おくりものなんてないなんて、いわないよぜったい。
プオン
汽笛に似たクラクションか。クラクションに似た汽笛か。役割はどちらも同じだが。夜毎響くこの音、実は嫌いではなかった。地元の人間ならば聞き飽きたろうが、夜来 響介には新鮮味があった。
響介は渡り人である。響介の故郷には海はなかった。船も初めて見た。そして船が浮かぶあの大きな向こう岸の見えぬ川を海というらしい。故郷の川とはまるで違う。
響介は渡り人である。今のねぐらは商店倉庫の裏側。本来、人の宿泊施設があってはならない場所だが、響介は番犬代わりに泊めてもらっている。あるいは大きな猫か。
シャアア
自転車の走る音に聞こえるが、これはカーテンが開かれる音だ。よく似ているが、響介ももう覚えた。何度も起きて道路を見渡してみた。自転車の姿はなく、音は壁の後ろから聞こえる。裏の商店で荷出しをしているのだろう。時刻はすでに深夜を回っている。ご苦労な事だ。
しかも壁には穴が開いていて、裏で誰かが歩いている音さえ聞こえるのだ。ただ穴は床に近く、響介が顔を近寄せても向こう側は見えなかった。流石に見える状態なら、裏から塞ぐだろうが。
響介は穴を塞がない。人恋しい、というわけでもないが、そこに誰かが居るというのは響介の心を落ち着かせる何かがあった。
タン、タン、タン
歩き、商品を置き、また歩く。一定のリズムが崩れない。
布団の中、目をつむった状態で聞くそれは、ゆりかごで聞く子守唄と変わらなかった。
飲み物ではない。瓶がないから。食べ物ではない。細やかな崩れる音がしないから。物は型崩れしにくい。そして一人で運べる重さで、どちらかと言えば軽い。
衣服。響介はそこに当たりをつけている。おそらくは衣服を運んでいる。であればあのカーテンの音も分かる。衣服を保護するカーテンレールの音だ。
裏は衣服商店。なんという店なのだろう。響介は実はまだその店を見た事がなかった。仕事が忙しいのではない。夕方には終わる。その後、飲みに行ったり遊んだりする暇も十分にある。
だがなんとなく行っていない。お楽しみにしてある。いつか行く。自分へのギフトとして取ってある。
女性専門店でなければ良いが・・・。この街に響介は女性の知り合いを持たない。女性ものを買ってもまだ使いみちがない。
ま。ハンカチか何か買っても良かろう。そのうち。
その店は取っておき。いつかのお楽しみ。だった。
ゴトン
何日かたったある日。いつもとは違う、違和感を感じた。なんだ?
ゴト、ゴト、ゴト・・・
重い音。まるで家具を動かしているような。模様替えか。これも客が帰ってからでなければ出来ない。響介は船の中に居るような気分になっていた。あのデカい図体の中、揺られる荷物になっていた。
ゴト
音が終わった。その頃には響介はもうぐっすりと寝入り込んでいた。だからこの声は聞こえなかった。
「ネタ。キョスケ。ネタ」
「ネタ。ワタリビト。ネタ」
「コノタイミングデ。アス。サラウ」
響介は幸せそうに眠っていた。
響介は渡り人である。だからというわけでもないが、どこでも就ける仕事には心当たりがある。雑用係だ。儲かっていて、かつ次の正規の人間を雇うまでの当座の人間を欲している職場。響介はそういう場所に潜り込む。
「おじちゃん」
「なんだい」
だからおじちゃんと呼ばれても別に怒りはしない。盛り場で子供が居る事にも驚かない。他人には事情がある。人の数だけ理由がある。
「きょうちゃん。あんたちょっと雄介預かっててくんない?」
「良いよ。な、雄介くん」
雄介少年は積極的に喋りかけてきたかと思いきや、今はもう響介など見ていなかった。母親のハンドバッグから取り出したおもちゃをいじっている。
「行ってくるからね。きょうちゃんの言う事、聞くのよ」
「うん」
寂しがりもしない。すでに慣れたものか。響介は雄介にかつての自分を重ねた。いや。こんなに聞き分けは良くなかった。すまんな雄介くん。
一人含み笑いをしつつ。雄介を視界の隅に入れながら、響介は従業員の衣装を縫っていた。手を入れるべき服はいくらでもある。
「火事だあ!」
盛り場では馬鹿も居る。これが狂言である可能性はそれなりに高い。だが響介は雄介を抱きかかえ、衣装室を飛び出した。
「麗子さん!!雄介くんはこっちだ!」
「ああ!良かった!」
ちょうど衣装室に走ってきた雄介の母、麗子とも会えた。麗子が雄介を探しさまよう事にはならずにすんだ。
