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けむりの家

作者: 三毛猫

「幸助、本当にいいのか」

「いいよ、その方が楽だから」

 父は彼がひとりになるのを心配していた。家には祖母のほかに誰もいなくなった。母と兄がいたが、家を出て行ってしまって、もういない。

「じゃあ、行ってくるから――」

 父も、簡単にこう言って出て行った。

 彼は〝ああ〟と言っただけだった。

 この時の彼には、毎日の生活の端を明るくするに出来なかった。すべてやめてしまったことを、もう一度やりなおすということは難しかった。

 彼は家に残った。祖母と二人きりの生活だった。

 幸助の祖母は彼の帰りを待つ人だった。帰る来る人を待っているのが、家にいる責任だと思っていた。

幸助は大学に通っていた。帰りが遅くなるのは当然のようによくあることであった。けれども祖母は夜遅くなって、どこの家も寝静まってしまっても、眠らずに幸助の帰りを待っているのだった。


「さき、寝て良いんだからね」

「そう――?」

 彼がそう話しても、翌日はまたおなじように彼を待っているのだった。彼はしばらくして、はやく家に帰るようにした。どこかでまた彼は、しがらみからぬけ出せなくなっていた。家族というしがらみに救いを求めているようだった。

 彼ははやく家に帰るようにしてから、友人とのつきあいを減らした。それは、彼自身の生活と友人たちとの間柄がうまくリンクしなくなっていったからであった。そうした生活がつづいて、家にいる時間が多くなると、彼には考える時間が増えるようになった。彼の頭の中では、ながい時間で起きたまとまりきらない記憶がわきあがってきた。


     ⁂


 幸助には孝道という兄がいた。

「おまえは、馬鹿なんだよ」

 それだけ言って、孝道は幼い幸助を激しく殴ることがあった。彼は訳もわからず孝道に、よく殴られたり、蹴られたりしていたのだが、母はそれを見ても、喧嘩をとめるだけで、訳は訊かずに、放っておくだけであった。

 孝道は母の見えないところで幸助を殴ることがあった。彼はいつも孝道に嫌味を言われて、殴られていたため、家にいることが怖くて仕方がなかった。それは彼がどうして孝道にたびたび殴られるのか、よくわからなかったからであった。

 幼少を過ぎて、幸助も孝道も、ともに学校に通うようになると、そういうことはなくなった。孝道は学校に通っても友達はできないようであった。弟を訳も言わずに馬鹿といって殴っていたのだから、誰にも彼にも馬鹿と言って喧嘩を吹っかけていたのかも知れない。

 幸助が近所の友だちと遊んでいれば、孝道はこう咎めるのである。

〝あんなわがままとよく遊べる〟

 人が周りで楽しんでいても、孝道は邪険にするのである。孝道はそんな幼少を過ごして、中学にあがった。それからしばらくして孝道は外に出なくなった。


「池田ってタカちゃんのお友だちが、鉛筆を手につき刺したって、タカちゃんが強要したって言う話だけれど――」

 ある日の休日、祖母が昼食をとる幸助に話し始めた。

 しかし幸助は中学のころの兄の人つきあいを、よく知らなかった。友だちはほとんどいないらしくて、いつも遊んでいる友だちは一緒だった。池田はその中でも一番性質の悪いつきあい方をしていた。

「——池田って、あの悪でしょう? 校内でたばこ吸ったり、学校のトイレで酒飲んだりしていたっていう。」

 祖母は父が出て行ってから、孝道の話ばかりを幸助にするのだった。

「孝道が池田に嫌がらせしていたのは事実じゃないかね? 実際に俺もそういうところを見てたし、だけど鉛筆刺したのは自分でやったことで、それを孝道のせいにしたって言うのは、なんか厭らしさがあったと思うけどね? ――だって自分の手に鉛筆刺したのは、池田の勝手だった訳だし」

「そう――。でもタカちゃんその後にまわりから白い目で見られて、相手にされなくなったとかって言うじゃない? 学校に行かなくなったのもそういうことがあったからだったらしいけど――」

 祖母は幸助の前に座り、お茶を入れてからまたはなしを続けた。

「でもそれよりもね。そんなことがあってから、一度登校したのよ? そうしたらあそこの中学の担任なんて言ったと思う? 〝無理して学校に来なくていいんだぞ〟って」

 彼は食事を止めて祖母の方を向いた。

「それははじめて聞いた」

「変な話でしょう? 先生が〝学校に来なくていい〟だなんて――」

 彼は祖母の話を耳にしつつ、その当時のことを思い出していた。

 まだ小学校に通っていて、孝道の不登校をあまり深刻には考えていなかった時のことだった。その日学校が終わって、帰宅の中途で、彼は池田に会った。池田は幸助の下校を待ち伏せしていたらしかった。その時より前から彼は池田の悪行を聞かされていたし、信用のできない人間だとも思っていた。

 というのは、池田は孝道に連れられて幸助の家へ遊びに来た時、池田はからかわれたり、罵られたりしていて、兄の友人たちを追いかけ回したり、とびかかっていたりした。それが何故だか幸助も追いかけまわすようになって、彼が嫌がると、池田は余計にムキになって彼の首根っこを掴んで絞めてきたということがあったからであった。

 池田は誰にとっても、危ない人間だった。酒とたばこもそうだったが、暴力的なふるまいが顕著だった。殊にそれは親から受けるモノの反動だったという噂があった。孝道は時々池田の話をしていたことがあった。

「アイツは食事もろくに与えられていなっかたし、池田の母親はしょっちゅうアイツを殴ったり、外に締め出していたりして、その度に悪さをして、迷惑がられていた、な――」

 そしてそんな男が幸助の目の前に現れて、彼のことを待っていたのである。

 彼は怖かった。そろりそろりと池田の立っているところのわきを抜けて行こうとしていた。池田がいつ走り出して私に突っかかってくるやも知れないと、すぐにでも走りだせるような恰好で彼は池田を睨んでいた。池田は一瞬構えたようになった。幸助は一瞬ひるんだように後ろへ一歩下がったが次の瞬間には池田からこう切り出していた。

「兄ちゃん――」

 幸助は瞬間、池田の声を聞いてその場から走り出そうとした。が、その声色の弱々しさを感じて立ち止まった。

「兄ちゃん、——元気してるか?」

 彼は池田から変な、意外な言葉を聞いたような気がしていた。

 けれども彼は池田を警戒して本当のことを言うつもりがなかった。

「いつもと変わりませんよ。孝道は――」

 幸助がそう言った後、池田は何かを彼に伝えようとした。乾いた唇を開いて、口を丸く開けて、火傷したような右手の甲を突き出して幸助に何かすがるような姿勢になっていた。しかしそれ以上に何か言葉にはならないことを池田は知っているようでもあった。

 少しの沈黙があったからか、今すぐにでも立ち去りたい気持ちからか、覚えていなかったが、幸助はそれだけ言って立ち去ろうとした。

 しかし池田は幸助の後ろからさらに言葉をつないだ。

「——そうか、それならいいんだ。兄ちゃんによろしくな。」

 幸助が振り返ると池田はもう走り出していってしまっていた。

 

 祖母は幸助の食べ終わった食事を片付けた後も孝道の話を続けた。

「それからあの担任こうも言ったのよ〝分かってるだろうな〟って」

 その教師の言葉は明らかに悪意があっただろう。

 けれどももともと孝道がいけないということもあった。幸助は幼いころの兄を思い出しながらそう思った。兄は勘違いされるような言動をとっていただろうし、もしかしたら池田の言っていることは本当だったのかもしれない。

 池田には本当の意味では友だちがいなかった。からかわれることで、人との関係を保とうとしていたからである。人を追いかけまわしたり、飛びついてつかみかかったりして暴れるのも、おそらく人と関わりたいがために気を引こうとしているのである。

 そして孝道もそれを面白がってからかっていたことも事実だった。

 

 ――孝道の担任も、校長もあの事件からすぐに中学からはいなくなったと聞いていたけれども、幸助は教師もともに孝道に嫌がらせをしていたという話を聞いたのは初めてだった。

 孝道のいた中学は孝道がいたころが一番荒れていた時期だった。有害図書や生徒の喫煙など、非行の蔓延で校舎の施設が所々で使用禁止になり、部活動をしている生徒たちは更衣室から締め出された。

 保護者の中でも部活動をする生徒たちの外での着替えや、校舎の便所で着替えを余儀なくされていたりと、学校の対応を問題視していた。生徒側の抵抗も強くあり、校門を爆破するなどの電話や学校側への嫌がらせ、生徒の授業時間中の俳諧が目立つようになったりして地域からも対応を迫られる事態に発展していた。

