13:魔王に世界は救えない
お久しぶりと言い過ぎて
幼い頃は自分が世界の中心で、将来はなんにでもなれると考えていた。だけど目眩がするくらいシビアな現状に、いつしか置かれた立場を正しく理解するのだ。
「考えたんだけど」
谷崎は神妙な顔つきで続けた。
「勇者より魔王のほうが、私にはあってるかな、って」
こいつは昔から現実を見るなんてことしなかった。
「こないださ、私が勇者だとしたら愛流は賢者って話、したじゃない?」
「うむ。記憶に新しいな」
「だけど、ちがうと思ったの。私、世界を救うより、壊すほうが好きだわ」
「む。退廃的だ、なかなか面白そうだね」
そんな歪んだ厭世感、明治期の文豪でも持ってないよ。
「それでね、どうせならラスボスをやりたいなぁ、って思ったのよ」
「いいねそれ。僕は是非側近の中ボスでお願いしたい」
「え? 意外。愛流ならきっと魔王をやりたがると思ってたのに」
「バカだな。忠実な側近ってのは各所からの評価が高いし、いざとなったら裏切れるんだ」
愛流は話にのれるんだ。すごいな。
俺は頬杖をついて、窓の外の景色に目をやった。
分厚い雲から雨が絶え間なく降りしきっている。臼暗闇に世界は包まれ、そこはかとなく切ない気持ちが込み上げてくる。窓ガラスに付着した水滴が滝の一部となって下っていった。
「それでね、私、新宿駅をラストダンジョンに設定するの」
「まて琴音」
「え、ダメかな?」
「新宿駅はクリア後のエキストラダンジョンだろ。あの複雑さ、攻略本あっても難しいぞ」
「あー、そうだよね。大丈夫じゃない攻略本だと、絶対迷っちゃうよねー。それだとー、うーん池袋あたり?」
何をするでもなく、駄弁るだけでいい。
俺が先日、生徒会の監査と話し合い、どうにか取り付けた免罪符がそれだった。
簡単に言ってしまえば、学校に馴染めない生徒の駆け込み寺、浮いてしまった学生たちのサポート機関、それが我らが娯楽ら部である。
決まった活動内容を谷崎にいうと、
「いんじゃない? みんなで集まって遊べれば」と、満更でもないような顔で同意してくれた。
他の部員の愛流は、
「まぁ、友達いないのは事実だしな」と反応に困る反応をされた。
瑠花に至っては「浮いてるのは事実ですけど、趣味について語り合う友達はたくさんいますよ」と鼻息荒く宣言された。きっとろくでもない趣味仲間に違いない。人の友達をとやかくいうのはナンセンスだけど。
瑠花といえば、今はアホの子二人に混じることなく、無言で本を読んでいる。賢明な判断だ。
奥でやんややんやと繰り広げられるおバカな会話。
「やっぱり、一つ前の部屋にセーブポイントと麓の町へのワープゾーンを設置するでしょ」
「それから、最強の装備品だな」
「んで、白い煙の扉を設置して『ここを潜ったらもう戻れません』みたいな文章を添えるの」
「BGMも止めるだろ?」
梅雨の湿気で脳にカビが生えたにちがいない。
除湿を作動させているので、室内はさっぱりと過ごしやすい空気だが、彼女たちは色々手遅れだったようだ。
俺はため息をついて、ポケットから携帯を取りだし、ソーシャルアプリを起動した。いい暇潰しになるのだ。
「あとは琴音が第二形態に変身できれば完璧だな」
「えー、出来ないよ。それにさ、変身しないほうが威厳が出るし」
「いやいや琴音、少し服装が変わるだけで強くなったような錯覚を勇者に与えるんだよ。うむ。君の場合は、そうだな、今の制服姿が第一形態としよう」
「これぇ?」
ちらりと谷崎に視線を向ける。彼女は首を捻りながらブレザーをペタペタと触っていた。
「うん、それで第二形態がジャージ」
「ジャージ? なんかダサいわ」
「そして、最終形態がブルマ」
「防御力ががた落ちしてるわ!」
「バカだな琴音。ゴワゴワしたジャージを脱いでのブルマは最強の必殺技だぞ」
一理あるのがムカつく。
「それにラスボスは変身する度に着てるものを脱いでかなくちゃいけないんだよ」
「は! 言われてみれば、デスピサロ、ミルドラース、デスタムーア、オルゴデミーラ、それにあのデブもみんな脱いでたわ!」
ラプソーンね。
「デスタムーアなんて最後には服どころか顔と手だけになるんだぞ! それをブルマ程度で文句言うんじゃラスボスなれるわけないだろ」
ビシッと谷崎を指差して愛流は言い放った。
「くう、目から鱗だったわ。たしかにその通りね」
「待て」
あまりにアホな発言に我慢できなくなった俺は携帯を閉じ、立ち上がる。
「最終形態はスク水だろ」
そもそもブルマは数年前に廃止され、今は短パンになっている。思わず口をついた言葉に後悔はない、のだが、二人から与えられたのは冷めた目線だった。
「うわぁ」
「きしょい」
心にダイレクトに響く。「きしょい」は止めてくれ愛流。
