表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀色の北十字 弐  作者: たき
3/9

(3)

 祝賀会は地使団の詰め所でおこなわれた。さっそく買い出し部隊が町に出動してかき集めてきた酒や肴がこれでもかと卓上に並べられ、飾りつけまでしている。まずは団長を囲んでお祝いを――という場にさっそく乗り込んできたのは、火使団だ。来るのが早すぎると地使団員たちは文句を言ったが、獅子たちが手土産持参だったので渋々受け入れた。火使団は獅子の優勝を当て込んで先に買い込んでいたのだ。

 衛士が詰め所にぎちぎちの状態で乾杯していると、他の団に所属する者たちも顔をのぞかせはじめた。結局建物に入りきらなくて、途中で酒とつまみを持って外で宴会という流れになっていく。

 獅子は主役が見える位置に陣取り、ちびちびと飲んでいた。摩羯は酌をしようと列をなしている団員たちと言葉をかわしながら、次々につがれる酒を口に運んでいる。時々隣の天鵝が会話に入ると列が進まなくなるので、順番待ちしている衛士たちと何とかそのまま居座ろうとする者の攻防戦が起きていた。

「団長、お疲れ様です」

 隣にやってきた白羊が酒瓶を傾ける。普段はこめかみに筋を立てて自分や団員を叱り飛ばしている副団長だが、こういうときはきちんと声をかけに来るあたり、本当に律儀だ。

「お前もな……摩羯は強かっただろう」

「予想以上でした」

 酌を返してやると、白羊は一度杯に口をつけてから摩羯を見た。

「あの方は、何か特別な訓練を受けられたのでしょうか?」

 とても戦いにくかったです、と答えられる程度には摩羯に剣を振らせることができた白羊に、獅子はうなずいた。

 摩羯の攻撃は独特だった。剣筋が読めないと言うべきか。緩急がこちらの勢いをそぐ絶妙な頃合いで変化するので、対応が非常に難しかったのだ。あれだけ短時間に何度も流れを変えれば、普通は本人にも無理がきて乱れるはずなのに、それがなかった。

 摩羯も入団初年に御前試合で優勝しているが、あのときはいたって普通の戦い方をしていたはずだ。だからこそ気づかなかったのだが、副団長以上を相手にしなければ力を温存できるということか。

 そして自分は意地で摩羯の剣をたたき落としたが、まさかまだ隠し技をもっていたとは。

 蹴られた手首は天鵝の治療のおかげで痛みも腫れも治まったが――かわせなかったのが悔しい。

 摩羯は正確に剣の柄を狙っていた。せめてすぐに手を放せばけがをすることはなかったのだが、反応が遅れたせいで手首ごと打撃を受けることになった。

 火使に入団した人馬も当初から見込みがあったので、時間の許すかぎり指導しているが、少なくとも人馬には摩羯のような癖はない。昴祝もおそらくそこまで手練ではない。

 手配犯が摩羯でなくてよかったと、今日つくづくそう思った。

「やっぱり……じゃないのかねえ」

 つぶやいて、獅子は杯をからにした。摩羯の説明では、八年前に天鵝が誘拐されたとき、たまたま摩羯もさらわれて天鵝に会い、一緒に逃げたのだという。そのときに天鵝の耳飾りを下賜され、それを知った昴祝が例の事件を起こしたと。

