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EditoR_15 再演の始まり


 午後の劇場。照明のテストが繰り返され、セットが立て込まれる中、演出家の声が響いた。


「代役だったMAYA☆さんに、正式にヒロインをお願いしたい」

「え?!……私が?何で?」

「事情があって、ヒロイン役の彼女は降板することになった」

「まさか……でも、私で良いんですか?」

「もちろん。この前、代役をやってもらった時、本役を食う演技に感心したんだ。もちろんやってくれるね?」

「は、はい」


一瞬、時間が止まったように思えた。目の前の景色がぼやけ、音が遠ざかっていく。まばたきすら忘れていた。舞台上の埃が、熱でゆっくり円を描く。次の瞬間、拍手と歓声が広がった。仲間たちが笑顔で肩を叩き、手を握ってくる。その温もりが、かえって現実味を奪っていくようだった。だがその中に混じる、疑惑を帯びた視線を咲姫は確かに感じた。

台本の1ページがひとりでに風を受け、パラリと鳴る。その紙音に、祝福と別の感情が混ざっているようだった。


(あれ……夢だったはずなのに……こんなに不安なのは、どうして?)


嬉しいはずだった。けれど、胸の奥がひどくざわつく。心臓の鼓動が耳の奥でドクンと響いた。咲姫は息が少しずつ浅くなっていくのを感じた。その時、共演の隆二が囁いた。


「おめでとう。……なんか、こうなる気がしてた」


咲姫は目を見開いた。自分の中に“誰か”の感情が波紋のように広がっていく。隆二は、”マヤ”と最後に共演していた俳優だった。その言葉には、複雑な思いが絡まっていて、ただの祝福には聞こえなかった。袖の陰で、彼の指が無意識にマヤの所作をなぞっているのが見えた。



 舞台稽古の後、咲姫は楽屋で例の黒ノートを開いた。手のひらがじっとりと汗ばんでいる。


『マヤは正式にヒロインとして抜擢され、周囲の賞賛を一身に浴びた』


ノートに書かれた文章。それは、小説『マヤの物語』にあったはずの“美しい成功譚”だった。けれど現実は違う。


(現実は、小説と違ってる……)


場当たりを行なう時、衣装がなぜか一部破れていた。小道具の位置が意図的に変えられていた。SNSには「急に主役とか、何様?」という匿名のコメント。指先に刺さる短い棘のような文言が、心拍のタイミングで内側から疼く。


(何でSNSに?情報が速すぎる……やっぱ関係者が書いてるんだ)


匿名のコメントが画面に次々と流れ、心を刺す。咲姫はスマホを手にしたまま、ふと指先が止まった。


「急に主役とか、何様?」──その言葉が、何度も心の内でリフレインする。


目の焦点が合わなくなり、呼吸が浅くなる。画面を閉じようとした指が、かすかに震える。液晶の黒に、白い天井の蛍光が二重に重なり、自分の輪郭だけが遅れて揺れたように感じる。


(嬉しいはずなのに、なんで、こんなに苦しいの?なんで……)


息を整えようと深く吸い込むも、うまく吐き出せず、胸の奥がざわつく。まるで、見えない糸で誰かに首を絞められているようだった。

楽屋の空気が冷たく感じる。誰からも祝福も注目もされず、主役なのにいないものとして扱われているような、そんな感覚。そして、ノートの文字が、“なかったはずの現実”を呼び起こしていくように思えた。


(これ……マヤのときにも……)


咲姫の指が震える。言葉の輪郭が、脳内でじわじわと別の記憶に侵食されていく。

その時、ふと、ノートの裏表紙に何かが書き加えられているのを見つけた。


──『真実は、物語の裏に隠されている』──


見覚えのない手書きの文字が記されていた。


(誰が──何のために、こんな言葉を?)


それはまるで、“虚構”と“現実”の狭間をそっとなぞるような筆跡だった。その筆跡は誰かのものに似ている。だが誰だったかは、思い出せない。心の中には、得も言われぬ違和感が支配していた。鏡台のランプに手をかざすと、掌の血色にだけ現実の温度が残った。



 その夜、優は「mirror_log」の未分類フォルダを開いていた。【0415_extract.txt】という新しいファイル。そこには、ヒロイン役の女優が降板し、マヤが代役から本役に抜擢される経緯が描かれていた。


「俺、こんな話……書いてない。いや、むしろ、書かなかったんだ」


優はつぶやいた。マヤが受けた嫉妬や妨害、孤独。そういう“陰”の部分は、彼の小説には一切記されていないはずだった。だが今、画面の中に“誰かが知っている記憶”が入り込んでいる。その記述の中に、咲姫の今の状況とぴたり重なる描写だった。


(何でこのことを…知っているのは、当時の関係者と、マヤしかいない──つまりこれは……“再演”じゃない。マヤの“復元”だ)


キーボードに置いた指が冷たくこわばる。背中にじんわりと汗が滲んでいく。ふと目線を送ると、画面の端に小さなログが流れていた。


《記憶同期率:83.1%》


自動生成された数値が浮かび上がっていた。ピクセルの端が一瞬だけ滲み、83.1の「1」が「7」に見え、すぐ戻る。優のまばたきの速度よりわずかに早く。


(何これ?このまま数値が100%に近づいたら……境界が消える?)


