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銀色の北十字 弐  作者: たき
2/9

(2)

 御前試合当日、天鵝の見学場所を設営する指示を出していた摩羯に獅子が寄ってきた。

「決勝まで当たらないようだな」

 自分より大柄な獅子は余裕の笑みを浮かべている。摩羯はむっつりと応じた。

「ろくでもない報酬を用意されたおかげで、いい迷惑だ」

 ふたを開けてみれば、例年は見学している小隊長たちも申し込んでいた。副団長は室女と白羊が天鵝を守るために参加し、団長は摩羯と獅子が名を連ねた。

 団長までが出るとわかり、勝ち目がないと踏んだ団員たちの間では出場を取りやめる動きも見られたが、普段関わる機会のない他使団の上官と一戦交えることができるのはかなり魅力的だということで、結局大勢が挑むことになった。

 へたをすると今日中に終わらないかもしれない。皆の熱意は認めるが、ずっと座りっぱなしになるだろう天鵝の体調管理には気を配る必要がある。

「とかいって、お前も実はやる気満々なんだろう? 姫様に堂々と抱きしめてもらえるまたとない好機だからな」

「……そのゆがんだ情報を垂れ流されるきっかけを作ったことも含めて、私はお前と人馬に怒っているんだが」

 そうなのだ。獅子はともかく摩羯の参戦に衛士たちは驚いているらしい。あの地使団長が、天鵝の抱擁を欲していると。

 別にわざわざこれほど大仰なことを利用しなくても、やろうと思えばいつでもできるのだ――自制できなくなりそうだから行動に移さないだけで。

 今日の目的は、とにかく自分以外の男の優勝を阻止すること。本当は室女か白羊が勝ってもかまわないのだが、順当なら室女は準決勝で獅子にあたり、白羊は自分と対戦することになる。白羊に勝ちを譲っても、決勝戦で獅子には敗れるだろうから、白羊には悪いがやはり自分が残らなければならない。

「直接対決ははじめてだから楽しみだ。報酬が報酬だから手を抜くとは思えないが、がっかりさせないでくれよ」

 歴代優勝者の中でも最強と噂された獅子が片手をひらっとさせて去る。

 ごまかしはきかない。模範的な動きでは決して勝てないだろう相手の広い背中を見送り、摩羯は唇を引き結んだ。



 練兵場に設置された観覧席に腰を下ろした天鵝は、衛士たちが発する異常なまでの熱気を肌で感じた。試合に出場する者もしない者も興奮しているのが伝わってくる。

 参加しない側にまわった天蝎(てんかつ)が天鵝の脇に立ち、衛士に向かって開催の宣言をする。今回摩羯は出場者のため、試合が終わるまでこちらへは来ない。途中で顔を出せるとすれば負けた後だが、決勝までそれはないと天鵝は考えていた。

 皆の予想でも、決勝は摩羯と獅子の組み合わせになるだろうと言われている。二人とも入団した年に優勝をさらい、翌年には小隊長に昇進している。ただ、どちらが強いのかはわかっていない。強いて言えば、摩羯は小隊長より下の団員たちの中で戦って勝ったが、獅子は当時の火使副団長を打ち負かしているため、獅子のほうが実力は上ではないかという話だ。

 御前試合も以前は副団長までは参加できていたのだ。しかしまだ役職にもついていない、それも入ったばかりの団員に負けたことを恥じた副団長が衛士を去り、獅子がその次の年の参加を辞退したことから、小隊長以上は見学するという流れができたらしい。

 特に女性との交友関係が派手だと噂されている獅子だが、ひとたび剣をにぎれば圧倒的な強さを誇る。よく獅子の愚痴をこぼしている白羊が言うのだから、間違いはないだろう。

 牛宿も強かった。今より背丈は低かったが、後から後からわいて出てくる犯罪者の集団を蹴散らして、自分を守り抜いたのだ。

 まもなく摩羯が登場した。相手はがちがちにかたまっているのが丸わかりで、見ているほうが気の毒に思えるくらいだ。そして勝負はあっけなく決まった。

 格下相手にも横柄な態度をとらず、きちんと敬意を払った挨拶をして試合場から下がる摩羯に、天鵝は心の中で応援を飛ばした。



 参加者の多さから時間がかかると思われたが、意外と決着が早くつき、試合はどんどん進んだ。そして今日最初の大歓声が起きたのは、小隊長を倒してきた人馬と、その兄である摩羯の戦いだった。

 火使団からは当然人馬を激励する声が響き、地使団は摩羯に声援を送っている。今までどの対戦者も摩羯を前に三振りともたなかったが、さすがに人馬は簡単にはやられないだろう――見応えのある勝負を期待していた衛士たちは、まさかの展開に呆気にとられた。

「嘘だろ……去年の優勝者だぞ」

 五振り目を突きつけることなく終わった人馬も呆然としている。勝敗のつくのがあっという間すぎて、摩羯の実力をよく理解できていなかった観覧者たちは、ここにきてようやく畏怖にざわめいた。