 だから摩羯は最初、天鵝を避けていたのだ。昴祝が早い段階で天鵝に接触をはかったことからも、摩羯の話は嘘ではないのだろう。だがまだ語っていないことがある気がする。

 あちこちから入手する情報の中に、ごく稀に紛れ込んでくる存在。よくよく注意しておかなければ見逃してしまいそうな、小さな影のようなもの。

 今まで直接かかわることはなかったが、ここにきてそれらしき人物がいることに気づき、試してみたくなった。その実力がどれほどのものかを。

 人馬の計画に乗ったはいいが、少々ちょっかいが過ぎたようだ。歴代最年少で団長の座に就いた男をなめると痛い目にあうと、身に染みた。

 ふと見ると、いつの間にか人馬が摩羯の隣に座っていた。どうやら天鵝のとりなしで仲直りできたらしい。

 全然口をきいてくれないと、ずいぶんしょげていたからな、と獅子は苦笑を漏らした。自分はもう兄を追いかける年でもないし、お互い好きなように生きているが。

「なんだ、落ち込んでるのか?」

 いろいろ考えるあまり、傍からはぼんやりしているように見えたらしい。目の前に立つ双子を獅子は見上げた。

「ああ、一人反省会の最中だ」

「嘘つけ」

 自分から尋ねておいて否定してくる双子に、獅子は笑った。そのまま素通りしようとした双子を呼びとめる。

「その皿に乗っているつまみは、傷心している俺への差し入れじゃないのか」

 明らかに三人分はある肴を手にした双子は、片眉を上げてからある人物のほうに視線を投げた。同じほうを見やり、獅子は納得した。

 室女が天鵝の隣に座って話をしている。双子はそこに加わるつもりなのだ。

「さすが副団長だな。いい剣さばきだったぞ」

 お世辞ではなかったが、双子は苦い顔をした。

「よく言う。対戦が終わった直後はへこんでいたんだぞ。軽くあしらわれたと」

「それは摩羯とあたった連中も同じだろうが」

 風使団員も相当数、摩羯に敗北しているはずだ。もちろん白羊や人馬をはじめとする火使団員も見事にたたきのめされた。

「もうあいつをあおるようなまねはやめておけよ。お前でもとめられないとわかったんだから」

「刺さることを言うなよ」

「ん? 本当に落ち込んでいたのか」

 双子が面白そうに瞳をすがめる。そこへ室女が寄ってきた。

「こっちに来てかまわないのか?」

「姫様はそろそろ団長がお送りするとおっしゃっているので」

「大丈夫なのか。摩羯もかなり飲んでるだろう」

 双子が問う先では、摩羯が天鵝に話しかけている。帰り支度を勧めているのかもしれない。

「天蝎様が姫様に付き添おうとおっしゃってくださったんですが、どうしても自分が送ると団長が」

「ああ、あれだな。酔った勢いで朝まで……ってことだろ」

 明日から休息の七日間だしなとにやりとする獅子に、双子はあきれ顔になった。

「お前は、まったく。摩羯の耳に入ってみろ、今度は急所を蹴られるぞ」

「それは困るな。大事な商売道具だ」

「蹴れるものなら私が蹴りたい」

 どこまでもふざけた調子の獅子に、白羊がうんざりしたさまで毒を吐く。室女が苦笑した。

「姫様をお送りしたら、またこちらへ戻ってこられるとのことです」

 そもそも一般的には休みにあたるが、新月と月蝕の日は星帝の力が弱まるせいか犯罪が起きやすく、衛士は急な呼び出しを受けてもいいように当番制で待機するのだ。

「どれ、それじゃあ俺は優勝者と祝福の姫君のもとへ、本日最後の挨拶に行ってくるか」

 獅子が酒瓶を持って立ち上がると、双子と室女が同時にとめた。

「姫様に酒はだめだ」

「飲めないのか?」

「一口でひっくり返ってしまうそうです」

 だから摩羯と室女が天鵝を間にはさんで監視していたのだという。間違って、あるいは故意に天鵝に酒を飲まそうとする者がいないように。

「そういうことはもっと早く教えろよ。くそ、俺の情報収集の網の目をかいくぐるとは……摩羯の奴、守りがかたすぎるだろう」

 よし、これから突撃するぞと意気込んだ獅子の前に、ドンッと樽が置かれた。

「さきほど届いた。白馬亭の新作だ。口当たりがいいから飲みすぎてそこら中に屍ができるらしい。獅子、どっちが生き残るか勝負しないか?」

 団員に杯を用意させながら天蝎が口角を上げる。白馬亭は衛府の近くに店を構える料亭だ。料理もうまいが、特に酒の種類が豊富で、今日みたいに衛府で宴が開かれるときは必ずこの店から酒を調達している。

