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EditoR_08 君は誰?


 EchoEにひとつの通知が届く。


──@maya_memory からのRes=on:

『この物語、ほんとうは誰が書いてるんですか?マヤ(*‘ω‘ *)』


優は、スマホの画面をじっと見つめた。その文末に添えられた、懐かしい顔文字。


──マヤ(*‘ω‘ *)


その文字列が視界に入った瞬間、指先から血の気が引いていくのを感じた。


(……この顔文字……)


彼女が、生前ずっと使っていた顔文字だった。どんなときも、ほんの一言でも、それを最後につけることで「冗談だよ」「元気だよ」と伝えようとした。マヤのささやかな癖であり、彼女の明るさと、ちょっとした照れ隠しのようでもあった。高校時代のノートの端、舞台稽古の台本、誕生日に贈られたメッセージカード──そこには必ずこの顔文字があった。それは優にとって、マヤそのものを象徴するサインだった。メールでも、SNSでも、ふとしたメモにも、必ずと言っていいほど最後にそれをつけていた。


(なぜ、今……?)


胸の奥で、止まっていたはずの記憶がざわめきはじめた。画面の白が、やけに冷たい。親指の腹に、保護ガラスの端の段差。机の上のペン立てが倒れて、微かな金属音を立てる。エアコンの風が、カーテンの裾をかすかに揺らす。すべてが昔の夜に似て、でも少しだけ違っている。

──返信欄に点滅するカーソルが、秒針みたいに焦らせる。書けば、戻れない。書かなければ、遠ざかる。

12年前のあの日から、マヤの声を聞くことはなかった。もう戻らない、もう触れられない、そう思っていたはずだった。だが、その顔文字が──“あの頃のマヤ”の痕跡が、今ここに生きている。


(いや、これは彼女じゃない……でも、あまりに似ている)


返信しようか迷った。けれど、怖くて、踏み出せなかった。


(俺は……まだ彼女に囚われているのか?)


机の引き出しを開ける。古い台本の紙が乾いた匂いを放つ。ページの間に挟まれた付箋の端に、丸い顔文字が走り書きされていた。そこだけ時間が閉じ込められているみたいに、色が褪せない。

──あの夜の信号の色、雨の音、彼女の手の温度。思い出すほどに、今いる部屋の空気が薄くなる。


.◆


 その夜、咲姫は眠れなかった。頭の中に、昼間のやりとりが何度も浮かんでは消えた。言葉の響き、そして投稿された内容。誰かが自分を通じて、何かを伝えようとしているような感覚。それが怖くて、でもどこかで求めている自分もいて──混乱していた。布団の中、目を閉じると、白と黒の舞台が浮かんでくる。それは夢か、記憶か、それとも誰かが植え付けた映像なのか──境界が曖昧になっていく。足元の床の感触すら、昨日の舞台の稽古場と同じに思えてくる。カーテンの裏から、誰かが彼女を見ている気がした。そして、舞台袖に立つ“もう一人の自分” ──それはマヤのようだった。


『彼は、また私を見つける。あなたの中の、わたしを』


声が響いた。その瞬間、咲姫は飛び起きた。汗ばむ手でスマホを探し、EchoEを確認する。


(……私、なにか投稿したっけ?)


画面には、自分のアカウントから送信されたRes=onが残っていた。


(これ……本当に私が書いたの?)


けれど、文体も言葉の選び方も──まるで誰かのセリフのように感じられた。胸が小さく上下する。通知のライトが暗い天井に点を打ち、部屋の輪郭を一瞬だけ浮かび上がらせる。指先の汗で画面が曇る。スクロールするたびに、私の知らない私が、奥からこちらを覗いているようだった。



 次の日、稽古終わりにカズマと軽く食事に行くことになった。最初は他愛のない話題だった。


「最近の舞台作品、何か観た?」

「ううん、稽古でいっぱいいっぱいで……」


そんなやりとりの中、ふとカズマが咲姫の顔をじっと見つめて言った。


「最近さ、なんか前より考え込むこと増えてない?」

「……え?」

「いや、最初はもっと、何て言うか、無垢っていうかさ。今は……別人みたいに深い目をしてる」

「……そう、見えますか?」


カズマの言葉に、返事をしながらも、咲姫の心には複雑なものが渦巻いていた。彼の言葉が嬉しくないわけじゃない。でも、どこかで「自分が本当に自分なのか」という迷いが浮かぶ。この目の奥に見える“深さ”は、自分が持っていたものではない──そんな気がした。笑っているのに、笑っていないような視線。こちらを見ているのに、どこか遠くの幕を見ている。彼の優しさは嬉しい。その優しさが今にも遠ざかっていくような不安もあった。

