かに暮らしていたいだけ!」
うっわ、逆ギレだ。
紛うことなく、逆ギレだ。
「……」
「私は私。ありのままを受け止めるか、さもなくば放っておいて!」
しんと静まりかえる室内。ぼそりと谷崎が呟く「軽く名言でちゃったわね」息を吐き、「詳しくはロザリオモラレスで検索」と続ける。なんのこっちゃ。
ともかく俺はあきれ果てていた。この人にはなにを言っても無駄だ。きっとどんな言葉も、彼女の耳には届かないし、心に響くことはないだろう。
「もう、いいや。おい、谷崎、帰ろうぜ」
「え」
くそぅ、さよなら初恋。いくら顔が好みでも、こんなクズみたいな性格のやつに心惹かれるはずがない。
立ち上がり、間接をポキポキならす。
「え、でも郁次郎」
ためらいがちに腰を浮かす幼馴染み。
「もういいだろ。なに言っても無駄だよ。この人には」
「っ」
諫山先輩は下唇を噛んで、こっちをじっと睨み付けている。
「それじゃあ、先輩。ご迷惑おかけしました。いきなり訪れて不躾なことばかり言ってすみませんでした。次は是非学校でお会いしたいです」
鞄を肩に背負い直し、踵をかえす。
「ちょ、ちょっとまってよ、娯楽ら部の設立はまだしも、こんなの佐奈ちゃんにとってあんまりすぎるわ!」
谷崎は俺を食い止めるように俺の足をがっちりとホールドした。
「えぇい、離せ、谷崎! 俺の帰宅の邪魔をするなぁー」
「邪魔するわよ。あんまりだものこんな終わり。もっとちゃんと時間をたてて、じっくり相談しあうべきなのよ」
「俺には帰るべき家があるんだよ!帰って相撲少女ドスコイプリンを観るんだぁ!」
今日はライバルの相撲少女との決着で見逃せないんだよ。
「今からじゃ全部は観れないかもしれないけど、一部でいいから観たいんだよ!」
「郁次郎、頭おかしいわ! そんなアニメアニメ言う人じゃあなかったのに!」
「相撲少女ドスコイプリンは特別なんだよ! めちゃくちゃ面白いんだから! 」
叫んで足を一歩前に踏み出す。
「!」
諫山先輩がハッとしたようすで顔を上げた。
「ともかくこれ以上続けるなら谷崎、お前だけ残って先輩に話しつけ、」
すっ、と俺のTシャツの裾が握られる。
白く細い指。涙で滲む澄んだ相貌。
諫山先輩は俺をじっと見つめて、その小さく赤い唇を開いた。
「い、いっしょに、ドスプリ観よう」
ドスプリとは相撲少女ドスコイプリンの略称で、一部のコアなファンにしか使われていないマニアックな名称である。
「……は?」
それを先輩が知っているということは、先輩も相当なドスプリマニア。
あれよあれよ流されるうちに諫山先輩んちのリヒングにある48インチのテレビで、リクライニングソファーに寝そべりながら、ドスプリを視聴することになった。録画予約は完璧だけと、やっぱりリアルタイムでみたい。
ちゃ、ちゃーらー、はっけよい♪
といういつもの明るいオープニングが、始まるとともに俺と諫山先輩はグッと前に身を乗り出した。真ん中に座る谷崎は戸惑いがちに、テレビに視線をやっている。
「ついに、決着」
「あぁ、だな。いままで散々苦しめられてきた相手だが、今日で終わりだと思うと感慨深い」
「でも、この作品もずいぶんとソッチ系になってしまった。私としてはそれが悲しい」
「そうか? 最初っからその兆候はあっただろ。七話の文化祭編で主人公の妹が出てきた辺りとかもろそれじゃん」
「たしかに。あと九話の親友との絡みも」
「おー。言われてみれば」
俺たちのマニアックな会話に谷崎はついていけないって様子でボンヤリとした瞳をしていた。
物語終盤、ライバルの相撲少女が、土俵際で、力士としての誇りを取り戻し、主人公との、決着に臨む。
俺たちは息を飲んで、そのシーンにみいっていた。前後の流れがわからない谷崎だけはポカンとしている。
やがて、本編が終わり、エンディングに突入する。少しだけ物悲しい音楽にのせて、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「なんで急にドスプリを観るように誘ってきたんだ?」
「いまからじゃ全部見れないって」
「あぁ。そうか。ありがと。お陰で助かったぜ」
「……」
礼を言われることになれていないのだろうか、諫山先輩は頬を仄かに赤く染めてうつむいた。自身の膝に顔を埋める。
「私も、」
「ん?」
「私も、変われるだろうか」
今回の話で心入れ換えた元悪役に心を重ねて、彼女はぼそりと呟いた。
「……変われるに、決まってるだろ。ドスプリ好きにわるいやつはいないんだ」
「郁次郎……」
そこには無言な友情の詩があった。言葉を、交わさずとも心で通じあったのが、はっきりわかった。
「なに、それ」
谷崎の不服そうな呟きだけが雰囲気をぶち壊しにしていたが、部員が増えたし、ミッションも達成できて言うことなしたがら、あまり強く言うことができないでいるようだった。