10:逃げ水の上に立つルカ
落ち込むこともあったけど、私は元気です。
職員室に出し忘れていたプリントを届けたその帰り、人混み溢れる廊下で瑠花とすれ違った。ちょうどよかった、言わなくちゃいけないことがあったんだ。
彼女は伏し目がちに俺にお辞儀をして足早にその場を去ろうとしていた。
「ちょっとまて」
「ひっ!」
話しかけるたびに小さな悲鳴をあげるのは勘弁してほしい、軽くメンタルに響くから。
男嫌いというより、俺を毛嫌いしているんじゃないかと落ち込んでしまう。
「……今日のクラブ活動は、」
「し、失礼しますっ!!」
「あっ、だから待てって!」
漫画みたいな土煙(廊下なのに、掃除をちゃんとしろ)を起こして、駆けていく瑠花。人の伝言を最後まで聞いてほしい。
今日のクラブ活動は学習準備室4で行うから、注意してくれ、っていう伝達だけなのに。
「はぁ」
これってやっぱり追いかけないとダメなのかなぁ。
ため息をついて、瑠花が消えた方にゆっくりと歩き始める。
かったるぃー。
そもそも俺が伝言係に任命されたのには訳がある。
先日の娯楽ら部定例会議の一幕だ。
『部長、谷崎琴音!副部長、天王州愛流!書記、人形坂瑠花!』
綺麗な夕焼けが夜の色に染まっていく、そんな黄昏時のことである。
ついに各自の役職が決まったのだ。ノンプランの我らが部長にしては素晴らしい決断だ。
『……郁次郎が余っちゃったわね』
『あ、俺はいいから。平の部員、つうかイレギュラー、ほら!大会のみの数合わせみたいなやつで!』
『娯楽に大会なんてないから』
常時脳内お花畑とは思えない冷静な意見だ。
谷崎は辺りを一度ぐるりと見渡してから、『郁次郎にぴったりの役職ってないかしら?』と他のみんなに意見を求めた。
『球団マスコットみたいな存在でいいんじゃないか?』
愛流が眠そうな目を擦りながら、ごく自然な様子で俺の尊厳を蔑ろにした。
『マスコットはダメよ。もう考えてるあるもの』
『えっ?』
『ほら、これ』
谷崎は立ち上がって、チョークを持って黒板にさらさらと筆舌にし難いクリチャーを描き出した。
『娯楽ら部公認マスコット、ゴララちゃんよ』
『……冗談だろ?』
毛をツーサイドアップにしたゴリラがそこにいた。どことなく雰囲気がウルトラ怪獣ツインテールに似ている、ゆるキャラのなり損ないみたいなゴリラ。
我らに絵心がないのは、事前に調べてわかってたはずだろ!
俺は無言で立ち上がってチョークを持った。
『あら、郁次郎もなにかキャラ描きたいの?いいわよ、投票でどちらにするか決めようじゃない。マスコット総選挙!!』
『立候補者が二匹、投票者が四名なのに総選挙っていうんでしょうか?』
瑠花の冷静な意見に軽く同意しながら、
『……』
とりあえず『ゴララちゃん』の下に攻撃力2300防御力0と綴る。
『なにしてんの!』
『いや、モンスターには表記しないと』
『ふ、ふざけないで!ゴララちゃんは公式マスコットなのよ!』
怒り狂う谷崎とは違い『おー』と愛流と瑠花からは称賛の声が上がった。
『なんか違和感が払拭されました』
『しっくりくるね』
『だろー?ステータスと効果はゴブリン突撃部隊と同じだぜ』
オーディエンスは納得済みなのに、モンスターの生みの親は不服面である。
『やーめーてー!ゴララちゃんは可憐な乙女なのー!カードのモンスターと一緒にしないでー』
『一匹で一個中隊と互角の戦力なのであるッ!』
はたから見たら気になる女の子にイタズラをする小学生男子みたいだが、あくまで単なる嫌がらせだと明記しておこう。
『ふざけないでよー!』
『ヴァンガードファイトしようぜ!』
『もおう、怒った!郁次郎なんか雑用係なんだからー!』
『はぁ!?』
『炊事洗濯連絡家事ぜぇーんぶ郁次郎の仕事だからね!』
『おい、お前ふざけんなよ!絶対やだからな!』