「おい、なんだよ、その人を小バカにしたような目は」
「郁次郎」
「あ?」
「きしょい」
「二回も同じこと言うんじゃねえ!」
「いや、しかし、君」
言葉を選ぶよう首を振り、深刻な表情で愛流は俺を見つめた。
「きしょいよ」
「三回目だよ! 新しい情報くれないかなぁ、って思って連続して話しかけたときみたいになってんじゃあねぇか」
人を軽蔑しきった谷崎の視線の横で愛流は見たことない真剣な表情で続けて言った。
「末期症状だな。女性にスクール水着になることを強要させるだなんて。これが社会なら即刻セクハラで、ジ・エンドだよ」
「小粋なジョークじゃんか! なんでそこまで言うの!? 怒濤の羊食らわせるぞ!」
「なにそれ? しらないんだけど」
「くっ、これだからライトユーザーは困る。ラスボスなのに、羊飼いの技を食らわせられる屈辱を味わうがいい!」
「言ってる意味がわからないから、郁次郎ちょっと黙ってて」
「……はい」
着席。
俺をおいてけぼりにして、再び不毛な会話は再開される。
「過去のトラウマが原因で終末思想を抱いてしまった、って設定はどうだい?」
「私、世界を滅ぼそうと思うほど、強いトラウマなんて別にないわよ」
「そこはでっち上げだよ。なんでもいいんだ、主人公に成長する機会を与えられれば」
「そうねー、最近のラスボスはどんなこと思って世界を滅しようとしてるのかしら」
「難しい質問だが、端的に言えば、欲求不満かな」
「へぇ。なんか思春期の中学生みたいだね」
夏休みの男子学生が原因で世界が滅ぼされるのだとしたら、地球はいままで何回滅亡してきたのだろうか。
「琴音は欲求不満だし、問題ないだろ?」
あ、そうなんだ。
どうだろ、谷崎、俺でよければお手伝いするけど。
「な、な、なに言ってるのよ! 私はそこまで欲求不満じゃないわよ!」
「んじゃ、欲求に対しては満足してるの?」
「え? えーと、そうね。うん」
「それはそれで淫乱だなぁ」
「どうすりゃいいのよ!?」
「いや、でもそれは設定だから、なんか、こう、あれだよ。適当に重い過去があればいいんだよ」
「重い過去? 例えば?」
「イジメとか、かな」
イジメから魔王ってなんかスケールが……。
「最近のイジメはえげつないからな。殺意の波動に目覚めるのに充分な要素だよ」
「まあ、確かにね」
「それから、うーん、他には、痴漢冤罪とか」
「えー?」
「ほら、欲求不満で、そのうえやってもないのにやったって言われるくらいならやっておけばよかった、みたいな」
「ごちゃごちゃしてきたけど、ラスボスが痴漢に間違われたことがきっかけで世界を滅ぼそうとするなんて嫌だわ。それに私、女の子だし」
「ほらそういう考え方がよくないんだ。男とか女とか、平等に罪を背負うべきなんだ。それに琴音もいきなりムサイおっさんが、あんたに尻を触られた! と騒ぎ立てたら嫌だろ?」
「嫌、というかぁ」
むしろ女子高生から触られるならご褒美だと思うなぁ、と思う横で、語尾を間延びさせた谷崎が続けた。
「殺したくなるわね」
こわっ!? こわいよ! 俺の幼馴染み黒いよ! 魔王の素質充分だよ!
「だろ? そういう社会に対する理不尽とかをその身にやつすのは、やはり冤罪が一番なんだ」
「うん。確かにその通りね。じゃあ、私、痴漢に間違われて、魔王を目指したことにするわ」
いいのそれで!?
ふん、と鼻息荒く立ち上がり宣言した谷崎に、このままじゃ彼女が半分痴女になってしまうことをうれいた俺は慌てて声をあげた。
「まてまて。痴漢冤罪で社会から抹殺されて、世の中に怒りを抱いてるのは設定として矛盾はないけど、色々と酷いからな!」
「え? そう」
「大人しく幼い頃に受けたイジメが原因で心が病んだとかにしとけって! ありがちだけどさ」
「ダメよ! 郁次郎! 私こないだニュースでイジメ特集を拝見して決めたの。たとえば昨今のイジメだと……」
谷崎はいかに今のイジメが陰湿でいやらしかを俺たちに悠然と説明してから、場を占めた。ヘヴィーだ。なんか部内の空気が悪くなった気がする。
「それはたしかに、ひどいな……」
「私は真っ当な環境で生きて、正当な理由を持った魔王になりたいのよ!」
おとーさん! おとーさん! あそこにほんもののアホがいるよ!
「イジメカッコ悪い! そういうジメジメしたのに、魔王は手を貸さないし許さないのよ!」
「む。しかしながら琴音、イジメを許さないのは勇者の仕事だぞ」
最近の勇者は子供電話相談室みたいな業務まで課せられているらしい。
隣でボソリと呟いた側近(仮)の発言を受けた谷崎はしばらく逡巡してから拳を固く握りしめて続けた。
「……わたし、やっぱり勇者になるわ」
なんてフラフラしたアールピージー!? 幼稚園児だってもっとちゃんと自分の発言に責任を持つよ!
