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銀色の北十字 弐  作者: たき
6/9

(6)

「父さん、大変だよ。人馬様が捕まったって」

 営業時間を終えて部屋で一息ついていた箕宣は、駆け込んできた息子の言葉にあやうく茶をこぼしそうになった。

「何だと?」

 星座タウルスで商家が盗賊に襲撃され、子供一人を残して殺害されたこと、子供の証言と物的証拠から、人馬が盗賊の一味であったと判断され、衛府内で拘束されたことを息子が早口で語る。

 人馬宮に頼まれていた品物を届けにいっていた息子は、そこで女官たちが噂しているのを聞いたという。星司逮捕の話題はいずれ首都ヌンキだけでなく、サギッタリウス全土に広がるだろう。

「やっぱり今回の星司もだめみたいだ」

 少しは期待したんだけどなという息子のぼやきを耳にしながら、箕宣は首をかしげた。

「……妙だな」

「よその星座に移る準備をはじめた店もあるみたいだよ。僕たちも……何が妙なの?」

 今度は息子がいぶかしむ。箕宣は腕組をして宙をにらんだ。

 三年前に初めて会ったとき人馬が言っていたのだ。白馬は悪事に手を染めるような者にはなつかない、だから自分を信用してくれていいと。

 その話自体が箕宣をだますための嘘だったなら別だが、後に人馬が飼い葉を買い求めた際、彼の愛馬に近づいた自分を見て、「箕宣はいい人だね」と笑った。心根が悪ければそばに寄るだけで蹴られるが、そうでなければ青斗は単に警戒するだけだからと。

 女官との情事にふけっているという醜聞といい、このところの人馬はおよそこれまでの人物像と一致しない。確かに何かのはずみで道を踏み外すことがないとは言い切れないが、兄に買ってもらった剣を大事に使い続ける彼の顔に、後ろ暗さは感じなかった。

 先日までサギッタリウスを荒らしていた賊は、三年前に人馬に不正行為をとがめられた商人だったという。

 正しいことをする者は、なぜこうも足を引っ張られるのだろう。ふうとため息をついたとき、店の者の叫び声が届いた。

「旦那様、火事です! すごい勢いで広がって、こちらのほうへ迫ってきています!」 



 額に優しく触れるほんのり温かい感触に、人馬はゆっくりまぶたを上げた。

「起きたか」

 穏やかな声音。視界にのぞいた天鵝は、青紫色の双眸を細めて笑った。

「よく寝ていた」

「……だと思います。なんだかすごく頭が軽いので」

「確かに、疲れも取れたみたいだな」

 天鵝の手が額から離れる。星魂の状態を確認していたらしい。もっとさわっていてほしいと思ったが、兄に蹴飛ばされそうなので口にするのはやめた。

 人馬を取り調べると言って天鵝が獅子に連行させた場所は、天鵝の執務室だった。そこの一角にある衛士統帥の仮眠用の寝台に押しやられた人馬は、遠慮する気力もないままぱたりと倒れ、意識を失った。ここなら途中で起こされることはないという安心感からだろう、本当に、久しぶりにぐっすりと眠れた気がする。

 天鵝の配慮がなければきっともう動けなくなっていた。限界だったのだ。

「俺、めちゃくちゃみんなの反感買ってますよね」

 職場に何度も恋人と思しき女性を訪ねさせていたのだ。その女性がまたどこもかしこも豊満で、喋り方まで甘ったるいから男たちの目を引くし、おまけに自分が寝不足とくれば、皆が連想することは一つしかない。いいかげん周囲があきれはじめたところにとどめを刺すように、金牛の星座で人馬を騙る賊が現れた。よりによって、衛府で金牛と言い争った日の夜に。

