(7)
「……うっ……」
ズキズキする痛みに無理やり揺さぶられるように、白羊は目を覚ました。頭が重い。うずくのが矢を受けた左の太腿だとわかり触れようとして、両手首を吊るされる形で鎖につながれていることに気づいた。
座った尻と背中が冷たい。どうやら石牢らしい。剣は……さすがに腰から抜かれていたが、階段近くに立てかけられているのを見て、ひとまずほっとした。まだ動けるうちに『道標』を発動したが、剣がここから遠く離れた場所に捨てられていれば、助けは期待できなかったからだ。
星の輝力は基本的に無属性だが、衛士は各団に配属されたとき、団長の剣から属性を分け与えられる。その力を込めた玉は剣の柄にはめ込み、以後剣を所持しているときは輝力も属性を帯びるのだ。
またその玉は、こすることで力のかけらを落としていく。これを衛士は『道標』と呼び、他の衛士がたどって追跡できるようになっていた。
皆、無事だろうか。気を失う前の乱戦を思い起こし、白羊は歯噛みした。
箕宣の弟である箕楽が店主を務める『南斗』の支店は、星座アリエスの首都ハマルの中でも、星宮にかなり近い場所にある。まさか目と鼻の先に賊の拠点があるとは思いもしなかった。
獅子は捕縛した人馬を衛士統帥執務室に連行してから戻ってきた。そして柳女が帰ったことを門番に確認すると、立ちつくしていた自分たちを詰め所に集め、先日オリオンで回収した武器の出どころと考えられる店がわかったと話しはじめた。
それが自分の星座であることにも驚いたが、情報を手に入れたのが人馬だと聞き、さらにとまどった。いつも衛府で寝ていたのに、いったいいつ動いていたのかと。
「白羊、お前の幼馴染があやしかったんだよ」と獅子が苦笑しながら、これまでの経緯を説明してくれた。
人馬から、妙な女官が星宮に入ってきたと獅子が相談を受けたのは、御前試合が終わってまもなくだったという。非常に愛想がよく働き者だが、青斗が嫌っていると。出自を調べてみたがおかしな点はない。そこで獅子が下した指示は「引っ掛けてみろ」だった。
言われたとおり人馬が彼女に声をかけると、待ってましたとばかりにすり寄ってきたらしい。最初の一晩は酒を飲みながら話をしただけだったが、翌日からは胸乳がこぼれ落ちそうな衣をこれ見よがしに着て、呼んでもいないのに寝室を訪ねてくるようになった。そして帰るときに自分でわざと着崩しているのを目にした人馬は、何か意図があって人馬宮に潜り込んだのだと確信したのだ。
それからは根比べだった。首都ヌンキを脅かす夜盗を追うかたわら、人馬の寵愛を受けていると周囲ににおわせる彼女と一緒に彼は酒を飲んだ。酔いつぶれると負けるとわかっていたので、眠気と必死に戦いながら彼女の狙いをさぐり続けたのだ。
やがて彼女が何かと用事をつくって衛府に顔を出すようになったので、内部を探られないために、あえて中央棟の仮眠室ではなく門に近い詰め所で眠るよう、獅子は人馬に命じた。天鵝がいる中央棟に入れるわけにはいかなかったからだ。そして二日前にようやく、酔った彼女がぽろりと漏らしたのが、箕楽が預かる『南斗』支店だった。
金牛の星座で目撃されたのは偽物だ。おそらく人馬と金牛が言い争うのを見た柳女が仲間に話し、不和が原因で星座を荒らしたと一時的にでも疑わせるためだったのではないかと獅子は語った。
人馬は今どうしているのか尋ねると、天鵝の執務室で爆睡しているという。ぶっ倒れる寸前だったと知り、白羊は申し訳なさにうなだれた。自分がもっとしっかり星座内を監視していれば、人馬は悪評を立てられることもなかったし、寝不足になることもなかったのだ。
ハマルには白羊と柳女、そして胃雀の実家があるから、柳女がハマルをうろついていてもおかしくはない。親に会いにきたと言えばあやしまれないし、『南斗』は万屋だ。薬を買うふりもできる。
胃雀も柳女と同じ組織にいたということか。しかし胃雀はつい最近加わったと本人が叫んでいた。では柳女はいつから属していたのだろう。
白羊は頭を振った。それを考えるのは後だ。今はまず、証拠をつかむこと。武器がどこでつくられたのか、他にも拠点があるのかを調べなければならない。
箕楽の屋敷を見張っていると、やがて複数の声がした。敷地内の奥から荷馬車が引き出されてくる。茶色い外衣をまとった人物が数名、使用人らしき者たちと小声で話している。