『心得に書いてあるわ』
谷崎は半ば怒鳴りながら、いつぞやの『娯楽ら部ルールブック』を取り出した。なんて頭の悪い取り扱い説明書(二回目)。
『部長の命令には絶体服従!逆らったら罰を与える!』
『はぁ!?いきなり何言ってんだよ!』
『私に逆らうと罰なんだから!調子に乗ると、輪切りにして額縁に入れて飾っちゃうんだからー!』
『バカかお前!?断固拒否決まってんだろ!』
『命令に従わないと、中一の期末テストの時、静まりかえった教室で突然『肉じゃが!』って叫んだ話しちゃうからね!』
『もう全部してるよ!なにナチュラルに俺の黒歴史ばらしてんだよ!寝ぼけてたんだよ!』
『小学二年の時、給食の牛乳飲みすぎて鈴木さんに向かってリバースしたこととかもばらしちゃうんだからぁ!』
『や、やめろ!全部引き受けるから!これ以上俺の恥ずかしい過去をばらさないでくれ!』
幼馴染み恐るべし。
瑠花や愛流にはいろいろ知られたくない過去を守るためには仕方ないのだ。
という諸事情を潜り抜け、先程谷崎から『今日も部室使えないなら、学習準備室で活動するってみんなに伝えてきて。約束破ったら郁次郎の茶菓子だけチョコレートの銀紙だからね!』と言付けを預かってきたのだ。
色々と背負わされてしまった。
瑠花はどうやら図書室に逃げ込んだらしい、ちょうどいい、ここならゆっくりと話ができる。
それしてもいくら男が苦手だからって、逃げることはないだろう。最近は普通に会話できてたから、慣れてくれたもんだと思ってたのに。
図書室の扉を開けると同時に、本の独特な香りが鼻孔をくすぐった。室内は柔らかな光に溢れ、穏やかな空気に包まれている。運動好きの友達が、『図書室は背中がむず痒くなる』と言っていたのを思い出す。
とりあえず、瑠花を探そう。
彼女の駆けていった方向からして、図書室にいるのは間違いないのだから。
ぼんやりと、辺りを見渡していると、背後から声をかけられた。
「郁次郎が図書室にいるなんて珍しいじゃん」
ゆっくり視線をずらして確認してみると中学のとき同級生で、今は別のクラスの夏目銀太が立っていた。会うのは随分久しぶりな気がする。
「おー、銀太ー。オマエまた太った?」
「それいうのやめい。体重はまだぎりぎり二桁じゃ」
銀太はその丸い顔をたぷたぷさせた。
夏目銀太は肥満児である。けして過食症とかそういうのではない。2リットルペットのコカ・コーラをらっぱ飲みしながら『おれなんで太るんだろうねー』とかわけのわからないギャグを飛ばすおかただ。
「そんで漫画の活字でさえ読み飛ばす郁次郎が図書室にいるなんてどういう風の吹き回しだ」
「俺はただ単に人探しだよ、銀太はどうしたんだ?」
「そりゃあ俺みたいな文学少年になると図書室という空間ほど落ち着く場所はなくなるんだぜ」
「ちょっとなに言ってるかわからないですねー」
噛み合わない会話は、それはそれで楽しいんだけど、図書館のような静寂を常にする場所では色々とめんどくさい。
「それで誰探しとるん?」
「ん?言ったってわかんねーだろ、なら言わなくていいじゃん」
「知ってるか知らないかは俺が判断すんの。いいから言うてみい、ほれほれ」
「人形坂瑠花っていう一年の女子」
「知らね。誰それ」
ほらやっぱり。最初から言わなくていいことはいう必要ないじゃないか、だるいし。
「んで、その人形坂さんに郁次郎惚れてるん?」
「そんなんじゃねーよ。部活の連絡だアホ」
「部活!?お前なんの部活に入ったんだ?体育系?」
「それはほら、いいだろ。別に……」
くそう、やっぱり名乗る時恥ずかしいぞ!娯楽ら部。
「それより人形坂探さないと……。眼鏡の女の子見なかったか?」
「眼鏡?ついさっき入ってきた子のこと言ってんのか!?」
「おう」
「死ね!」
「………おう?」
あれ、俺の耳がおかしいのかな?
