(9)
「人馬様、そろそろお昼にいたしましょう!」
瓦礫の撤去に勤しんでいた人馬は、少し離れたところから手を振っている箕宣をかえりみた。
「了解! 団長、休憩しましょう」
一緒に作業をしていた獅子たち火使団に告げて、人馬は箕宣のほうへ向かう。大量の弁当を運んでくるのは、ヌンキの住民たちだ。大変な目にあって一時は悲愴な面持ちだった彼らも、その輪に加わった人馬も、表情は明るい。
町は半分以上が倒壊していた。住処を失って途方に暮れている者も多かったが、人馬は星宮に保管していた天幕をあるだけ出してすばやく設置し、まずは安心して寝泊りできるようにした。食事は箕宣たち町の有力商人たちが協力し、夜は警備団が見回りをする。けが人は薬師の資格を持つ衛士の団長や副団長が手分けして手当てをしたので、重傷者以外は比較的早く落ち着いた。それでも何か困ったことはないかと、人馬は昼夜を問わずこまめに被災者を見舞っている。
宰相府で管理されている戸籍をもとに、ヌンキに住む者すべての生存確認が進められ、昨日終了した。遺体は一つ残らず星たちの墓地がある星座ケンタウルスに運ばれ、丁寧に弔われた。
住民を切り殺していたのは人馬の偽物だったと、目撃していた箕宣が皆に触れ回ったことで、最初は警戒していた星たちも徐々に人馬のもとへ集うようになった。人馬が箕宣と少女を助ける現場を見た者もいたし、衛士統帥である天鵝が援護に来ていたことも効果があったが、やはりヌンキの町で一番信頼されている大商人の箕宣が人馬の味方をしたことは大きい。
そして天鵝の偉業はいまや、サギッタリウス以外の星座にも噂が広がっていた。大火にのまれた町を白馬で駆け巡った天鵝の姿は、目にした者すべてを魅了したのだ。もともとほめそやされている容姿が輝力でさらにきらめいて、それはそれは美しかったと。
摩羯は何とも言いがたい表情をしていた。天鵝が危険を冒して火事場に突入したことについては後で苦言を呈したようだが、普段あれほどそば近くにいながら、摩羯はまだ一度も天鵝が輝力を解放する場を見ていないのだ。天鵝と行動をともにした水使団員たちがこぞって天鵝を賛美するのも気に入らないらしく、ここ数日は眉間のしわが増えている。
星座タウルスの火災は幸いなことに陽界の炎は使われていなかったため、地使団が消火することができた。そして白羊の第二小隊の半分が追った謎の荷馬車は途中で放棄され、運び手たちは逃げていったという。また、箕楽をはじめとする『南斗』支店の密輸関係者は、星座ぺガススで殺害されているのを発見された。陽界の武器による傷があり、おそらく口封じに殺されたのだろう。自分の星座に不埒者が逃亡してきたあげく殺されたことを知り、星司の飛馬はひどく憤っていた。そして星座内に彼らの協力者がいないか徹底的に調べることを約束してくれた。
柳女は衛府の監獄で人馬に会わせろと毎日訴えているが、人馬が断固拒否しているので、たまに獅子が形だけ取り調べるほかは放置していた。本性がばれた以上、もう彼女の誘惑に引っかかる衛士はいないだろうが、用心するに越したことはない。また柳女は陽界側の人間と接触しておらず、昴祝の手下として動いていただけだと獅子は判断した。
「しっかし、団長も人が悪いですよ。教えてくれればよかったのに」
「そうですよ。俺たち、人馬が恋人自慢してるとばかり思ってたんですから」
食事の用意された場所へ向かいながら、火使団員が文句を垂れる。
「だからお前たちには教えなかったんだよ」と獅子は答えた。
あれだけ蠱惑的な肢体をしていて、かつ自分の武器がわかっている女が衛府を訪ねてきて衛士がちやほやしなければ、間違いなくあやしまれる。素の反応をしてもらうためには、内密に作戦を進めるしかなかったのだ。