「本当に火事なんですかい?」
「ええ、ええ、そうなのよ。お客さんがお札に火を点けるだなんて遊びを始めちゃってね。それが服や本に燃え移って大変よ」
無事に脱出した従業員、客は燃え落ちる「レイニーブルー」を眺めながら呆然としていた。響介らのように野次馬に混じって雑談している者も居たが。
ウウー、ウウー
そうこうするうち、消防車が来てくれた。警察、救急も一緒だ。
「大丈夫には違いねえが、雄介くんが煙を吸ってるといけねえ。麗子さん、病院に行っちゃあどうだい」
「そう、ねえ。そうかもねえ。じゃあそうしてみるわ。きょうちゃん、今日はありがとね」
「良いって事ですよ」
そして響介は麗子、雄介親子を見送り、消防の活躍を見届けてから家路についた。
収入源を失った響介だが、さほど困りはしなかった。店はいくらでもある。とは言え。
コトン、コトン、コトン
やれ、やれ。今夜ばかりは裏手の音も心安らぐとは言い切れん。流石の響介も、わずかに気が立っていた。だから目を閉じ耳をすませていても、その違和感に気付けなかった。
壁が動くなど、予想もしなかった。
「キョウスケ。ジカンダ」
「ジカンダ。キョウスケ」
深い眠りについていた響介は布団がめくられても体を持ち上げられても、まるで気付けなかった。あたかも眠らされているかのように。
そして響介は壁の向こうに連れて行かれた。無数の小人に持ち上げられて。
日常生活で担ぎ上げられる経験はそうない。精々がお祭りの時ぐらいだろう。
「いって、いった、痛い・・・」
小人に持ち上げられるのはツボ押しマットで持ち上げられるのに等しい。つまり痛い。
「柔らかな絨毯とは言わねえが。これじゃ健康になっちまう」
痛い痛いと言いながら、響介は抵抗しなかった。下手に動けば小人を押し潰す。
「キョウスケ。モウチョイ。マテ」
「ソノウチ。ツク」
「ジョオウサマ。オマチダ」
「あいよ。でも、もちっと優しくだな・・・いて!」
ちょうど骨のない部位を小人の腕で突かれ、響介はうめいた。いくら昔なじみでも、慣れねえ。響介は背の皮膚を突っつかれながら、身じろぎするのをこらえた。
何もせず、ただ黙って空を見上げた。見上げたというか見つめたというか。
幾百億の星々が流れる。青い星、赤い星、緑の星。黄色い星も。オレンジも。星は川を流れる。川を流れて、どこへ行く。
「海なんて知らなかったよなあ」
「ウミ(膿)?」
「ケガ。シタノカ」
「大丈夫だよ」
小人達は海を知らない。かつての響介のように。
そして響介はえっさほいさと運ばれた。谷を越え、山を登り、川を泳ぎ。女王の城に。
「お帰りなさい。王様」
「響介って、みんな呼んでくれてるぜ。な?」
「キョウスケ」
「キョウスケ。カエッテキタ」
「サラッテキタ。キョウスケ」
「正解。おれは帰るつもりじゃなかった」
「いいえ。あなたはこの世界の王様。帰る運命なのです」
女王は小人より遥かに大きい。響介と同じサイズだ。その女が、今寝転がって小人に支えられた状態の響介が見上げる位置に居る。
美しい女だった。瞳の色は黒から白、黄色から赤、青から緑、気が付けば変わっている。それでいて中身は不変にして不動。
「おれはもう十分にやったさ。最初の頃なんて覚えてねえよ。どれだけの星を運んだんだよ」
「それが私達の役目。定めでしょう?」
「知らねえって。もう、おれの事なんて忘れろ。おれは忘れた。何もかも」
響介は何も忘れていない。忘れたフリすら出来ない。星の巡りを順調に滞りなく進める。そんな事を100億年やってきた。
もう、飽きた。
「王様。あなたが戻らなければ、あなたの遊び場。地球と言いましたか。あの星も弾んで割れますよ」
「別の星に移るから良いよ」
響介は渡り人である。特別な誰かの特別な誰かにならないように過ごしてきた。誰が死んでも良いように。
地球の人間は死ぬ。これも地球で初めて知った事だ。
「でも、じゃあ、なぜ。地球に2千年も居たんです?」
「・・・別に。暇だったし」
「太陽に3日で飽きて、木星でも1週間が限界でしたね」
なんで知ってるんだ・・・。まさか家出初期から知られていたとは思わなかった。
「ずっと待っていたんですよ。ずっと見守っていましたとも」
「あ、そう」
良かった。誰も口説いてなくて。響介は心の底から安堵した。下手を打てば、あの川の星の一つとしてごっつんこ遊びの玉にされちまうところだ。
