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EditoR_06 怨念の兆し


 咲姫は、何かに導かれるように、アイドルのオーディションに応募していた。撮影の経験を経て、自信がついた咲姫。鏡に映る自分の表情が、ほんの少しだけ強くなった気がしていた。

小説のマヤは、まさにここから急激にステージを上っていった。ファンが増え、影響力を持ち、夢のような場所へたどり着いた。”その場所”を思い浮かべるたび、胸の奥で小さく泡がはじけるみたいに、期待と不安が交互にあらわれて消えた。思わずチークをのせた頬に指先を当てる。体温がいつもより少し高い気がした。


(……私も、そこへ行けるのかな)


そんな気持ちが、ふと胸をよぎる。だが、心のどこかで、「これは私の物語じゃない」という違和感も、わずかに蠢いていた。

応募フォームを開く。写真を添付し、自己PR文を書き込む手が止まる。LEDの光に白く照らされた指先が、送信ボタンの上でためらう。入力欄の薄いグレーのプレースホルダーが、やけに冷たく見えた。

──生年月日、身長、特技、志望動機。どれも“私”を説明するための言葉のはずなのに、今の“私”は、どの名前で説明されるべきなのかがわからない。


「“MAYA☆”として書くべき?それとも、“咲姫”として?」


悩んだ末、彼女はInSTARのハンドルネームのまま、「MAYA☆」としてエントリーする。すると、返信はすぐに届いた。


──一次審査通過、おめでとうございます。


(え?早すぎる…)


咲姫は、スマホを握ったまま、しばらく動けなかった。胸の内で、何かが小さくさざめく。まるで、その通知が来ることを最初から知っていたかのように。

指先の震えが落ち着くまでのあいだ、壁時計の秒針だけがやけに大きく聞こえた。窓の外で電線がわずかに鳴り、風の匂いがカーテンの隙間から忍び込む。世界はいつも通りなのに、視界の輪郭線だけが少し滲んで見えた。



ある日の朝。咲姫は目が覚めると、胸が妙にザワついているのを感じた。何か夢を見ていた気がするけれど、思い出せない。ただ、スマホに通知が何件も届いていた。InSTARのアイコンをタップすると、自分の投稿に☆がいくつもついている。中でも、昨日アップしたポートレート風の写真のアクセスが、異常に伸びていた。


──確かに、昨日の夜に撮った写真。


でも、咲姫は眉をひそめる。


(2枚目……、あれ?こんな写真、撮ったっけ?)


角度、構図、光の入り方。まるで第三者が撮影したような絶妙な一枚。記憶の中の「撮影した自分」と、画面の中の自分が一致しない。シャッターの音、保存時の小さな振動、指に残るクリームの匂い。どの記憶にも、このアングルは存在しない。写真の中の自分は、少しだけあごを引き、ほんの二秒分だけ“強い誰か”の顔になっていた。


「……わたし、こんな顔してた?」


咲姫は、思わず声に出して呟いていた。自分の知らない表情が、そこには写っている。ふと、指が勝手に次の投稿の準備画面を開いていた。何も考えずに選んだ写真に、自動でつけられたキャプション。


『#MAYA☆の光景』


──そんなタグ、打った覚えはない。背筋がすっと冷える。スマホの画面を閉じ、ベッドに仰向けになる。天井を見つめながら、鼓動が強くなるのを感じていた。薄い石膏ボードの継ぎ目が一本の線になって、視界の真ん中を水平に走る。その線の向こうで、記憶と現実がすり替わる音が微かにした気がした。



「……は?」


優は、自分が投稿したleafの文章を見ながら首をかしげた。


『マヤはその道を、もう一度歩いていた。』


確かに表示されているその一文。だが、自分はそんな描写を書いた記憶がない。投稿履歴を見ても、更新された形跡はない。編集ログも異常なし。


「勝手に……追加された?」


そもそもleafの仕様上、ログインしないと編集できない。パソコンもスマホもロックしてある。なのに──。


「……どうして」


背筋に冷たい汗が流れた。マヤと別れて12年。あの時の風景を、まるで誰かが再構成しているかのように、文章が「勝手に」進んでいる。そんなこと、あるはずがない。ページを閉じても、優の指は震えていた。机の上のコーヒーはとっくに冷め、縁にできた薄い油膜が蛍光灯の光を鈍く弾く。窓の外を救急車が通り過ぎ、サイレンがいつになく長く尾を引いて遠ざかっていった。