事情を知っていたのが天鵝と団長四人だけだったので、衛士のほとんどから白い目で見られた人馬は気の毒だったが、主に女性とのつきあいが多い獅子と違い、人馬が積極的につるんでいるのは同性だ。だからすべてが明らかになれば、関係を修復できるだろうと思った。そして今、金牛も含めてすっかり元通りになっている。
あれでもう少し異性と戯れることができればもっと使い勝手がよくなるのだが、兄に似たのか意外とそちらの方面はかたい。抱き寄せるのが精一杯でしたと後で聞いたときは、ずっこけそうになった。むしろよくそれで柳女に喋らせることができたものだ。
「人馬の奴、本当によく耐えたよな」
「俺なら絶対に落ちてたな」
感心したさまで言う団員たちに、「あいつは、ああいう女には引っ掛からねえよ」と獅子は笑った。
「それもそうですね。あいつ、もてるもんなあ。その気になれば選り取り見取りだろうし」
日頃なかなか人馬と話す機会のない町の若い娘たちが、好機とばかりに人馬を囲んでいるのを見ながら、団員たちがうらやましそうにぼやく。
男ばかりの環境だから衛士は女性に飢えていると思われがちだが、団員によって差は大きい。月界で衛士は人気があるので、ただの下っ端団員でも歩けばそれなりに注目される。それを生かせるかどうかは本人しだいなのだ。
「どうだかな。案外、なかなかふり向いてくれない手強い女に悪戦苦闘しているかもしれんぞ」
ぐいぐい迫って腕にしがみつく娘たちにたじろぎながら、それでも笑顔で応じている人馬に、獅子は一人、口元をほころばせた。
詰め所の大机で、先月の団員たちの活動記録を一つ一つ確認していた白羊は、扉の開く音に顔を上げた。
「ただいまー。あー、疲れた」
「お疲れ」
入ってきた人馬は服がかなり汚れている。毎日ヌンキの住民たちと一緒に崩れ落ちた家屋を片付け、また町中を走り回っているようだったので、衛府で顔を見るのは久しぶりのような気がする。
「復興の目処は立ちそうか?」
「んー、まだまだかかりそうだけど、みんなが協力してくれるから、予想してたよりは早いかな」
「そうか。お茶でも飲むか?」
「ああ、いいよ。自分で入れるから」
腰を浮かしかけた白羊を制して、人馬は作り置きされていた茶を杯にそそいだ。一度一気飲みしてから二杯目をつぎ、ついでに白羊の分も入れて持ってくると、白羊の右側に座る。
「すまなかったな。あそこに密輸組織の拠点があると気づかなかったのは、私の落ち度だ」
「無理もないよ。『南斗』といえば清廉潔白な店として知られてるし、密輸も今年からっぽいだろ。去年の収支はごまかしてないんならすぐにわからなくても仕方ない」
俺も箕宣が同じことをしてたら、きっとだまされてたよと人馬は笑った。
「彼女、どこで昴祝の仲間になったのか、吐かないんだって?」
柳女のことだ。白羊は再び記録を読みながら答えた。
「そのようだな……お前が恋しくて仕方ないみたいだぞ」
同時に白羊に対して罵詈雑言の嵐だとも獅子から聞いている。
人馬は「いや、もう本当に勘弁してくれ」とぼやいた。あまりにも拒否反応が大きいことに、白羊は目をしばたたいた。
「私が親しくなった男で柳女になびかなかったのは、お前が初めてかもな……何だ?」
びっくりした顔でかたまっている人馬に首をかしげる。
「あ、いや……」と視線をそらした人馬が杯に口をつける。耳が赤くなっている。
「お前、熱があるんじゃないのか?」
星魂を確かめようと白羊は手をのばしたが、人馬はびくりと身をひいた。そして茶を全部飲んでから、目をあわせないまま尋ねる。
「白羊の親しい男に、俺も入ってるんだ?」
「火使の連中のことはそう認識しているんだが……だから、さっきから何なんだお前は」
今度は机に突っ伏していじける人馬に、白羊はあきれた。
「はあ……もういいや。ちょっと休むから膝貸して」
