14:サナに理由も言うべきか(1)
「みんな落ち着いて聞いてね」
不毛なクラブ活動を行うため、用もないのに部室に集合した俺たちに三人に与えられたのは、谷崎部長からの聞きたくもない報告だった。
「私たちの活動が正式に認められたの」
我が耳を疑った。なにを言っているのかわからなかったし、わかりたくもなかった。混乱する脳が思う、ただひとつのことは、この悪夢から早く目覚めたい、ただそれだけだった。
「ついに! 娯楽ラ部が正式な部活動として発足されたのよ! はっぴぃじゃむじゃむさいこーお!」
「嘘、だろ」
一人テンション高い谷崎琴音。ついに悲願が達成されたのだから、気持ちはわからないでもないけど、一つ解せないことがあった。
「その、活動内容はどうなってるんだ?」
「ん? 前に郁次郎が言ってたやつよ」
「まじかよ……」
最悪だ。彼女いわく、娯楽ラ部の活動として、俺がてきとうにでっちあげた『クラスで浮いてる生徒のお助け窓口』が、会議で取り上げられ、受理されてしまったのだ。生徒会の後押しが効いたらしい、余計なことを。
「それでね、じゃじゃーん」
愉快な効果音を口にしながら彼女は二つ折りにされていたプリントを鞄から取り出した。
「さっそく生徒会から一つ依頼を承けました!」
それね、ただのツカイッパっていうんだよ、
という心の声をグッと抑えて、プリントの文面に目を通す。
状況があまりよく飲み込めない俺と愛流と瑠花の三人、
「琴音、これはドッキリではないのか!?」
長髪を波立たせて、愛流が声を荒らげた。
「んっふふ、本当の出来事よ」
少しだけ誇らしげに彼女は続けた。
「第一回の娯楽ら部活動として、私たちが二年三組の引きこもりを学生生活に復帰させるの!」
ぽかんとする俺たち三人。
谷崎はにっこり笑ってさらに踏み込んだ説明をしてくれた。
「二年三組に諫山佐奈っていう不登校生徒がいるんだけどね。彼女を学生生活に復帰させるのが今回のミッションよ」
口をあんぐり開けたまま身動きがとれなくなってしまう。
初夏に向けて一日が長くなってきた七月の午後。窓の向こうから豊かな陽光が降り注いでいる。
ああ、いますぐ帰宅し、初夏の風を全身で味わいたい。
「しかし、引きこもりの学業復帰なんて易々とクリアできる問題ではないぞ」
「そうね。だからそれをクリアするためにこうして会議を開くんじゃない」
眉間に皺寄せる愛流に谷崎は答えてから、携帯を取りだし、朝まで生テレビの音楽を流した。人を小バカにしている。
「はい、というわけでね、なにか意見がある人、お手上げっ、ぴっ!」
意気揚々と部員を見渡し、意見を募る我らが部長。こういうのを他力本願っていうのだろうか。
「あの……」
「はい、んじゃ瑠花」
「諫山さんの噂、聞いたことがあるんですが、……ほんとに私たちが、手をつけていい問題なのでしょうか?」
おそるおそるといった体で、指をモジモジと絡ませながら瑠花が小さく声をあげた。
「おっ! さすが我が部の諜報担当ね。信じてたわ。ちょっとその噂とやらを教えてちょうだい」
「あ、はぁ」
谷崎の重すぎる信頼をスルーして、彼女は続ける。
「たしか、諫山さん、昨年留年してしまい、年下のクラスメートから「さん」付け呼ばれるのが嫌で引きこもったと」
あれれぇー?