ナチュナルに恐ろしい発言が聞こえてきたんだけど。
「あの子には指一本触れさせねぇー!てめぇはここで死ね!」
「お前誰だよ。そんなストリートファイターみたいに血気盛んなキャラじゃないだろ」
「いいか、日陰で本を読む眼鏡少女を愛でる会、会長として貴様に宣戦布告する」
「あれ、お前瑠花が好きなの?」
「なぜ、わかったし」
「あほかお前」
そもそも銀太が図書室にいること自体不自然の塊なのだ。帰宅部県代表のこいつはチャイムとともに帰路につくタイプなのに。
まさか、甘酸っぱい恋が絡んでるとはおもわなんだ。
「まぁいいや。そんで瑠花はどこにいるんだ」
「まてもう一回言ってくれ」
「?瑠花はどこにいるんだ?」
「人形坂、瑠花……」
「ん?ああそうだよ。だからそいつは今どこにいるんだよ」
「彼女、人形坂瑠花っていうんか。可憐な名前やぁ」
「知らなかったのかよ!どんだけ奥手なんだよ!」
お前が積極性をもって取り組むのは焼き肉の時だけか!
「人形坂さんならそこで、俺たちのことをジット見ている」
「なんだと!?」
あわてて銀太が指差す方に目をやると、本棚の隙間からこちらを伺う瑠花と目があった。
「……」
瑠花が仲間になりたそうな目でこちらを見ている。
いや違う、あの目はとりあえずモンスターの行動パターンを茂みから観察するハンターの目だ。これこれこういう行動してるから、こういうアタック仕掛ければいけるよね!っていう目だ、よくわからないけど。
「瑠花」
「ひっ!?」
デフォルトで悲鳴あげんのやめろ。
「い、郁次郎さん……」
本棚を挟んで向かい合う。
「よ、用もないのに話しかけないでください」
「用ならあるよ!?あるから話しかけてるんだよ!」
「果たしてそれは私じゃなくちゃいけない用事なのでしょうか……?」
「とりあえず話聞けよ」
微妙な距離感を縮めようと歩みよると、瑠花は分厚い本を盾にするように俺に向け、拒否の態度をとった。傷付くからやめろ。
「それ以上近づかないでください。死んでしまいます」
「そうはいってもなぁ……」
「郁次郎さんが」
「おれぇ!?俺が死ぬの?なんで!?」
「……心臓発作とかで」
「お前いつの間にデスノート手にいれたんだよ!?」
いってる意味はわからないが、まぁこの距離でもギリギリで会話はできる。
「もうなんでもいいや。とりあえず伝えるべきことだけを伝えるからな」
「待ってください、その前に私の話を聞いてください」
「はいぃ?」
「そのお隣の方はお友だちですか?」
眼鏡が光りおった。
やばいぞ、こいつ、よくわからんが、なんかやべぇ雰囲気だ。
隣?隣って、銀太?