 普段から勝気な振る舞いで孤立していた孝道のことであるから、池田の事件以来、学校側に睨まれてしまったのはわからない話ではない。

 実際に臭いものには蓋と言うような教職員側の対応が、孝道が不登校に至る原因なったことも想像に難くない。孝道は完全に悪者として扱われたのだろう。担任の教師は学校に行こうとしている兄を、行かせなくしてしまったのだから――。


 幸助はしばらく考えてから言った。

「それでああなったの? でも後のことは、アイツ自身の問題だった訳でしょう?」

 祖母は目を細めて頷いたが、こう言い返してきた。

「だけど、それがなかったらタカちゃん、しっかりしていたのよ?」

 幸助は祖母のその言葉を素直に受け入れていなかった。――やはり孝道は孝道で悪いのだと思っていた。


 幸助は風呂上りに祖母を寝かそうとしてリビングに行くと、祖母は日記をつけていた。

 そばに寄って記している内容をチラっと見た。

「見ないで」

 祖母は笑った顔をして言った。

 彼は笑って、

「ごめん。ごめん」と言った。

 日記にはこうあった。

 ――きっと〝京子〟は帰ってくる。

 京子とは、家を出て行った幸助の母である。祖母と彼の母との険悪な仲を幸助は父から聞かされて知っていたが、祖母のそうしたむき出しになった姿を、彼は日記を介してはじめて見たような気がした。

 母親は――、

 意固地な人だった。人に謝ったりしたことはなかった。孝道が高校にあがった時から母親と父は別居をしていた。幸助と孝道の食事を作りに家に来てはいたが、あとは家には寄らなかった。

 そして段々それも続かなくなっていった。母親は食事を作りにすら来なくなって、自分のことのほかは何もしなくなっていった。初めのうちは孝道の父との仲が上手くいっていないことを口実にしていた。しかし京子にとってもともと家はわずらわしかったのかも知れない。幸助にはその心情はわからない。祖母との関係は直接京子から聞いたことはなかった。しかし父と仲が悪かったのは、父が祖母と離れずにいようとしているからなのだと幸助は知っていた。母は死んだ祖父さんがまだいた頃からこの2世帯を嫌がって仕方なかった――。


 ――けれども京子が家に来なくなった理由は、孝道にあった。

「家を出た人間が、何しに来てる」

 孝道は京子をそう咎めて、彼女が何をしていても罵声を浴びせていた。

  うるさい

  邪魔だ

  消えろ

 孝道と京子の会話はだいたいはその三句でこと足りていたようだった。

「男だらけの家で、好きなこと一つもできない」

 そういうことを言って京子は戻ってこなかった。

 あの時父はこう言っていた。

「約束が違うじゃないか」

 幸助の父はおそらく母親である京子に子供の世話を見る代わりに別居を許したのだろう。

 ――それも拘束力もない口約束である。京子が家へ寄らなくなってからは各自で食事を作るはめになった。孝道は母がいるころから母親の食事は食えないと言って、自身で作って食べていたから、幸助と父は孝道には好きにさせていた。幸助も仕方がなく自分のことはすべて自分でするようにしていた。父は昔から仕事で帰るのが遅かった。だから父も自身で何かを買ってきたり作ったりして食べるようにしていた。

 そんな生活が半年過ぎ、孝道は高校を出た。それからは何もしなくなった。中学のころのように家に籠って好きにしていた。


 祖母の着替えを箪笥から出して、部屋着を脱がせ、寝間着を着せた。

「あの人は女を知らないのよ」

「フ、フ」

 彼は思わず笑ってしまった。

 父のことを言っていることはわかった。幸助は祖母に靴下を履かせるところだった。

「ちょっとまって、――これ貼ってくれない?」

 祖母はベッドの横の引き出しから貼り薬を取り出して言った。

 彼は貼り薬を手にしてから祖母に語りかけるように話した。

「母親は兄貴がうるさいからって、家を出たろ。だけどその前から家にほとんどいなくてさ。家を出る前は仕事してたけど、でも家と両立できない無理な仕事してさ。職場になんのかはわからないけど、委員長さんっていたらしいんだ、その人に文句言ったら居づらくなって、最後は職場のワゴンで事故起こして――それで辞めたって言うじゃない?」

「何のお仕事してたのよ」

「介護。――それで、そのワゴンの弁償に保険使えば良いのに、勝手に家の貯金崩して使ったりして」

「あの人、私の面倒なんて、一度も看てくれなかったのにねえ」

「はっは」

「いやだわあ」

 幸助の祖母は何も知らないような顔をして歯をむき出しにして笑った顔をしていた。その笑い方は何かを思わせる笑いであったが、幸助は気にせずに話を続けた。

「それで、だいぶ親父、怒ったらしいねえ」

「あんまり強く言っちゃあいけないのよ」

「でもそのことより、前からいろいろお金を使っていたらしくてね。どこまで浪費していたのかは知らないけど、趣味でやってた鼓動なんかもすぐやめちゃうし、五十万円の太鼓やバチを買っておいて続かないなんて、親父はいつも無駄だ、無駄だって――」

「いやねえ」

「今の母親の生活費も、俺の学費とかに使うはずだった貯金をもっていったらしいんだ」

「…………」

「他にも、職場に向かう時に、家の車、ぶつけてね。廃棄にしちゃったりして。」

「へえ――」

「はい終わり」

 私は貼り薬を貼ってから、靴下を着せた。

「おやすみ」

 祖母の部屋の灯りを消して幸助は自分の部屋に戻った。

 京子は昔から家事が得意でない人だった。孝道は母親にうるさく干渉されるたびに、不能だといって、彼女の不出来な家事を責めた。孝道は作ったご飯に文句ばかりをつけて、食わずに自分で作って食べていた。洗濯も母親がするのとは別で自分のものだけをするようになった。休日を家ですごす時は、京子がいること自体を邪魔だと言って、たびたび彼女に対して怒りをぶつけるようになっていた。

 孝道にとっての母はとても母と呼べるような人ではなかったのだろう。京子は昔から家にはほとんどいなかった。それでも顔を合わせれば孝道はいろいろ咎めたり罵ったりしていた。

 ――よく今まで。

 幸助はどうやってあのころを過ごしていたか、理解に苦しみながら眠った。


 父が出先から一時帰途に就いた。

 ちょうどその日、地震があった。太平洋側沿岸を津波がのみ込んだ。まだ春にならない夜だった。父と幸助は、地震の速報をテレビで見ていた。祖母は何が起こったのかよくわからないようだった。幸助はたちはその後、休止された番組の代わりに津波の映像を見続けた。

 祖母は、父がいるからということで一生懸命になっていた。幸助たちがテレビに釘付けになっているのをよそにして「さあさあ」とこえにしながら、張り切って料理を作りはじめた。幸助はそれを見て、子供のころの元気な祖母を思い出していた。

「祖母さん、俺に作る時と、アンタに作る時と全然違っちゃって笑っちゃうよ」

「普段なに作って貰ってるんだよ」

「大したもの作って貰ってないよ」

 その日幸助は、久しぶりに祖母の美味い料理を食った気がした。だがそれよりも、祖母があんまり張り切り過ぎていて、何だかいつもよりも無理をしているようにも見えたことが心配であった。

 幸助は食事を終えると、テレビに釘付けになっている父に寄って話した。

「職場に電話した方がいいんじゃないの?」

「ああな。あ、電話で思い出したけど、明日アイツのところに行くぞ?」

「アイツ? 孝道?」

「ああ」

 父はそう言うとそのまま受話器を上げて番号を打った。

「アンタたち、ちょっと」

 祖母は夕食の片づけを終えて、テレビを見ている幸助たちのところに来て言うのだった。

「――私、調子が悪いわ」

「おい、幸助。祖母さん看とけ」

 受話器にむかって手が離せない父は、構っていられないというような言い方だった。

「避難指示? ああ避難指示出した――」

 父はそんなようなことを電話相手に言っている。私は仕方なしに祖母を便所に連れて行った。

「祖母さん、臭いよ」

「嫌ねえ」

 私は祖母の脱いだ下着を見た。

「下痢だよ。下痢」

 父は騒がしいのに気がついたのか、便所までやって来てこう言った。

「伯母さんに電話して、明日朝早く、病院に連れて行ってもらいなさい。俺は明日、赴任先に戻らないといけないから――」

 幸助はすぐに伯母に電話した。伯母は父の姉である。明日という話をしたのだが、伯母はすぐに駆け付けて、すごい剣幕で父に言った。

「アンタ、大変よ。老人の下痢は命に関わるのよ」

「なに? そんなこと俺は知らなかったんだよ」

 伯母はすぐに病院に電話した。祖母の熱をはかると38℃あった。祖母は家の車にすぐに乗せられて、病院へ向かった。医者の話を聞いて祖母はすぐに入院することになった。それはあっという間のことだった。