「やっぱりまだまだだったか。わかってたけどさ……でも、切っ先すらかすめないなんて」

 がっくりうなだれる人馬を横目に、摩羯は剣をしまった。

「十分成長が早い。獅子が熱心に稽古をつけているんだろう」

「まあ、これでも期待されてるからね」

 獅子率いる火使第一部隊は、小隊長に匹敵、あるいはそれ以上の力量がある者ばかりそろえているという。伝令に走ることもあるので乗馬の腕は必須、突破口を開いたり他の小隊の補助として立ち回ったりと臨機応変な行動と、なおかつ生き残れるだけの能力を要求されている。その第一部隊に所属するだけで、大変な名誉なのだ。

「兄さん、まだ怒ってる?」

 天鵝をだます形で報酬を決めた人馬を、摩羯はこっぴどく叱った。それこそ、こんなに怒鳴られたのは生まれてはじめてだと言えるほど、人馬は摩羯の不興を買ったのだ。

「当たり前だ。当分許す気はない」

 言葉でからかうだけなら不愉快ではあってもまだ見逃せたが、よりにもよって天鵝を報酬にするなどあってはならないことだ。それなのに最初人馬は「接吻にしようと思ったけど、さすがにそれはまずいかなと思ってやめたんだよ」と笑ったのだ。

 報酬を聞けば、摩羯のことだから出場できるよう取り計らうだろうと人馬は思ったらしい。もとは獅子が強すぎたことが原因で上官たちが参加しなくなったのだが、毎回下っ端同士で競り合うよりも、どうやっても勝てない強者がたまに割り込んでくれたほうが刺激になるし、御前試合も盛り上がると。

 単なるおふざけではなく、人馬なりに考えてのことだったようだが、やはり天鵝を巻き込んだことは我慢ならない。

 人馬はまだ喋りたそうだったが、あまり無駄話をしている時間はない。摩羯はぷいと人馬に背を向けると、次の試合に臨む二人のために場をあけた。



 予想通り、準決勝で室女は獅子に屈し、摩羯は白羊を降した。女性ながら副団長を務める二人は団長たちに敗れはしたものの、その剣技で皆を魅了し、惜しみない拍手をもらった。

 そしていよいよ決勝戦。呼ばれた摩羯は試合の場に進み出た。獅子も反対側からやってくる。ふと見ると、天鵝のそばに人馬がいた。室女と白羊の姿もあるので、どうやら一緒に観戦するつもりのようだ。

「お互い、肩慣らしはすんでいるんだ。もちろん最初から全力でいくよな」

 向き合った獅子がにやりと笑う。報酬欲しさに見せかけておいて、本当は悪ふざけでもなんでもなく、自分と真っ向勝負がしたかったのだと、摩羯は理解した。

 両者剣を抜く。間に立つ双子が始めの合図を出すより先に獅子が踏み込んできた。周囲で起きるどよめきすらなぎ払うかのような獅子の一閃を、摩羯ははじき返した。

(重い――)

 剣を持つ手がビリリとしびれる。眉間にしわを寄せる摩羯に、獅子から容赦ない攻撃の波が押してきた。威力と素早さを兼ね備えた獅子の一撃一撃を、時にかわし、時に受け、機会をうかがう。当然だがすきはない。歴代優勝者最強の評判は誇張ではないと、摩羯は舌を巻いた。

 だが、負けるわけにはいかない。踏ん張った足元から土煙をあげ、摩羯は反撃に出た。

 摩羯の突きにほんのわずかだけ遅れながらも獅子は応じた。その浅緋色の瞳に喜色が走る。おもしろい、と口の形が動いた。

 摩羯が一つ打ち込むたびに、獅子の興奮が高まっていくのがわかる。本来であれば、これほど多くの目がある中で見せるべきものではないし、見せるつもりもなかったのだ。しかし通常攻撃では勝てないだろう相手に出し惜しみする余裕はなかった。過去に培った技を最大限活用し、摩羯は獅子に変則的な流れで攻め続けた。

 体力は五分――いや、相手のほうが上かもしれない。長引かせるのは避けたいが、獅子はなかなか落ちない。

 互いの発する金属音と、かすかな呼吸と土を踏みにじる音だけが響く中、獅子が勝負に出てきた。渾身の払いをくらった摩羯の剣が飛ぶ。初めて観客席から沸いた声に後押しされるように、獅子が勝ちを意識したと思われる一突きを繰り出した。

 誰もが勝負あったと判断しただろうその強烈な攻撃を、摩羯は体をひねって回避しつつ蹴りを放った。今度は獅子の剣が宙を舞う。今まで一度も獅子の手から離れたことがないと言われている剣を飛ばした摩羯に、はじめて獅子の顔に驚惑が浮かんだ。