「人間が欲しいんですか?」
「そーゆーことじゃなくてね・・・」
女王は優しくて理知的な人物だが、融通は利かない。このままなら、地球人口をそのまま移住させる。だから響介は即座に否定した。
「王様。家出ごっこも程々になされませ。もう1万年ほど運行が滞っておりますよ」
「それで?」
「それでじゃありません。子供みたいな言い方を」
「正しい言い方だろう。おれが居なくなっても、一切問題は起きなかった」
それは確かだった。確かに響介不在の間、星の川は混雑したり渋滞したり爆発したりはしたけれど、決壊はしなかった。
実際、響介はもう無用の存在なのかも知れない。新たに川の整理人を作り出せば、それで事足りる。響介である必要はない。
だから響介は地球でずっと雑用係をしていた。替えの効く存在に慣れるために。
「女王。君が居れば、それで十分だ。本当に必要なのは君だけだ」
「私にはあなたが必要です」
率直すぎる。しばらくの地球暮らしに慣れた響介を、女王の言葉はまっすぐ貫いた。
「なあ。・・・海って知ってるか?」
「知っていますよ。水分に塩分その他物質が溶けた集合体ですよね」
「そうだね・・・」
感動的な話をして煙に巻くつもりだった響介の目論見は木っ端微塵に砕かれた。言葉遊びでは突破できない。
「では。本当に星の川は、どうでもいいんですね?」
「う、うーん・・・」
女王と小人達が居るから大丈夫。そう思っているし確信もしているが、いざ口に出すとなると、ためらいがある。
なんと言っても、今までやってきた事なのだ。
「じゃ、じゃあさ。たまには様子を見に来るから・・・」
「・・・分かりました」
分かりました。そう言った時の女王の表情は、響介をして恐怖を禁じ得なかった。後悔したが後の祭り。
「では。また」
「お、おう。苦労かけるな」
「ふふふ」
その笑い声も怖かった。響介の知る最高の顔であり、最も愛しい顔なのだが。
そうして寝そべったままの響介は、そのままの姿勢で小人らに運ばれ、元のねぐらに戻った。何事もなかったかのように。
「キョウスケ。オウサマ。キョスケ?」
「きょすけではない・・・。いやどっちでも良いぞ」
「ワカッタ。マタナ。オウサマ」
「おう」
どっちでもいい。本当にそう思ってはいるが。なんかこいつら、傍若無人だな。誰をモデルにして作ったんだ、女王は。
無論。言わずもがなである。
「おじちゃん」
「おう。雄介くん」
街には変化はなかった。強いて言えば、雄介の母、麗子も新たな職場に落ち着いたぐらいか。不幸中の幸いとして、店は焼け落ちたが、人は死ななかった。そこで店主のツテで従業員には新しい職場が紹介されたのだ。
そんなある日、響介は雄介と出会った。駅前で。
「あら、きょうちゃん。お出かけ?」
「ええ。ちょっとそこまで」
別の地方まで。響介はこの地を離れる。ここには十分に長居した。
次は海も川もない場所へ。
「麗子さんも雄介くんも、お元気で」
「きょうちゃんもね」
なんでもないように別れ、その後二度と麗子や雄介と出会う事はなかった。
星の海に人が溢れ出して、幾星霜。星海原を渡る船が銀の河を埋め尽くし、宇宙の荒野に人の栄華を花開かせた。これ即ち、人類種が神に祝福された生命であるという証である。
「神とは」
「妄想ですよ」
「だよな」
とある川のほとりに男と女と大勢の小人が居た。男の指示で小人は精を出し、えいしょどっこいしょと星の巡りを綺麗に整頓した。女はますます美しさを増し、元気に小人を作り育てていたそうな。
「オウサマ。コンド。ドコイク?」
「チョウヒサシブリニ。チキュウ。イク?」
「イママデイッテナイ。アタラシイトコ。イク?」
「そうだなあ。久しぶりに・・・」
「王様?」
恒星の煌めきより鋭い眼光で射すくめられ、男はとっさに発言内容を変更した。
「一緒に遊びに行かないか」
「ダメです」
通じなかった。この女には適当な言い訳など通じるはずもなかった。
「ええと。ほら、また新しいお土産持って帰るからさ・・・」
「要りません」
お土産とは例えばハンカチだとかそういう、おためごかしである。女王の宝物庫に入れられるだけの物である。
「私にはあなたが必要です」
「うーん・・・」
男は上手いごまかしを思いつかず、その後千年の外出を許されなかった。めでたくなし、めでたくなし。
「なんですって?」
いや、めでたしめでたし。
おしまい。