これ、ガチなやつだー。
チャランポランなクラブに丸投げしていいやつじゃないー。
「り、留年……なんで、そんなことに」
「さぁ、よくは知りませんが……、出席日数が足りなくなったらしいですよ」
そもそも引きこもり少女という時点で嫌な予感しかしてこない。
ふと、先日谷崎から教えてもらった昨今のイジメ事情が頭をよぎる。もし諫山先輩の『事情』に、下級生ではどうしようもない事柄が出てきてしまったら、俺たちは一体どうしたらいいのだろう。
「ちなみに我が校の進級条件は欠席40回以内です。そう考えると漫画とかで学業ほったらかしで冒険してる人たちは進級危ういですよねー」
フィクションを現実に持ち込むな。
「ま、まぁ、そんな重くとらえる必要ないかもだし。ほら「年」を「学」に変えれば、なんの問題もない!」
問題なのは谷崎の頭のなかだけだもんな。
「ともかく佐奈ちゃんと仲良くなれる糸口をみつけなくっちゃね! 瑠花、ほかに知ってることないの?」
「そうですねー。うーん、男子からは、慕われているって聞いたことがあります」
「え? どゆこと?」
「なんでも二年三組はけっこうな不良少年たちが集まったそうなんですが、『ドラゴン鈴木』、『デビル中澤』、『タイガー毒島』、『ダブりの諫山さん』の四皇がクラスを納めているらしいんです。友達から聞きました」
うん、騙されてるね。大概にしなくちゃいけないあだ名のなかに純粋な悪口が混ざってるよ。
「ちょっとまってくれ、瑠花」
愛流が椅子にふんぞり返りながら、言葉を滑り込ませる。
「三組の四天王は『鈴木』『中澤』『新井』『諫山さん』だろ? 毒島なんて聞いたことないぞ」
そういうことじゃないね。
「あ、そうなんですか。うーん。あっ、でも龍造寺四天王は五人いましたし、賤ヶ岳七本槍もほんとは九人だし、それくらいの誤差、別にいいんじゃないですか」
「む。女子十二楽坊もほんとは十三人だし、AKB48だってグループひっくるめたら100人越えるそうだし、確かにそれくらいなら問題ないな」
「ええ、数字って案外てきとうですからね」
アンニョイなため息をつく瑠花に愛流。もうやだこの人たち。いろいろと本筋からそれすぎてなにが言いたいのかさっぱりだよ。
「ああ、数字と言えば、こないだ銀行に預けてた貯金がちょっと増えてたんだよね。不思議!」
「それは金利です」
「……あ、はい」
こういう不毛な会話こそ娯楽ラ部の正式活動なのに、引きこもり生徒の自立支援なんてマジで勘弁してほしい。
「それでね、先生から明日の放課後、諫山さんのおうちにお伺いするよう承ったのよ」
二人のやり取りを無視して、谷崎は話を進めた。
聞き捨てならない発言にさすがに鶏冠にきた。どう考えてもひとつのクラブが処理する範疇を越えている。
「いきなり家庭訪問ってレベル高いよ!」
「いやぁ、私が娯楽ラ部を樹立させるために、あることないこと先生に吹き込んだからかな。すごい期待されちゃって」
「あること、ないこと……?」
「メンバーの海野郁次郎は過去ネトゲ廃人で、その経験を活かし、いまは数百人の社会不適合者の面倒みてる、とか」
「全部ないことだよ!」
社会不適合者になんて会ったこともねぇよ。目の前に予備軍ならいるけどな!
