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銀色の北十字 弐  作者: たき
1/9

(1)

「叔父上、ラケルタの星司はまだ決まらないの?」

 宰相府の鐘が鳴り、室内で仕事をしていた官吏たちがすべて退出した室内で、最後の書類に署名をし終えた猟戸皇子は、かけられた質問に顔を上げた。

「辞退する者ばかりでな」

 星司になりたいと希望を出す者は大勢いるのに、事件や犯罪のあった星座は忌避される。荒れているので立て直すのに時間と労力がかかることと、こんな星座しか与えられないのかという評価をされたくない保身からだ。

 あのとき星司を失った星座のうち、ボーテースは将来我が子に引き継がせることに決めている。だがラケルタは――。

「放っておけば、この前のようなことが起きるかもしれないわ」

 大図書館があるウルサ・マヨールや、衛府が建つペルセウスなど、今も動きのある星座は別として、統治する者がいなくなった星座は人が流出し、犯罪者たちの拠点になりやすい。天鵝が連れていかれた星座ラケルタも、現在代行管理する宰相府に許可を得た者が木を切ったり鉱石を掘りに入るくらいで、居住星座として登録している民はもういない。

 彼には何の企みも罪もなかったというのに、彼を慕っていた星たちは皆、心を痛めて去ってしまったのだ。

 この、目の前の姪もまた。

「お前はいいのか? 別の者が星司の名を継いでも」

「……廃れたままでいるのを見たくないのよ」

「衛士でも誰でもいいから、ちゃんとした人をつけてちょうだい」と言いおいて、天琴は部屋を出ていった。

 猟戸は苦笑した。衛士を引き合いに出すあたり、天鵝を衛士に取られた悔しさがまだ消えていないようだ。

 しかし衛士か、と猟戸はあごに手を添えて考えた。強欲な視察者が続いたせいで、発覚したときにはひどい状態だった星座サギッタリウスは今、陽気な星司の尽力により活気を取り戻しつつある。人馬のような若手がもっと出てきてくれるとありがたいのだが。

 地使団に所属しているという、帝室の専属赤冠薬師である天箭(てんせん)の孫も、このたび星司に就任したが、面談で話したかぎりでは受け答えもしっかりしていて信念もあり、期待できる。一度団長たちを呼んで、他にも見込みのありそうな者を幾人か推薦してもらうのもいいかもしれない。

 猟戸が書類をそろえて立ち上がったとき、扉が控えめに開かれる音がした。天琴が忘れ物でもしたのかと思ったが、入ってきたのは茶色い外套をまとった男だった。

「ご苦労だった」

 定期連絡の書簡を受け取った猟戸は内容を確認し、眉をひそめた。体格のわりに意外と繊細な筆致で書かれていたのは、見慣れない容姿の存在についての噂だ。

「まさか……いや、可能性はあるな」

 天鵝が昴祝にかどわかされた際、護衛につけていた闇使が無残な姿で発見された。いくら敵の数が多くても、闇使が二名もいて命を落とすということに猟戸たちは驚いたのだが、おそらく致命傷となっただろう傷口が気になっていた。さらに、先日星座オリオンで夜盗に襲われた商人の遺体の特徴が似ていたのだ。

 これは問い合わせる必要があるか……しかし世界をまたぐ場合は通達する約定があるというのに仙王帝が何も言わなかったということは、連絡が届いていないうえに、星帝の力が弱る日に密かに入ってきた恐れがある。

 一方的に流入したとは考えにくい。あちらにも月界の武器を使おうとしている者がいる。それが衛士統帥でないとは言い切れない。

軫宿(みつかけ)、しばらく陛下のそばを離れるな」

 もう仙王の命を狙う者はいないと思っていたが、万が一に備えて()()()者をつけておいたほうがいい。

 自分は応戦できるから問題ない。天鵝も剣を使えるし、摩羯が気を配っているから大丈夫だろう。天狼はまだ幼いが『剣仙(けんせん)』に師事していて、素質があるとも聞いているので、おそらく何とかなる。