稽古帰りの道すがら、交差点の影が長く伸びる。あの場所が、なぜかまた、脳裏をよぎった。



  帰宅後、ふとEchoEの通知が光った。


──@maya_mirrorの新しい投稿:『私が消えても、あなたが覚えてるなら、それでいい。マヤ(*‘ω‘ *)』


「……これ、私じゃない。」


(それに文末の顔文字……私はこんな風につけない)


投稿一覧を慌てて遡る。見覚えのある写真と、文章が並ぶ。でも、その中にひとつだけ、明らかに記憶にないものが混じっていた。それも、まるで初めからそこにあったかのように自然に。


(本当に、私が投稿したの?)


スマホの操作履歴を確認する。EchoEのアクセス履歴、投稿タイムスタンプ、下書き保存……全て正しく処理されていた。このアカウントはEchoE用に作った。確かに私のものだ。でも、この投稿は記憶にない。誰かが、私の手を借りて書いている。そんな錯覚が、背筋を冷たく撫でていった。手が震える。履歴を見ると、確かに自分のアカウントから投稿されている。時間も、位置情報も、すべて合っている。


(…でも私……こんなの、書いた覚えない…それとも私の記憶が曖昧なだけ?)


どこかで、誰かが私の中から言葉を紡いでいるようだった。


──誰?


問いかけても、返事はない……。咲姫は、導かれるようにして”自分の言葉で“投稿した。


──『私はここにいるよ』と。一行だけ。誤字のない、一行を。


送信を押した指に、微かな抵抗を感じる。目に見えない紙を破るみたいな、薄い膜を貫く感触だった。タイムラインの一段上に、見知らぬ問いが滑り込んだ。私の一行は確かに残っている──はずなのに、自分が投稿した文字の色だけが、少し抜けて見えた。



 優もまた、@maya_mirrorの投稿を見ていた。


「……まただ」


誰かが、自分の記憶を、感情を、すべて見透かしている。


(マヤ……君なのか……)


画面を見つめながら、思わず心が揺れた。けれど、その思いに確信が持てない。次の瞬間、EchoEに新たなRes=onが届く。


@maya_mirror の新しい投稿:

『この物語は、どこまでが現実で、どこまでがあなたの夢ですか?』


優の目が見開かれる。


(……この問いは、あのとき、マヤが舞台の袖で俺に聞いたのと同じ……)

(ん?この投稿には、顔文字がない)


優はスマホを手に、ふと遠くを見つめた。脳裏に蘇るのは、あの舞台袖での記憶──マヤが振り返って、まっすぐに自分を見つめていた瞬間だった。それは、愛おしさと不安が混ざった、決して忘れられない目。今、この投稿の奥にある“視線”が、あのときと重なって見える。

記憶は、時に曖昧だ。けれど、その時感じた温度や気配は、嘘をつかない。


「なぜだ……この子……知ってる気がする」


メッセージ欄を開く。指が宙で止まる。何を書けば、届く?何を書けば、壊れる?紙の手紙なら出し直せるのに、ここでは一度きりが永遠になる。

窓の外で電車が通り過ぎる音がする。ガラスが微かに震え、積み上げた原稿の角が震動に合わせてわずかにずれる。

そこで優は、昔の呼吸の仕方を思い出した。彼女と合わせた、舞台前の inhale-exhaleを ──。



一方咲姫は、投稿画面に映った自分の写真を見つめていた。その写真は確かに自分だった。だけど、どこか違う。笑い方も、目の奥の光も、ポージングすら、今の自分にはもうできないように思えた。


(これは……“私”じゃない。なのに、見覚えがある)


まるで、誰かの記憶から引き出された“もう一人の私”。そんな感覚だった。思わずタイムラインを遡る。写真、文字、タグ。どれもが整然と並んでいるのに、記憶との食い違いがあった。どこか知らない自分。どこか、懐かしい誰か。まるで、夢の中で出会っていたかのような親密さと、知らない誰かに覗かれていたような背筋のざわつき。そしてそっと、呟いた。


「ねえ……あなたは、私を知っているの?」


──スマホの黒い画面に、部屋の明かりと自分の輪郭が二重に映る。


重なる画像の片方が、少しだけ遅れて瞬きをした。私ではない、誰かの瞬き…。

──“既読”のしるしが、静かに色を変える。誰かが、どこかで、うなずいた気がした。



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