EditoR_07 重なる記憶
InSTARの通知が鳴った。
【合格通知】
『“Shining Idol Audition”最終審査において、あなたが選出されました』
──え?もう最終まで行ってたんだっけ…?
戸惑いながらも、胸の奥が跳ねる。最初は、ただの趣味だったSNS投稿が、いつの間にかMAYA☆としての“人生”を加速させていた。投稿のコメント欄には、見慣れないタグが並んでいた。
『#次のマヤ』
『#令和のMAYA☆再来』
──“これは、わたしの実力?”
スマホをタップする指先が熱く感じられた。画面の光が、やけに近い。部屋の空気は静かなのに、咲姫の心臓だけが、ひとつ音を増やしたみたいに騒いでいる。通知の震えが止まっても、掌の奥で余韻だけが続いていた。タグの文字列が、咲姫の目の裏に焼きつく。それは、ハッシュタグの鋭い線が、皮膚の内側に触れるような感覚だった。
(“再来”って、誰の? “次の”って、何の?)
◆
アイドル活動を始めた咲姫は、InSTARのフォロワーが急増し、話題の的となる。10万フォロワーを超えたあたりで、芸能事務所からスカウトが届いた。
『“次のマヤ”として一緒に未来を作りませんか?』
もう迷いはなかった。所属が決まると、舞台出演のオファーが舞い込んだ。商業演劇である。これで一気に知名度も上がる。
「舞台か……学芸会でも、木の役だったし、いきなり大丈夫かなぁ」
(木の役のときの教室の匂い。絵の具と湿った床。笑い声。あの頃の私が、今の私を見たら、信じるだろうか)
契約書の紙に触れてみた。紙質が硬く感じる。そしてインクが乾く匂いがした。咲姫は、MAYA☆と名前を書くたびに、ひとつずつ現実が重くなっていくのを感じた。
そうこうしているうちに、舞台稽古初日になった。期待と不安が入り混じった感情を抱きながら、稽古スタジオへと出発。自宅から駅まではいつも通り歩いた。
──朝のパンの匂い。
──誰かが引き上げるシャッターの金属音。
──靴底に伝わるわずかな砂利のざらつき。
いつも聞いているはずの日常の音・匂い・感触。これから新しい活動を始める咲姫には、なぜか全てが新鮮に感じられた。目に映る世界の彩りが今までと違って見えた。
…
スタジオへ向かう途中、例の交差点で咲姫は立ち止まった。
(また……この場所)
思わず足が止まる。何かに呼ばれているような、引っ張られるような、奇妙な感覚。
「おはよう!」
声をかけられて振り返ると、スーツ姿の青年が立っていた。
「え?誰ですか?」
「あ、そっか、顔合わせまだだったね。俺は、カズマ、今度の舞台の演出助手。君、MAYA☆さんだよね?ごめん。俺、先に資料見ていたから」
咲姫は驚きつつも、彼の言葉に少しだけ緊張が緩んだ。彼は買い出しの途中だったらしく、ペットボトルを入れたレジ袋を提げていた。白いワイシャツの袖口に小さなインク跡。首元のネームホルダー。歩幅が揃っているのに、どこか落ち着かない足音。レジ袋が風に吹かれてカサカサ音が鳴る。中で水が揺れる音が、信号の点滅と同じリズムで跳ね返った。
「そういえば、昨日もここにいたよね?見かけた時、君と、どこかで会ったような気がして、声かけるか迷ったんだ。不思議なんだけど、知ってたような気がしたんだよね。デジャブかな?」
(わたし、昨日もここに来ていたっけ?でも、この会話を、前にも体験した気がする。)
◆
顔合わせ、そして台本の読み合わせが始まった。プロの演出家やベテラン俳優に囲まれて、咲姫は萎縮してしまいそうだった。でも、カズマのさりげない声かけが、咲姫の心に安心を与えてくれた。
「台本のトーン、ちょっと読みにくいよね。よかったら稽古後に一緒にやってみる?」
「え?!良いんですか?お願いします。わたし、演技未経験で」
「あ、そうなんだ。でも、結構良いセンスしてると思うよ」
「ほんとうですか?」
「うん。あ、良ければ、毎日稽古のあと、演技見てあげようか?」
「はい!お願いします」
こうして、稽古が終わったあと、カズマが咲姫に、演技レッスンをしてくれることになった。演技の話。表情の見せ方。舞台上の呼吸。カズマのアドバイスは的確で細かく、それでいて優しかった。
“間”を一拍、長く。笑顔から少し遅れて目を細める。視線は相手の眉間だけではなく、シーンによっては小指のあたりへ向ける。身体の向きは計算して角度をつける。感情だけではない細かい身体の使い方、呼吸、演技の間などを教えてくれた。
…
ある日、カズマがぽつりと呟いた。
「マヤは、自分の命の長さより、舞台の上の時間を生きていた」
その瞬間、咲姫の心臓が跳ねた。それは、You-KIの小説『マヤの物語』にしか書かれていない言葉だった。
「カズマさん、『マヤの物語』読んでいるの?」
「ん?何それ、読んでないけど?」
(え?なんで?)
「でも、それがどうしたの?」
「いや、何でもないです」
それは、実際にYou-KIの小説で、マヤが語った言葉だったはずだ。小説を読んでいないカズマが、それを知っているはずがないのだ。
(どうして……?)
