魔王城への一歩
魔界、それは僕ら魔族の暮らす世界そのもの。
闇と混沌が覆うこの世界を納める王──魔王さま。そんな偉大な人がいる所に今、僕は。
「よっ……と」
背中に荷物の入ったリュックサックを背負いながら、僕は目の前の光景を改めて眺める。長いこと歩いて旅して、ようやくたどり着いたんだ。
暗い空に昇る月が照らす大地。遠くにはいびつに歪んだ山に闇色をした深い森も見える。まさに魔界でよく目にする、日常の風景。そして──。
(すごいな。本当にここまで来たんだ。
魔王さまがいる居城──魔王城に)
目一杯に広がるのは、雲にまで届きそうなくらいに高くて、大きくて豪華で……とにかく凄いとしか言い表せないくらいの城。
そんな凄い城を目の前に、僕は自分に気合いを入れるように一人ガッツポーズをして、鼓舞してみせる。
(これから心機一転、頑張らないと! 送り出してくれた村のみんなの為にも、ここで立派になってみせる!)
少し中の物がはみ出るくらい、パンパンに詰まった大きなリュックサックを背負って僕は、魔王城へと歩みを進める。
────
魔王城の入り口、大門前に来ると門番に呼び止められた。
「おや、ずいぶんと可愛らしい来訪者だ。君は……人魔族の男の子かい?」
槍を片手に大門を守る、僕の二倍以上も大きさがある、全身を毛で覆われた門番。大きな耳と口、それに尻尾と爪が特徴の『コボルト』。魔族の一種だ。
ちなみに彼が言っていた通り俺は『人魔族』、魔界でも一番数の多い、小さい二本の角と尻尾が生えた、別世界の『ヒト』と言う生き物にそっくりな姿をした魔族。話では異世界に生きる生き物らしい。
(最も、そうしたのはおとぎ話と言うか……どこからか伝わったただの物語でしかないけど。こことは違う世界だなんて、信じる気にもなれないし)
「まあね。僕はここで、魔王さまの元で働きに来たんだ」
「ハハハハッ! これはこれは、面白い事を言うじゃないか。こんなに小柄な子供がか? 冗談だろ?」
門番のコボルトには大きな口を開けて、大笑いされる。小柄で子供っぽく見られるのは自分でもコンプレックスで、これには俺もムッとなる。……けれど俺はそれを堪えて、リュックサックを下ろす。
「……それにちゃんと魔王さまへの正式な紹介状もある。村の長老さまが僕のために、用意してくれた物が。──たしかこの中に」
リュックサックの中をまさぐり、そこから一枚の紙を取り出して見せる。
多分これで大丈夫なはずだ。門番の態度も確認した途端に態度が変わって……今度は真面目な様子で俺に言った。
「こう言う大事な物は、真っ先に見せてくれないと困る。
だが──分かった。城に入る許可は任せな。俺が門を開けてやるから、とりあえずこのまま城に向かってくれ。俺の部下に魔王さまの元まで案内を頼む……まぁ、部下もコボルトだから会えば分かると思うが、後はあいつの案内に従って行けばいい」
城に入る許可だけでなく、一気に魔王さまの元まで案内してくれると言う。それは有り難い。
「ありがとう! 凄く助かる!」
「いいってことよ。その──ガレット殿には昔、色々と世話になった恩人だからな。これくらい何てことはない」
それから門番は大門に付いていた一人通れるくらいの小さい扉を開けてくれた。
僕は礼を伝えると、そのまま──城へと向かう。
────
あの門番の言う通り、城の入り口にはコボルトの案内人がいて、僕を中に案内してくれた。
「廊下だけでも、こんなに広いなんて……」
「それは魔界全土を納める魔王さまの城だからな。広くて立派なのは、当たり前だ」
僕達の歩く魔王城の廊下の幅はずっと広くて、それに装飾もどれも立派そうな物ばかり。それに他にも多くの人、種族も見かけた。
(随分と歩きもしたけれど、魔王さまのいる所には……まだかかるかな?)