 現在の団長の中で最年長の天蝎は、無類の酒好きで底なしとしても有名だ。獅子が御前試合の歴代優勝者最強(今日代替わりしてしまったが)であるなら、天蝎は歴代団長最強の酒豪と言われている。その天蝎に勝負を挑まれたのだ。ここはきっちり勝って名誉挽回といきたい。

「いいだろう。何を賭ける?」

「負けたほうが、勝ったほうの団に『紫辰(ししん)』を贈る」

 月界で一番値段の高い酒の名に、周囲からどよめきが起きた。

「もちろん樽だよな?」

「当たり前だ。団員全員にいきわたるだけの量を買ってもらう」

「はっ、すでに勝った気でいるのか」

 戦闘開始だ。指をバキバキ鳴らし、獅子は天蝎と視線を交えた。

「はい! 俺も参戦します!」

 人馬が自分の杯を手にやってくる。人馬は白羊よりは酒に強いので、加勢はありがたい。

「団長、やりましょう」と双子に声をかけてきたのは、風使団の中で一番大酒飲みの副団長、宝瓶(ほうへい)だ。どちらかと言えばじっくりゆっくり飲むことを好む双子は顔をしかめたが、風使団員たちに『紫辰』が欲しいと懇願され、渋々承知した。

「水使団は団長を手伝おうという気概のある奴はいないのか?」

 獅子の挑発に、水使副団長の巨蟹(きょかい)は不敵に笑った。

「我らの団長をなめてもらっては困ります。あなた方の相手など、団長お一人で事足ります。むしろ我らが入れば勝負にすらなりません」

「言うねえ」

 勤務時は脇目も振らず真面目に働く水使団は、不思議なことにそろいもそろって酒に目がない。

「数の確認は我々地使団が引き受けます」

 室女が手を挙げる。摩羯は入らないのかとかえりみると、すでに姿がない。天鵝もいなくなっていた。

 どうやら二人に絡みに行こうとした獅子を邪魔する目的で、天蝎は樽を抱えてきたらしい。天鵝に対する忠義心か、または危険を察知した摩羯に頼まれたのか。

「準備はいいか?」

 各団二名ずつ並んだ場に、なみなみと酒のそそがれた杯が置かれる。天蝎がぐるりと皆を見回し、室女に目で合図した。

「それでは――始め!」

 室女の号令に、本日二度目の大試合が開始された。  



「面白そうだから、もう少し見学したかったんだが」

「朝までかかりますので」

 そしてきっと明日の朝には、宴会場は泥酔した衛士たちが見るも無残に転がっていることだろうという摩羯に、馬を並べて天鵝宮へ向かいながら天鵝は目を丸くした。

「そんなにか……天蝎は酔いつぶれたことはないのか?」

「私の知るかぎりでは、ありません」

 獅子が入団初年の御前試合で副団長を打ち負かしたように、天蝎もまた入団した年に当時一番酒に強かった水使団長と飲み比べをして引き分けていると聞き、天鵝は言葉が出なかった。

「私も少しずつ慣らしていけば飲めるようになるだろうか」

「体質もありますから、無理をなさらなくてもよいかと」

「それはそうなんだが……お前が飲んでいると、おいしそうに見えるから困る」

 きっとよく味わいながら口にしているのだろう。一緒に楽しめないのが残念でならない。

 それに、酒の一つもたしなめないと、いつまでたっても大人になれない気がする。

「姫様はそのままでいてくださるほうが、私としては助かります」

 変に酒癖が悪いと見張っておかなければならなくなるので気が抜けないと言われ、天鵝はむっとした。

「私が迷惑をかけることが前提で話をまとめないでくれ」

「普段自分を律している者は特に、酔うと開放的になって予想外の行動をとることがあります。姫様は何となく、誰彼構わず抱きついたり甘えたりする恐れがありますので」

 それこそ勝手な想像だと言いかけてやめる。もし本当に自分がそういう酔い方をしたら困ると、摩羯は思ってくれているということだ。今回も、他の者に天鵝の抱擁が与えられるのを阻止するために奮闘してくれたのだから。

