(8)
「商品は気にするな! 急いで避難しろ!」
店内と屋敷を駆け回る使用人たちに箕宣は叫んだ。高価なものはもともと地下や耐火倉庫に入れている。手ごろな価格の品はかなり失うことになるがやむを得ない。命さえあれば何とでもなる。
他の店が可能な限り商売道具を荷車に積んで移動しているので、道はごった返してしまい、なかなか進まない。それでも箕宣は使用人たちと家族を少しでも炎から遠い場所へ逃がすべく、身軽な状態で次々に店から追い出した。
サギッタリウスの警備団が声を枯らして星たちを誘導しているが、火の回りが早くてあせる者が多く、流れがばらばらだ。そのとき右手の方から悲鳴があがった。今度は反対のほうへ皆が転がるように走りだす。
店先に出た箕宣は見た。白馬に乗った人物が次々に住民たちを切り捨てている。不思議なことに、刃を受けた者たちはそろって体から炎をあげて倒れていく。
馬上の人物は外衣をまとっているが、前を開けているので赤い胴着がのぞいている。フードを目深にかぶっていて顔はわからないが、誰もがあれは星司だと騒ぎ逃げていた。衛府の監獄から抜け出したのだと。
「父さん、早く! 人馬様はもうだめだ。狂ってるっ」
息子が箕宣の腕をつかむ中、箕宣の目の前で一人の女性が剣で刺し殺された。傷口が燃えて女性の体をこがしていく。そばでは幼い少女がへたり込んでいた。
「青斗、そいつを踏みつぶしてやろう」
ゆっくりと少女に向けて馬を進める人物の前に、箕宣は思わず飛び出した。
「父さん!」
「……邪魔をするなら、お前から切るよ」
興をそぐ行為をした箕宣に、中性的な声の持ち主が苛立ちをあらわにする。そして箕宣目がけて剣を振り下ろしかけた相手の動きが不意にとまった。
もう一頭、白馬に乗った火使団員が猛然とやって来る。馬首をめぐらせた人物に剣を突き付けたのは――人馬だった。
剣と剣がぶつかり合う。箕宣と少女をかばって立ちふさがった人馬に、相手が冷ややかに笑った。
「遅かったね。ヌンキは半分が焼失してるよ。これからまだまだ燃え広がる。この星座は灰になって終わりだ」
「姫様のおっしゃったとおりだな。全部お前が仕組んだのか、昴祝」
「ふふっ、短い間でも楽しい思いができただろう? 僕に感謝してほしいね」
柳女はずいぶん積極的にお前に絡みにいっていたからねと、フードを取った昴祝は緑色の双眸を細めた。
「あの人はタウルスに行ったんだね。実の弟より、目をかけている地使団員を選んだのか」
やっぱり向こうに遊びに行けばよかったなと、昴祝が残念そうに言う。
「お前がどれだけあの人を追いかけても無駄なんだよ。あの人は、お前を自分と同じ団にすら入れなかったじゃないか」
きっと迷惑なんだよと嘲笑され、人馬は「黙れっ」と剣を一閃させた。それをかわし、今度は昴祝が剣を振る。
「本当のことだからって、八つ当たりはみっともないよ」
「四方八方に当たり散らしているのはお前のほうだろうが! 俺はお前とは違うっ」
「そうかな。お前があの地使団員と言い争っていたと柳女は報告してくれたけどね」
あの人に相手にしてもらえなくて寂しかったんだろう、とさも同情するかのごとくささやいて、昴祝が鋭い突きを繰り出す。人馬はぎりぎりのところで回避したが、胴着をかすめたらしく、ジュッと火花が飛んだ。
「火使には致命傷を与えられないみたいだね。もっとも、心臓を一突きすればさすがに死ぬだろうけど。あの人は地使だから、一度でも切られたらおしまいだ」
少し遠くを見る目をした昴祝に人馬は切りかかった。
「兄さんは、俺をやっかい者扱いなんてしていない。俺のために地使団に入れなかったんだっ」
配属当初は悲しかった。腹が立って、どうして自分を火使団に放り込んだんだと摩羯を責めもした。でも、本当はわかっていたのだ。
