タルト・オ・シトロン
クラーラ・バイルシュタインの瞳は驚きと困惑で見開かれた。
足を踏み入れた、まだ人の疎らな教室に、場にそぐわないものが見えたのだ。何度かさりげない風を装って目を擦ってみたが、ソレは姿形そのままにそこに存在していた。
「やはりクラーラ様も気になりますよね?」
講堂からここまで共に来た令嬢の一人が、頬を染めてクラーラに耳打ちする。
クラーラも当然気になる。気になるが、彼女が頬を染める意味が分からない。
付け焼き刃ながらもこなしてきた淑女教育が無ければ顔を青ざめ、なんなら失神していてもおかしく無かった。
「ケスラー公爵令息ですわよね?同窓となれるなんてわたくし達幸運ですわ」
別の令嬢もまたうっとりとしてソレを見つめているようだ。その様子にクラーラは酷く困惑した。
(ケスラー公爵令息……?!宰相様のお家柄じゃなかったかしら)
社交界と縁遠いクラーラですら知っている名にギョッとし、思わずソレ──即ちケスラー公爵令息──を凝視してしまう。座っていても分かる、すらりと長い脚。本を捲る、美しいが少々無骨な指。そして。
「あの、あの方は、その……人間なのでしょうか……?」
どう考えても高位貴族の令息に対する言葉ではないが、それ以外クラーラの口から出てこなかった。口にして、不敬を問われやしないかと緊張が走るも、コロコロと笑う令嬢達によってその考えは霧散する。
「確かに、人間離れした美貌ではありますけれど」
「分かりますわ、わたくしも初めて彼の方とお会いした時は精巧な彫刻なのではと思いましたもの」
周りの反応が自分を責めるものではないと分かり、クラーラはほっと息をつく。そして、周りの令嬢方と、自分が見えているものが違うことを確信した。
令嬢達の笑い声に反応したのか、件のケスラー公爵令息がこちらを見遣る。その視線を受け、クラーラの周りでキャッと小さな甘い悲鳴が上がった。クラーラも悲鳴を上げたかったが、腰が抜けそうなため周りに断りを入れ、フラフラと指定された自席へと向かう。
(美貌……?彫刻……?)
辿り着いた椅子に腰掛け、クラーラはそっと窓際の前から二列目に座す、かの公爵令息を盗み見る。
座っていても分かる、すらりと長い脚。本を捲る、美しいが少々無骨な指。そして、肩から上は。こんがりとした焼き色のタルト生地に、目に爽やかなレモンクリーム。その上には仕上げとばかりに焼き目のついたメレンゲが絞ってある。
──つまりは。
(お顔……と言うか頭が……どう見てもレモンタルトなのですけれども……!)
恐怖と混乱の中、担当教師が入室し、オリエンテーションが始まってしまう。目の前の不可思議と教師の説明に集中できない己とに、ひっそりと頭を抱えてしまうクラーラであった。
初めて連載します、宜しくお願いします。