「では、また一月後に」
茶色い外衣の人間は男のようだ。彼の挨拶に『南斗』側の男が頭を下げる。白羊は素早く隊を二つに分け、一隊に馬車の後を追わせた。そして自分の隊はそのまま屋敷の張り込みを続けようとして、柳女に声をかけられたのだ。
「婁珠、こんなところで何をしてるの?」
きっとわざとだろう、大声で尋ねた柳女に、屋敷内に入りかけていた男たちが反応した。そこから先は敵味方入り乱れての打ち合いに発展した。証言を得るために殺さない戦い方をする衛士に対し、相手は例の武器を使って口封じにかかる。切られるだけで傷口が熱くただれ、激痛にさいなまれて倒れていく衛士に、しかし『南斗』の男たちは驚いていた。こいつら燃えないぞ、と。
白羊も中距離から放たれた矢があたり、その場に膝を折った。そこへ店主の箕楽が現れた。衛士の捜査が入った以上、ここは捨てると言って箕楽が逃亡の準備を命じたが、もはや動ける衛士はいなかった。
男たちはとどめを刺そうとした。放っておいても死なないのであれば、確実に息の根をとめると。そのとき、衛士がこちらへ向かっているとの声が届いた。増援だ――安堵した白羊は、髪をつかまれた。柳女だった。
「この女は連れていきましょう。副団長だから人質になるし……いいところに連れていってやるわ」
目があった柳女がにたりと笑う。どんなときも笑みをたたえていた肉厚の唇がまがまがしく見え、白羊はとっさに剣の柄に手をのばした。そして赤い玉をこすると同時に、気絶させられた――。
頭上近くで響いた扉の開閉する音に、白羊は現実に引き戻された。手燭とともに降りてくる足音は一つではない。太腿の痛みに耐えながらじっと来訪者を見据える白羊に、先頭にいた柳女がくすりと笑った。
「やっぱり生きてるのね。さすがは火使副団長。しぶといわあ」
「本物か……すごいな」
誰かが愉悦に満ちたつぶやきを吐く。柳女以外にいるのは四人。全員茶色い外衣に身を包み、顔もフードで隠しているが、男のようだ。
柳女が石牢の壁につけられた蠟燭に火を移す。明るくなったのに、周囲の暗さと湿り気がますます増した気がした。
「ここはね、高級娼館の地下よ」
白羊のそばに腰を落とした柳女は、手燭を床に置くと、白羊の顔をなでた。
「見目がよいのは当たり前、教養豊かな娼婦が大勢いるけど、ただ抱くだけじゃおもしろくないっていうお金持ちもけっこういるのよね。たとえば、鎖につながれた勇ましい女をなぶりながら味わいたいとか」
柳女の指が白羊の上着のボタンを一つ外した。
「衛士の副団長なんて特に珍しいから、みんな大金を積んで順番待ちしてるわ」
上でね、と柳女が冷笑する。これから何がおこなわれるのか、一緒に来ている男たちは何のためにいるのかがわかり、白羊は動揺した。
立ち上がろうとしたが足に力が入らない。太腿の傷口から広がる焼けるような疼痛に、白羊はうめき声を飲み込んだ。
「あなたは残りの一生をここで過ごすの。婁珠って顔はいいからきっと人気者になるわ。もっとも、顔だけだから飽きられるのも早いだろうけど。まあ、誰にも見向きもされなくなったら殺してあげる」
「やめろっ……」
柳女の手を逃れようと、白羊は身をよじった。食い入るような複数の視線が刺さってくる。ゆっくりと白羊のボタンを一つずつ外していく柳女の動きに、男たちの興奮が高まっているのを肌で感じ、白羊は総毛立った。
そのとき、柳女に一番近い位置にいた大柄な男が低く笑った。
「なるほど、これはこれでそそられる趣向だな」
聞き覚えのある声に白羊が目をみはると同時に、男がふところから取り出した鎖を柳女に放った。
赤い光をくゆらせながら巻きついてきた鎖に、柳女が悲鳴をあげる。
「悪いが、ここは俺も通っている店なんだ。『道標』をたどって来てみたら、店主は俺の顔を見るなり背を向けてな。そしたら、なじみの女がこっそり教えてくれたよ。先ほど連れてこられた新入りに上客が群がってるってな」
そばにいた三人の男が驚いた様子で後ずさる中、柳女を引きずって床に転がせた男がフードを取った。
「ここも店仕舞いかねえ。いい店だったんだが……ところで、本人の同意なしに客をとらせることは禁じられているってことは、もちろん客側も承知しているはずだよな?」
