魔法座学を始めます!
中等部一年のとあるクラスは魔法実技の授業の為にグラウンドへと向かっていた。
そこで一人の教師に呼び止められる。
生徒達はその男を見るなり、げっ!?と声を上げた。
無精髭に半目、ボサボサの赤髪の男は猫背を一切正そうとせず、生徒達を見て「予定変更だ。お前らのクラスは今日の実技なし」と言って生徒達が向かっていた方向と違う方へ歩いていった。
「教室行くぞ〜。魔法座学の時間だ」
そう告げる教師は、生徒達の悲鳴に似た不平不満の声を背に浴びながら先に彼らの教室へと向かうのだった。
生徒達が重い足取りで互いに不満を言い合いながら自分たちの教室に辿り着くと、そこで信じられない光景を目にする。
廊下を埋めつくほどの人だかりが出来ていたのである。
驚愕する彼らはそこにいる人たちを見て更に混乱した。
自分たちの教室に押し掛けていたのは全員が全員、自分たちより上の上級生、ないし講師陣だったのだ。皆が皆、もう既に満員になっている教室へと無理矢理体を捻じ込ませようとしてその場はちょっとした騒ぎになっていた。
教室の主である生徒達が入れないでいると人混みに中に急に道ができ、そこから例の教師が出てきた。ため息混じりにボサボサの頭を掻く教師の名はレッケン。この学園唯一の魔法座学担当の講師である。
「すまんな、お前たち。悪いけど場所変えるわ。こいつら帰れって言っても言うこと聞きやしねぇ。大ホールの申請しておいて正解だったわ」
何が何やら分からないでいる一年の生徒たちを置いてレッケンは先に大ホールのある学園中央へと歩き始めた。すると、それに倣って教室にすし詰めになっていた上級生たちがぞろぞろと後を追い始めた。いや、むしろ我先にと大ホールへ走り出す者までいた。
通り過ぎていく彼らを見て一年生は未だそこに立ち尽くしていた。
魔法に知識や理論は必要ない。それが誰もが知る常識である。
魔法の上達は継続的鍛錬とそれに連なる熟練度であり、魔法の精度を上げるのに必要なのは以下に結果を明確にイメージできるかだ。そこに余計な知識など一切必要はない。成長したければ魔法を使うしかないのである。
だからこそ、一年生である彼らは魔法実技の授業が休講になり、代わりに座学になったことに酷く落ち込んでいたのである。座学なんて意味がない。時間の無駄である。
なのに、なぜこんなに人が?
すると廊下を行くその中で一人の生徒が話しかけてきた。
「君たち、早く行かないと席がなくなってしまうよ」
貴族然とした立ち居振る舞いの似合うその男子生徒はこの学園の高等部に所属する者だった。
「アイゼンバーグ、先輩!?」
その男子生徒を見るなり誰かがその者の名を口にし、瞬間一年生全員がざわめき出す。
それもその筈。
アイゼンバーグと呼ばれたこの生徒は、学園内でトップの成績を誇る超秀才で有名で、学生でありながら既に国家魔導師の資格を取得している人物なのだ。
そんなエリートが中等部一年の教室にいれば驚くというもの。
「あ、あのどうしてここに」
「そんなの見れば分かるだろう?聴講しに来たのさ」
「それって……魔法座学を、ですか?!」
答えるアイゼンバーグに生徒が割り込むように聞き返した。
彼は即答で頷いた。
「君たちは本当に羨ましいよ。レッケン先生の魔法座学を中等部入学から一週間も受けられたんだから。それにこうして時折臨時講義が入る。実に恵まれている」
しかし、一年生たちはアイゼンバーグのそれに賛同し兼ねた。
中等部に入学すると強制的に一週間の間、2コマ続けて魔法座学を受けさせられる。それは当然中等部一年生だけしか受けることが出来ない特別講義である。しかし、魔法座学は所詮座学でしかなく、魔法使いのエキスパートである魔導師を目指してこの学園の中等部に入学、または進学してきた彼らにとっては小難しい話ばかりする講義は何の実りも無い苦痛の時間でしかなかった。
アイゼンバーグが中等部に入った頃は、まだレッケンは赴任しておらず、当然アイゼンバーグは彼らの気持ちなど知る由もない。しかし、魔法を極めた証とも言える国家魔導師の資格を持つ彼が魔法座学に気を惹かれている意味が分からない。
「アイゼンバーグ先輩は魔法に座学が必要だと考えているんですか?」
女生徒が恐る恐る聞いた。
「さあね」
「え?」
「私がそれを答えたところで君たちの意識が変わる保証はないからね。それは答えないでおくよ。それに、こういうのは実感しないと意味がない。君たちがレッケン先生の講義を聞かないと言うのなら、それはそれでありがたいけどね。現に、彼の授業を受講申請出来ない上級生たちは我先に場所取りをしに走って行ってるからね」
「「「……………」」」
一年生達はどう反応を返して良いのか分からず黙ってしまった。それを見て、アイゼンバーグは肩を竦めるに留めた。
「じゃあ、それでは私も行くとするよ。流石にメモ書きをするのに机くらいは確保したいからね」
そう言うとアイゼンバーグは彼らの目の前から一瞬で姿を消した。高速移動の類いの魔法を使ったのだろうか。
その場に取り残された一年生たちは、気が進まずもとりあえず学園内中央に位置する大ホールへと向かうのだった。
「あのなぁ。言っとくが、これは一年の授業でお前らには関係ない授業なんだからな。毎度毎度邪魔すんなよ。この国じゃ、座学が軽視されてるって知ってんだからな。あんま来んなよ。めんどくせえ」
「冷たいこと言わないでくださいよ」
「そうだそうだ!我々上級生も生徒である以上、受講する権利がある!」
「じゃあだったら何で、学園内の講師陣も毎回ちらほらいるんかね!?お前らのことだからな!良い歳して生徒の席奪ってんじゃねえよ!責めて立ち見しろ」
「ほほう。言動と素行の悪さ、マイナス10点……っと」
「どうぞ御ゆっくりお寛ぎください!!!」
一年生が大ホールへ着くとそこは既に賑わっており、やはりというか超満員だった。5千人は入る筈なのに席は全て埋まり、通路という通路に人が入り込んで立ち見もかなり多い。
「……と、遅ぇぞ一年!お前らは単位があるんだから真っ先に来いよ。補講も補習もめんどくせえんだから」
教壇に向かって傾斜になっているホール内で、教壇から見上げるように彼らを見つけたレッケンは手招きして前へ来るように促した。
レッケンの目の前にある長机は一年生達が全員座れるように席が空いていた。
それを見てぞろぞろと彼らは席に着いた。しかし、上機嫌な先輩達に比べて一年生である彼らは乗り気ではなかった。皆胸中に「これから訳のわからない話を聞かなきゃならない」と思っていた。
「んじゃ、始めるぞ。俺が話している間は私語厳禁だ。黙って聞いてろ。嫌なら机とキスするか、こっから出てけ。分かったな?」
そんな暗い表情をする一年生を気にすることなく、レッケンは今日のテーマを口にする。
「では、今日は《ユーストラル限界》について講義を始める」
「「「ユーストラル限界きたあああああああああ!!!」」」
「黙って聞けぇええ!!」
そうして高等部一年生以外が盛大に盛り上がる中、小難しい魔法座学が始まるのであった。