「祖母さん。病院は楽しいかい?」

「つまらないわ」

 父は医者と話していたので、幸助は祖母と向き合っていた。病院内はところどころで停電していたが、院内の発電機で医療機材だけは動いているようだった。病棟では患者のうめきや、荒い呼吸などが聞こえてくる。あの津波から灯りがなかったからその声は余計に気味の悪く、どことなく嫌な気分にさせられるところだった。老人たちが廊下の手すりに捕まりながらゆっくりと歩いて行ったり、医者がせわしなく廊下を駆けて行ったりするのだが、祖母のいる病室は大人しいものだった。向かいのベッドでは呼吸器をつけた老人がこちらを見つめて、ずっと苦しそうにしている。人間の汗の臭いと、はらわたが腐ったような臭いが、消毒液の匂いと混じって、息が詰まりそうな空間であった。

「調子は?」

 病床の脇に椅子を置いて座ってから祖母の着替えのある箪笥に目をやっていた。

「まあまあだわね」

「今度、孝道のところに行くよ」

「あら、タカちゃん元気?」

「わからない――、わからないけど、」

 幸助は祖母が孝道を心配そうに言うのを何故だか狼狽する形で応えた。それは何か忘れていたことを思い出した気がしたのだったが、それがいったいどういうものだったのか、彼にはわからなかった。

「親父のところに連絡があったんだって」

「そう――」

 彼は祖母の小さな返しと一緒に一息ついて、祖母の方に向き直った。

「母親ともめたらしいよ」

「いやねえ」

 祖母は病院のベッドに横たわったまま天井を見ていた。

「お母さんは、――それで、どうしてるの?」

「さあ?」

「タカちゃん、まだ馬やってるのかしら?」

「らしいよ」

 孝道は中学に行かなくなってから、競馬にのめり込んでいた。日曜、祝日はたびたび府中まで足を運んでいた。

「早く家に帰りたいわ」

「明後日出られるって」

「そう――?」

 幸助はは親父と病院を出た。

「だけど太いなあ、祖母さん。祖父さんが入院した時こう言ったんだぜ〝こんなの世話できない〟って。それで祖父さんやる気なくして、可哀想に。それが自分となると〝家帰せ、家帰せ〟だもんな」

「残酷だねえ。――それより明日、孝道のところ行くの?」

「あ、ああ、行くぞ。――何だかアイツ、母親から手切れ金に二百万も貰ったって言ってるし」

「それ、俺の学費だろう?」

「そういうことになるんだろうな。母親が別居はじめた時に、俺に突きつけた通帳なんて、スッカラカンだったからな――。まぁ、何にしても駄目なんだろ、アイツら」


 競馬は、高校に一年遅れであがってからも続いていた孝道の唯一の楽しみだった。しかしよくなかったのは、金をすってくるたびに荒れることだった。孝道が母の家事を責めはじめたのはこのころからだったから、競馬をしながら孝道は荒んでいったのだろう。それで京子はヒステリーを起こすようになった。彼女は孝道を怖がってお金を渡した。それを幸助は知っていたが、見て見ぬふりをしていた。そのころ彼は大学受験をひかえていた。頭の中で彼は自分のことの方が心配だった。しかし孝道が荒れて、京子がヒステリーを起こすたびに、幸助は家のことに段々と引きずられていった。

 そうしたことが続いて、父と京子は別居するようになった。

「お母さんは明日から家を出るって」

 ある晩父がいきなりそう言ったのだ。その時幸助は言いようのない怒りを覚えていた。けれどもそれが孝道に対してなのか、京子に対してなのかはっきりとしない、言いようのない怒りだった。

 そしてある日、祖母が幸助を部屋まで呼んだ。彼は祖母の部屋まで行ってお菓子をもらった。

「久しぶりだね。干菓子なんて」

「そう――」

「爺さんのでしょう」

「そう、仏さんもう要らないって――」

「じゃあ頂きます」

 そのころまだ祖母は元気にしていて、自分で立ったり、歩いたりもしていたし、毎週通っていた医者に行くのも、買い物に行くのも、自分で生活のあれこれは全部出来ていた。

「タカちゃん、大丈夫?」

「知らない――」

 祖母は気遣っていたのかわからない。孝道の話をしたがる祖母を軽くあしらって幸助はその干菓子を食らった。黙っていると、祖母も何もできないふうにしていて、テレビに見入っていた。あの時の幸助にとって孝道の話は気が重かった。


 京子が家に全く寄らなくなってから、孝道は荒んだ精神を母親にぶつけられなくなった。孝道はひとり喚くようになり、夜遅くまでひとり部屋に籠って時々暴れまわるようになった。

 ――なんだよ、なんなんだよ! ふざけるなよ!

 孝道は家にいても何もせず、競馬の中継ばかりを見るか、時々、ぶつぶつと呟いたかと思うと、突然の旺盛に笑いだしたりして家の中を歩き回っていた。

 ――お前らのせいで、お前らのせいで。

 と、くり返し言ったり、肩がこって仕方がないという口実で、風呂を何時間も占領した。

 寝室でクローゼットを開けて衣類をしまっている幸助と父がいた。

「あれをどうするつもりだ」

 父は、仕事から帰ってもイライラしながらその話ばかりしていた。

「それを俺に聞くの――。」

 幸助は無責任な父親を隣に見て絶望を初めて感じた。

「それは俺がどうする問題じゃないでしょう? 孝道がああなったのは、俺のせいじゃないんだから」

 幸助も高校と予備校を行き来する中で、毎晩受け入れなければならないストレスを感じながら、なんの慰めにもならない話をされて苛立った。

「あんなの、どうにもならねえじゃねえか」

 幸助は父に何の考えもないことに唖然とした。信じられないという思いで、前身の毛が逆立つような焦燥を覚えた。

「どうにもならないって言ったって、しっかりやってないのはアナタたちでしょう? だいたい昔から孝道が俺のことを避けてきたんだから、いまさら俺が何か言うなんてこと、できないよ」

「おまえ、冷たい奴だな。――あんな夜中まで起きて叫んでたら、近所迷惑じゃねえか」

「そういう問題じゃないでしょう――」

「そういう問題だ」


 ――近所迷惑、幸助はその言葉をもう一度胸の内で繰り返した。父の考えはずれているように思えた。彼にはそうとしか思えなかった。このような粗暴な言い方で言うセリフとしてはひどくくだらない言葉だった。孝道の問題を近所迷惑だからという理由で解決できる訳がないのはわかっているはずであった。現にそうした口論は母親が出て行ってから孝道と何度も繰り返してきたことだった。

「孝道を黙らせるのは確かにそうだけど、孝道にそれをいってもわからないんだから意味無いでしょう。アンタがそうやって怒ってばかりいたらなんにもならないよ」

「俺が悪いって言うのか? アイツをああしたのは母親だろう。毎月毎月、勝手に通帳の金渡して――」

 父は誰かに責任を押し付けたいのか、幸助や母親を問題にした。幸助は誰が悪いとかの宛もない話をされることが一番気分が悪かった。父が前に母親としたような責任のなすりつけ合いみたいな言い分を続けることで、その不毛さが孝道の問題をどうでもいいという気分が父から幸助へ伝わり、彼はその不毛なやり取りをどこへ解決に持っていくべきなのかいつも迷わなければいけなかった。けれども父に何を言おうとも、それは父の考えに当てはまることとは違っていた。

「アイツを説得するのは俺からじゃ無理だよ。そういう話は母親としてくれよ」

「母親がアテになると思うか? 俺が孝道に言ってことだって全部否定して甘やかしてばかりきたんだぞ」

「どうせ怒りながらそういうこと言ってたんだしょう?」

「なに? どうしようもねえ奴らだ、アイツもお前も。あんなことしてたらそこらじゅうから白い目で見られるんだぞ」

「明日があるのに、毎晩毎晩そんな話して、自分でどうにもできないんだったら、何で子どもなんて作ったんだよ。そんなに世間体のことが気になるの? 孝道をどうにかしなきゃいけないのに、それを問題にしてたってどうしようもないだろ――。今まで孝道自身のこと放っておいてああなったんだから、アンタらの育て方が間違いだったんだよ。

 ――もう殺せよ。その方が早いよ。」

「バカ、黙れ。アイツに聞こえるだろう」

「関係ねえよ。先寝るから、黙ってくれよ」

 