言うなり、人馬は白羊の膝に頭を乗せて横になった。
「おい、勝手に人を枕にするな」
「だってこないだみたいな汗臭い服を頭に敷きたくないし」
「仮眠室に行けばいいだろう」
「今日はここがいい」
「変な奴だな。もう柳女の訪問を気にすることはないんだから、こんな寝心地の悪い場所でわざわざ寝なくてもいいだろうに」
二人が座っている長椅子は人馬が寝転んでもまだ十分な長さはあるが、それでもかたいので、あちこちが痛くなりそうだ。
「それに、私の膝だって……柔らかくないだろうし」
読み終えたところまでをそろえながら、白羊はぼそりと言った。
「柳女と比べてるんだったら、俺、そういうことはしてないから」
「膝枕をか?」
「いや、膝枕だけじゃなく」
今度は白羊が驚き、手をとめた。
「誘惑合戦をしていたと団長に聞いていたんだが」
「そりゃあ、飲みながら肩を抱くくらいはしたけど……しないと膠着状態だったから」
彼女、本当になかなか口を割らなくてさと、人馬が眉間にしわを寄せて前髪をかき上げる。
「……つまり、交わりもしなかったと」
「だから、そう言ってる」
「お前、すごいな」
白羊は感嘆の息をついた。柳女にすり寄られて手を出さない男がこの世にいたとは。
「待てよ。お前まさか、まだ経験が――」
「あー、悪いけど、それはないな。入団歓迎会が終わって最初に上官に連れていかれる場所が、そういうとこだから」
さらりと教えられた事実に、白羊は吃驚した。
「……摩羯様や双子様も」
「兄さんや双子様は団員の遊ぶ金だけ小隊長に預けて、さっさと帰ってるみたいだよ。もちろん天蝎様も。一緒になって遊んでるのはうちの団長くらいだ」
ほっとしたものの、非常に複雑な気持ちになり、白羊は沈黙した。
「白羊たちはどこに行ってるんだ?」
問い返され、女性団員はまた次の飲み屋でお喋りしていると白羊は答えた。話の内容は途中から、誰がかっこいいとか恋人がいるとか、男性団員のことばかりになるのだが。そして団長や副団長はもちろん、人馬も人気がある。
人数が決して多くない女性団員たちは、結束しないとやっていくのが難しい。そのため、特に恋愛面でもめることがないよう、こそこそ隠れての横取り禁止が暗黙の了解になっている。飲み会で共有される情報を聞き漏らすのは死活問題になりかねないのだ。
今回の人馬の行動は、女性陣の間でもかなり噂になっていた。がっかりしたと泣いていた後輩たちは、真相を知って今頃安堵で大喜びしていることだろう。
「柳女が間者として来るとは思わなかったな」
胃雀の件がきっかけで、白羊は柳女とのつきあいをやめた。積み重なってきた不信感をぬぐいきれなくなったのだ。だから、その後柳女がいつどうやって昴祝と出会い、仲間になったのかわからない。
「あんなに嫌われていたことも知らなかった」
監獄で、柳女は聞くに堪えないほどの悪口を垂れ流しているという。婁珠はずるい、憎い。人の気持ちなんて知ろうともしないで好き勝手に行動して。対して自分はずっと好かれる努力してきたのだと。
「俺も、白羊と柳女が知り合いだってわかったときは冷や汗ものだったけどな」
人馬があくびをする。どうやら本当に眠くなってきたらしい。
「……でも、もし送り込まれてきたのが白羊だったら」
うっかりヤッちゃってたかも、というつぶやきが耳をかすめ、「は?」と見下ろすと、人馬はもう寝息を立てていた。
そっと額に触れ、星魂の様子を見る。やはり疲れがたまっているようだ。ヌンキの町の住民たちが出してくれる食事を一緒にとっているそうなので、すぐにすぐ倒れるということはないと思うが。
後で体力回復剤を作っておくか。そう考えていると、また詰め所の扉が開いた。
ばちっと視線があった獅子は、足音を忍ばせて寄ってきた。
「摩羯が火使に茶を差し入れてくれたから呼びにきたんだが」
