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EditoR_11 接触


 廊下の奥から、カートの車輪が床をきしませて近づいてくる。 それは、朝のホテルでよく聞く音。けれど今日は、どこか耳についた。まるで、その音だけが異質に浮かび上がって聞こえる。


「ねえ、雪平さん。さっきの客室、見た?」


振り返ると、ベテラン清掃員の田嶋が眉をひそめていた。タオルを絞る手を止め、なにか言いたげな顔をしている。


「うん、いつもどおりでしたけど……」

「いや、ほら……あの黒いノート。なんかまたあったのよ、似たやつ」

「……また?」


咲姫の返事は、少し遅れた。田嶋は肩をすくめながら、ぼそっと言い添えた。


「前にもあの部屋で、同じようなノート拾った気がしてさ……デジャヴっていうの? なんか気持ち悪いわ」

「誰かが忘れ物してるだけ……じゃないんですかね」

「うーん……にしても、あんな置き方されてたらさ。普通、忘れ物って、あんな風に“鏡の前に真っ直ぐ置かれてる”ことある? 開いたままで……ちょっと、ぞっとしたのよ」


その言葉が、咲姫の胸の奥に冷たい波を打ち寄せた。ノートは……戻ってきた?


「このホテル、さ……たまに時計が止まる部屋、あるんだって。聞いたことない?」

「……時計が?」

「ほら、あの東側の端っこの部屋。何回も時間がずれるんだって。こないだも管理の人が直してたらしいし」


田嶋の何気ない言葉が、背中のどこかをかすめていった。時が、ずれる部屋。そこに、ノートが戻る。偶然と呼ぶには、何かが重なりすぎていた。



 夕方、清掃用具室で物を探していると、棚の隅に押し込まれるようにノートが差し込まれていた。 恐る恐る取り出すと、それは昨日とまったく同じものに見えた。震える手でページをめくる。


一行だけ──


『あなたが選ばれるのは、あなたが選んだから』


昨日の続きのようにも思える。けれど、そんな文章は見た覚えがない。まるでノートの方から続きを“書き足している”ような気さえした。


(誰が、こんなこと……誰が続きを書いてるの?)


閉じたノートの裏表紙には、うっすらと“You-KI”の文字が見えた。指先が、その筆跡にふれた途端、どこか遠い日の風の匂いを嗅いだ気がした。冬の午後、曇った空気とともに、マフラーの奥から聞こえた誰かの笑い声。自分のものではないはずの記憶が、まぶたの裏で一瞬だけきらめいた。記憶の外側に、誰かが立っているように思えた。



 稽古場の照明に灯りがともる。壁際には台本とペットボトルが散らばり、湿気を帯びた木の床に俳優たちの足音が重なる。咲姫は立ち位置に入りながら、息を整えていた。その時、とある俳優がセリフに続けて、ふとアドリブを口にする。


「……人生って、結局、やり直しの繰り返しだろ?」


それは、まるで誰かの記憶の中からすくい上げられた言葉のようだった。その言葉に、咲姫の体が僅かに反応した。どこかで──いや、何度も──聞いたことがある。『マヤの物語』の中で、マヤが言った台詞と酷似していた。


(今の……マヤの言葉……?)


頭の奥で何かが点滅する。心臓がひとつ、大きく鼓動した。シーンが終わったあと、咲姫は隣にいたその俳優に小さく問いかける。


「今の台詞……脚本にありましたっけ?」

「え、ううん。アドリブ。なんとなく、今言いたくなっただけ」


(うそ、アドリブ??)


俳優はそう言って、屈託なく笑った。空気のどこかが、ふっと冷えた気がした。舞台の照明が少しだけ白く、硬く感じた。誰かが、背後からその瞬間を見ていたような、そんな視線の気配。自分のセリフの前に、何か“書かれていない声”が潜んでいるような、そんなざらついた予感だった。



 稽古の後、通用口の前で、夜風がコートの裾をなぶった。街灯の明かりは頼りなく、ビルのガラスに映る咲姫の姿が、ひどく静かな様相に見える。スケジュールを確認するためスマホを見ながら歩いていると、不意に声をかけられた。