「そうだな。でも誤解が解ければ、すぐ元通りになるだろう」

 お前は人と仲良くなるのが早いからと言いながら、天鵝が卓上の瓶を取り、杯に液体をそそぐ。

「白羊の心証は最悪だろうな」

 人馬は髪をかき上げながらため息をついた。まさか柳女と白羊が知り合いだったとは。しかも男絡みの微妙なわだかまりがあるのだから、自分にとっては危機的状況だ。

「最近、怒ってもくれなくなったんです」

 たまに視線は感じるが、このところ白羊と言葉をかわしていなかった。というより、人馬は獅子としかまともに話していないのだ。

「お前はわざと白羊に叱られることをしていたのか」

「年がら年中じゃないですよ。普通に話すことだってちゃんとあります……と思うんですが」

 白羊は副団長として全体を視野に入れて動くから、ついつい無駄口をきいてしまうのだ。

 こちらを見てほしくて。かまってほしくて。

 こじらせているという自覚はある。昴祝ほど病的な粘着質ではないつもりだが。

 摩羯とも会話をしていない。職務怠慢に()()()自分の態度に摩羯が何も言わなければ周りから不自然に思われるから、できるだけ接触しないようにしていたのだ。本当はもう一つ、避けていた理由があったのだが、それは結局爆発してしまった。

「俺、本当は地使に入りたかったんです。兄さんと一緒に仕事をしたくて。でも……」

 一番の成績で採用されたと知って喜んだのは一瞬だった。自分の配属先は兄のいる地使団ではなく、火使団だったから。

「団長がぜひにって俺を引っ張ってくれたって聞いて、そのこと自体は嬉しかったし、入ってみたら火使の雰囲気のほうが俺にはあってるとわかったから、今は不満はないです。でも畢子……金牛がずっと兄さんと一緒にいるのを見ると、やっぱりうらやましくて」

 特に、きつい状況下にあるときはなおさらそう感じてしまう。本当は、あの位置にいるのは自分だったのに、と。

 もう兄に手を引かれて歩く年でもないのに、どうしようもなく寂しくなるのだ。

「気持ちはわかる。私も宰相府にいた頃は、姉上と叔父上が二人で仕事の話をしているとモヤモヤしていた」

 幼稚だと馬鹿にせず、むしろ同調してくれる天鵝の言葉に、人馬はなぐさめられた。輝力の性質ゆえか、それとも天鵝の性格が輝力に影響を与えているのかはわからないが、天鵝と話すと不思議と気持ちが落ち着く。荒れていた心が凪いでくる。

「お前が頑張ってくれたおかげで、手がかりをつかむことができた。今、白羊の隊が向かっている」

 自分の星座の、しかも星宮のある首都に拠点があるらしいということに、白羊はひどく驚いていたという。

「本当はあと少し確証が欲しかったんですが……力が及ばず、申し訳ないです」

 人馬の謝罪に天鵝はかぶりを振った。

「問題ない。明日から休息の七日間だから、あちらも動く可能性が高い。追うにはちょうどいい」

「柳女は捕まえたんですか?」

箕楽(きらく)たちの密輸の現場を押さえたら、同時に捕縛すると獅子が言っていた」

「……たぶん、俺の胴着を盗んだのも彼女だと思います」

 繕うものはないかとしつこく聞いてきていたし、衣装部屋に出入りしていたから。

「もう当分、酒はいいです」

 確かに自分は酒には強いほうだが、天蝎のように朝まで飲んでもけろりとして普通に勤務できるほどではない。祝賀会での勝負もやはりと言うべきか、天蝎が勝ち、参加した火使と風使でお金を出し合って水使に『紫辰』を届けたのだ。