「今、寝入ったばかりなので」
声をひそめて話をする。人馬は爆睡態勢に陥ったのか、獅子が顔をのぞき込んでも起きる気配はない。
「仮眠室に連れて行ったほうが、体にはいいと思うんですが」
獅子なら人馬も抱えていけるのではないかと期待したが、獅子はかぶりを振った。
「精神的にはこのままここで寝たほうがいいだろう」
いぶかしむ白羊に、獅子はにやりと笑った。
「頑張り続けたこいつに免じて、今日のところはそっと見守っといてやるよ」
一瞬ぽかんとした白羊は、言われた意味を理解して慌てた。
「いや、あの、これは人馬が勝手に私を枕にしただけで――」
「泣く子も黙る火使副団長の膝が安眠場所ってのも、たいしたもんだ」
「ですから、私と人馬は別に……団長っ」
さっさと背を向けて出ていく獅子に追いすがろうとしたが、人馬の頭が乗っているので動けない。それをいいことに、獅子は扉を閉めていった。
「お前ら、しばらく詰め所に入るんじゃねえぞ!」という命令が扉越しに聞こえ、白羊は頭を抱えた。うろたえる白羊をよそにぐっすり寝ている人馬が憎たらしくなり、いっそ振り落とそうかとも思ったが、踏みとどまる。
「皆に誤解されても知らないからな」
自分で責任をもって訂正しろよとささやいて、白羊はうっすらくまができている人馬の目元をなでた。
獅子は、人馬に青冠薬師の試験を受けさせる考えがあることを口にしていた。次期団長候補は数人いるが、その中で最年少のこの男を、本腰を入れて育てるつもりらしい。
彼の兄とは性格がまったく異なるから、もし実現すれば全然違う団長になるだろう。それを見るのが怖いような、楽しみなような、と白羊は不思議な気持ちになった。
詰め所の外は、摩羯から届けられた茶に対する感想が飛び交っている。初めて飲む者が多いから、皆その味のよさに驚いているようだ。
衛府も落ち着きを取り戻したし、明日あたり天鵝との昼食時に自分も摩羯の茶をいただけるだろうか。おかわりを取り合う声を聞きながら再び記録書に目を通しはじめた白羊は、いきなり響いた「おええええっ!」という嘔吐の叫びにぎょっとした。団員の騒ぎから、獅子一人だけが別の飲み物を渡されて、あまりのまずさに吐いたらしいとわかり、やれやれと嘆息する。
それが、御前試合前に廊下でこれ幸いと天鵝を抱きしめた獅子に対する摩羯の報復だと白羊が知ったのは、翌日のことである。
有明皇子は、自分の雲宮で一人、照りつける陽光に目を向けていた。
太陽は日ごとに熱く、大きく膨らんできている。まもなくこの世界を飲み込む日も近いと思われた。
扉が控えめにたたかれる。茶色い外衣に身を包んだ男が入ってきて、有明の前で片膝をついた。
「遅かったな」
「あちらの衛士の追跡を受けまして、荷は手放さざるを得ませんでした。申し訳ありません」
「勘づかれたか。まあいい、最低限の数は手に入った」
予定通り決行しようと、有明は答えた。
「取引をしていた商人は始末しましたが、もう一つ、ご報告がございます」
まなざしで続きをうながした有明に、男は告げた。
灼熱竜の冷妃と思しき女人がいた、と。
とたん、有明は笑い出した。
「東雲を遣わそう。朧を救えるとわかれば、喜んで行くだろう」
ついでに、と有明は男に耳打ちした。男がうなずき、退室する。再び一人になった部屋で、有明はひそかに笑みを漏らした。
「さて、我らが竜の望む女がどのようなものか、とくと拝見しようではないか」
老いぼれにくれてやるには惜しい女なら――舌なめずりをして、有明は赤い双眸を細めた。
〈登場人物・その他〉
金牛……幼名畢子。地使団員。星座タウルス(牡牛座)の星司。
宝瓶……風使副団長。アクアリウス(みずがめ座)の星司。
巨蟹……水使副団長。カンケル(かに座)の星司。
その他……星座ボーテース(牛飼い座)、星座カリナ(竜骨座)