薄笑いを浮かべながら、獅子が男たちに剣呑なまなざしを突きつける。とたん、その場にいた三人が我先にと階段を駆け上がった。押し合いながら逃げた三人はしかし、扉を抜けた先あたりでみっともない叫び声をたてた。複数人でもみあっている気配がする。
「勘弁してくれ! 私は知らなかったんだっ」
「そうだ、店主にだまされたんだっ」
「んなわけねえだろうが! 衛士の副団長だと聞いて喜び勇んで来やがったくせにっ」
「どれだけ金を積まれたって、俺らの副団長には指一本触れさせねえぞ!」
「おらあっ!」と荒々しい怒声が飛び、何かが派手に床にたたきつけられる音が響く。聞き苦しい言い訳や泣き言がずっと漏れていたが、それもまもなく静かになった。
「片付いたみたいだな。それにしても、うちの副団長は巷でもずいぶん有名なようだ。そわそわしながら待ってる野郎どもの数が多すぎて、捕縛の鎖が足りなかったぞ」
仕方がないから部屋の扉を封じて、みんなまとめて閉じ込めるよう団員に命じておいたと、獅子が言う。
つきあいのある娼婦の手引きで順番決めの場に潜り込んだ獅子は、一番高い金額を出して最初の組に入ったのだという。もともとやましいことをしているという自覚があるせいか、参加者たちは全員顔を隠していたので、衛士が加わったことに誰も気づかなかったらしい。
「あんな買い値はそうそうないな。星宮が一つ二つ新築できるんじゃないか?」
獅子はにやりとしたが、白羊は言い返せなかった。ただ涙をこらえるだけで精一杯だった。それも結局我慢できず、ぼろぼろとこぼれ落ちる。
怖かったのだと、今さらながら気づいた。緊張の糸が切れて、あふれ出る感情をとめられない。
獅子が白羊を拘束している鎖を外す。それでも泣きやまない白羊を獅子は軽く抱きしめ、よしよしと背中をたたいた。
「けがをしたのは太腿だけか? あとは無事だな?」
「……はい」
獅子の広い胸は、いつも以上に頼りがいがあるように思えた。火使百名を束ねる団長の大きさを、白羊はしみじみと感じた。
「歩けるか?」
「肩を貸していただければ何とか」
「それじゃ、まだるっこしいな。どれ」
いきなり横抱きにかかえられ、白羊は慌てた。
「団長……!」
「お前は本当に、柔らかいところが一つもないな」
筋肉しかないじゃないかとからかわれ、ぐぬっと白羊は詰まった。
「言わないでください。これでも多少は気にしてるんです」
ふてくされる白羊に、「そうか」と獅子は発笑した。
「俺はもう少し弾力があるほうが好みだが、そのへんはまあ、人それぞれだからな」
「……男性は皆、団長と同意見なのでは?」
「そりゃあ、あの摩羯でも胸や尻が嫌いなはずはないと思うが。肉付きがよかろうが悪かろうが、好きなものは好きってことだ」
「あの方を団長と同列にするのはやめてください」
「男はみんな俺と同じだと、今お前が言ったじゃないか」
「人には印象というものがあるんです」
すげなく返す白羊に、獅子は不満げに眉をひそめた。
「あいつは攻める範囲が狭すぎるうえに少々特殊な相手だからわかりにくいだけで、絶対に好き者だと思うぞ」
ああいう奴が理性を飛ばすと一番危ないんだと獅子が力説する。
「姫様お一人だけを大切に思っていると言ってもらえませんか」
むしろ手広い獅子のほうが問題なのだと白羊は反論した。
「摩羯様がどうであれ、姫様がよければそれでいいんです」
「……なあ、白羊。お前、姫様から何か相談とかされてないか?」
摩羯に対する態度が微妙にぎこちないんだがと獅子は尋ねた。少し前の、摩羯が天鵝と距離を置こうとしていた頃のよそよそしさとは違うので、仲が険悪になったわけではないようだが、と。
「私は何も聞いていませんよ。というか、そういうことは見て見ぬふりをするものでは?」
「なんだ、お前も勘づいているんじゃないか。やっぱりあやしいのは祝賀会の後だな」
天鵝は皆の前では冷静を装っているが、時折摩羯を盗み見る目に恥じらいがにじんでいる。自分たちにさえわかるくらいだから、摩羯もきっと気づいているはずだが、その点についてはまったく反応を示していない。一方で過保護な面は隠さず、むしろ御前試合で開き直ったのか、不必要に天鵝に近づく者を静かに威嚇するようになってきた。