「そうか、仲間ができて嬉しいぞ」

「姫様、本当に一滴も飲めないんですか?」

「かなり薄めたものを寝る前にほんの少しだけ口にしているんだが、すぐ意識が飛んでいる」

 天鵝が眉尻を下げる。

「姫様は無理して飲まないほうが、兄さんは安心できそうですが」

「摩羯にもそう言われたが、私も皆と一緒に飲みたいんだ」

 しょんぼりする天鵝が可愛らしくて吹き出した人馬は、そこであることに思い当たり凍りついた。

「姫様、何度かここで休まれましたか?」

「薬師の試験勉強中に一度か二度、横になって休憩したことがあるが。そんなに汚れていないと思ったんだが、嫌だったか?」

「いや、俺は全然気にしないんですが、姫様の寝床をお借りしたから、兄さんが激怒してるんじゃないかと」

「それなら大丈夫だ。私が許可したんだから。お前が元気になったら敷布も掛布も全部新しいものにすると摩羯が言っていた」

 天鵝はにこりと笑ったが、人馬は非常にまずいとおののいた。違う人間が利用すれば交換するのは当たり前なのだが、摩羯の言葉にはあきらかに別の感情がこもっている。先に天鵝が寝転んでいたものを、自分が続けて使ったのだ。

 洗濯ではなく新品にする。そこに摩羯の気持ちが表れている。自分が敷布と一緒に丸めて投げ捨てられるのを想像し、人馬はうなだれた。

「この薬も作ったのは摩羯だぞ」

 天鵝が杯を人馬に差し出す。

「……毒が入っていたりはしませんか」

「なぜ摩羯がお前に毒を盛る必要があるんだ」

 天鵝が首を傾ける。天鵝のことになると兄はとたんに狭量になるのを知らないのか。傍目にもかなりわかりやすいというのに。

「本当は私が作ろうとしたんだが、摩羯が先に用意していたんだ。お前が倒れたら飲ませてやってくれと」

「姫様、もしかして薬をつくるの下手なんですか?」

 兄が先回りして回避させるほど、珍妙な薬を人に与えようとするのだろうか。

「失礼だな。私は()()摩羯に腕前をほめられるくらいなんだぞ。緑冠薬師の試験にも先日最高点で受かったんだ」

 今は青冠薬師の資格取得に向けて、摩羯にしごかれているという。ちなみに、金牛もこのたび赤冠薬師の試験に合格したらしい。

「でもまあ、それだけ喋る元気が出てきたのならよかった。摩羯は本当にお前の様子を気にしていたから」

 人馬が詰め所で寝ていたときに摩羯が何度かこっそりのぞいて、星魂の状態を確認していたんだと教えられ、人馬は泣きそうになった。自分のことなど放置して金牛にばかりかまっていると思っていたが、ちゃんと見てくれていたのだ。

 摩羯は目の前の人間をおろそかにしない。そしてその『目の前』の範囲はとても広いのだと、あらためて思い知らされた。

「姫様も、兄さんが変に避けなくなってよかったですね」

 逆に守りがかたくなりすぎた状態ではあるが、二人が仲良くしているなら自分も嬉しい。

「……そうだな」

 杯を受け取った人馬の笑みに、天鵝が視線をそらす。その行動に人馬は違和感を覚えた。

「姫様、兄さんと何か――」

「ない! 何もないぞ!」

 天鵝の否定が早い。早すぎる。人馬はぴんときた。

「そういえば御前試合の祝賀会の後、兄さんが送っていったんですよね」

 天鵝の顔が真っ赤になった。当たりか、と人馬はにやけた。

「交接……は、さすがにないか。接吻くらいしました?」

「し……してない」

「したんですね」

「だから口ではなく……!」

 しまったとばかりに天鵝が口をふさぐ。そのまま両手で顔を覆ってしまった天鵝を人馬はまじまじと見つめた。

「姫様」

「聞くな。思い出さないようにしているんだ」

 でないと仕事に支障が出ると天鵝がつぶやく。どうやら摩羯の態度が今までと変わらないので、天鵝も必死に同じようにしようと頑張っているらしい。

 いくら天鵝が初々しくても、接吻だけでここまで過剰反応するだろうか。

 兄はいったい何をしたのかとものすごく興味がわいたが、これ以上追及すると今度は天鵝が羞恥のあまり倒れてしまいそうなので、やめておいた。

 そのとき、扉がたたかれた。

「失礼します。姫様、タウルスに再び賊が現れたと金牛から早馬が来ました。警備団で応戦中のようですが、賊は次々に火を放っているとのことで、我々地使団が向かいます」

 入室してきた摩羯は、人馬が起きているのを見てわずかに目をみはった。顔色が悪くないと確認できたのか一瞬だけ表情がやわらいだが、人馬の寝ている場所を思い出したらしく口の端が曲がる。