「あ、あぁ。六組の夏目銀太。おな中でさ」
どうでもいいけど、おな中って、どことなく卑猥だよね。
「ほほう」
「なんだ、その古風な頷き方は」
こいつと知り合って一週間ほどたつが未だに性格が把握しきれない。
「そういうカップリングもアリですなぁ」
「き、気色悪いことほざいてんじゃねぇ!?」
案の定くそみたいな想像してやがった。
「よ、よくわからんが、人形坂瑠花さん!!」
突如として銀太が叫んだ。
うるせぇ、静粛がお友だちの図書室で叫ぶんじゃねぇ。
「お、おおれの名前はななな夏目銀太ッ!一年六組在中出席番号21番好きな科目は避難訓練、嫌いな教科は理数系全般、よろしく、おねがいしますぅ!!」
さっき俺が紹介してやったのに、なんだって山下清みたいになってんだ、コイツ。つうか避難訓練は科目じゃねーよ。
「あ、ちょっと待ってください。それ以上近づくと死にます」
ゆっくり一歩ずつ近づいていく銀太に手のひらを壁のようにして拒絶の態度をとる瑠花。
「郁次郎さんが」
「俺かよ!銀太だろ!」
「私のスタンドが郁次郎さんを内部から引きちぎり、悦びで狂い悶えます」
「こえぇーよ!なんなんだよ!なんで俺ばっかりそんな目に合うんだよ!」
「……ふっ、"能力"をもたぬものにはわかるまい……」
「かっこよくない上に意味不明だからなっ!」
精一杯の虚勢ということは冷や汗ダラダラの瑠花を見ていればよくわかる。
「そ、それで七爪銀太さん。あ、あのぅ、なにか用でしょうか?」
「夏目な。七爪ちゃうから、あれどもっただげから」
哀れな銀太に代わって横で注釈を加えてあげる。
「はい!ワタクシ七爪銀太、人形坂瑠花さんに折り入ってお話があります!」
「なんで自分曲げるんだっ!?」
本名くらいキチンと覚えてもらえよ!
「うるせえ郁次郎!今から俺大事な話すんだから黙ってみとけ!」
「いや、落ち着けよ。瑠花に話あんの俺だから。さっさと用事すませて帰りてぇんだよ」
「うぜぇ!メガトンパンチ食らわせるぞ!」
「ここでししゃりでるなよ。俺の伝令が終わったらいくらでもお話タイムに移ってもらってけっこうだから!」
「のしかかり攻撃するぞ!」
「カビゴンか!?」
「後の二つはメガトンキックとイビキだ」
「ねむる使えねーといびき意味ねぇーだろ!」
突然の自虐ネタ。
そこまでされたら譲らないわけにはいかない。
しぶしぶ俺は一歩下がって、瑠花との会話権の順番を譲ってあげた。
当の本人は俺たちのことほったらかしで、「ここが攻めで、こっちが受け」と訳のわからないことを口走りながら、右手と左手を空中で戦わせていた。
そんな彼女とは対照的に銀太はどことなく緊張した面持ちで口を開いた。
「人形坂瑠花さんっ!!」
「あっ、はい!」
「ぼ、僕と付き合ってください!」
はやっ!早いよ!!何ステップ飛ばすんだよ!お前今日瑠花の名前知ったばっかだろ!
目を丸くする瑠花。
俺も気づけばあんぐりと口を開けっぱなしにしていた。
「ご、ごめんなさい。お、お友だちからお願いします!」
まぁ、当然そうなるわな。
「ありがとうございます!!」
「はぁ!?」
思わず口に出してしまった。
なんで断られてお礼言うんだこのデブ。
「お友だちからのスタート頑張ります!よっしゃ!」
「はぁ、よろしくお願いします……」
ガッツポーズをして、図書室をスキップで去っていく銀太を二人ポカンと見送る。
相も変わらずテンションの高いやつだ。ネジの緩んだ男の考えることはよくわからん。
「銀太受けですね」
意味のわからん呟き。
「それで、瑠花、今日の部活は」
「あぁ、それなら愛流ちゃんに聞きました」
「……そう」
「無駄な職務でしたね」
「それ言っていいの、俺だけだからね
」
瑠花のプロフィールに『微妙に黒い』が追加された。