たった二人の家族となって、摩羯は自分に居場所を用意しようとした。万が一のことを考えて、摩羯以外に頼れる者たちをつくってくれようとしたのだ。
「俺は兄さんが大事にするものを一緒に守る。もうお前に邪魔はさせない。何も壊させないっ」
人馬の剣を払いのけ、昴祝は心底憎らしげに人馬をねめつけた。
「本当に鬱陶しい奴だね。僕は、あの家でお前のことが一番嫌いだったよ」
火の手が迫る中、攻撃の応酬はとまらない。しかしそこで昴祝の狙いが人馬からそれた。白馬目がけて振り切られた剣をかわそうとして、人馬はとっさに手綱を引いて青斗の向きを変えた。昴祝の剣先が右の太腿からふくらはぎにかけて走る。焼けるような痛みに、人馬の手が手綱から離れた。落馬した人馬はその場に倒れ込み、あえいだ。
激痛に息がとまる。歯を食いしばってうずきに耐える人馬を、馬上から昴祝が冷ややかに見下ろした。
「馬をかばうなんてね。お前は本当に馬鹿だ」
青斗が心配そうに人馬に顔を近づけては足踏みし、昴祝を威嚇する。それすらおもしろくないとばかりに、昴祝は鼻を鳴らして剣をしまった。
「僕はもう行くよ。あの人が来ないなら、ここにいてもつまらないからね」
そして昴祝は外衣の下に着ていた赤い胴着を破り捨てた。
「お前のものなんて、気持ち悪くて反吐が出そうだったよ。その状態じゃどうせ動けないだろうから、馬と一緒に火に巻かれて死んでしまえ」
「逃げおおせると思うなよ。絶対に捕まえてやる」
射殺さんばかりににらみあう。やがて昴祝がにやりとした。
「最後にいいことを教えてやるよ。この火は水使の輝力では消せないよ」
高笑いをし、昴祝は馬の脇腹を蹴った。去っていく昴祝の背中を見つめながら、人馬は驚き、あせった。
まさか、この火は――。
「人馬様、ご無事ですか!? 今、助けを……」
箕宣の声かけにはっとする。ふり返った人馬は目を見開いた。箕宣と少女のそばの家に飛び火し、二階が崩れかけている。まもなく屋根と壁が燃えながら傾いた。
「箕宣、伏せろ!」
人馬はふところから取り出した鎖を投げた。箕宣が少女に覆いかぶさってうつぶせになったその頭上で、人馬の鎖が屋根と壁を粉砕する。火の粉とともに舞う残骸を、さらに鎖で払いのけ、何とか二人を守ることができた。そこへ複数の蹄の音が響いた。
「人馬!」
白馬を駆けさせてきたのは火使団員たちだ。
「水使団の輝力がきいていない。火が消えないんだ!」
見るとあちこちで水使団員たちが鎖を振り回して水の輝力を飛ばしているが、炎はいっこうにおさまる様子がない。
陽界の火だ。昴祝は種火に陽界の火を使ったのだ。
昴祝は、この星座を丸ごと消すつもりなのだと、人馬は悟った。ただただ自分への嫌がらせのためだけに、ここで生活している星たちまで犠牲にしようとしているのだ。
人馬は唇をかむと、鼻面を押し当ててきた青斗の顔をひとなでして、よろよろと立ち上がった。
「天蝎様に伝えてくれ。水使団による消火は中止して、他の町に避難命令を回してほしい。みんなにも誘導を頼みたい」
片足で何とか青斗の背によじのぼり、人馬は手綱をつかんだ。
「全住民をサギッタリウスから退避させる」
「この星座を捨てるつもりか?」
ざわめく火使団員たちに、「他に方法がないんだ!」と人馬は怒りを吐いた。
摩羯に助けられ、やっと住民たちが笑って過ごせるまでに復興させたのに。迷いながら、悩みながら一つずつ築き上げてきたのに。
悔しい。悔しくてたまらない。涙で視界がゆがみはじめる中、それでも思いを振り切って青斗の脇腹を蹴りかけたとき、強大な輝力が近づいてくるのを感じた。引きつけられるように目を向けた先から、穏やかで優しい力の波動が広がってくるのが見える。
火使団員も箕宣たちも、その場にいた者たち皆が呆けたさまでかたまっている。
何が……誰が――絶対に消せないはずの炎を鎮めていく輝力が頬や手の甲にふれたとき、覚えのあるぬくもりに人馬の心が震えた。