「ちょ、ちょっと待ってくれ琴音! 君が勇者になったら私はどうしたらいいんだ!? 私は中ボスになって、勇者が二度と生き返ることがないようハラワタを喰らい尽くすのが夢なのに!」
「そうねぇ」
しばらく小首を傾げていた谷崎はすぐに、ポンと手を合わせて続けた。
「じゃあ、こうしましょう、私が勇者するから、愛流は魔王をやってちょうだい。二人で帳尻を合わせて冒険を盛り上げるの」
人はそれを談合と呼ぶ。もちろん悪い意味で。
「む。うむ。私はべつに魔王でもいいけど、ほら、それだと主旨がズレちゃうだろ」
無駄に尊大な口調の愛流にその役職はあっているのかもしれないが、彼女自身は納得できていないようだ。
「なんとか頼むよ、勇者。私の代わりに魔王やってくれよぉ!」
早くも談合みたいになってきた。
「えー、でも私、イジメは許せないしなぁ」
「あー、もう、んじゃあ、特例! 子供に優しい魔王さまでいいじゃないか! 例えばほら子供の影のなかに潜り込んで、その子と一緒に冒険するとか」
ぼくとまお……いや、なにもいうまい。
「うーん、それなら、仕方ないわね」
こうしてなんとか魔王の地位に留まった元・勇者様。字面だけ見るとそれっぽいのが若干ムカつく。
それを生暖かい半目で眺めていると、それに気づいたらしい愛流が声かけてきた。
「ちょっとなんなんだ、郁次郎。そんなに仲間になりたそうな目でこっちを見て」
「いやそんな目で見てないから」
少しだけため息混じりに呆れられた。
「しょうがないから仲間にしてあげよう」
「はぁ」
「最初ダンジョンのボスあたりに君が入るといい。よろしくな、モルボル!」
「怒るよ?」
かくして俺は魔王軍に入隊したのであった。
「郁次郎も魔王側かー」
ため息混じりに谷崎は続けた。
「でも、郁次郎まで魔王サイドだと勇者がいないわ」
なんだそんなに微妙な設定付けにこだわってるんだろう、この人たち。
そう俺が思うと同時に部室の端から、「うーん」という伸びとともに、深遠なる読書の世界から解き放たれた瑠花の声が響いた。
彼女は読後の余韻に浸るように穏やかな瞳のまま俺たちに視線をやった。
「すみません、部活中なのに本を読んでしまって。どうしても続きが気になったもので」
言って小さく頭を下げてから、立ち上がる。
「それじゃあ、そろそろ出ますか? 授業が終わってからけっこう時間経ってますよね」
「まって」
帰宅の準備をする瑠花を遮るように、谷崎が声をあげた。
「人形坂瑠花! あなたが勇者よ!」
さていきなりそんなこといわれて話についていける人はいないだろう。これまでの設定案を捲し立てる谷崎の声を、曖昧に「はぁ」と頷く瑠花は、なんやかんやで勇者をしてくれることになったらしい。
「えー、こほん」
わざとらしい咳払いを一度してから、場をしきるように谷崎は続けた。
瑠花は一度部室から出て、装備を整えている、らしい。準備が整ったら扉を叩くように魔王様より命令された彼女は頭がクエスチョンマークを飛ばしながら従ってくれた。
その間に勇者出迎えの相談をする魔王と側近とモルボル。
一分ほど経ってから、部室のドアが軽くノックされた。薄暗がりのなか一人きりで廊下に出されていた勇者が来たらしい。
「はぁい」
と明るい声を出してから、ドアをはさんで魔王様は続けた。
「くくく、よくぞここまで来たな勇者ルカよ。回復してやろう」
でたー、悪いやつなのに親切なパターン!
「は、はぁ。それじゃあお願いします」
ためらいがちの声を気にせず、谷崎は「とぅるるん☆」と極めて明るい声を出してから「それじゃあ入ってきていいわよ」と続けた。
「そ、それじゃあ、失礼します」
慇懃な態度で静かにドアを開けなかに入ってきた瑠花は、まず部屋奥の両隅に立つ俺と愛流にその眼鏡を白く光らせた。
「モルボル・海野郁次郎」
「え?」
「側近・天王洲愛流」
「あ、はぁ」
それが自己紹介だと気づいた瑠花は慌てて「あ、勇者の人形坂瑠花です」と小さくお辞儀をした。
それを認めてから、俺たちは言葉を続ける。
「そして我らが偉大なる」
「悪魔のなかの悪魔ぞろ」
その合図を受けて、閉じられたカーテンからバァンと登場する谷崎。
「痴漢冤罪という社会の理不尽で闇に落ちた、大魔王・谷崎琴音よ!!」
「わ、びっくりした」
「……」
マイペースな瑠花に、拍子抜けといった感じの魔王様。
「あ、えっと、よ、よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる瑠花に谷崎は若干ためらいがちに時計を見上げてから、
「……帰りましょうか」
と呟いた。
本日も大変不毛な活動でした。