「あの……MAYA☆さんですよね?」


振り向くと、スーツ姿の男性が立っていた。目元には少しだけ疲れがにじんでいる。けれどその声には、どこか懐かしさがあった。


「……はい、そうですけど」


男は一歩だけ近づき、どこか遠慮がちに言葉を継いだ。


「突然すみません。あの……演技、すごくよかったです」


その言葉に、咲姫はわずかに眉をひそめた。舞台の本番はまだ迎えていない。それなのに──


「……え?」


彼は一瞬戸惑ったように微笑んだ。


「あ、ごめんなさい。えーっと、リハーサル映像かな、たまたまネットで見て。すごく引き込まれたんで……」


その言葉は自然だった。でも、その“自然さ”が逆に妙だった。何か、違う。まるでこの会話も、どこかで一度“書かれて”いたような──そんな気がして。


「お名前……お聞きしても?」


男は一瞬、口を開きかけ、そして笑ってごまかした。


「……いえ、ただの一ファンです。すみません、変なこと言って。それじゃ」


その瞬間、街の喧騒がふっと遠のいた。すれ違った誰かの影が、ふたりの間に薄く伸びていた。男は会釈をして静かに去っていく。けれど、咲姫の心には、彼の立ち去った背中が焼きついて離れなかった。遠ざかる足音が、どこかで聞いた記憶と重なる。


(……どこかで、あの背中を……)


胸の奥がざわめき、息が少し浅くなった。



 その後咲姫は、職場のホテルの控室にいた。夜勤に入るため制服を着て、時間まで鏡の前に座っていた。鏡台の小さなライトが彼女の頬を淡く照らし、化粧ポーチの影が揺れている。鏡の中の自分の顔が、どこか薄く、遠いもののように見えた。ふとした瞬間、自分の手が髪をかき上げたとき、鏡の中の動きがわずかに“遅れた”ように感じた。


(……え?)


気のせいだと打ち消すように目を瞬いたが、鏡の中の咲姫は──無表情だった顔が、ほんの一瞬微笑んだようだった。何かが、すっと抜け落ちたようなその顔。


(私……今、笑ってたっけ?)


鏡に向かって目を凝らしていると、背後のロッカーがゆっくり軋む音がした。振り返っても、誰もいない。ただ、静かすぎるほどピリッとした空気が、部屋に漂っていた。


(…今のゾクッとする気配は、何だったんだろう)



 一方その頃、優は自室のデスクでPCを開いていた。薄暗い画面の向こうで、カップの中の紅茶から微かに湯気が上がる。ふと、執筆用のフォルダに“未公開草稿”が追加されていることに気づく。


(?!……俺、こんなの書いたか?)


クリックして開くと、そこには、ついさっきMAYA☆と交わした会話がそのまま文字になっていた。言い回しも、間合いも、笑い方まで。思わず手が止まる。


(…リアルすぎる……まるで録音されたみたいだ)


さらに下へスクロールすると、彼女が振り返る直前の“感情の揺れ”までもが記述されていた。


「誰が、こんな……」


優は思わず声に出していた。その瞬間、EchoEから通知がひとつ届く。


【“接触”が公開されました】


まさかと思って開くと、それは今見ていた草稿とまったく同じ内容。投稿時間は──まだ“会話を交わす前”だった。喉がひりつく。


(誰が……先に書いた?俺?それとも……)


思わず目を閉じる。脳裏に、マヤが最後に話していたときの声が、静かに響いた気がした。



 その日の深夜、仕事の休憩中に、咲姫はふと、自分のSNSのアカウントを開いた。過去の投稿を遡っていくと、どこかで見覚えのある一文が目に留まった。


『“もういないはずの人”の言葉が、風に混ざって聞こえた』


記憶の中には、そんな投稿をした覚えはなかった。けれど、その文体、使う句読点のリズム、絵文字の少なさまで──まるで自分が書いたかのよう。画面越しに、背中のどこかがぞわりとする。


(これ……私が書いたの?)


あるいは、誰かが私の“手”を使って書いたのではないか──思い出すのは、ノートに記されていた言葉だった。


『あなたが選ばれるのは、あなたが選んだから』


どこかで、それを聞いた気がした──誰かの声で。指先が、スマホの画面をゆっくりと撫でる。画面の光が、部屋の天井に淡く反射し、静かな影を落としていた。



 深夜のホテルのロビー。点灯を落とした照明の下、誰もいないはずのラウンジに人影があった。従業員用の扉が、そっと開かれた。黒いノートが1冊、テーブルの上に置かれている。誰がそこに置いたのかはわからない。そのページは、一枚だけ開かれて風に揺れている。

やがて、それを拾い上げた“何者か”が、小さくつぶやく。


「……やはり、ここにあったか」


その声は、男とも女とも判別できない、かすれた音だった。その者は、ノートを抱え、再び扉の奥へと姿を消した⸻。


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