11:少女(誇大妄想)病
学校が終わったので、娯楽ら部の面々に絡まれないうちに、早々に学校をあとにする。谷崎の「待ってよ郁次郎」ゴールも無視だ。最近俺の尊厳が蔑ろにされてるから、たまにはビシッとシカトしてやらないとな。
早足の俺についてこれる者などいない。
半分帰宅部みたいな俺は、帰りのルートや混まない電車まで完璧に熟知しているのである!
今日はいつもより一本早い電車に乗ることができた。
帰宅。
家のドアを開けて「ただいま」と大きく声をあげた。キンと一瞬だけ響いたが、蝶番の軋む音にすぐにかき消されてしまった。
「おかえりなさい!」
ローファーをタタキで脱いでいる、どたどたと激しい足音をたてて、妹が走りよって来た。
「お兄ちゃん!おかえり!」
さっきとおんなじことを口にして、ピョンピョン可愛らしく跳び跳ねている我が妹。元気はつらつをアピールするように後ろで縛ったポニーテイルが揺れていた。
俺はいつもやっているように、彼女の頭にポンと手をやり、猫を撫でるようにワシワシと動かした。期限良さそうな「んー」という声をあげてから妹は一転、声を楽しさに弾ませた。
「ねぇねぇ聞いて!今日ね!学校でスゴい面白いことがあったんだ!」
「ははは、お前の面白いはあてになんないからなぁー」
「ひどーい」
あはははは、と二人で笑いあう。足吹きマットの上で目を線にする我が愛らしい妹は、ゆっくりと真夏の蜃気楼のように薄くなっていき、やがて無色透明な空気に変わった。
あたりにはただ六月の深緑の香りが漂うだけである。
「ふー」
俺はボソリと一人きりの玄関で呟くのだ。
「そうだった、俺には妹なんていなかったか……」
幻(願望)か。
気を取り直して、自室に向かう。
親に極力部屋の掃除は自分でするからと言ってはいるのだけど、なかなか言うことを聞いてくれない。それでも我がテリトリー、これ以上に落ち着く空間はない。
「ちゃっちゃっと宿題すませるか」
とドアを開けた俺に与えられたのは、
「郁次郎、この漫画の続きどこー?」
「ねぇちゃん!?勝手に人の部屋に入るなって!」
ベッドで腹這いになった姉貴の無粋な質問だった。
デリカシーというものをもっていないのだろうか、この人は!
「ん?見られて困るもんでもあんのかなぁ?」
「いや、そういうわけではないけど……」
胸を揺らしながら、ニヤニヤと笑いかけてくる。無駄に巨乳はこれだから困る!
それはともかくとしてプライバシー保護を訴えよう!
戸惑いながら、顔を背ける俺を追求するように、姉貴は徐々に近づいて来たけど、やがて煙のように目の前から消えた。
「ふー」
俺は一人きりの部屋でぼんやりと呟くのだ。
「そうだ、俺には姉貴なんていなかった……」
幻(願望)か。
なんだかんだで生きることに対して集中力を切らし始めていることに気づいた俺は、お風呂に入って、文字通り心機一転することに決めた。
さっぱりすれば、不埒な考えや、ありもしない妄想に囚われること無くなるだろう。
「さーてと、風呂風呂」
脱衣場の扉を横にスライドさせた時だった。
「ちょっ、バカっ!入ってるわよ!」
「従姉妹のミキさんっ!?なんでここに!?」
今年大学生になったばかりの従姉妹が脱衣場に立っていた。小さなフェイスタオルを精一杯に広げ、自分の体を隠そうとしている。
慌てて俺はそっぽを向いた。
しばらくぶりの彼女の身体はビックリするくらいメリハリが出来ていて、いつの間にかモデル体型のようになっていた。
「ご、ごめ!俺、ミキさんが入ってるって知らなくてーー」
と、口にしたところで気がついた。
「そうだ、俺のイトコは全員男だった……」
幻(願望)か。
俺のクラスでの立ち位置は間違いなく可もなく不可もなく、だろう。学校という閉鎖空間において、娯楽ら部メンバー以外での異性との会話は一切ない。
中学の頃は帰宅部で、俺を慕う後輩もいなければ、憧れるような先輩もいなかった。一人っ子でイトコは全員男の俺に女子との接点なんて皆無だ。
最近、精神科にTELしようかと本気で悩む自分に気がついた。
そんな俺の心の支えは、リビングの水槽で飼っている金魚のフローレンス(名前)だけだ。
こいつは俺の傷ついた心を癒してくれる。
「世界一かわいいよ!」
もし願いが叶うなら、フローレンスを人間にしてほしい、そんなことを考えながら、俺の一日は幕を閉じるのだ。
「また水槽の前に陣取って……あんたほんとにその金魚好きねぇ」
買い物帰りの母さんが冷蔵庫に食材を詰めながら無粋なことを宣った。
「うるさい!フローレンスの愛らしい眼差しさえあればこの残酷な世界でも俺は生きていけるんだ!」
「ほんっとに、変わった子だわ。オスの金魚にフローレンスなんて可愛らしい名前つけるし、言ってることは意味わからないし」
「え、ちょっとまって母さん!?フローレンスってオスなの!?」
「オスよ。だって追い星でてるじゃない」
オスの金魚は繁殖期にエラや胸ビレに 『追い星』と言う『白い点々』が現れ、他の金魚を追い回すらしい。フローレンス!運動不足だったからじゃないのか!!