「間違っても姫様に問いたださないでくださいね」
「だからお前に聞いてるんじゃないか。本当は姫様のほうが誘導尋問しやすいんだが、あいつにばれるとまずい」
「団長の頭には、そっと見守るという選択肢はないんですか」
「ないな」
即答に、白羊はため息をついた。
「相手は姫様だからな。下手なまねをしたら首が飛ぶ。それをあいつがどう攻略していくのかと思うと、楽しくて目が離せん」
いや、離してあげてくださいと白羊は心の中で突っ込んだ。この団長は、自分が面白いと感じたらつつき回す悪癖があるので困る。
「それはそうとお嬢ちゃん、箕楽はどこに逃げたんだ?」
白羊を抱きかかえたまま、獅子が足元に投げ出されている柳女を見下ろす。しかし柳女はぷいと顔をそむけた。
「とっとと吐いたほうが身のためだけどな」
「……人馬様になら話してもいいわ」
「泣きついて助けてもらう算段か? 人馬はもう会わないと思うぞ。ずいぶん辛抱強くあんたの相手をしていたから、疲労困憊でな」
「そんなはず……だって人馬様は私のことを――」
「好きだと一度でも言ったか?」
口を開きかけ、柳女はかたまった。
「言うわけねえよなあ。人馬が落ちたと思ってるなら、あいつを見くびりすぎだ。ずいぶん自信があったようだが、力不足だよ、お嬢ちゃん」
蔑む口調に白羊はひやりとした。獅子が女性をぞんざいに扱うのを初めて見た。
柳女は目を見開いたまま、嘘よと何度もつぶやいている。
「おい、誰か下りて来い! この女も連行しろっ」
上にいる火使団員に叫んでから、思い出したように獅子は白羊に注意した。
「ボタンはとめておけよ。慎ましくても一応谷間はあるんだから」
「もっと早く言ってください!」
獅子から丸見えだったことに、ぎゃあと悲鳴をあげて、白羊は慌ててボタンをとめた。それに笑って、獅子はやって来た衛士と入れ違いに階段を上った。
「このままお前を抱えてサギッタリウスに行きたいところだが、人馬に見つかるとやっかいだからな。後で迎えをやるから、ここで団員たちとおとなしく待ってろ」
白羊が拉致されている間に、サギッタリウスとタウルスで同時に火の手が上がり、賊が暴れていると獅子は説明した。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
あやまったものの、人馬と何の関係がと白羊は首をかしげた。
「それにしても、火使で命拾いしたな」
「どういう意味ですか?」
「お前が箕楽の屋敷に向かっている間に、押収した武器の調査結果が宰相から届いたんだが、どうやら陽界のものらしい」
白羊は目をみはった。星座カリナの境界門を越えた先にある、もう一つの世界――いまだ行ったことはないが、太陽が照りつける灼熱の地が広がっているという。
「陽界の武器は、月界の者には熱すぎるんだ。普通の者は傷口が燃えて、それが致命傷になってしまうんだが、俺たち火使団は火に耐性があるからか、かろうじてやけどですんでいる」
それでも死ぬ確率が他より少し低いだけで重傷には変わりないんだが、と獅子は苦い顔でこぼした。
「では、箕楽の屋敷を出た馬車は、陽界に……?」
「おそらく、月界の武器と交換していたんだろう。あちらの世界では逆に、こっちの武器が脅威だからな」
馬車を追った団員からはまだ連絡が来ていないが、と言って、獅子は一室に入り、白羊を長椅子に座らせた。試しとばかりに獅子が白羊の太腿の傷口に輝力をそそいだが、治る気配はない。
「やっぱりだめか。宰相の話では、今のところ姫様だけが癒せるみたいだ。本当に、衛士統帥に引っ張り込んで正解だったな」
天鵝の輝力は鎮める性質だから、普通の者では治せない傷の広がりも抑えられるという。確かに、胃雀を捕らえたときに例の武器に傷つけられた団員たちは、天鵝が治療していた。あのときは、薬師として経験を積みたいからと天鵝が進んでやっていたので、獅子も白羊も手を出さなかったのだ。
「傷の治りは遅れるが、燃えることはないだろうからもうしばらく我慢してくれ」
「大丈夫です」
「悪いな。それじゃあ俺は、サギッタリウスに向かう」
火使の大事な出世頭を失うわけにはいかないからなときびすを返す獅子に、「お気をつけて」と声をかける。獅子は片手をさっと振って出ていった。