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あなたの語った夢だった

作者: P4rn0s

僕はいつも、まだ来ていないはずの時間のことばかり考えている。

それは約束でもなく、誓いでもなく、ただ二人の間に浮かんでいた薄い影のようなものだった。

君と過ごした最後の季節の匂いを思い出すたびに、その影が少しだけ形を変えて僕の胸を押す。

風が田んぼの水面を揺らしたあの夏の日も、雨に濡れた古いバス停で待ち合わせをしたあの夜も、君は僕に未来を語ってくれた。

だけど君の言葉はいつも輪郭がはっきりしなくて、確かな地図にはならなかった。

だから僕は、そこにあるはずの地点を探して歩き続けるだけなのだ。


君は未来を簡単に笑い飛ばしてしまう人だった。

「そんなに先のこと考えても仕方ない」って。

それでも、時々だけれど、目を細めて遠くを見るような表情をして、そこに二人だけの居場所を想像してくれた。

僕はそのたびに胸が熱くなった。

現実よりもやわらかく、現実よりも優しい可能性がそこで立ち止まってくれたからだ。

でもその居場所は決して招待状をくれなかった。

行き方を教えてくれないまま、君の声だけが残された。


日々は淡々と続く。

朝は目覚ましの雑音で始まり、夜はテレビの遠い音で終わる。

僕は普通に仕事をして、普通に電車に乗り、普通に食事をする。

周囲から見れば何も変わっていない。

だけど僕の内部では、時間がいびつに伸び縮みしている。

君が言っていた「いつか」は、まるで手の届きそうで届かない灯火で、いつも手の平から零れてしまう。

僕はその灯火に向かって小さな道を描こうとしたが、描けば描くほど画面がにじんでいく。


人は記憶の中で人を再構成する、と誰かが言っていた。

それは本当だと思う。

君のことを思い出すたびに、僕は君を少しずつ作り直している。

君の笑い方をその日の天気に合わせて変え、君の好きだった曲を別のテンポで再生し、君が好んでいた紅茶の香りまで付け替える。

その作業は無意識で、いつの間にか僕の生活の一部になっていた。

でも構築された君は、時に本物の君より優しく、時に酷く矛盾していた。

僕はそのどちらにも傷ついて、どちらにも慰められる。


君が残してくれた言葉の一片が、僕の中で果てしない旅を始めたのだろう。

誰に向けられたのか、あるいは自分のためだったのか、僕にはもう確かめる手段がない。

それでも僕はその言葉に導かれるように生きてしまう。

たとえば、朝の小さな選択、駅での人混みをすり抜ける瞬間、夕暮れに見つけた古い喫茶店の窓際の席を取ること。

些細で取るに足らないことにも、君が持っていた価値観や癖を当てはめてしまうのだ。

それが僕にとっては、君とまだどこかで繋がっていると感じる唯一の方法だった。


夜になると、時々君がそばにいるような気がする。

それは部屋の隅に差し込む街灯の光のせいかもしれないし、ただ僕の心が疲れて弱っているだけかもしれない。

しかし、その気配は確かに僕の呼吸を変える。

苦さと甘さが混じった感情が、胸の奥で蠢く。

僕はその感情を言葉にすることが下手で、誰かに伝える代わりに紙やメモに書きつけてきた。

でも書かれた文字は僕の指先で揺れていて、どれも君に届くことはない。


時間は残酷だ。

思い出はやがて抽象化し、輪郭を失う。

僕はそれが怖い。

大切なものが風化していく恐怖を、まるで病気のように抱えている。

だから何度も同じ場所に戻っては、君との会話を反芻する。

同じ言葉を違う角度から噛みしめ、別の意味を見つけようとする。

そこで見つかるのは往々にして僕の願いだ。

君が語った未来が僕を救うことを望む自分。

君が残した曖昧な希望を信じたい自分。


ある日、偶然古本屋で手に取った短編小説に、似たような断片が出てきた。

そこでは登場人物が「もう一つの時間」を信じることで救われるように描かれていた。

僕はページをめくりながら、自分がどれほど救いを求めていたのかを知った。

それは他人の創作物に慰めを求めたというより、誰かが僕と同じように時間の穴を抱えていると知った安心感だった。

それから僕は、自分の中にある空白を埋めるために、小さな儀式をいくつか始めた。

日曜日には必ず同じ道を歩き、君が好きだった花の前で立ち止まり、そして静かに目を閉じる。

誰かに見られれば奇妙に見えるかもしれないが、僕はその奇妙さに救われている。


僕が一番怖いのは、君がもう一度僕の前に立つことではない。

むしろ、君が完全に忘れられてしまうことだ。

忘却は、死よりもひどい裏切りに思えることがある。

記憶の中で君が薄れてしまう時、君がそこにいたという証拠まで揺らぎ始める。

それを防ぐために、僕は小さな記録を残すことにした。

写真でもいい、音声でもいい、古いチケットの切れ端でもいい。

それらは不完全で、鮮明さに欠けるかもしれないが、それでも確かに存在するものだ。

僕はそれらを棚に並べて、ふとした瞬間に取り出しては確認する。

君が確かにそこにいて、僕と時間を共有したことを確かめるために。


時々、他人の幸せそうな顔を見て胸が痛む。

君と歩くはずだったはずの道を知らない誰かが楽しそうに歩いている。

そういう瞬間、僕は自分の中の空虚さを突きつけられる。

だが同時に、それは僕にとっての現実でもある。

君の不在が生み出す空白に、新しい人や出来事が入り込んでいく。

それは裏切りでも冒涜でもなく、ただ時間が進んでいる証拠だ。

僕はそれを認めようとするが、認めることは簡単ではない。


夜の終わりに、静かにベッドに横たわると、僕は君の声を思い出す。

どうしてあの言葉を選んだのか、何を期待していたのか、誰に向けていたのか。

答えはもう得られない。

それでも僕は想像することをやめない。

君が別の世界で安らかにいるのなら、それでいいと願う一方で、僕はまだここで君のための灯りをともしている。

その灯りは現実には何の力も持たない。

だが僕の中では、小さな守りとして機能している。


人は完璧に失うことはできないと言う。

記憶がある限り、失ったものはどこかで生き続けると。

その言葉を信じることが、僕の生き方になった。

君が言った「いつか」について、もう確かな形は追わない。

形のない約束が示したのは、終わりのない願いの持ち方だったのだと気づいたからだ。

僕はそれを自分の中で育てることにした。

期待ではなく、習慣として。

幻想ではなく、日常として。


朝が来るたびに、僕はもう一度君と出会った日のことを少しだけ探る。

その探し方は変わった。

執着ではなく、感謝に似た静かな確認に変わっていく。

君が僕に残してくれた不確かな灯火は、やがて僕自身の中で灯りを増やしていった。

そしていつか、本当に別の時間が訪れたとき、その灯火が誰かの道しるべになるかもしれないと、ひそかに思う。

それは君が叶えられなかった一部を、僕が続けていくという小さな約束だ。


僕はまだ君の話した未来を追っている。

だが今は、追うこと自体が誰かを忘れないための祈りになっている。

君が選んだあの言葉が僕を傷つけたとしても、僕はそれを手放さない。

それは僕の生き方を形づくる一片だからだ。

そして、言葉にされなかった残りの世界を、僕は自分の足で確かめていくつもりだ。

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