 祖母の病院を見舞いに訪れた日の翌朝、幸助は父と車に乗り込んだ。

 O町は盆地になっている。見渡す限り山の中である。車は国道から少し離れていった。柿の木の植わっている丘の一角に住宅が密集していた。その密集した一軒に孝道がいるのである。その丘の上の神社の前で車は停まった。

〝K〟と表札があった。

「あそこのオヤジ、しっかり自分のものにしてるんだな――」

「あれでしょう。裁判やって負けたやつ。遺書が二つあったって?」

「兄貴の方が日付が新しかったらしいからな」

「この家はどうなったの?」

「家があのオヤジので、兄貴が土地持ってるんだろ」

「弁護士は妹の紹介?」

 母親は三姉妹の真ん中だった。その下の末っ子の妹は弁護士をしていた。

「だろう? そうじゃなかったらうちの話だって母親の代わりに弁護士から通告がくるなんてことはないよ」

「阿呆らしい」

「弁護士雇ったらその分金とられるんだからな」

 父は呼び鈴を鳴らした。

 孝道がへらへら笑いながら出てきた。

「鍵は空いてるよ」

 そう言いながら幸助を見るなりこう続けた。

「何だよ。幸助も来たのかよ。お前はいいよ、どこか行ってろよ」

 髪が部分的に抜け落ち、孝道は全身むくんだような体つきででっぷりしていた。首の周りは赤く腫れて、目の両端も赤くむくんでいる。髭が伸びたままで、全身は重そうにどっかりと気だるくしている。顎は上を向いていて、どこにも力が入らないといったようだ。

 幸助にはまだ孝道に対して恐怖の念が残っていた。

 孝道は目はつり上がって、いかにも腹に悪い物を抱えているという感じであった。しかし孝道が幸助を見る目つきは、どこか怯えているのであった。


      ⁂


 父は30分ほどして戻ってきた。幸助は車の中で本を読みながら待っていた。父はただじっと険しい顔つきで運転席のドアを開けた。

「孝道のところにも弁護士から通知がきたんだってよ。あの家を出ろって言われたらしいな」

「ふうん。それで、孝道どうしたいって?」

「こっちに戻れないかって言ってるよ」

「でも孝道、俺らの生活に合わせられないじゃない?」

「だからと言って、野放しにはできないんだよ。もしどこかで悪さしたら、身元引受人は俺になるんだからな。俺が死んだって、お前にその番が回るんだぞ」

「そう――。ところで、アイツ、いま何やってるの?」

「さあ? 相変わらず競馬に行ってるって聞いたけど、今は病気で出られないみたいだな」

「病気?」

「頻尿」

「は?」

「これ」

 そう言って父が手渡そうとしたのは一升瓶だった。

「土産だと。アイツ酒を浴びてるらしい」

「それで頻尿?」

「だろう」

「頻尿って、あの歳で?」

「もうアイツもお終いだよ」

 私と父は街道沿いで食事処を探して昼食をとってから孝道にいる町を後にした。


     ⁂


 クローゼットの前で孝道を殺せと言ってから、孝道はよりいっそう喚いた。

 ――殺せ! 殺せ! ……殺すぞ!

 ある日、夏休みだったように思う。幸助が予備校から帰宅すると祖母が迎えに出てこう言うのだった。

「こうちゃん。ちょっと、静かに、こっち」

 祖母の手が幸助を招いていた。

「今あっち行かないで、ちょっと」

 彼は祖母の部屋に呼ばれた。

「しっ、静かにね」

 変な気がした。それは祖母が急に呼びとめたこともあったが、それよりも変に感じたのは、静かすぎることだった。

「ねえ、もしかして」

 幸助は今まで予想していたことが本当に起きたのだとわかった。

「駄目よ。行っちゃ、駄目!」

 幸助は祖母が強くそう言うのを振り切ってリビングに向かった。

 ――!

 皿の破片が床に散乱していて足の踏み場がないぐらいに床を埋め尽くしていた。扉も打ち破られて、目の前の硝子窓も粉々だった。食器棚もパソコンや電話もテレビも何もかも滅茶苦茶に壊されていた。床には金属バットが転がっていた。

 幸助は二階の孝道の部屋に行った。家の中なのに冷たい風がひどく通っていた。

 だいぶん陽の光も当てていない部屋の灯りをつけて入ると、黴と汗の鼻を刺す臭いとともに、焦げつくような臭いがした。万年床の周りでは紙クズや下着が散乱していた。その寝床の真ん中に、ひとつの空き缶が置かれている。その中で幾枚かの紙幣が燃やされて、灰がくすぶっていた。窓際には砕かれたガラス戸の破片がチラチラ光って、シャッターはあの金属バッドで殴ったのか、縦に裂けていた。そして孝道はどこにもいなかった。

 幸助はそれらのすべてを一瞥して、孝道の部屋の向かいにある自分の部屋に行った。洋服箪笥に向かって、財布から取り出した父の名刺を見た。箪笥から服を取り出しながらそこに記されている番号にかけると、女性の声がした。

「はい、○○支部の××です」

「そちらの部長の息子です。父に繋いで下さい」

「はい、――部長の息子さん?」

 父にはすぐに繋がった。

「家を出ます」

「どうした?」

「孝道が――」

「どこへ行くつもりだ」

「母親のところ」

「何があった、言え」

「わからない。でもとりあえず、限界です」

 それだけ言って着るものだけ持って家を出た。

 幸助は家の近くに間借りした母親の別居先にきていた。アパートの五階で、鉄筋コンクリートの建物で武骨な感じがするのは、もう十五年は外装修繕をしていないからであった。そんなぼろアパートを、荷物をパンパンにして階段を上がった。母の別居先は五階で、建物の高さの関係でエレベーターはなく、幸助は階段を一段飛ばしながらぐいぐいあがって、以前手渡された合鍵を使った。

 彼は一番南の畳の敷かれている部屋に寝転がった。陽は既に午後の傾きにかかっていた。窓の形をひし形に、畳へと映し出して、彼はそのおりたった陽光に左腕を伸ばしていた。


 母親の別居の原因は父の露骨な態度もあったが、それよりも京子の子どもに対する気色の悪い愛着のためだったかもしれない。京子は何かにつけて孝道に干渉した。家から出なくなった時も、孝道はミカンを投げつけられたと言った。競馬を始めた当初もその熱心ぶりに、母は牧場を探し、何の相談もせずに孝道を会員にさせて無理矢理下宿させたりしたが、当人はすぐに飽きて家へ戻ってきてしまった。高校の時の進路相談にしても、母親は勝手なことを言い並べて、孝道は何も話すことができなかった。そしてその度に孝道は酷く喚いて狂った。

 父は孝道が喚くようになってから、こういうことを言っていた。

「三つ子の魂百までって言うけどな。母親、三歳ぐらいの孝道に何してたと思う。朝なんか、アイツが目覚めるなり〝はい、チョコレート〟って言って、あげてたんだぜ。本当に異常だったな。育てるって言わねえよな。ペットみたいに飼い慣らしてただけだな」

 孝道との関係が母親を別居に至らせた本当の原因であるのは確かなことだった。幼少、幸助を殴ったりしたのも、それを予期させることだった。生まれてから孝道を躾ずに可愛がって育てた京子は、幸助が生まれてから彼の方に付きっ切りになって、孝道を相手にしない時期があった。孝道が幸助を殴っていたのはそれの嫉妬だったという推測が出来た。それからは〝お兄ちゃんなんだから〟と言う理由で、孝道は甘えたい時期に甘えを許されずに過ごしたのだと祖母はよく話していた。

 孝道は永い歳月をかけて怨念を溜め、大人になる前に発狂した。それは母親の干渉に対する強い反発でもあった。

 ――孝道は学生の時分に、人とは関わらないで過ごした。孝道は社交という言葉をわからないだろう。それに加えて幸助にも孝道は反発的であった。そうした孝道の人格を作り出したのは父と母の不仲だった。いがみ合いを見せつけられた幼少の孝道にとって、そうした関係が、家族と、それからその他の人間との関わりの手段でしかなかったように思える。実際孝道は学校に行っても人を悪く言うことばかりしていた。それは孝道がそうすること以外に、人と関わる術を知らなかったからである。

 幸助が生まれたころは、大分穏やかになっていた家だが、その陰険さを段々と幸助に気づかせたのは父の独りごとであった。独りごとはこういうものだった。

  すみません。……すみません。

  どうも、申し訳、ありませんでした。

  ふざけるな!

