ふかふかベッドと子守唄
食事が終わって、爺やによる『お勉強』の時間になった。
「我が王よ!先ほどの態度はいったい何ですか!」
「確かに、もっときちんと挨拶をして」
「挨拶!!挨拶と、おッおしゃいました!?」
「そうだ。名乗ってもいないし、手をいきなり触るのは失礼だった」
頭を抱えてうーん、うーんと唸る爺やは、酷く困っているようだった。
後ろ手に書斎のドアを閉め、誰もいないことを確認して詰め寄って来た。
息のかかる距離だ。目の前に顔がある。
「あなたは、自らの地位を自覚なされてください。あの医者にはなんと言われました? きっと薬を言い値で買ってくださいと言われたのでしょう。メイドからも信じられないような扱いを受けたと報告に上がっています。なぜいきなりそのようなことをなさるのですか。そうまでしてこの爺やを虐めるというならばいいでしょう。私は辞めさせてもらいます!」
「まて。次の仕事は決まっているのか?」
この国には、仕事が少ない。仕事を変える方が珍しく、小作人の子は小作人として、商人の子は商人としてその一生を遂げるはずである。それを辞めようというのはつまり、安定と財産を手放すという事に他ならない。
「仕事など、これ以外にありますでしょうか……!!!この爺や、我が王の産まれた時よりおそばにいて支えてきましたというのに、いまさら他で生きるつもりもありません!」
この人は、それだけ一緒にいたはずの王様の顔を間違えているのだった。それはもう、涙を流すほどに間違えているのだった。しかし、俺はそれを拭ってやろうにもメイドのように手拭きを持っていなかったので、机の上に置いてあったタオルを渡す。
「涙を、拭け」
「……ッ!!雑巾で、雑巾で顔を拭けと!爺やの顔は床や机と変わらぬというのですか!!」
「違う違う!!間違えたんだ!」
随分と過激である。俺の周りには少なくともこんな大人はいなかったはずだ。自分もあと一年で大人7)になるのだから、こうはならないようにしなくてはけない。
「我が王、もしや」
ハッ!!!!!!
バレる。バレてしまった。王の名をかたるなど即刻死刑の大罪である。例え向こうが勝手に間違えたとしても、その訴えは全く耳にはしてもらえず、即絞首刑にされ、見世物にされる。その見世物は国中を連れまわされ、多くの人間に嘲笑をもって迎えられることだろう。性器は切り取られ口に詰められるに違いない。人のかく恐ろしさよ。地獄の悪魔でもこのように残忍ではあるまい。
「国崩しをなさるおつもりか?!」
「は?」
「そういうことならば、爺やは喜んで賛同しましょう。ええ。すぐにでもその高貴なるお考えに沿ってこの老体に未だ残る全ての力を……」
「ちょちょちょまって」
「はい。このようなことを口走るものではありませんね。流石、我が王。若干14にして世界の理という物を理解されている」
してないしてない!!それ以上に、学びという物を俺は受けたことが無かったのである。数は数えられるが、文字は読めないし、書くことさえかなわないのだった。
「いいか爺。そんなことはないし、お前が思っているようなことを、俺はしない」
「ええ。分かっておりますとも。それでは国とお金に関するお勉強からいたしましょうか」
あっという間に夜は更け、寝る時間となった。この頃になると、煌々と焚かれた大量の蝋燭もそのなりを潜めて、寝室には小さな暖炉の中で今にも消えてしまいそうな燃えさしがパチパチと音を立てるだけになった。真っ白の灰だけが、自分の知っている世界と同じだ。
「失礼いたします」
女の声だ。怒られると思って急いでベッドに入ると、メイドは暖炉を長い棒でかき回し、まだ赤い燃えさしを金属のたらいに乗せ、ふたを閉める。それを重そうにこちらに持って来て、そっと俺のいる布団をめくり上げてその中に入れる。するとお日様に照らされているような温かさが冷たい布団に広がった。
「お休みなさいませ」
ゆっくりとメイドが頭を下げると、長い黒髪がさらりと落ちてそれを白いしなやかな指が耳にかける。そのまま行ってしまおうとするので、無性にさみしくなった。この部屋はあまりに広くて、暗闇が大きい。
「行かないで」
何も言わず、メイドの背中が止まる。
「行かないで、ほしい」
「王様。未だ、そのようなことに手を出されるのは……その、お早いかと思います」
ハッ!!!
「違う!すこし、少し手を握らせてはくれないか」
少しの間の沈黙ののち、戻って来たメイドの顔には、うっすらと照らす月明かりと暖炉に残る燃えさしの赤で朱に染まって見える。
そっと差し出された白い腕をもぞもぞと布団の下から出した手で握ると、思ったよりも冷たい。きっとこんな時間までも仕事を続けていたに違いない。
「我儘を聞いてくれてありがとう。今日、じいちゃんが死んだんだ」
「ッ!!命日でしたか。配慮が足らずおかしな妄想に」
「怒ってないよ。ただ、少し、寂しくて」
「私でよろしければ、ここに……おります」
「うんありがとう」
少し、握り返す手に力がこもった。ありがたいことだ。
「子守唄を、できれば歌ってもらえないかな」
俺の歳にもあるまじき、恥ずかしいお願いを少しクスリと笑ったメイドは歌い出す。
『森の傍ら、小さな川~♪』
ゆっくりと睡魔が瞼を下ろす。綺麗な歌声は、ずっと聞いていたいほど美しかった。
7)この世界の成人は15歳以上となっております。