ちなみにエラ蓋・胸ビレ以外の部分に点々が現れた時は『白点病』可能性があるの注意な!
「だぁぁ!お前まで俺を裏切るというのかぁぁぁあ!フローレンスうぅぅ!」
「うるさいわね。なんなの、さっきから」
「えぇい、黙れ黙れぇい!そもそも悪いのは母さんじゃないかぁ!なんで俺には姉貴がいないんだよぉ!」
「知らないわよ。そんなの」
「なんで俺は一人っ子なんだよぉ!?」
「二人もあんたみたいのいらないからだよ」
「もういまからでも遅くないから、妹つくってくれよぉおぉ!」
「そんなん無理よ」
「なんでだよ!?出来るだろ!人体錬成得意だろ!?」
「父ちゃんEDだもの」
「だぁぁぁぁ!知りたくなかったぁぁぁぁぁ!」
「大丈夫。あんたも将来……あ、これ言っちゃいけないんだった」
「EDは遺伝病じゃねぁーーーよぉぉーー」
ナチュラルに親父の秘密息子にばらすなよ!
とぼとぼと落ち込みながら、俺はご飯前に睡眠をとることにした。俺を残酷な世界から救うのは夢の国だけなのだ。疲れた。いっそのことこんな世界から抜け出して宇宙の塵になれたいいのに。
疲れた体を引き摺って、姉貴のいない空虚な部屋の扉を開けた。
「あ、イクジロー。おかえりー」
「谷崎っ……」
そこにいたのは学校で別れたばかりの我が幼馴染み、谷崎琴音だった。
彼女は俺のベッドに腰掛け、いつかと同じように明るく微笑んでいる。
「不法侵入じゃないよ。おばさんに入れてもらったからね」
えへん、とふんぞり返る我が幼馴染み。
「あ、いや、それはいいんだが、どうしてお前、俺の部屋に」
「ん?だって今日の郁次郎暗かったじゃない?なんかあったのかなぁーって思って」
いや、あれはただ単に最近俺に対して扱いが酷かったから、それに対しての無言のアピールだったんだけど……。
「それでどうしたの郁次郎。拾ったお餅でもたべたの?」
「いや、食わねぇよ。食わねぇけど……」
そうだ、そうだよ!俺には美人(身内の贔屓目を抜きにしても)の幼馴染みがいたんだよ!
どうだどうだどうだどうだ!大逆転ホームランじゃないか!
妹とか姉貴だとかイトコだとか、関係ねぇ!結婚できねぇ血の繋がりなんてくそみたいなもんだろ(イトコはできます)!
それに比べて、どう?
ちっさい時から一緒に育って兄弟以上に仲良くしてきた異性の幼馴染みが俺にはいるんだぜ?
確率的にみて俺以上についてるやつっているの?もうなんていうか、無敵じゃん。
勝ち組、超勝ち組じゃね?
それだけで大漁得点、一発リア充確定じゃん。
なにを恐れてたというのだ!
そうだ、そうとも!
俺には谷崎琴音がいたんだよ!
ありがとう、琴音!
サンキューシェイシェイメルシーポーク!ディモールグラッチェ!ありがとう!ありがとうございます!
「ありがとう!琴音ー!!!!」
「はにやぁ!?」
「お前のお陰で生きていける気がする!」
「あ、うん、それはよかったけど……」
俺の盛り上がりについていけないのか、谷崎は若干の戸惑いを朱色に滲ませながら、鼻の頭を掻いた。
「ひ、久しぶりよね。郁次郎が私のこと名前で呼んでくれたの」
「んなこたぁどうでもいいんだよ!」
「えっ?」
「いま重要なのは谷崎が俺の幼馴染みでとっても献身的だつっうことだけなんよ!!」
「………ッツゥうう」
谷崎は痛みに堪えるバキキャラみたいな声をあげてから、
「バカっ!」
「ふぐあっ!?」
ヤマアラシにトドメをさしたウボォーギンみたいな大声をあげて、俺の腹をケンカキックで蹴りあげた。
床に崩れる哀れな俺を残し、火山のような猛々しい足音をたてて、彼女はバタンとドアを閉めた。風圧が俺の前髪を撫でる。
なに、なんか不味いこと言った?
いや、だけど、ツンデレの幼馴染みってオーソドックスだけどいいよね、うん、ちょっと暴力的なくらいが女の子は、可愛いし……
「……」
って一瞬思ったけど、痛みで我に帰った。
ダメだ違う、暴力が許されるのは2次元の世界だけだ、リアルは辛すぎる。
痛い。