咲姫はアイドルの2次審査の帰りに、駅のひとつ手前でふと下車した。なんとなく、歩きたくなったから…。午後の日差しのなか、商店街を抜ける。歩道の並木、漂うパン屋の香り、少し古びたバス停。どれも初めて通るはずなのに、どこか懐かしい。ベビーカーのタイヤが舗装の継ぎ目を乗り越える小さな音、軒先の風鈴、揚げた油の匂い、氷の砕ける音。細部が過剰に鮮やかで、記憶の中の“どこか”とぴたりと重なる。


(何か、前にも来たことがある気がする。初めてなのに。デジャヴ?気のせいかな?)


気がつけば、見知らぬはずの住宅街の道を歩いていた。


(……あれ?ここどこだろ?)


視界の先に、どこかで見た気がする交差点。古い街灯、欠けた歩道ブロック、信号機のタイミング。そして、頭の奥に響くような感覚。


(え?…ここも……知ってる)


記憶にないはずの場所なのに、懐かしさすら感じる。信号が変わった。赤から青へ。だが、足が動かない。胸の内側が、なにかに掴まれたような圧迫感を覚えていた。通りすがる人たちの足音が、やけに遠くに聞こえる。自分だけ、別の空気の中にいるような気さえしていた。アスファルトから立ち上がる染みた雨の匂い。横断歩道の欠けた白線。斜向かいのドラッグストアのBGM。どれもが、どこか“物語の記述”のように妙に整っている。


──その時、ふいにスマホが震えた。


InSTARか通知が来た。画面を見ると、昨日の投稿がまたひとつRe:STARされていた。


ユーザー名は「@maya_memory」


「……え」


一瞬だけ表示され、すぐに消えたそのアカウント。見たことがない。でも──名前に心当たりがあった。指先が一度だけ氷のように冷たくなる。再読しようとしても、リンクは消えている。残るのは通知の振動の残響だけだった。



咲姫は、帰宅した後すぐ、鏡を見た。アイメイク、リップの色、服のコーディネート。それらすべてが、小説『マヤの物語』のワンシーンに出てきたマヤのそれと酷似していた。


「……そんなの、知らなかったのに」


無意識に選んだ服。前日の夜、なんとなく惹かれて購入したワンピース。そのワンピースを着て、写真を撮った。そしてそれが、“投稿された”のだ。咲姫は自分の肩を抱いた。部屋の温度は変わらないはずなのに、体の奥からじわりと寒気が広がっていた。なぜか、涙がにじんできた。


「……私、どうして……何が起きてるの?…自分なのに、自分じゃない気がする」


それは憧れでも、模倣でもなかった。まるで、なぞらされているような感覚がする。そして、心の中をかき混ぜられた気持ち悪さを覚えた。クローゼットの扉に手の甲を当てる。木目の冷たさが、現実の端を確かめさせる。それでも、内側のどこかで、誰かが微笑んでいる気配が消えない。


「……もしかして、私……」


思考がそこまで達したとき、またひとつ、通知音が鳴った。それは、InSTARではなかった。SNSのEchoEのエコー(投稿)にRes=on(レスオン、返信)がついていた。アカウントは匿名の鍵付き。内容は、たった一言。


『次はあの場所、行くんだよね?』


咲姫は息を飲んだ。


(……誰?なんで?)

(「次は」って事は、今日私が行った所も知ってる?)



深夜。咲姫は、スマホを握りしめて布団に入っていた。眠れなかった。InSTARを開くと、またひとつ通知が来ていた。さっきの「@maya_memory」ではなかった。でも、その投稿には見覚えがあった。まるで、誰かが“わたしの先の姿”を知っているような──寝返りを打つたび、マットレスが微かに軋む。冷蔵庫のモーター音が、波のように寄せては返す。天井の小さな染みが、夜目に星座のように連なって見えた。


「……怖い」


咲姫はスマホを伏せ、涙をぬぐった。それでも胸の奥では、誰かの目が、静かに笑って見ているような気がしていた。その笑みは優しいのに、どこかで温度のない光を放っている。まるで、舞台袖からこちらを見ている観客の、フィルターがかかったような、暗がりからの決して届かない距離の視線だった──。


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