 二人とも防具を身に着けているので、こぶしでは痛手を与えられない。だから摩羯はひたすら足を使った。

 体術はさほど得意ではないのか防戦一方の獅子を、目指す場所までじわじわと押していく。そして獅子が摩羯の誘導に気づいた表情をしたときには、摩羯は地面に転がる己の剣をつかんでいた。

 剣先をぴたりと獅子の顔に突きつける。さすがに息が切れていたが、摩羯はしっかりと獅子を見据えた。

「……まいった」

 獅子の降参を聞き、双子が摩羯の勝利を宣言する。静まり返っていた練兵場が、いっせいにあげられた人声で揺れた。

 大歓声と大きな拍手に包まれる中、獅子がうつむき、灰茶色の髪をかきながら息をつく。顔をあげた獅子の顔つきはもういつもと同じだった。

「剣だけなら負けてなかったんだがな……いや、それも正直わからんな」

 握手をする。摩羯に蹴られた手首は早くも腫れはじめていた。

「手当てしよう」

 さすがにやりすぎたかと摩羯が詫びの代わりに提案すると、獅子は痛めていないほうの手を振って笑った。

「薬師の試験を受ける姫様の練習台になるさ。報酬をもらいそびれたんだから、それくらいは許してくれ」 

 獅子が背を向ける。摩羯も自分に贈られるたくさんの称賛を浴びながら、場を退いた。



 すべての試合が終了し、衛士たちは団ごとに整列した。地使団員は皆とても嬉しそうで、かつ誇らしげだ。

 優勝者の所属する団はこの後、祝賀会を開くことが認められている。閉会したらすぐ団員たちが準備に飛び回ることだろう。もっとも、内輪で始めてもすぐによその団員がどんどん加わって、一緒に大騒ぎすることになるのだが。

「摩羯、こちらへ」

 一段高い場所に立つ天鵝に呼ばれ、摩羯は少しためらってから歩を進めた。手前で片膝をつき、頭を垂れる。

「姫様、申し訳ありませんが――」

 報酬目当てではなかったことを示すために辞退しようとした摩羯は、同じく膝を折った天鵝の腕に抱かれ、続く言葉を失った。それはまるで羽毛に包まれているような、とてもやわらかい抱擁だった。

「優勝おめでとう……よく頑張ってくれた」

 天鵝が笑っているのがわかる。胸の高鳴りに支配され、摩羯は礼すら口にすることができなかった。

 大きな歓声と拍手がわくと同時に、ふっとぬくもりが離れていく。予想より早い解放に物足りなさを覚え、そんな自分を恥じる。呼吸を整え冷静さを取り戻してから立ち上がると、天鵝と目が合った。

「摩羯、人馬たちを許してやってくれ」

「人馬に泣きつかれましたか」

 先ほど天鵝のそばにいたことを思い出し、摩羯はむすっとした。

「もう何日もお前が相手をしてくれないから、寂しくて死にそうだと言っていた」

「勝手なことを……人馬は最初、あなたの接吻を報酬にしようとしたんですよ」

 えっ、と天鵝が目をみはる。

「それは……さすがに困るな」

「ですから、私は人馬を許すことは――」

「だが、もしそうなっていたとしても、お前は試合に出て……勝ってくれたんだろう?」

 はにかんだ笑みを向けられ、摩羯は口をつぐんだ。

「もちろんです」

「なら、いい。仲直りしてくれ」

 ぽんと摩羯の背中をたたいてから、天鵝は次に獅子を呼んだ。

 まさか獅子にも祝福の抱擁を与える気かと、摩羯はあせった。獅子も期待しているのか、喜々としたさまで壇上にやってくる。両手まで広げている。

「姫様」

 さあどうぞと言わんばかりに天鵝を受け入れる体勢の獅子に、しかし天鵝はその左手を取って両手でにぎった。

「いい勝負だった」

「――ですよね」

 やはりそう甘くはなかったかと、獅子が肩を落とす。摩羯も密かにほっとした。天鵝は妙なところで平等精神があるので、心臓に悪い。

 それでも天鵝は後で獅子の手の治療をしようと言い、獅子を喜ばせた。右手はもはやはっきりとわかるほどに腫れあがっている。

「次は俺が姫様の抱擁をいただきます」

「すまないが、それはないな。来年の報酬を決めるのは摩羯だし、私もこれからはきちんと確認する」

 残念そうな顔をした獅子は、摩羯を見やった。

「再戦しないか」

「断る」

 ばっさりと即答で切り捨てると、「心の狭い奴だな」と獅子がぼやいた。

「二人とも、これからも団長としての活躍を期待している」

 天鵝の言葉に、摩羯と獅子はそろって頭を下げた。それから天鵝は今年出場した衛士たち皆をねぎらい、参加しなかった者たちに対しても、会場設営等の準備の協力に感謝の意を示した。これをもって、御前試合は無事に終了した。




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