こう考えながら歩いていた、丁度その時。案内人のコボルトは言った。
「──さてと、ついたぞ坊主。魔王さまはこの先にいらっしゃる」
いつの間にか、僕は巨大な扉の前に来ていた。よく見れば他よりもずっと立派で威厳のある扉で、ここがゴールらしい。
「この向こうに魔王さまが……。案内してくれて、助かったよ」
「なに、構わんさ。それよりも、俺の案内もここまでだ。ここからは自分で何とかしてくれよな」
魔王さまの元まで案内してくれたコボルトの人。彼にも礼を伝えて改めて扉を見る。
──この先に合うべき人がいる。僕は扉に手をかけ、ぐっと押し開く。
────
開いた扉の先にあった玉座の間。
城の内部、僕が見た範囲では何処も豪華なものだった。けれどここには左右に並ぶ白い柱と、奥まで続く赤いカーペット……その先の段差の上にある玉座。置いてあるものはそれくらいで、豪華さも他よりも幾らかは少なかった。──それでも。
「君が、私の元で働きたいと言った……少年か。門番のビスケから話は聞いているとも」
ビスケと言うのは、門の前で最初に会ったあのコボルトの名前だろうな。
それに……玉座に座っている、僕と同じ人魔族の青年。整った顔と容姿の、鋭い目が印象的だ。気品のある立派な服とマントを身に着け、それに頭の角だって大きい。
この人こそが魔界を支配する支配者──魔王だと、そう思った。
「貴方が魔王さま、ですか?」
「ああ、見ての通り。私こそがこの城の主、そして魔界全土を治める魔王──シュトレだ」
シュトレ、それが魔王さまの名前だった。
「そう言えば……まだ君の名前を聞いていなかったね。良ければ教えてくれないか?」
……そうだった。魔王城に来てから、まだ自分の名前を伝えてなかったっけ。
ここはちゃんと自己紹介をしないと。僕は緊張しながらも改まって、目の前にいる魔王さまに伝える。
「僕の名前はトルテ。ここからずっと離れたココア村の出身で、村の長老のガレットさんの紹介でここに来ました!
魔王さまと長老さまは昔、親友だった……それで紹介してもらって」
「ふむ、ふむ」
魔王さまは僕の言葉に相槌をうってこたえる。
「だからここで働かせて欲しい! 特に取り柄がある訳ではないけれど、どんな仕事でも頑張るから!
ここで頑張れば自分も変われる気がする。僕も……立派な、大人になれると思うから。だから!」
僕はどうしてもここで、魔王城で働きたかった。その正直な思いを伝えた。
これに魔王さまは沈黙する。答えを待って緊張する僕に、少し間を置いてから──言った。
「ガレットとは数千年もの昔からの友人だ。彼の紹介ならと言う気持ちはあるが……悪いな」
「えっ!?」
魔王さまは悪いと言うような表情で、目を伏せて続ける。
「これでも私は魔界を支配する王、そしてここはその居城だ。幾ら彼の紹介であったとしても、そう簡単に普通の子どもである君を、受け入れる訳にはいかない」
ここまで来て、断られてしまうなんて。正直ショックだった。
「……そんな」
「トルテと言ったな。君の暮らしていたココア村には部下に送らせよう、だからお引き取り願えたら有難い。
何かしら土産も用意するとも。さて、何が良いだろうか……」
「待ってよ、魔王さまっ!」
たまらなくなって僕は魔王さまを呼び止めた。
「どうした? 話はもう既に済んだ、立ち去る事だ」
「お願いだ、僕はどうしてもここで働きたい! 何だってするから、頑張るから!」
必死に頼むけれど、それでも……聞いてくれる様子はなかった。
「とにかくダメな物はダメだ。ここで働くのは諦めて──」
「──いいじゃない。あんなに本気で頼んでいるんですもの、少しくらい働かせたってバチは当たらないわ!」
別の誰かの声。振り返ると、僕が玉座の間に入って来た扉の所に女の子がいた。
左の角に紫のリボンをつけた、新緑色の短髪、緑髪の快活そうな感じの少女。くりっとした大きな紫の瞳はまるで宝石みたいで、思わず見とれてしまうくらい……綺麗だった。
「シフォン、今は客人と面会中だ。話は後にして欲しい」
「むぅ! せっかく可愛い娘が会いに来たのに、冷たいわお父さま。
……ところで」
少女は僕の方に歩いて来て、すぐ傍にまで近づく。背丈は僕と同じくらい、年齢も多分近いと思う。
間近にこっちの顔を見つめてくる少女。思わずドキドキしている僕の顔をじっくり眺めて……それから急に満面の笑顔を見せると。
「ふふふふっ! あなたも、随分と可愛いお客様ね。小柄で赤毛の女の子っぽくも見えるけど……男の子よね。ねぇ、お名前は何て言うの?」
相変わらずドキドキな気持ちだけれど、僕は少女の質問に答える。
「僕は……トルテ。ココア村の、トルテだよ」
「トルテ!! 良い名前ね。それに……何だか面白い子!