 父は普段から険悪な人間であった。何を言っても怒っていた。それはしかし、京子の意固地な性格のせいかも知れなかった。父と母親の不仲は幸助たちの教育方針の食い違いのためにもあった。

 幸助は幼いころから父が嫌いだった。何かにつけて父は母親と喧嘩をしていたし、彼の話に関しても聞く耳を持つことはなかった。何をするにしても、父の言い分は絶対だった。その言い分が通らなければ父に何を言ったとしても俺がなにをしたんだと怒鳴るのだ。そうした勝手な振る舞いは幸助たちを苛々させるばかりだった。

 しかしそうした幸助の苛立ちは母親に育てられていたころのことだった。母が家のことをせずに仕事をし始めたころ、結局誰が何で悪いからこの家はおかしいという問題は彼にとってどうでもよくなった。京子が仕事をはじめたころから、食事が粗雑になった。もともと朝からラーメンや海老チリ、ステーキなんかを食わせる母親だった。

 学校の登校時に友だちがトイレで吐いている幸助を見つけた時、

「朝、何を食べたの?」と言われて、それらのメニューを挙げると、友だちは怪訝な顔をして、朝からそんなに重い物を食べているのかと言うので、幸助ははじめて自分の家に確信的な嫌悪を覚えた。

 それから表面だけ焼かれたハンバーグや、半分なまの野菜炒め、醤油の味しかしない煮ものなどが食卓に並ぶようになった。幸助は並べられた食事をもう一度火を通して、再び手を加えてから食べたが、どうしても不味くて最後まで食べることができなかった。それを父が一生懸命に食べているのを見て、どうしてそんな無理ができるのかと驚くばかりであったし、孝道は物心ついたころから〝あんな物〟と言っていっさい手をつけることはなくなっていた。

 幸助が京子に対する不審感を覚えたのはこの頃であった。

 

 母親の別居先で寝ながらうつらうつらとそういうことを考えている間に、鉄の扉が開く音が聞こえた。幸助はハッと目を覚ました。母親が帰ってきた。京子は父から連絡を受けていて、事情を知っているらしかった。しかし京子は帰宅しても幸助を遠くから見ているばかりで何もできないというような雰囲気だった。

「アンタ、アイツに何か言ったろ」

 幸助が母親を怒鳴ったのはこの時が初めてだった。それは祖母が前から彼にぼそぼそと呟いていたことを思い出したからだった。

「アンタの母親、たまにアンタたちがいない時に家に来るのよ。――図々しいわね。家のこと何にもしない癖に出入りして、節操がなさすぎるじゃない? それであれは絶対タカちゃんに何か余計なこと言っているんだわ。――どうしてなのかしら。アンタの母親が来た日の夜はタカちゃん、殊に荒れるのよ」


 祖母が一人で歩けなくなったのは退院してからだった。

 祖母の退院の日、伯母と一緒に幸助は脳神経外科に呼ばれた。入院中にした検査の結果を聞くためであった。祖母は伯父が先に家へ帰してしまっていた。診断の結果は聞かされないらしかった。


「これだけご老人になられて、一日寝っ放しにしていると、平均で十三パーセントずつ筋力が落ちますから、杖をついて歩けるとしても、それ以上の回復は見込まれません。でもこの歳でまだ歩けるというのはすごいことです。それから肝臓の方ですが――」

 医者は肝臓にゴルフボールぐらいののう胞を見つけたと言った。

「これですが――」

 レントゲンの黒地の写真に白い骨や臓腑の形が、青白く光っている。

「ここです。この濃い塊がのう胞、つまり血の塊です。これがあって、消化不良を起こされているみたいですね」

「それは、どうなるんでしょうか――」と伯母が訊ねた。

 医者はこのまま膨れ上がるか、その前に、と話した。

 話していた医者が目配せをすると今度は別の医者が出てきた。

「この脳の方のCTですが――」

 医者は脳の断面の写真を刷った紙を出してきて、左右両方の脳みその前頭葉の辺りを指して〝ここ〟〝これ〟と言うのだけれども、何がここで何がこれなのだろうかと幸助は思うのである。

「では、抗ヒスタミン剤を処方しておきますから、毎食ごとに飲ませて下さい――」

 伯母は病院の帰り、車を動かしながら話した。

「先生の言ってること分かった? 先のお医者さんは外科から来てたみたいね。後に話したお医者さんは脳の所に影が見えるっていうけど、――全然分からなかったね。一応、文科省から賞をもらえるぐらいの権威みたいだけど」

「そう――。分からなかった。と言うかあんまり見てなかったね、僕は」

「駄目じゃない」

「何にしてももうこれから面倒を看ないといけないんでしょう」

「そうね――」

 医者の診断は余命半年だった。幸助にはそれだけ分かれば充分だった。そして幸助は頭の中で繰り返していた。

 ――あと半年。あと、半年。

 

 福祉介護師の人を呼ぶと、要介護とか、要支援とかそれに数字をつけて言うのである。伯母が親父の代わりにこれからの話をしていた。

「大変ですね。まだこれだと要支援6なのでヘルパーはつかないのです。――これ、一応、介護グッズのカタログです。」

 それだけ話して福祉介護師は帰った。

「福祉介護制度なんて、いい加減なものだよね。杖ついて歩けるって言ったって、人が見てないといつ転ぶかわからないのに」

「でもそういう決まりなんだから、仕方ないわよ」

「だけど面白いねこのグッズ、なんか安っぽいカタログだけど、祖母さんのその貰った杖、脚が四つに分かれて四点で支えるから、フラつかないんだね」

「よく考えられてるよね」

 伯母はそれだけ言って、昼食を作った。――祖母と私の分まで。

「今日もお風呂に入れて、寝かせてあげてね」

「はいよ」

 祖母が退院してから夜は幸助が祖母の世話をした。昼間は伯母が訪れて祖母の世話をした。彼は気負わずに昼間は大学に行くことができた。

「何かあったら連絡すれば良いからね」

「わかった。ありがとう」

「いいえ。――じゃあ今晩は、作って冷蔵庫にあるから、あれ食べてね」

 伯母はそれだけ言って出て行った。

 祖母は寝室で寝ていた。しばらくは放っておいて、幸助は食事にした。

 夜、祖母が起きて来た。彼は食卓で大学の課題をこなしていた。

「お腹がすいたわ」

「夕ご飯あるよ。伯母さんが作っていったから」

「そう――?」

 祖母に夕食を用意したが、箸を持つ手がぎこちなくなっていた。幸助は自分の分もご飯を出して食べようとしていたが、その様子が気になった。

 祖母は箸をクロスさせて米を掴み、口にやろうとしたが、頬にあたって米がこぼれた。

「持てないの?」

「なんかね! なんかね! 上手く持てなくなっちゃったのよ」

 幸助は箸を持ち直させてどうにか掴ませようと教えたが駄目だった。もう手が利かなくなっていた。

 彼は自分の食事は一度諦めて、祖母を食べさせた。

「美味しいわ」

 食べ終わるとすぐ祖母はトイレに行くと言い出した。祖母は立ち上がるのも困難そうにしていた。幸助が腕をつかんで支えて歩けるようにした。ついでに食べ終えた食器を洗いかごに突っ込んでいるうちに、祖母は彼から離れて一人でトイレに向かってしまった。彼は怖くなって、食器を水に浸してからすぐにあとを追った。

 廊下の突き当たりには窓があり、夜の街灯が漏れて祖母の傾いた後ろ姿の輪郭をくっきりと浮かばせた。それが左右に揺れながら便所へ(びっこ)を引いている。

 祖母は便所の段差を跨げなかった。幸助は祖母を追って支え、トイレの前で持ち上げる。入れて、待って、手を洗わせ、それから風呂場へ連れて行った。

 夜の風呂場はまだ肌寒かった。また熱を出されてもかなわないので、幸助は手伝って服を脱がせることにした。祖母は上手く足を浮かせられないので、片方の脇を掴んで洗濯機に手をつけさせた。

「左足から上げて」

 彼は祖母を支えながら、左足からズボンも下着も一気に抜きとった。右足も同じようにし、上の服も脱がせてしまうと、祖母の服を籠に放った。そのまま祖母を入らせて、服は明日また伯母が来て洗うからと思って、そのままにして食事にした。