「そういうのは夕方のワイドショーで特集される駆け込み寺の坊さんとか熱血ヤンキー先生とかに任せときゃいいんだよ!」
「え、でも、娯楽ら部の初仕事よ。気合い入るじゃない?」
「だから、基本スタンスとしてこっちから攻めるのは違うと思うんだよ。来るものは拒まずみたいな感じでさ、好き好んで引きこもってる人を無理矢理誘い込むのは違うんだって」
「でも生徒会の人にも、頼まれちゃったし」
「そもそもこういうのって生徒会の人が頑張るべきなんじゃないの? 言うても俺たちの一年生だよ? なんで二歳年上の先輩の面倒みなくちゃいけないのさ」
「むぅ、おかしいな。眼鏡の生徒会の人が郁次郎なら賛成してくれるって言ってたのに」
「おし、がんばろうぜ谷崎! おれたちの活動で救われる人が出るなら羽路高生冥利につきるってなもんよ!」
「なにその手のひら返し」
あの人、苦手なんだよなぁ。罪悪感からなんかなのかわからんけど。
「ともかく明日の放課後、みんな、よろしくね」
谷崎はそう言って手を叩いた。小さく鼻唄なんて歌っている。高校生活一番の目標であった娯楽ら部の設立が上手くいって上機嫌なのだろう。
「ん?」
ふと、一つネックになっていたことを思い出した。
「あれ、ちょっとまって」
谷崎琴音。
海野郁次郎。
天王洲愛流。
人形坂瑠花。
俺をいれても娯楽ら部の現在メンバーは四人である。
「部の設立って五人からじゃなかったっけ」
ずいぶん前に生徒会の監査にそういわれて、どうしようかって話をしたことを思い出した。
ラスト一人がなかなか見つからなくて、なんだかんだで廃部の危機を迎えていたのは確かだし、谷崎は元来の生真面目さで同好会は嫌だとも言っていた。
んじゃ、今の娯楽ら部はなんなんだ。
という疑問に支配された俺に谷崎は「むっふふ。いい質問ですねぇー」と語尾を間延びさせた。
「我々の真の目的は、この二年の先輩、諫山佐奈を娯楽ら部員にむかい入れることよ!」
「な、なん、だと……」
「そうすれば、引きこもり脱却を果たさせたことで娯楽ら部の評価もあがり、かつ新入部員で娯楽ら部設立確定なの!」
なるほど、一石二鳥とはこのことである。意外な方策に思わず「ほう」とため息をついてしまった。
「今度こそ山本先生が顧問としてついてくれるそうだし、全部が全部、明日にかはかってるのよ!」
おい、まじかよ。
ていうことは、明日失敗さえすれば、倶楽部設立はご破算になって、もとの日常に戻れるんじゃないか? ……俺の中の悪魔がそう囁いた。
その妙案に心踊っている俺の横で、愛流が言いづらそうに、右手をオズオズとあげた。
「すまない琴音。明日はどうしても外せない用事があるんだ」
たしかに普段は塾で忙しい愛流だが、明日の曜日は完璧にフリーのはずだ。さすがにアレな成績に家庭教師でもプラスされたのだろうか。
「えー、残念だなぁ。ちなみにどんな用事?」
「うん。足の爪を切らないといけないんだ」
色々とぶっ飛んでいる我が幼馴染みでさえ、愛流の発言に混乱しているようである。震える舌で「え、それ明日じゃなきゃダメなの?」と尋ねた。
「あんまり爪が伸びすぎると自分の感情をコントロール出来なくなってしまうんだ。気を付けなくちゃ」
「そ、そうなんだ」
谷崎も曖昧に頷くのが限界のようである。
そんな彼女の横で、申し訳なさそうに瑠花がしずしず手をあげた。
「あの、琴音、実は、私も用事が……」
「え、そうなの。なにがあるの?」
「手の爪を切らなくちゃいけなくて」
もう我慢の限界だった。
「お前ら二人とも行きたくないだけだろうが!」
そりゃ誰だって、一学年上の引きこもり生徒に会いたいとおもうやつぁいねぇだろうけどよ。いつもにましてノリ悪すぎだろ!
俺の叫び声を受けて、瑠花はふてくされたように頬を膨らませた。
「で、でも、郁次郎、爪が伸びすぎると危ないんですよ」
「女の子なら伸ばしてなんぼだろ!」
「ちゃんと切っとかないと郁次郎が私を殺そうと揉み合ったとき、爪の間に皮膚が付着して犯行がばれてしまいます。それでもいいんですか?」
「お前そこまで俺に恨まれてないって!」
痴ほう症の老人より、ひどい被害妄想だ。
「まぁ、死ぬのは郁次郎ですけど」
「やっぱ被害者は俺かよ!」
可愛らしい外見とかけ離れた発言はやめてくれ。
「二人が用事あってダメなら明日は私と郁次郎だけね」
谷崎は笑顔のままで、わざとらしくため息をついた。俺にいやがらせができて嬉しいのだろう。
「あ、いや俺も明日は用事があるから」
「え、うそ、なにがあるの?」
「夕方アニメを見なくちゃいけないんだ。相撲少女ドスコイプリン」
「暇ね。んじゃ、明日よろしく」
「なんでだよ! なんで爪切るのはオッケーで見たいテレビがあるはアウトなんだよ!」
俺の叫びが聞き届けられることはなかった。