咲姫の口の中が急に渇いた。ペットボトルの水を飲む音が、遠くで別人の動作みたいに響く。誰かが、この会話の“セリフ”を、咲姫の知らない場所で練習しているようだった。
◆
その夜。咲姫はleafを開き、『マヤの物語』を読み返していた。
「え?!なにこれ……違う」
物語の順序が、最初に読んだ時の自分の記憶とは異なっていた。
──最初に舞台女優として頭角を表し、宣伝のためにSNSを使った。
──次にアイドル活動。
(前読んだ時は、アイドルが先だったはずなのに)
何度読み返しても、物語は「舞台 → アイドル」として進行していた。
(物語上のことだし、You-KIが改編したのかな?)
咲姫は、舞台に集中しようと心に決め、布団に入った。枕の冷たさを感じ、天井のうすい染みを見ると、咲姫の心は少しだけ冷静になった。
──気になってなかなか眠れず、スマホを開く。アプリの最終閲覧時刻が、何度見ても“数分前”に更新されている。閉じた画面に、咲姫の顔だけが遅れて残光した。
◆
次の日。稽古後の帰り道、咲姫はカズマに何気なく訊いた。
「……わたしって、アイドルから始めたんですよね?」
「え?何言ってるの?君、もともと舞台女優だったじゃん?」
「……いや、わたしは……最初、SNSで撮影会に出て、それからアイドルになって……そして舞台に……」
「いやいや。俺、君の舞台デビュー観て感動して、それでInSTARフォローしたんだよ?今回も読み合わせの時からセリフが全部入っていて、演技プランも良かったし、すごく感心したんだよ」
「は?」
(……そんなはず……ない)
(昨日読んだ小説の通りになってる?……まさか)
動悸が止まらない。急いで自分のInSTARの過去投稿を確認してみる。タイムラインを遡る。過去の投稿は消していない。ちゃんと残っているはず──。
(え?なにこれ?)
画面をスクロールすると、フォロワーたちからの祝福のメッセージが並ぶ。過去の舞台の写真や、朗読劇の感想が次々とシェアされていた。
(……いや、待って。私、最初は撮影会とアイドルオーディションが先だったはず…)
さらに遡る。自分が投稿した記憶と、画面に表示される日付が噛み合わない。舞台出演の写真が、アイドル活動よりも前の日付になっていた。
「なんで……?」
喉の奥が冷えるような違和感。そのまま、スマホを強く握りしめた。
《舞台で観た時から応援してた!》
《初めて観たのがあの朗読劇、忘れられない》
《InSTARより舞台を先に観てファンになりました!》
《#舞台女優MAYA☆》
《#舞台から来た奇跡》
《#驚異の観客動員数》
(……え?)
自分の中では、InSTARを始めてからアイドル活動に進み、その後で舞台に挑戦した──それが事実だった。けれど、コメントたちは、まるで最初から舞台女優だったかのようにMAYA☆を語っていた。撮影会、アイドルのオーディション、事務所所属、その後の初舞台の稽古の記憶のはずが──。
(え?順番が……入れ替わってる。)
「最初に舞台の写真?……こ、こんなはずじゃ……」
(誰かが……私の“記憶”を、塗り替えてる……)
◆
優は『マヤの物語』の続きを推敲していた。leafを開くと、見覚えのない章が追加されていた。“舞台稽古での出会い”、“カズマとの距離感”、“演出助手と交差点での再会”。
「……っ?!…俺、こんなもの書いてない」
けれどそこに書かれていたセリフの一つは──
『マヤは、自分の命の長さより、舞台の上の時間を生きていた』
優が、生前マヤにだけ囁いた言葉だった。
「え?なんでこの言葉が書かれている?どうして……」
手が震える。自分が書いた記憶はない。だが、文章として現に書かれている。恐る恐る改稿を始める。章の順番を、本来の“アイドル→舞台”に戻し、再投稿する。優は実際に起きたことと、順番を入れ替えて、フィクション要素を入れて小説を執筆していたのだ。
「これが……この物語の正しい順番のはずだ」
保存ボタンを押す指が汗ばんだ。ルーターのランプが点滅する。アップロードの進捗バーが、一瞬だけ逆流したように見えた。
◆
咲姫が投稿サイトleafを開く。更新されたばかりの『マヤの物語』。
──アイドル→舞台。
「……戻ってる」
安心する。ようやく、自分の記憶と一致している。InSTARも念のため確認する。
「これも、以前と同じだ…」
(何だったんだろう?夢でも見たのかな?)
だがそのとき──画面が一瞬、揺れた。表示がバグったかのように、一行がにじむ。『第7章 舞台の光』が、スクロールとともに『第3章』にスライドした。セリフの順番も、章構成も──勝手に変わっていく。
「……ウソ……また変わった?」
InSTARも書き換わっていく──スクショを撮る。でも、それが本当に“変わる前”の証拠になる保証はない。
「誰かが……私の“今”を、上書きしてる……」
そして、上書きされた“私”だけが、残された。他の誰も、違いに気づかないまま── タイムラインの“読み込み中”の円が、時計回りから反時計回りに変わっていく。秒針の音が一瞬だけ止まった。
◆
優は再び画面を睨んだ。
「また戻された……」
書いても、戻される。記録しても、変えられる。
「書いてるのは、俺じゃない……いや、違う。誰かが“俺の記憶”を使って書いてる」
そのとき、EchoEにひとつの通知が届く。──@maya_ memoryからのレスオン。
『……この物語、ほんとうは誰が書いてるんですか?』
優の手が止まった。そのアカウント名に、心がざわつく。
「この人……なぜか、知ってる気がする」
画面の向こうで、誰かが──待っている気がした。