 幸助は一人になると落ち着かなかった。一人で祖母が風呂に入れるだろうか、そう思いながらご飯も咽喉を通らなかった。

 祖母が風呂からあがると幸助はまた、風呂場まで行って、祖母の洗い終わった身体を拭いた。

「すみませんね」

「はいはい、じゃあ、寝る支度しましょうか」

「さっき起きたばかりよ。まだ朝でしょう?」

「何言ってるの、もう夜、寝るんだよ?」

「寝ないわよ。騙さないでよ」

 呆け始めたのかと思った。

 その日どうにか祖母を寝かせた。彼自身、お風呂に入ると日にちが代わっていた。それから机にかじりついて、深夜新聞配達が来る手前まで大学の課題に向かった。


 翌朝、目が覚めるとすぐに、祖母の様子を見にいった。

 祖母は階段の前でうつ伏せになっていた。

「どうしたの?」

「おトイレがね。おトイレが――」

 下着を脱がせて触ると湿っていた。それから祖母を支えながら起こして話した。

「どうしたの、何があったの?」

 幸助は訳が分からず必死になって祖母に問いただしていた。

「おトイレに行こうとしたんだけどね。転んじゃったのよ」

「どこで転んだの?」

「畳の部屋よ。――起きれないからね。這っておトイレまで来たんだけどね。どうしても起きられなかったのよ」

「ずっとここで寝てたの?」

「そうよ――」

 彼は唖然とした。背筋が冷たくなって、血の気が引いた。祖母を寝室へ連れて行きベッドに手をつかせて立たせたままにした。それから祖母の寝間着を全部脱がせて、下着の場所を聞いた。

「そこの箪笥の二段目か三段目」

 下着は二段目にも三段目にもなく、四段目にあった。それを出してから気がついて、幸助は洗面所へ行き、祖母の汚れた下着を桶に入れて、タオルを湯で濡らした。その濡れタオルで祖母の股から下を拭いて着替えさせ、起きていられてもかなわないので、もう一度寝かせてから朝食にした。

 それから彼は伯母を待って、今朝のことを話して家を後にし、大学へ向かった。

 ――これで一世代が終わる。

 幸助は祖母の死のくるのをそういうふうに感じていた――。


    ⁂


 京子は孝道を見つけて家から連れ出すと言ってきかなかった。幸助がそんなことをしてもどうにもならないというのも聞かずに、京子はアパートから出て行ってしまった。その後しばらくして幸助のところには父が来た。

「何があった」

「あっちに行けば分かるよ」

 彼がそう言うと父はネクタイだけ抜き取って家へ向かおうとした。幸助はせわしない父を引きとめた。

「第一志望の大学は諦めるよ」

 父は驚いたような顔をして幸助を見て怒鳴った。

「どうするつもりだ」

「今から推薦でいける適当なところを探す」

 父は何か言いたげな顔をしていたが、それ以上は口にせず「そうか」と言っただけで、すぐに家の方へと向かった。

 幸助は母親の別居先に留まったまま、鞄につめ込んだものの整理をした。南側にある窓の向こう側には、集合団地が並んで見えた。夕暮れに向かう時刻で、団地の影がコントラストを強めている。そのそびえたつような建物の一棟一棟が、みじめな気分を思わせるのは、何のためだったのか幸助にはわからなかった。

 しばらくしてまた京子は戻ってきた。

 彼女は黙ったまま夕食を作りはじめた。父はその後すぐに戻って、父母同士二人で話しはじめた。幸助はその話にはほとんど聞く耳を持たずに、畳の上に寝そべりながら、暮れていく窓の向こうの景色を絶望的な感慨の中で眺めていた。

 その晩は三人、同じ床で就寝した。その夜が幸助が母を見た最後だった。

 孝道は失踪してから三日経って戻ったという話である。失踪のその間、孝道はどうしていたのかは誰にもわからない。家にいた祖母はそこにそのまま留まり、父と家の修繕のことで話をしたと言う。孝道は祖母には恨みがない。危害を加えることはしなかった。父は祖母に孝道の見張り役を頼み、やがて家に戻ることを考えているのだと話した。そして、孝道の失踪の間に父は家から背広やら、家の権利の書類などを全部持ち出して、幸助と不自然にも、半年近く母親の別居先に使っていたアパートで暮らした。

 そうした生活は、どんより淀んだ空気の中で過ぎた。カラッとサッパリすることはなく、どことなく湿っぽい長い月日だった。失望は既に前からあった。ただ事を起こすのに時間がかかるだけで、そのためにひどく陰湿でしつこく、清算は早い時間では間に合わなくなっていた。京子は別居先からも離れたが、居所は簡単に知れた。K家の実家に帰っていたらしかった。父は母親にアパートの代金を支払うのが嫌で仕方ないらしく、毎晩独り言をぼやいた。そして父は溜息ばかりをついていた。

 父が調停に呼ばれて、幸助もついて行くこともあった。しかし話し合いに同伴することは拒まれた。幸助も母親に言ってやりたいことはあった。しかしあの女が話し合っていたのは財産分与のことだけであった。確かに調停で決められるのは離婚の話だけで、家族間のことは関係なかった。


 父と母親の離婚の調停の間に母親からは何かの勘違いのような、押し付けがましい文面の手紙を渡された。幸助宛のその手紙は、弁護士を通して父に手に渡されたものだった。

 彼は形だけでもその手紙を受け取って、目を通した。


幸助君

 大学入学おめでとう。

 自分の人生への第一歩を、自ら決めたことが、何より良かった、と私は、うれしく思っています。

 また、中学・高校と違ってS大学は、これからの社会、生きているものすべての共生を目指していく上で、深く考えてきた先生方がそろっているとことだと思います。だからS大学を選んだことも良かったと私は、考えています。

 それにしても、私が自分を〝お母さん〟と称さなくなって久しいです。親であることは変わりません。私の性質の半分は、孝道君も、受け継いでいるのですから。

 それでも孝道君が中学の時、勉強の面や友だち関係、教師のことで、私が理解することができず、不安感にのみかられ、ヒステリックに追いこんでしまってから、私自身が〝お母さん〟などと生ぬるい言葉では称せなくなってしまいました。親としての自信を失くしたとも言えますが、それよりも逃げの気持ちの方が強いですよね。現実逃避だろうと今では、私自身が、そう思っています。

 孝道が中学生としての生活の見切りをつけ外に出なくなってから、幸助はいろいろなことを考えてきていましたね。私の対応のまずさも、つぶさに見てきました。それを今更、弁解しようとしているのではありません。これは私が、

これからもずっと自分を(ただ)していかなければいけない課題です。人間としての……。

 幸助が高校に入る前後の二年間、ちょうど老人介護施設の相談員をやっていたころのお母さんは本当によくなかったです。そんな時の高校二年の夏に大学受験の具体的な方向性をアドバイスしてくれたのはお父さんではなかったかと思います。

 お母さんには何も言えませんでした。言える資格があったかどうか、ということだけでなく、孝道の時のように、何もわからないのに、不安にかられ、ヒステリックになって幸助の将来までも、潰してしまうのではないかと怖かったからです。それから孝道の時は、高校の三者面談で、私が先生の前で話したことで、孝道からものすごく反発されてしまったことでも、自信をなくしてしまいました。幸助の将来に何の関心がないのではなく、もはや私が立ち入っていけないのだと考えていました。幸助がとても辛そうにしているのは分かっていました。今も辛い、ということも……。

 それでも幸助が自分で決めていくことを私は見守っていくしかない、待つしかない、と。

 大学で幸助が何をしていくのか私にはよくわかっていませんが、大学での四年間はいろいろなことが吸収できる貴重な四年間になると思います。

 去年の暮に、幸助は、私に「半端だ」といっていましたね。

 それでも私は中途半端を捨てられず、弱さも克服できず、家を出ても、行ったり来たりの生活を選んでいます。

 こうやって少し距離を置いて孝道や幸助が巣立って行くのを親鳥のように見守っているのだと言わせてもらっては、いけませんか? おこがましい言い方ですが。

 ××××年×月××日


幸助君へ

                               母より


 幸助には気持ちが悪くて仕方がなかった。母親はわかったような台詞で言いくるめて、自分の好きにしていたいだけなのだ。彼には京子の言いたいことが、結局何だったのかわからなかったし、そのあまりにも勝手な言い分が、非常に怖くて、笑うことしかできなかった。そして彼はこの手紙を受け取ったことで、京子と父との間にはすでに会話の余地はなかったのだと思った。それなのにも関わらず父は離婚を躊躇っていた。彼は面倒になっていた。京子がこれからも揉め事を続けていくことを考えると嫌気がさした。幸助は父に離婚をすすめた。そして父にとって彼が母親を要らないというふうに言うことが決め手になった。

 父が離婚を躊躇っているのは、人のせいにしたいからだった。幸助にはそれがわかっていた。父は当然のように〝お前のせいで〟と口の端々漏らした。この男に判断という言葉はないのだと幸助は思って笑ってやった。

 母親は既に、いてもいなくても変わらなかった。幸助の中で母親という人はもういなかった。あの人は誰だったのだろうかという記憶だけがあった。しかしそう思いながらも彼の身体に母親の血が混ざっているという事実だけは変えられなかった。