 色違いの双眸にちらつく不機嫌な光に、人馬は背筋がひやりとした。

「放火か。水使を連れて行かなくて大丈夫か」

「地の輝力でも火は抑えられますので」

 行ってまいりますと摩羯が一礼したところで、今度は獅子が飛び込んできた。

「サギッタリウスの首都ヌンキで大規模の火災発生。放火によるものと思われます。また、先ほどアリエスに送った第三小隊から、第二小隊の半数が箕楽の屋敷で負傷しているのを発見したと報告が入りました。例の武器を食らったようです。残りは屋敷を発った不審な荷馬車を追跡しているとのこと。箕楽は逃亡したらしく、屋敷はもぬけの殻ですが、白羊が……どうやら連れ去られたようです」

 人馬は寝台を飛び下りた。靴を履き、枕元に置いていた剣を手にそのまま扉へ向かったところで、獅子に腕をつかまれる。

「待て、人馬」

「白羊を助けに行きますっ」

「馬鹿野郎! お前の行き先はサギッタリウスだ。星司の務めがあるだろうが!」

 獅子の怒鳴り声にはっとして、人馬は唇をかんだ。そうだ、サギッタリウスは今、火の海になっている。星司として現場の指揮をとる必要がある。

「大丈夫だ。うちの優秀な副団長は『道標』を使ったらしい」

 白羊は俺が必ず助けると、獅子が人馬の肩をたたいた。

 天鵝は己の左腕に手をのばした。そこには、輝力で小さく腕輪の形に変えている星杖がある。四つの五芒星のうち、青と白緑色のものに触れると、まもなく天蝎と双子がやって来た。

「サギッタリウスの消火に水使団を送る。風使団は衛府襲撃の可能性に備えて警護をかためろ。また、火使団を二小隊ずつ、タウルスとサギッタリウスに向かわせてくれ。火使団以外は例の武器を持つ敵には注意して、深追いするな」

「承知いたしました」

 団長四人が声をそろえる。

「それから、サギッタリウスには私も行く」

 天鵝の追加発言に摩羯が顔色を変えた。

「姫様」

「サギッタリウスには、人馬が逮捕されたという噂がすでに流れているようだ。私が一緒のほうが誤解も解けやすいだろう。それに、火事だけではない気がする」

 金牛と人馬の二人の星座が同時に襲われた。衛士を分けるというより、摩羯を片方にしか行けないようにしたのではないかという天鵝の意見に、摩羯は苦い表情になった。

「昴祝が……」

「どちらにいるかわからないが、何となくサギッタリウスのほうだと私は思う」

「では私もそちらに」

「お前は金牛の援護に回れ。それが筋だ」

 摩羯が開きかけた口を閉じる。眉間にしわを寄せたままの摩羯に、天鵝がさらに言う。

「心配するな。天蝎にそばにいてもらう。それともお前は、他の団長を信用できないのか?」

 摩羯の視線が天蝎に流れる。対して天蝎は微笑で応えた。

「姫様のことはきちんとお守りするから、こちらは任せろ」

 もはや決定事項なのだとようやくあきらめたらしい。「姫様と人馬を頼む」と摩羯は天蝎に頭を下げた。

「片付きしだい、そちらへ参ります」

 摩羯が足早に出ていく。「どうあっても来る気だな」と獅子は笑ったが、天鵝だけでなく自分のことも口にしてくれた摩羯に、人馬は胸が熱くなった。

 兄がいなければ何もできないと思われたくない。「行くぞ」と天蝎にうながされ、人馬はしっかりとうなずいた。


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