「……姫様……?」
まず巨蟹を先頭に水使第二部隊が道を開けろと叫びながらやって来る。その後に、天蝎たち第一部隊に囲まれながら、光り輝く天鵝が馬を駆って現れた。
人馬宮は首都ヌンキを一望できる丘の上に建っている。そこから町の様子を眺めていた天鵝と天蝎は、副団長の巨蟹が慌てたさまで白馬を飛ばしてくるのを迎えた。
「団長、だめです。我らの輝力では消せません!」
「馬鹿な。そんなことが……」
天蝎が驚惑の表情であらためて町に視線を投げる。確かにここへ来てからも炎は膨れ上がるばかりで、水使団の消火が間に合っていないと天鵝も感じていた。
逃げる住民たちを誘導するかたわら、水使団員たちは懸命に輝力を放出している。決して手を抜いているわけではない。むしろ限界を越え、息切れを起こしている者のほうが多いというのに。
火はヌンキをほぼなめつくす勢いで飲み込み、近隣の町にまで達しようとしている。
おかしい。水使団の約半数が関わりながら、ここまで苦戦するなど――そう思い、天鵝は一つの可能性に気づいた。
「天蝎、これがもし陽界の火だとしたら?」
陽界の武器が流入したのなら、あちらの火が持ち込まれていたとしても不思議はない。
天鵝に問われ、天蝎は蒼白した。
「それならば、水使の輝力では抑えられません」
水はすべて蒸発してしまうという返答に、天鵝は唇を引き結んだ。そばで聞いていた巨蟹も動揺に言葉を失っている。
「手の打ちようがありません。こうなっては、星座を放棄するしか……」
うなだれる天蝎に、「いや、まだあきらめるのは早い」と天鵝は答えた。
水属性ではかなわなくても、自分の輝力の性質なら――燃え盛る巨大な炎の壁を凝視し、天鵝は決心した。
「私がやってみよう。これから町中へ入る。輝力を放出している間、護衛を頼む」
「姫様、危のうございます」
反対する天蝎に天鵝はかぶりを振った。
「遠方からでは余計な神経を使うのでかえって疲れるんだ。これだけ拡大しているなら、炎と並行しながら輝力を放ったほうが効率的だ」
「……もし姫様のお力でも不可能となった場合、我々は姫様を最優先でここからお連れいたしますが、よろしいですね?」
星たちより天鵝を一番に守り逃がすと宣言する天蝎に、天鵝は一呼吸おいてうなずいた。
「発生元はすでに焼け落ちているだろう。まだ間に合うあたりに向かう」
天鵝の言葉を受け、天蝎は巨蟹に第二部隊の移動を素早く指示した。そして天蝎率いる水使第一部隊が天鵝の周りをかためた。
人馬宮を発ってまもなく、炎の先端が見えてきた。先に第二部隊が住民たちに道を開けるよう伝えていたので、大通りの真ん中があいている。第二部隊がどんどん先駆けしていく背中を視界におさめながら、天鵝は右手に意識を集中させた。
一度爆発させてからは、あふれる輝力の扱い方がわかるようになっている。全身を発光させる天鵝に、隣を行く天蝎が息をのむ気配がした。そして天鵝は右手を横に払い、輝力を解き放った。
柔らかな光を散らしながら、天鵝の輝力が荒れ狂う炎を飲み込み、鎮めていく。駆け抜けた後は、凝然としている住民たちを水使がうながし、避難を続行させた。
炎や昴祝の刃に打たれてもかろうじて息のあった者たちは、天鵝の輝力を浴びて傷が少しずつ癒えていく。誰も彼もが、キラキラと温かい光を振りまいて疾駆する天鵝に見とれた。
鎮まれと、ひたすら念じながら前へ前へと進んでいく。やがて人馬たち火使の姿が見えた。皆が目を見開いている。すれ違いざま人馬と視線を絡めてから、天鵝はさらに火元のほうへと向かった。
放火犯はすでに立ち去っているらしく、攻撃を受けることはなかった。そして首都ヌンキを走り回った天鵝は、獅子や摩羯が応援に来たときには、町を蹂躙していた陽界の炎を抑えることに成功していた。
星座サギッタリウスは、生き残ったのだ。