 父はある晩、項垂れた身体を床に付けた時、彼のことをこう言ったのだ。

「お前は間違って生まれてきたんだ」

 彼は驚いた。狼狽して、しばらく何も言い返せなかった。どうして父が私を責めることができるのか、訳も分からなかった。

 父は床に入って背を向けたまま黙っている。

「もう、死んでもいいか?」

「——バカ」


 京子は父の年金の半分と、これからの生活費の一部として700万を渡すようにとだけ弁護士を介して言った。父もそれで折れて年金の半分は京子の権利になった。

 その間にオジさんが亡くなった。オジさんは京子の姉の良人だった。

「オジさんが死んだって」

「癌だったんだろう。知ってるよ。お前、焼香あげになんか行くつもりなのかよ」

「一応、世話になったから、オジさんには。行かないと逆に気持ち悪いでしょう」

 幸助と父は京子の姉のその良人と面識があったために、焼香だけあげに行くことにした。


 電車を降りると駅名を繰り返すアナウンスが聞こえた。

 ホームを降りて、冬の三時、乾燥しているけれどもどこも日は当たらず、その気候はどんよりと曇って、市街地はよりいっそう鬱蒼としていた。住宅街だけあって、後は何にもないところである。この道は、幸助にとって古い、懐かしい道だった。

「向こうの爺さんの家、覚えてるかよ」

 父が先に口走った。

「この道、探さずに通れるんだから、間違わずに行けるんじゃないかな?」

「そうか」

「南教会でしょう? 今日行くのは」

「ああ、ジイさんの家の先にある――」

 喪服を着てなりだけ揃えていたが、気分は葬式という感じではなかった。

「オジさん、何で死んだって?」

「さあ? 胃癌だったか、――見つけた時にはいろいろ転移していたらしいな。――だけどバカだな。薬なんてそんなのは不健康だとか、あそこのばあさん言っちゃって、自然治癒だとか言って、——見殺しにしたんだぜ」

 オジさんは両親が居らず、母方の家庭に養子で来ていた。

「――見殺し、ね。――自然治癒。だけどあの家、そういうの好きだよね。――無農薬野菜だとか、無添加だとか」

「そういうのもいきすぎるとまともじゃないね。知ってるか? 癌なんかは今は摘出しなくても割と簡単に薬で治るんだぞ」

「知ってる――。」

「母親と一緒にいたら、こっちがおかしくなっちまってたかもな、あの一家、親子して干渉し合ってるんだから。母親に離婚をすすめてたのもジイさんなんだぞ――」

 幸助は父のその言い方をどうだろうかと思った。彼が父の方についたのは感情的な理由よりも経済的な理由にあった。住居を転々としているよりはマシなのだとはわかっていたから、彼は彼であの家に戻る気でいたのだった。感情的な話をすれば、どちらとも生活はしたくなかった。

「俺は、この地域の人とは結婚できないな」

 父は幸助のその言葉に笑った。

「母親の大学時代の研究テーマ、秩父事件だってな」

「思い出せば暗い女だったよ」

「今日いるんだろう?——」

「知らないねえ、顔合わせたくはないから、考えたくもないね」

「何で結婚したんだよ」

「今更そんなこと分からないな」

 やはり父はいい加減な人である。時にそれに呆れさせられる。突き詰めればもともと無秩序無哲学な人のような気がするのである。

「ところでオジさんの子供はどうしてるんだろうね」

「知らんな、でもあそこの娘さんはもう結婚してるんだろう?」

「息子はまだ中学入ったばかりじゃなかったかな」

「問題ねえだろ」

 オジさんは教員だった。母親の姉とは職場結婚だったと言う。

「でもあそこのオバさんもおかしいからな」

「オバさんも教員だったんでしょう? 国語の――、何がおかしいって?」

「それはジイさんの町庁時代のコネで教員になれただけだよ。教員っていうのは割とそういうのが多いんだよ」

「へえ」

「それで結婚してから直ぐに教員辞めたはいいけどな。家庭ではうまくできなかったみたいだってな。」

「ああ、娘さんと喧嘩ばかりしてたらしいね」

「いや、そうじゃなくて、——知らねえのか。あそこのオバさん、何度も自殺未遂起こしてるっていう話」

「それははじめて聞いた」

「それを娘さんは気付いていて、親子関係は上手くいかなかったらしいな。訳はそれ以上知らないけどな。それに、オジさんがいなかったらあそこのオバさん、とうに死んでいたかも知れないんだってよ」

「どういうこと?」

「あそこのオバさんは夢遊病でな、時々姿を消すんだって言うんだ。それでオジさんと娘さんは探しまわったりするらしいんだけど、それが死にたくていなくなるらしくてな、見つけ出すと結局死にきれないっていう話になるんだとか」

「へえ――、オバさん、狭心症で薬を飲んでいたのは知ってたけど」

 幸助はなぜかそれを簡単に聞き流していた。彼には父がその話を面白がっているようにも見えたのでそれ以上を聞きたくなかったのだ。それに――、今から葬式と言うことで、そちらの方を気にかけていたというのもあった。

 彼は俯きながら喪服姿で縁石の上を愉快に歩いた。子供じみた姿だった。それでもどんよりと落ちてきそうなけむりのような空を見ているよりはずっとマシだった。

 葬式にはオジさんの同僚やら生徒が大勢来ていた。入り口では行列ができて、どこのお偉いさんの葬式なのだろうかと思わされた。幸助と父はこの混雑の中で焼香だけ済ませてさっさと教会を後にした。

「人ごみだったな。まるで」

「何であんなに人がくるかね? 学校の生徒が来る? 普通——」

「さあ? 俺の葬式は親族だけで良いからな。俺には起伏がありすぎてかなわんし、それに、あんなの面倒だろう。どうせあそこの一家で盛大にやりたがってるだけなんだよ」

「何かと騒がしくて、恥ずかしいな」

 幸助はどこかでこの葬式が悪いもののような気がしていた。直接の親族でもない家が葬式を取り仕切って、大事のように見せつけているようにも思えて仕方なった。

「オジさんの家系、本当に誰もいないの?」

「さあ? 幼少期に家は無くなったって聞いたぞ?」

 そしてオバさんも、しばくして死んだ。その報せは何故だか彼のところにやって来て、愈々母方の家族のバカらしさが幸助わかった。彼はオバさんの葬式には行かなかった。

 オバさんは自殺だった。


 オバさんが死んでからしばらくして、幸助と父は母親の別居先であったアパートから引き払って別に住居を用意した。幸助の居場所が知れなくなった母親は、たびたび携帯に連絡をよこすようになった。しかし彼は取り合わなかった。家を出て行った人に、何を話すということもないと思っていた。それから直ぐに京子は孝道を家から連れ出して、自分の父親が所有しているO町にある家に置いた。

 幸助たちは孝道が家から消えたので、戻ることにした。

 祖母はこう言うのだった。

「アンタの母親が突然来てね、連れ出して行ったのよ。大きな灰色の車に乗って来てたわ。だけどよかったわ。あんなに毎晩毎晩うるさかったら、かなわないものね」

 家の割れた窓硝子は板や段ボールでふさがっていて、家具はあの時のそのまま、台所や廊下は生活していたことがわかるが、後はゴミで埋もれていた。栄養剤の空瓶やスポーツドリンク、ビールなどの空缶が云百本、台所や食卓に置かれていて、皿は一枚だけしか使っていなかったようである。孝道の部屋には人の体臭が籠っていて、アンモニアの臭いが鼻に刺さった。風呂場は下から黒く黴が這い上がっていた。便所は嘔吐したのか、そのままの跡が残っていて、とても入れるようなところではなかった。冷蔵庫だけはしっかりと残っていて、中には缶ビールが沢山あり、冷蔵庫の前にはその空き缶が山積みになっていた。

 父と幸助はそれからゆっくりと家を片づけた。


 彼が大学へ向かうのに電車に乗ると、どっと疲れがのしかかってくることがわかった。電車の窓は頁を一枚一枚めくっていって、彼の想いとは逆に時の流れを早く正確に押しつけていった。

 今も昔もあまり変わらない。彼は一人の人間だということを思いながら、今めくられて行く窓の一頁一頁が憂鬱で実感のある時だと知らせてくれているのを感じた。彼は椅子に座ったまま、両足を弄んでいた。それは怒涛の一週間を終えて、その隙間に空いたところに吹き入れられる風のような一頁だった。そしてその隙間にそうやって入り込んでくるものは愉快なものなのか、それとも侘しいものなのか、定かにはしなかった。