「天琴は仙女(せんじょ)に任せよう」

 もの言いたげな男にそう告げる。自分の耳飾りの片割れは、衛士統帥だった時期に出会った女に渡している。当時水使団長だった仙女は後に自分の妻になった。まだ手のかかる子供がいるが、自分と打ち合えるだけの鍛錬は積んでいる。

 猟戸は書状をしたためると封をして、男に預けた。

「先に陛下に知らせてくれ。後で私も向かう」

 男がこくりとうなずく。そしてフードで顔を隠したまま、静かに立ち去っていった。



 昼食の時間になり、天鵝は女官が持たせてくれた弁当を手に執務室を出た。衛士統帥に就任して数日は団長たちと食べていたのだが、室女に誘われてからは女性三人で食事をとる日が増えている。

 摩羯は衛府にいるときは、どこにいても食後の茶を用意してくれる。もっとも、運んでくるのは摩羯本人ではなく弟なのだが。一度人馬に聞いてみると、「兄さんは女性のかしましい寄り合いが苦手なんですよ」と笑い、人馬は白羊にすねを蹴られていた。

「姫様、これからお昼ですか?」

 廊下を足早に進んでいた天鵝に、地使団員同士で立ち話をしていた畢子(ひっし)――先日星座タウルスの星司となり、名を金牛(きんぎゅう)にあらためた若者が声をかけてくる。

「ああ――」

 そうだ、と金牛をかえりみながら角を曲がった天鵝は、正面から来た相手にぶつかってはじき飛ばされた。

「おおっと」

 仰向けに倒れかけた天鵝の腕を片手でつかんだ火使団長の獅子は、もう片方の手を天鵝の腰に素早く回して転倒を防いだ。

「大丈夫ですか? よそ見は危ないですよ、姫様」

「すまない」

 がっちり抱きしめられる形になった天鵝は打った頬をなでようとして、かすかに漂ってきた香りに気づいた。

「いい匂いがするな」

 さわやかなのにほんのり甘い、どこか色気を感じさせる香りに、天鵝は思わず鼻をひくつかせた。

「おや、わかりましたか。実はいつも香水を少しつけているんですよ、男の嗜みとして」

 頭の上で獅子が笑う気配がした。団長で一番の長身は双子だが、肩幅の広い獅子もかなり上背がある。

「団長もそろそろ加齢臭が気になる年齢ですからねえ」

 獅子の後ろからひょこっと顔をのぞかせた人馬の言葉に、獅子が舌打ちした。

「阿呆。俺はまだそこまで年寄りじゃないぞ」 

「そうだな。まだまだ火使団を引っ張っていってもらわないといけないからな……ところで、そろそろ離してくれないか」

 獅子は力をこめていないように見えるのに、身動きがとれない。無理に抵抗すると関節がおかしくなりそうで、天鵝は困惑した。なんだか捕獲されている気分だ。

「香水には興味をもたれたのに、俺の魅力は伝わらないなんて残念です」

 ため息をついて、獅子が手を離す。ようやく解放されて天鵝はほっとした。

「無理ですよ。姫様は兄さんの抱擁にしかときめかな――」

「人馬!」

 他の衛士もいる前でなんてことを言うんだと、天鵝は慌ててとめた。

「昼食の時間がなくなるから、私は行くぞ」

 人馬や獅子にこれ以上からかわれてはたまらない。小走りで去ろうとした天鵝を、人馬の声が追いかけてきた。

「姫様、御前試合の報酬はこれでかまいませんかー?」

「任せる!」

 羞恥のあまり、手に持った紙をぴらぴらさせている人馬に内容も確認せず叫び返すという、普段なら絶対にしないあやまちをおかしたことにも気づかず、天鵝はその場を逃げ出した。



 約束していた衛府内の四阿(あずまや)では、もうすでに室女と白羊が座って待っていた。満開の白い蔓花が寄り添うように絡まっている四阿は、おもに女性団員がよく利用する休憩場所だ。しかし離れた場所から見るとわかるのだが、四阿を遠巻きにするように男性団員の集団があちらこちらに点在している。