優の顔から徐々に血の気が引いていった。デスクの木目に爪が薄く食い込み、現実に留まるための小さな痛みだけが確かだった。



 翌日。舞台稽古中、隆二がふと口にした。


「なんか不思議だよな、君の間合い……前にも同じセリフ、君に向かって言った気がするんだ」

「え……前にって……?」


咲姫の声がわずかに揺れる。隆二の目は、どこか遠くを見ていた。セリフを受ける姿勢の角度、息を置く位置、手の甲の返し方──細部が既視感を呼ぶ。


「いや、勘違いかな。でも……懐かしい気がする」


(懐かしいって……私、本当に自分で演じてる?)


それは、明らかにマヤのことを思い出している口ぶりだった。咲姫は演技に集中しようとするが、舞台の上のライトがやけに熱を持ち、彼女の息を浅くする。まぶたの裏で、知らない記憶がちらついた。


(私が、マヤの記憶をなぞってる……?)


身体が、まるで何回も熟した芝居の様に、自動的に演じていく。そんな感覚に襲われ、咲姫はまるで金縛り状態のように思考だけが動いていた。靴底が板に吸い付く音、袖の暗がりの布の匂い、稽古場に置かれた誰も座っていない椅子が立てる無音の気配──すべてが「既に一度やったこと」の手触りを持って迫ってきた。



 楽屋にもどると、咲姫は衣装のスカートの裾が裂けていることに気づく。


(またか…)


縫製のミスではない。明らかに何かで引き裂いたような跡。咲姫はふと気配に気づいた。振り返ると、楽屋口には誰もいない。誰かの足音が廊下に消えていき、ヒールの硬い音が、カツカツと遠ざかっていく。廊下を去っていくその音は、不自然なほど規則正しく響いていた。

ただの通りすがりではない──わざと聞かせるように、音を立てていた。咲姫は、足音の余韻が消えてもなお、背中に冷たい視線を感じていた。楽屋の空気が微かにざわつく。洗面台の鏡の奥に、一瞬だけ、誰かが立っていたような気配がした。振り返っても、誰もいない。鏡の縁の黒いゴムに触れると確かな冷たさだけが残り、指先の跡が曇りを作ってはすぐ消えた。


(今の……私、見られてた?……それとも、幻覚……?)


背筋がひやりと冷たくなり、息を吐く音が、いつもより大きく耳に響いた。


(気のせいだ……そう思わなきゃやっていけない。心を強く持たなきゃ)


気持ちを保とうと、咲姫は洗面所で顔を洗い、鏡を見た時──一瞬、自分の顔がマヤにすり替わっていたような錯覚を覚えた。


(え?……なに今の……怖い……でも、これって本当の舞台なの?現実だよね??)


息を吸い、吐き出す。吐いたはずのその息が、どこかに吸い取られていくような錯覚。自分の呼吸であって、自分のものではない──そんな違和感が胸を覆った。鏡の内側でだけ、口角の上がる角度が少しだけずれていた。



 ゲネプロが終わり、咲姫がひとりで舞台袖のモニターを眺めていると、演出助手のカズマが静かに現れた。彼は何も言わず、咲姫と並んでモニターに目をやる。舞台の映像は無人の客席を映し、赤いランプが「REC」を小さく点滅させていた。


「……あのときも、そうだった」


唐突にカズマが口を開いた。


「あのとき?」

「そう。マヤがヒロインに選ばれたとき。拍手の音だけが大きくて……あとは全部、静かだった」


咲姫はゆっくりと振り向いた。カズマの目に宿るのは、過去を掘り起こすような複雑な光だった。


「……マヤさんのこと、知ってるんですね」


カズマはわずかにうなずいた。


「彼女は、自分の命の長さより、舞台の上の時間を生きていた。──そう言っていた」


その言葉は、かつて彼が一度だけ咲姫に語ったものと同じだった。


「君を見てると、思い出すんだ。あのときのマヤを。でも……」

「でも?」


カズマはそこで言葉を切り、咲姫の横顔を見つめる。照明の残光が彼女の頬骨の線を静かになぞり、影が柔らかく落ちる。


「君の方が、もう少し……迷いがないように見える」


その一言に、咲姫は返す言葉を失った。心のどこかが温かく、そして切なく締めつけられる。マヤが私の身体を動かしているのだとしたら、迷いがなくなるのも納得がいく。彼女は、自分がしていたことを私の身体を使ってトレースしているのだから……けれど、それだけではない気がしていた。


(私を使って何がしたいの?)


舞台袖の静寂の中で、咲姫はふと、過去とも現在ともつかない記憶の重なりに包まれるような気がした。自分は本当に誰なのか。誰の物語を生きているのか。まるで、自分自身の名前さえ、どこか遠くに霞んでしまうような、そんな感覚──。


(私の中に、マヤがいる。それは確か。息づかいも、立ち姿も、誰かの記憶をなぞるように自然だった。でも──私はわたしでありたい。そう思う自分も、まだ……消えてはいない)



 同じ日の夜。優は、またも「mirror_log」の末尾に追加された一文を見る。


《復元完了:Stage_ACT1》 


(復元完了?……何を復元しているというんだ。──わからない。)


けれど、その直後、別のファイルが自動生成される。


【Stage_ACT2_preview.txt】


開くと、次の舞台のセリフがすでに綴られていた。


『あなたが見ているのは、ほんとうの私じゃない……』


それは、まだ誰にも話していない、咲姫が隆二との練習で仮に口にしたアドリブの台詞だった。


(バカな……誰が、これを……書いた?)


優の背後で、閉じたはずの鏡が軋むような音を立てた──。鏡面の端に、誰かの手の温度が消え残り、曇りが短い言葉の形にまとまってまた消える。ルーターのランプが二度早く明滅し、画面のカーソルが操作していないのに一行下へと滑った。


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