 夕方、家へ帰る道すがら、伯母から連絡があり、紙オムツを買ってきてほしいと言われたので、幸助は途中スーパーに寄った。今度の震災の影響で生理用品の商品棚はほとんどが空になっていた。紙オムツも例外ではなく、二四着入り祖母の身体に合うサイズのものはほとんど買われてしまっていて、三軒回ったのち一袋しか見当たらなかった。

 幸助が家へ帰ると伯母が夕飯の支度を終わらせて祖母の食事を手伝っていた。彼は伯母に紙オムツを渡して、買い回ってきた話をした。

「みんなバカみたいね。こんなこと一時的なことなのに」

 伯母は尤もなことだけを言った。

 祖母はその話を聞いて、

「へえ」

 と言っただけだった。

 祖母はこのごろ疲れているのか、話をするのも嫌になっているみたいだった。

「だけど紙オムツって高いね」

 伯母は、ん? と首を傾げてから

「でもこれがないと大変よ?」

「そりゃ、家には面倒見られる人がいないからね」

「お父さんもいないしね」

「親父なんかいても、やりゃしないでしょう。人に触るのも嫌なぐらい潔癖症なんだから」

「フフフ、あの人も神経質な人だからね。昔はあんなんじゃなくて、もっとおっとりしてたんだけどね」

「信じられないね、おっとりなんて」

「今のアンタに良く似てるわよ」

「嫌だねえ、それは。俺も親父みたいになるのかよ」

「それはどうだか分からないけど」

 伯母は祖母にご飯を食べさせ終わると荷物をまとめ出した。

「じゃあお風呂、お願いね。それから今日お医者に連絡して今朝の話をしてみたら、明後日の午前にまた来て下さいっていう話になったから、アンタ時間があったら来てちょうだい」

「ああ良いよ。明後日午前なら空いてるから」

「じゃあ、お願いね」

 それから昨晩と同じように祖母に夕ご飯を食べさせ、トイレに連れて行き、風呂に入れ、就寝するまでを手伝った。

 翌々日、医者から受けた話では、時間の感覚は習慣から逸してしまったために狂っているのだろうということだった。そして睡眠導入剤を処方してもらった。しかし、それでも祖母は催す度に置きあがっては転倒し、顔や頭に大きな巨峰みたいな痣を作った。後日、また医者を訪ねた時に聞いた話では、人の欲求の中で排便、排尿の生理的なものは幾ら睡眠導入剤を飲ませても凄まじいものがあって、目が覚めてしまうのだと言う。

「お祖母さんは意志の強い方ですね。普通尿意があってもあきらめて起きあがったりはしないんだけれども。」

 医者も薬を出すだけして、説明が後付けなのだと思うところもあった。しかし祖母が普通ではない人であったのだろう、伯母も幸助も仕方ないのだと思う他なかった。

 それから幾日か経った。

 いつものように祖母に夕食をとらせていた。祖母の手が止まった。祖母はテーブルのポットのところを見て箸で空を何度も掴みだした。

「何? どうしたの?」

 祖母の顔を見ると私は何だか恐ろしいような鬼の顔を見た気がした。左半分の顔が硬直して垂れさがっていた。その顔、左半分、眉が下がり、瞼も落ち、頬も垂れ下がり、口がほんの少しばかり開いていて、右の顔だけはしっかりとこちらを見ているのにもかかわらず、左の顔だけは狂気に満ちていた。

 祖母はそれからじっと黙っていて、しばらくポットを見ていたが、やがてポットを指さしてから言うのだった。

「そこに猿がいるのよ」

「何?」

「猿よ」

 ふと幸助は医者の話していたことを思い出した。

「抗ヒスタミン剤は徐々に効かなくなりますから――」

 ――効かなくなりますから、どうなるのかという説明はないのだ。

 しかしこれがその兆候のようだった。ようは脳の炎症が抑えられなくなって、病状というか、死に向かう兆しが見えてきたということであった。

 それから翌日の晩、祖母が風呂からあがり、紙オムツをいつものように着せた。祖母は背を丸めてその紙オムツをじっと見つめていた。時折ゴムのところを引っ張っては離して、パチリとそののう胞で膨れ上がった腹に打ち付けた。更に両方の太ももの皮を延ばして苛々しているようだった。幸助は気にせず上半身を拭いていたが、祖母は急にこう言いだした。

「アンタ、アンタ!」

「何?」

「ちょっと、おトイレに行くわよ!」

「さっきお風呂に入る前に行ったばかりでしょう? また行きたいの?」

 祖母は彼の言うことには耳を貸さないでその身体を拭き続けた。

「アンタ! 身体にね。鯛と鮭がへばりついてとれないのよ!」

「鯛と鮭?」

「取ろうとしても取れないのよ。早く取っちゃって冷蔵庫に入れないと腐っちゃうわよ」

 私は本当に訳が分からないので急いで服を着せて、

「鯛と鮭は食べちゃったからないよ」と言って寝かしてしまった。

 翌朝、祖母は布団でちゃんと寝ていた。幸助は安心して、自分の朝食にしようと冷蔵庫を開けると、そこには紙オムツが綺麗に畳まれて入っていた。

「鯛と鮭だって?」

「そう、鯛と鮭」

「オムツが鯛で?」

「太ももが鮭でしょう。そう見えたんだよ、きっと。」

「それで冷蔵庫にオムツ入ってたの?」

「そう」

「はっははは――。笑っちゃうわね、それは」

 伯母はその話を笑い飛ばしていたが、ここまで来ると幸助にはもう終わりなんだという考えが強くなっていた。


 それから幾晩かして、祖母は浴槽に沈んでいた。入浴の最中に気を失っていた。その日の晩ご飯が浴槽の中で浮遊していた。吐いたような跡があった。幸助はそれを見つけて慌てて祖母を浴槽から引きあげた。――引きあげて、リビングまで抱えて行き、身体を拭いて全身にバスタオルを巻いた。それから救急に連絡して、伯母にも連絡した。

 伯母はすぐに来て、祖母のそばに駆け寄った。

「祖母さん! 聞こえる?」

 伯母は大きな声を張り上げて祖母の意識を確かめようとした。祖母は目を覚ましているようだったが、ぐったりしたままで危険な状態だった。

 救急車がすぐに来て、祖母は担架に乗せられた。伯母は祖母の寝間着を用意して、幸助と一緒に救急車に乗り込んだ。

 動き出すとサイレンが鳴った。

(彼は不思議な感覚に襲われていた。普段遠い闇で響いているサイレンが、今は彼の頭の上で響いている)

 ――年齢は。

 ――八九です。

 ――血液型は。

 ――O型です。

 ――以前にこういうことは。

 ――三月ほど前に一度。その時の検査で肝臓にのう胞があることと、脳に腫瘍があるかも知れないと。

 ――他に病気は。

 ――ありません。アレルギーや喘息とかもありません。

 ――わかりました。

「年齢八九、女性、O型、三か月前に一度入院、入院時に検査、肝臓にのう胞、脳腫瘍の…………――」

 祖母が救急病棟に運ばれると、彼は担架のそばから離れた。

 一時間ぐらい待合室で待たされた。医者が来て、今は安静にしていますと報告した。伯母は入院手続きをしにそこから外れた。

 彼はそのとき何を思っていただろうか――。

『何だかわからなくなっていた。人のこと、自分が何をしたらいいのかということが――。』

 彼は過去を振り返りながら友人との仲が薄れていくのも自然なこととしてみていた。父が単身赴任で出て行く中で、これは当然のことだと何となく頭に浮かんだ。


 彼はそののち、週に一度は祖母を見舞った。祖母は病院の看護師に世話されながら、最期の毎日を何の弊害もなく過ごした。食卓のそばの引き出しにお金を置いておいたのを忘れてきたと言ったり、戦死したはずの祖母の伯父が見舞いに来たと話したり、幸助のことを自分の息子(父親)の名で呼んで、笑いかけてきたりした。

 祖母は入院して三カ月経ってから死んだ。


 待合室に伯父がきて幸助の肩を叩いた。伯父は迎えのために車で病院まできたらしかった。伯母が戻ると、彼は、伯父の車で伯母と一緒に家へ帰った。

 家には三時間前の夕食が残っていた。

「早く寝なさいね」

 伯母はそれだけ言ってすぐにまた帰っていった。

 彼は昔、家に帰るのが嫌だった。それが今、こうして、そこには誰もいなくなっていた。どれだけ一人でやっていくのだとしても、もう彼には帰れるところはなくなってしまっていたのだと思った。

 リビングは暗闇しかない。彼はその部屋をじっくりと見て、思わず涙を流していた。

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