 摩羯が勝つなら、優勝者への報酬が接吻でもかまわなかったなと考え、恥ずかしさに目を伏せる。いざそのときになると、きっと冷静に対処できなかっただろう。

 それから星宮に着くまで、二人は今日の御前試合について話をした。誰が将来性がありそうか、人馬の言うように時には小隊長以上も参加したほうがいいか、来年の報酬はどうするか、などなど。

 けっこうな量を飲んだはずなのに、摩羯はまだ頭がしっかりしているようで、受け答えがいつもと変わらない。

 酔っぱらった摩羯を一度見てみたいと思いながら、天鵝は自宮の門をくぐった。

「本日はお疲れ様でした」

 摩羯は石畳で衛府に引き返すことはせず、天鵝の寝室まで付き添った。軽く一礼する摩羯に、優勝おめでとうとあらためて賛辞を送った天鵝は、緑色の右目を見ているうちになつかしさを覚え、つい手をのばした。

「……報酬はもういただきましたが」

 きゅっと天鵝に抱きつかれた摩羯が、棒立ちのまま問いかける。

「これは、感謝の気持ちだ。八年前の」

 摩羯が左目をなくすきっかけをつくってしまったことに、罪悪感は消えない。それでも、自分と出会ったことを後悔していないと答えてくれたことが嬉しかった。

「あのときお前が助け出してくれたから、私は今ここにいる……本当に感謝している」

 ずっと探し続けてきた相手にまた会えた奇跡を、天鵝はかみしめた。

「あの頃はまだお前の腰のあたりだったと思うが、私も背がのびただろう」

 成長したことを誇って笑ったが、摩羯は無言だった。それどころか、こわばって直立している気がする。

 もしかして、本当は抱擁を嫌がっているのだろうかと急に不安になり、天鵝がそろりと離れかけたとき、抱きしめられた。

「摩――」

 まるで頭の形を確かめるかのように、摩羯の口づけが髪に落とされる。一つ、二つと数を増し、その唇が耳飾りをしていない左耳を探り当て――甘噛みされた。

 びくりと体が跳ねたが、摩羯ががっちり包み込んでいるので逃れられない。その間にも摩羯の唇は耳の裏側まで優しく這い回り、刺激を与えてくる。

 力が入るあまり縮こまっていた天鵝は、こらえきれずに声を漏らした。

 ぴたりと摩羯の動きがとまる。ややあって、小さな吐息が首筋をくすぐった。

「……少し飲みすぎました」

 摩羯の腕がほどかれる。天鵝は顔を上げられなかった。

「私は酔いを醒ましながら帰ります……ゆっくりお休みください」

 失礼します、と言って摩羯がきびすを返す。

 摩羯が去ってからも、天鵝は動けなかった。鼓動が速すぎて倒れそうだった。

 耳が熱い。息の触れた首筋も。そっと指でなぞると、先ほどの摩羯の行為が脳裏によみがえってきて、天鵝はへなへなとその場にへたり込んだ。

「…………こ……の状態で……眠れるわけないだろう」

 それこそ、女官に酒でも持ってきもらわなければ無理だ。

 少し怖かった。しかし同じくらい、心が震えた。進みたいのか進みたくないのか、自分でもわからない。ただ、日ごとに心の中で大きくなっていく存在と離れ離れになるのだけは、嫌だと思った――。

 


 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