 二人のもとに天鵝が加わると、白羊がちらりと周囲を見やった。

「また増えたな」

「姫様がここに来られる日は、情報係が衛府内を駆け回っているみたいだからな」

 室女が苦笑しながら弁当を広げる。

「護衛代わりだと思えばいいだろう。団長が黙認されているのなら問題ない」

 衛士統帥になったとはいえ、天鵝は誰とでも話すわけではないので、男性団員たちが遠くから眺めることまでは禁止しないというのが、今の時点での摩羯の譲歩らしいと室女は言った。

「人を集めているのは私のせいだけではないと思うが」

 もともと女性団員の数はさほど多くない中で、それぞれ副団長である室女と白羊は特に目立っている。女性としては背が高めの室女は涙袋も唇もぽってりしていて、首から下もうらやましいほど肉感的なのに、まとう空気は涼やかだ。一方白羊は全体的にすらりとした細身の体形で、目つきもきりりとしていた。よく団員を叱っているので他の団からは少し怖がられているが、火使団は慣れているせいか、よほど緊迫した場面でないかぎりは謝罪に笑いが混ざっているので、なんだかんだで慕われているようだ。

 二人は同じ年に入団したこともあり、早い段階から一緒に行動していたらしい。二人まとめて勤務後に男たちから飲みに誘われることも多かったそうだが、今は比較的落ち着いている。白羊は下心のある者を冷たくあしらい、室女にいたっては副団長に就任するとき、そこらの団員では絶対に歯が立たない恋人ができたからだ。

 きっかけは利害の一致だったという。摩羯は室女を副団長に任命する際、昴祝からの嫌がらせを懸念した。摩羯と親しい存在をことごとく排除しようとする昴祝に命を狙われる危険があったのだ。それでも受けてくれるかと問われ、室女はうなずいた。そして予防線として、表向きの恋人をつくるという作戦をとることになった。摩羯を支える立場でも恋愛関係にあるわけではないとわかれば、昴祝も手を出さないかもしれないと。

 では誰に頼むかという段階に進んだとき、名乗りをあげたのが双子だった。すでに風使団長の座に就いていた双子は、どこに行っても寄ってくる女性たちに辟易していた。ときには捕縛の邪魔になることもあるので、偽装交際してくれる相手が欲しかったのだと。

 最初室女は辞退しようとした。恋人役が双子では、昴祝の目はかわせても他の女性たちの妬みをかってしまう。しかし双子の押しに負け、ひとまず試してみることにした。

 結果、時の経過とともに偽装がとれて本物に発展したのである。

 最初に室女から打ち明けられたときは天鵝も少し驚いたが、同時にお似合いだとも思った。心配していたほど女性たちにあからさまに恨まれることもなかったと、当時を振り返って室女は笑っていたが、それはそうだろう。自分ももし室女と摩羯を取り合うことにでもなれば、かなう気がしない。そこまで考えて気持ちが少し沈んだ。

 摩羯はもう、天鵝を不必要に避けることはしなくなった。過保護気味なのは相変わらずだが、いつ声をかけても、構えずに応じてくれる。笑顔すら見せてくれるようになった。

 薬師の資格を取るための準備も順調に進んでいる。勉強中だけは摩羯と二人だけで過ごせるので、どれだけ摩羯の指導が厳しくても、天鵝にとっては貴重で楽しい時間だ。子供扱いしないでいてくれるから――なのだが。

 天鵝を子供だと思っていないと言った摩羯の言葉の真意を、天鵝ははかりあぐねていた。一人前に仕事をこなせるという意味なのか、それとも……もっと踏み込んだ感情があるのを期待していいのか。

 わからない。摩羯は覚えていないとあやまっていたあのときの行為を思い起こし、天鵝はそっと自分の唇を指でなでた。

 そもそも、知らなかったとはいえ牛宿(いなみ)に恋をしたのだと本人を前に告白しているのだ。摩羯は単に天鵝の初恋の話として処理し、今の自分とは別物と判断している可能性もあるが。

「今日は遅いですね」

 あれこれ悩みすぎてうなりかけた天鵝は、白羊の言葉に我に返った。

 何が、と問いかけて、すでに三人とも食事を終えていることに気づく。いつもなら頃合いを見計らって摩羯の茶が差し入れられるのだ。

 天鵝や同じ地使団の室女と違って、白羊は摩羯の茶を口にできる機会は今までほとんどなかったので、最近天鵝と一緒にいることで相伴にあずかれるようになったのを喜んでいた。ある意味、弁当よりもご馳走だと考えているふしがある。