あなたの事、気に入っちゃったかも!」
本当に物凄く元気というか、底抜けに明るい感じの女の子。けれど、それ以上に驚いたのは……次に言った、彼女の言葉だった。
「じゃあ私も自己紹介しなきゃね。
私の名前はシフォン・デ・アラモード。魔王シュトレ・デ・アラモードの娘なの!」
「!!」
女の子──名前はシフォン、だっけ。彼女は魔王さまの娘……だなんて。
僕が驚いている一方、当のシフォンは魔王さまの所に駆け寄ると……。
「お願い、お父さま。トルテをここで働かせてあげて。だってここまで来てまで働きたいと思っているのよ。ちょっとくらい、彼にだって任せられる仕事くらいあるはずだわ」
魔王さまはシフォンの言葉に頭を抱えているようだ。いくら魔王さまでも、自分の娘には弱いのかもしれない。
「シフォン……そうは言ってもな」
「なのに、魔王さまともあろう人がそんな彼を追い出しちゃうの?
いくら何でもそれはないと思うわ。魔王さまの名折れよ、私だってお父さまとは口を利いてあげないんだから」
「……ううむ」
魔王さまは項垂れて、考え込むようにしている。娘にああ言われてどうするか悩んでいるみたいで。……けれど、改めて彼は僕に言ったんだ。
「本当にどんな事でも、するのだろうな? ……君にとっては結構大変な仕事だとしても」
まるで確認するかのような言葉。藪から棒にどきっとしたけれど、僕はもちろんと答える。
「ああ。どんな仕事でも、頑張るよ」
その意思を確認すると魔王さまは降参だという表情を見せて、それから言った。
「君の事は十分に分かった。──良かろう、特別に魔王城で働く事を許可しよう」
「やった! ありがとう、魔王さま!」
魔王さまが直々に、僕がここで働く事を許してくれた。
「おめでとう、トルテ! 良かったわね」
「シフォンさんも……ありがとう。君が魔王さまに話してくれたおかげで、こうして働くことが出来るから」
「どういたしまして! でも、出来ればさん付けじゃなくて、シフォンって呼んで欲しいわ。
だって年も同じくらいだから、そっちの方が自然だもの──ねっ!」
シフォンは可愛く僕に微笑んで、ぱちっとウィンクをしてみせた。
一方で魔王さまは仕方ないなと言うような感じで、頭を軽く掻きながら、こんな事を。
「はぁ……仕方ない。
だかまぁ、構わないとも。実を言うと、城の仕事のあちこちで少し手が足りていなくてな。
だからトルテ君には城の仕事を色々と……雑用をして貰いたい」
「……えっ、と……言うことは?」
もしかして魔王城での、僕の仕事……って。
「言い方はあれかもしれないが、君の仕事はこの魔王城の……下働きだ。
しかし立派な仕事には変わりない。大変だとは思うが、何でもすると言った以上は働いてもらう」