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身分さとパン

 爺やが連れてきた医者は、白衣を着た猫背のおじさんだった。息が臭くて鼻が曲がりそうだったので、緑の葉4)を食べるといいぞというと、その黒い歯をニヤリとやって笑った。


「王様は、薬草に興味がおありですか」

「んーそうかもしれないね」

「でしたら、薬草をいくつかお見せしましょう」


 医者のカバンの中から、干からびた雑草のようなものが何本かできて、机の上に並べられる。それを爺やは一瞥するうちに床へと叩き落としてしまった。


「王に向かって何たる侮辱。すべて幻想薬ではありませんか!!」

「いや、しかしこれは痛みを取る効果もあって」

「まだ若い王を麻薬付けにするつもりか!今すぐひっとらえろ!」


 わらわらと出てきた兵士によって医者は両の肩を掴まれ、廊下へと引きずり出される。


「何か悪いことをしたのか?」

「ええもちろんです。我が王。あの者は毒を盛るつもりだったのですよ」


 俺は実はそうは思わなかった。死んだじいちゃんの病は体が内側から腐っていく病気。強かったおじいちゃんは泣き言一つ言わなかったが、本当は涙が出るほど痛いはずだった。それが取り除かれるとすれば、どんなにいいことだろうかと思う。だが、薬草はとんでもなく高いのだった。お目にかかったのもこれが初めて。


「あのような物に手を出すのは臆病者だけです。そのようになってはいけません」

「爺や。何故知っている。何故そう言い切れる」

「そういう物なのです。皆大人になれば知ることです」


 そうかあ。と思って、卵料理をこれでもかというほど自分の皿に取り、ハグハグと熱いそれを口いっぱいに頬張ると、甘酸っぱいソースが口の端から零れ落ちて、王様っていいなと思った。

 顎まで垂れたソースをメイドが白いハンカチで拭いてくれる。


「そうだ。一緒に食べよう。うまいぞぁ」

「……お戯れを。今日は随分とからかいになられますね」

「爺やも座って食べよう。こんなに椅子が余っているんだ。食べ物もこんなに。俺一人ではとても食べきれんと思うんだが」


 実際には、食べてしまうこともできるだろう。それができるほどにここの飯は旨い。しかし美味しい物は皆で分かち合う物だと爺ちゃんからは口が酸っぱくなるほど言われている。


 長いスカートをふらふらとさせながらこっちを見たり、食事を見たりメイドがしているので、自分の横の席を引いて、柔らかなクッションをパンパンと叩き、示す。


「座って」


 やがて、周りからの固唾をのむ様な視線の中でメイドは席につく。可愛らしい顔を冷や汗がツツツっと落ちて、ぽたりと真っ白なテーブルクロスの上に落とす。


「さあ、どうぞ」


 匙を二個使って挟み込むように卵を掴んで、皿の上にポンと卵を置く。黄色の絨毯の上にソースをたっぷりとかけ、勿論、ピッチャーから水を注ぐことも忘れない。

 驚いた。注いだ水から湯気が立った。ピッチャーは熱くなかったのに。

 注いだ水だと思った物からは、嗅いだこともないような芳醇な花の香りがする。恐らくはこれは紅茶という物だろう。恐らくとんでもなく高い。

 メイドは震える手でちょこんと銀のスプーンに卵を乗せて口へと運ぶ。


 小さくニコッとしたので、その味は良かったのだろう。


「美味しい? でしょう。さあもっとあるよ」


 爺やも座れと言ったのに、一向に座らす壁際で笑って俺のことを見ている。そうしているうちに、廊下に続く豪華な扉とは別の、壁に目立たないように作られたドアが小さく開いて中からまた別のメイドが籠を持ってやってきた。

 目は伏せ目がちに開かれており、小さく会釈したのち、籠を持ってテーブルの近くまで来た。何より目を引いたのは、その籠の中身だった。春の良く晴れた日にもお目にかかれないような淡いきつね色のパンは、鼻をくすぐるような甘い香りをしていて、それがいくつも入り口側から配られていく。俺はそれを今や遅しと思って座って待つのだったが、俺の座る付近にきてメイドは一瞬止まった。

 下ばかり見ていたから5)人がいるとは思わなかったのだろう。


「パンはそうだなぁ、二、いや三つおくれ。それから彼女にも美味しそうに焼けたやつをお願い」

「あ、はい」


 先ほどまで、慣れた手つきで配っていたその手がぶるぶると震えてパンを皿に置こうとしているのにガチガチと音が鳴った。寒いのかと思って、その手を取ってみるとびっくりするほどに柔らかい。

 その手を包み込むように握って、ふーっと息をかける。

 よく自分もこうしてじいちゃんに温めてもらった物だった。思い出すと少し悲しい。


「ヒャッ!!」

「ああ、ごめん。冷たいかと思って」


 この王宮でも、外ではびゅうびゅうと北風が吹いている。触った瞬間にほんの少し感じた指先の冷たさは、俺の吹きかけた息以上に熱くなって手から離れる。


「あ、あ、あ、あ」


 目の前に顔を真っ赤にした自分と同じ位の歳をした子がいた。マズいか。せめてものわいろに何かおくらねばならないだろうか。勝手に手を取るのは確かに失礼だったかもしれない。


「余ったパンは君が食べていい。きっと他にもメイドはいるだろうから皆と分けてもいいし……」


 手を口に当ててパンを落として後ずさりするので、爺やが間に割って入り、肩を抱いて下がらせた。爺やが手を出してしまうのではという不安はあったが、年も離れているのでそれはないだろうと思いなおす。しかし、それ以上に受け取ったパンはまだ温かく、熱いほどであるので期待が勝った。さっそく割ってみる。

 パリッ!プワ~。


 割ってみると、蒸気と共にさっき焼き上げられたばかりというような香りが部屋中に立ち込めたのだった。パンはまだ一つしかもらえていなかったので、半分を隣に座るメイドに渡す。

 一口、口に入れれば、その柔らかさが口の中で解けた。こんなに柔らかなパンがあるというのが驚きだった6).


 メイドは渡されたパンの片割れを持って目を丸くする。

「これは食べてもいいのですか……?」

「パンを眺めてどうする。パンは食うためにあるのだろう。驚くほどうまいぞ」


4)緑の葉:ハーブ。スースーします。生命力が強く、痩せた土地でも手に入る庶民の強い味方。

5)下ばかりを見る下働き:高貴な人間は住む世界が違います。当然、メイドの身分の者がお仕えするお方の目を直接見てはなりません。

6)柔らかなパン:王宮では混じりっけなしの専用パン粉と酵母を使用。下町では量産銘柄のパン粉に木くずを混ぜることもしばしば……。

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