「確かにそうだな」

「今日は衛府にいらっしゃるはずですが……」

 三人とも食後に摩羯の茶を飲むのが当たり前だと思っていることに天鵝が思わず吹き出したとき、おいしい茶ではなく、衛府を揺るがすほどの摩羯の怒鳴り声が代わりに届いた。

「人馬ーー-っ!!」



「祝福の……抱擁?」

 衛士統帥の執務室で自分の椅子に座った天鵝は、目をぱちくりさせた。大机を挟んで正面に立つ摩羯が苦い顔で説明する。

 衛府では毎年、衛士統帥の見ている前で団員たちが得意な武器を振るう御前試合がおこなわれている。優勝者の報酬は前回の優勝者が決めることになっていて、去年は人馬が勝ったのだという。

 衛士統帥だった猟戸皇子が宰相になってからは、衛士統帥の座はずっとあいていた。それでも形ばかりの御前試合は続いていたのだが、今年は天鵝が統帥となったので、久しぶりに衛士たちが張り切っているらしい。

「報酬の内容は前回優勝者の所属する団の団長と、それから衛士統帥が確認されるはずですが」

 人馬が提案した報酬は、天鵝からの祝福の抱擁だったのだ。

「なぜあんなものを許可なさったんですか」

 すでに告知され、衛府内は大騒ぎになっている。団長や副団長、小隊長が注意しているが、団員たちの興奮はいっこうにおさまっていないらしく、この執務室にまでざわめきが聞こえてきている。

「私は提案書を見ていないんだが……」

「それならば無効です」

 ほっとした表情を浮かべる摩羯に、天鵝はおずおずと申し出た。

「ただ……人馬に任せるとは言った」

 摩羯が額を押さえて仰向く。あのとき人馬がひらつかせていた紙が提案書だったのだとようやくわかったが、もう遅い。

 せめて団長が獅子以外であれば却下していただろうが。一番悪乗りする団長が上官であったことが災いを広げてしまった。

 事情を知った白羊は、怒りのあまり顔を真っ赤にして爆走していった。今頃はきっと、人馬と提案を認めた獅子を締め上げていることだろう。

「室女や白羊が優勝すれば問題ないのではないか?」

 もしくはお前が、という言葉はなんとなく恥ずかしくて飲み込んだ天鵝に、摩羯はかぶりを振った。

「御前試合は若手の実力発揮の場としてもうけられているんです。見込みのありそうな者を上へ引き立てる目的で。ですから小隊長以上は参加しません」

 人馬は獅子が直接指揮をとる火使第一小隊の一員であり、役職がついていないので出場できたのだと聞き、天鵝も事の重大さを改めて理解した。

 沈黙が落ちる。摩羯は眉間にしわを寄せ、考え事をしているらしい。

「……優勝者は一人だろう。それくらいなら今回は……」

「だめです」

 受け入れよう、と答えかけた天鵝に最後まで言わせず摩羯が反対する。

「衛士に悪意のある者は入団できないんだろう? 私が近づいても心配ないのではないか?」

 衛士の入団試験は筆記と実技、そして最後に白馬との対面がある。前二つが優秀でも、白馬に気に入られなければ合格できない。

 白馬は賢く、勘がいい。邪な者には絶対になつかないと言われているのだ。

 摩羯が開きかけた口を閉じた。代わりにじっと天鵝を見つめる。色違いの双眸に映る苦悶の色と熱に、天鵝はとらわれた。

 やがて摩羯はため息をついた。

「今年は姫様が統帥に就任して初めての御前試合ですから、役職問わずその実力を見たいとのお触れを出すことにしましょう」

 人馬に許可を与えてしまったため報酬は変えられないが、統帥の権限で条件を付け加えることなら可能だろうと、摩羯は言った。

「お前も出場してくれるのか」

「やむを得ません」

 さっそく告知に追加をしてきますときびすを返した摩羯を、天鵝は呼びとめた。

「お前が勝つと……信じている」

 重い足枷になるかとも思ったが、摩羯は嫌な顔をしなかった。ただ一度目を細め、それから退室していった。


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